第3編・創立10周年記念〜第2章 式典・祝辞

10周年記念式典
 記念式次第
1.修礼
2.開式の辞
3.国歌斉唱
4.物故者への黙祷
5.校長式辞
6.実行委員長挨拶
7.生徒会長挨拶
8.感謝状の贈呈
9.祝辞
 ・道教育委員会
 ・校長協会会長
 ・同窓会長
10.祝詞・祝電の披露
11.校歌斉唱
12.閉式の辞
13.修礼

 校訓の碑除幕式次第
1.開式の辞
2.祓い清めの儀
3.除幕
4.贈呈挨拶
 ・陵友会会長
5.謝辞
 ・校長
 ・生徒会長
6.閉式の辞


祝辞
10周年記念事業実行委員会委員長(現PTA会長)

 北海道札幌北陵高等学校が創立10周年をむかえ、多数のご来賓をおむかえして本日の記念式典を盛大に挙行することが出来ましたことは、私の深く喜びとするところであります。
 顧みれば本校は、昭和47年4月、旧一条中学校校舎を借校舎として開校されて以来10年間、校名の由来の如く北海道の高校教育の最高峰を目ざして発展を続け、今日の盛儀をみるにいたりましたことは、まことに喜びに堪えません。
 この間における関係当局はもとより、歴代校長はじめ教職員、PTA、後援会の先輩諸氏のご労苦に対しまして深甚なる敬意を表するとともに、衷心より感謝申し上げる次第であります。
 それとともに、いまこのように立派な北陵高校の歴史と伝統が作られ、今日に受け継がれてきておりますのも皆さまがたの大いなるご努力の賜ものであることに思いを致し、これらかもこの素晴らしい伝統を守り続けることを、この機会にお誓い申し上げる次第であります。
 さて、宇宙科学の時代、多様化する社会構造、その中にあって新しい時代に即応できる調和のとれた人間形成を目ざす北陵高校の教育は、単に高校教育のみにとどまらず、地域社会、PTAの研修の場として公開講座を開設し、各方面から注目されているところであります。
 このようなたゆまざる努力を続ける北陵高校に子どもを学ばせる親として、私ども常日ごろ喜びと誇りを抱いておるものであります。
 さて、10周年と申しましても、開校以来ただそれだけの時日が経過したということではなく、北陵高校の教育が10年の歳月を経てめざましい成長を遂げていることを顧み、今後一層の飛躍発展を期して、21世紀に生きる子どもたちを送り出す決意を新たにすることにこそ創立10周年を祝う意味があると思います。
 このたび10周年を記念して制定された3つの校訓「自立」「敬愛」「進取」こそ北陵高校の目ざす教育目標であろうと思います。この校訓が子どもたちの心に刻まれ、生涯の指針となることを願うものであります。私どももこの意義ある年を契機として、更に努力してまいりたいと思います。
 最後になりましたが、新たに制定されました校訓を立派な碑としてご寄贈いただきました陵友会をはじめとする有志の皆さま並びにいろいろな面でご協力いただきました同窓会その他の皆さまがたに厚くお礼申し上げるとともに、それぞれの会が北陵高校とともにますます発展されることを祈念いたします。また、この事業のために組織されました実行委員会の皆さまの長い間のご苦労に対し、心からお礼を申し上げます。
 以上、まことに簡単粗辞ではございますが、私の祝辞といたします。


祝辞
北海道高等学校長協会長

 北海道札幌北陵高等学校が記念すべき創立10周年を迎えられましたことを心からお祝い申し上げます。
 10年前久しく高校新設の機会がないままに、札幌の人口増加に伴う高校進学率の上昇という時代の要請をうけ、新鮮な息吹きをもって市民の大きな期待の中に実現したのが札幌北陵高校であります。これが口火となって次年度から年毎に公立の高校が少なくとも1つは誕生し、市民の要望にこたえる高校進学の活路も大きく開花してまいりました。応急措置として旧一条中学校の校舎を暫時の仮校舎として、豊平川の一条橋近くに雄々しく出発されたのも夢のようです。
 開校当時から、生徒ひとりひとりの可能性を大切にし、豊かな調和のとれた人間形成をめざし、向上心に燃えた意欲のある充実した気力・体力の育成を教育目標に、先生方教職員が一体となって、細心に生活の指導体制を整え、創意と工夫を裏付けとした実践を通じて、生徒とともにある教師という信条をつらぬいて教育に専念してこられた札幌北陵高校であります。
 道民の期待に寄与すべく新設校舎の施設構想にあたっても、生徒の多様性に対応し個別指導観察を通しての適性の発達教育のために、教育の近代化を取り入れ、学習室や教育機器の有効適切なシステムを整備するなど、生徒の能動的な主体性のある文化的な活動によっての豊かな感受性を高める努力が如実に生かされております。
 このことは、新学習指導要領による教育課程編成もいよいよ来年度から実施に入る段階にありますが、新しい教育課程実施のねらいである、ゆとりと充実のある学校生活の運営を、既に先見性をもって実践されておられることに外ならないのです。まさに札幌北陵高校は、能力、適性、進路希望等多様な生徒を教育するにあたって、学校としての特色ある教育活動を展開し、生徒ひとりひとりの個性や能力の伸長をはかりつつ、知・徳・体の調和のとれた人間性豊かな人材育成に貢献しておられます。札幌北陵高校の高邁な建学理念とその真摯な実践力に対し心から敬意を表するものであります。
 開校以来札幌北陵高校関係の方々が力強く結束され、逞しく偉大な躍進を続けてこられた栄光の10年間という尊い歴史と伝統とを大切にされ、さらに21世紀に向けての充実した豊かな発展を期し、いっそうの飛躍をはかられることを心から祈念いたしまして祝辞といたします。


開校10周年を祝して
北海道立教育研究所所長(札幌北陵高等学校初代校長) 本間末五郎

 北陵高校が開校してもう10年がたつという。誠に“光陰矢の如し”の感が深い。
 昭和40年代前半は学園(大学・高校)紛争が荒れ狂い、漸く終息したが、高校は“ハイ(灰)スクール”といわれ、子どもたちの間には無気力・無関心・無責任の三無主義が出はじめ、さらに無感動の“しらけ”ムードが漂いはじめていた。一方、世は高度経済成長のさ中で、高学歴志向が増大し、まさに“教育爆発の時代”を現出し、それは高校進学率の急上昇をもたらした。また、スピードアップということばに表わされるように、社会は急激に変動しており、情報化社会、大衆化社会へ進む中で、他人志向型が強まり、自主的に判断し行動することの乏しい一般の傾向も出てきた。
 昭和47年は、南高紛争が終息して2年目、全道的にはまだ紛争の余燼がくすぶっている時であったが、啓成高校の開設から6年ぶりで道立高校が新設されることになったのである。当時新設校に集まる生徒は、
・勉強もするが中位で、まじめで素直な“いい子”だが、控え目で成功感を味わう機会に恵まれなかったか、全くのんびり過ごしてきた者
・激しい受験競争の中で、合格目当てのガリ勉で、学ぶ楽しさや本来の学習習慣が身につかず、ギリギリの背伸びした状態の者
・過保護に育ったため、みずから目標を立て、根気強く苦労に耐えて最後までやりとげることの経験の乏しい者
・したがって、体力も十分に鍛えられていない者
などが多いのではないかと予想された。
 そこで学校づくりにあたって考えられたことは、まず、“学校は楽しいところ、学校へ通うことが楽しみである”という気持ちを持たせることであった。当時は、まだ小・中学校は温かく楽しいところであり、高校は“冷たい”と評されていた。第2に、学校は教職員・生徒・父母の三者が一体になって創りあげるものであること、そして、学校は長く伝統を培い育てていくものとして、在校の職員・生徒だけでなく、卒業生・同窓生がふだんに出入りする古巣としての学校づくりをすること。第3は、地域の人達に喜んで支持される文化センター的役割を果たせる学校にすること、であった。
 これを具体的に実現するために、「生徒の体力・気力・意欲の養成に徹すること」、「人間は万能ではないが、全く駄目な人間もいない。それぞれが必ず1つの長所を持っている筈であり、従って生徒は一個の人間として尊重されるべきである、という信念をもって、“Be Gentleman”となるようにしむけていくこと」、「教科の学習以外の活動の場を積極的に設け、その活動を通して、ペーパーテストに表れない能力の発見と自己理解に努めさせ、小さくとも成功感を持たせ、自立的人間に育てること」を皆で申し合わせたものである。
 こうした考え方で校舎設計、教育機器の導入、ニュースタイルの制服、新しい生徒会、入学直後の宿泊研修、臨海学校・林間学校、スポーツの奨励、課題学習、個別指導、協力教授の主題学習、授業の多様化としてのゼミナール、生徒心得のない学校、処罰規程のない学校、教師・父母一体となって創るPTAの組織化等を目ざして工夫と努力が重ねられた。校舎の早期建設のために地域の人達の絶大なご支援をいただいた。遅々としてではあるが、構想が結実していき、5年目に地域に開放された公開講座も実現したのであった。
 北陵高校は着実に発展している、地域に根づいていると思う。これも学校と生徒と父母の一体化がもたらしたものであり、それぞれのご努力に心から感謝申し上げたい。事は独力でなすことはできない。小さな、そして非力であっても一つにまとまる時、大きな、強い力になること。そして苦難の過程を生きること、そこにこそ生きがいがあるのであり、生きがいを感ずる生き方の中にこそ成果が生まれるのだということをつくづく感ずるものである。
 10年を契機にして、さらに“同窓生(教師・父母も含む)地域に根づく学校”として一層発展することを祈念し、祝辞とするものである。


創立10周年を祝して
札幌北陵高等学校第2代校長 高原利好

 創立10周年を前にして、教職の道を去った私にとって、北陵高校の4年間は、何とも忘れがたい4年間だった。
 赴任時(52年4月)の第一声は<述べて作らず>であった。そして4年たって学校を去る時(56年3月)の最後の言葉が<活力と和>であった。いずれも私の腹の底からの声であって、この2語を結ぶ4年という歳月の線上に、私なりの校長としての歩みがあり、思い出があった。ふり返って懐かしい。
 <述べて作らず>―言わずと知れた、論語中の孔子の名言を借りて―創設5年のあとをうけついだ2代目校長の初懐であった。以来4年間、私はこの気持ちを変えることなく貫いてきたつもりである。ふり返って、この4年間一体何があったのだろう。何をしたのだったろう。たまたま私が在任4年間に書き捨てたものが結構たまっている。その一つ<十勝岳の連峯を仰ぎつつ>(52年度宿泊研修記録)の中で<人間にとって、うれしい、あるいは楽しい体験というものは案外記憶に残らないものだ。やっぱり骨身にこたえるような悲しい体験や苦しい体験というものは、生涯忘れることなく、そしてそれが必ずといってよいほど成長の糧になっていくものである……>と述べたことがあったが、正にそのとおりであって、私の教職一筋の38年余をふり返って曲折波瀾の時期ほど、その強烈な苦悩の記憶が脳裏に生々しく残っていると言える。
 そんな見方からすると、在任4年間はここぞという切羽つまった苦境にあわなかっただけに、この4年間何をやったかと問われると、正直言って答えに窮するのだった。だが、私はそれで良かったと思っている。ふり返ってみると、4年間校長の職を勤めながら、校長協会の事務局長の職を2年、会長の職を2年あずかった。別に自ら求めての職ではもちろんなかったが、望まれれば、人生意気に感ず、辛くても受けるのが男の意地と考えて引き受けたのだった。こんな気持ちのかげには校内のおける心だのみといった、私を何とかバックアップしてくれるという安心めいたものがあってのことだった。私が協会の会長としてその職責を完うすることができたのも、校内におけるかげの支持のおかげだったと今でも思っている。だからといって何もなかったわけではない。議論もあった。対立もあった。しかし、それはそれだけのことだった。学校を少しでも良くしていこうとする土俵の中だったからである。だから私にはしこりもあとくされも残らなかった。学校という世界は常にそうでなければならないと思う。やっぱり北陵高校は良い学校だった。
 私が在職中に何とかしたいと考えていたことが幾つかあった。図書の充実がその一つ、グランドのグリーン化もその一つ、そして前庭フェンス設置を何とかしたい、中庭の整備もぜひと夢を描いた。みんな生徒の教育に直接、間接係わることだけに、PTAや後援会の方々の理解協力がえられて、何とか道が開けたこともありがたかった。
 4年間の中ではやはり最後の1年が何かにつけていちばん印象深かった。最後だからといって別に緊張したり、これが最後というような意識ばったことはなかったが……。あれは9月の始めだったが、秋の野球新人戦が本校の当番で開かれることになった。始球式は当番学校長が慣例ということ、赤恥をさらしてもと思い、3日ほど練習を重ねて当日の始球式に臨んだ。投げた。まさが、意外やワンバウンド、しかも裏通りだった。目の前がまっ暗になったことを今でも忘れない。やり直しのきかない、一生の不覚。その時の悔しさを後日朝会で生徒諸君に話した。<人生にはやり直したくともやり直しのきかないことがある。決して悔いを残さないよう努力を>と。その失敗の直後に、道教育功績者表彰の吉報を受け、ついて11月には文部大臣教育者表彰の栄に浴した。そして12月6日は私のために素晴らしい祝賀会が開かれた。生きてかいある生命の喜びを味わった。年が明けてからは、光陰矢のごとし、あっという間だった。卒業式も選抜も終えて、なお課題が一つ残った。57年度から新教育課程問題だった。最後の最後まで会議に会議を重ねて、終業式まぎわのギリギリに決着をつけた。肩の荷をおろしたような気分だった。
 退任にあたって私は最後を<活力と和>でしめくくった。私の一念だった。あれからもう半年が過ぎて創立10周年の日を迎える。感無量の心境である。


開校当時の想い出
初代PTA会長

 この度、北海道札幌北陵高等学校が10周年を迎えるにあたり、開校当時を想いいささか所感を述べて御祝の言葉に致したいと存じます。
 想い起せば昭和47年4月10日一条の仮校舎で感激の第1回入学式を迎え、同時にPTA・後援会も設立されて総会が開催され、初代PTA会長に推された時は、事の重大さにびっくり致しました。なにしろ他校と違い組織造りからはじめなければならず、しかも校舎の新築という重大な案件をかかえての発足でしたから、学校は新設されたとはいえ仮校舎建物の隙間風はともかく、生徒諸君の心に隙間風が吹いては大変と、一日も早く新校舎を建設して戴く様全力投入しかないと毎日考えたものでした。幸いにPTA・後援会共に非常に熱心に、しかも努力的にこの問題に取り組んでいただき本当に心強く感じました。48年1月24日には臨時総会を開催し、校舎早期完成のための署名運動を決議してからはPTA・後援会の活動は校舎の早期完成に向かって一本にしぼられた感じでした。その後校下地域の方々の御理解を戴き含めての校舎建設促進期成会も結成されました。大々的に幅広い活動に入りました。非常に各位が努力的で、道議会教育委員会工営課等に何回陳情に出向いたことかその回数も数え切れないほどでした。教育長として、「もうこなくてよいです。必ず早期に校舎は建設します。」とまで言わしめたものでした。その甲斐あって校舎の建設が本決まりになり、入札も終わり工事に着手しましたが、こんどは建設器材の異様な値上がりで、工事の遅延が言われ始めた時などは、役員・委員が現場訪問迄したくらいでした。昭和49年の12月に移転を始めた時には、思わず心の中で万歳と叫んだくらいでした。
 10周年を迎えるにあたり、当時のPTAの会長としてPTA・後援会の委員の皆様に不肖の私に絶大な御支援を戴きましたこと改めて御礼申し上げますと共に、陵友会の会長としても今後よろしく御支援と御厚情を賜ります様お願い申し上げますと共に北陵高校が益々充実した学校となり、若人のよき巣であります様祈念いたしまして御祝の言葉とさせて戴きます。本日は本当にお目度う御座居ます。


いちいとともに
第3代PTA会長

 札幌市民の母なる川、豊平川の堤防をジャージでひた走る生徒、屋根裏の鳩になやまされた授業、先生も生徒もみがきにみがいた廊下、そんな環境で開校した北陵高校も10周年といわれると、年月の早さを感じます。
 やがて屯田の地にホワイトの新校舎も建ち、緑こい野菜畑や防風林に一段と映えて、希望に燃える生徒諸君や父兄の象徴でもありました。落成と5周年の記念事業では、イチイの樹を忘れることができません。学校の真正面に堂々とそびえていますが、当別の沢深い難所から大変な苦労を重ねて運ばれてきたものです。又、格技場もでき、グランドも整備されました。はじめ不便をかこっていた交通事情も、地下鉄麻生までの延長とバス停増設でずい分スピードアップされ、校門を出るとすぐバスに乗れるから、冬などは助かると思います。
 初代の本間校長のすぐれた発想は、各先生方や熊沢事務長のバックアップによって、屯田という地域にとけこませ、学校の父兄ばかりでなく、地域の人々も気軽に出入りして、自らの向上も図る機会が与えられています。このような公開講座は年中何らかの形でひらかれていて、地域の方々には感謝されていると思います。また、学校行事の御案内、ご披露をし、道を歩けば畑仕事の人々にも「ご苦労さんです」と声をかけるそのことは、今や地域の中の高校であり、屯田の住民の誇りとするところでしょう。
 10年の歴史の中で、これほどすぐれた学校は、今日の北陵を取り巻く人々の声によって裏付けるものでしょう。わが家では上の子が卒業させていただきましたが、下2人は学区がちがうため別の高校を卒えたり、通っています。新聞などで北陵という活字を見るとなつかしくなり愛着を覚えます。
 歴代の校長先生方や各先生方、PTA、後援会の方々のお力の積み重ねにより立派な高校になったと考えます。第1回の卒業生をはじめそろそろ社会での貢献が目立つ年代になります。校庭のイチイの樹のようにどっしり大地に根をおろし、太陽に向かってしっかり枝をひろげ、困難をものりきる人となって、20周年、30周年を祝いましょう。


PTAの思い出
第5代PTA会長

 本校も創立以来、教師・父母・生徒のたゆまない努力のもとに益々充実し、今日創立10周年記念を迎えた事は誠に喜びに堪えません。
 創立以来本校の教育施設の充実に、5周年事業に情熱を燃やされて取り組んで来られたPTA・後援会及び諸先生方に心から敬意と感謝を覚えながら、この学校のPTA会長の重責を仰せつかり、諸先輩の立派な業績の後に私はどんな形でお役に立ち、何が出来るのだろうかと懼れ悩んだ事でございました。当初単Pだけの仕事と考えておりましたのが、めぐり合わせのよきか悪きか、道高P連・同石狩支部の役員会に出席する必要が出て参りました。道P連の役員といいますとそれぞれがその地の名士であり、又PTA活動に長いキャリアと識見・情熱を持った方々ばかりでありました。そんな中にあって何かと戸惑いながら、その都度高原校長・油井教頭・川又、国兼先生方の御助言・御協力を得ながらよちよちと歩いて参りました。そうこうしているうちに54年の高P連全道大会(滝川)、全国高P連大会(金沢)に於いて研修大会分科会の提言者の役割が廻って参りました。これ又全く私の柄に合わない役であります。全道の札幌の北陵高校の名をはずかしめやしないかと気が気ではありません。ここでも前記諸先生方に大きくお助け頂いて全国・全道のどこにも負けない立派な提言要旨のプリントを作製して頂き、曲がりなりにも何とかこの役目を果たすことが出来ました。全国大会に出した「学校図書館の問題」、全道大会に提起した「PTA研修活動は如何にあるべきか」の発表については、終生私の思い出として残る事と存じます。私の住む西区の西陵高校に於いても、地域に密着した「公開講座」が行われておりますが、この滝川大会の発表と合わせ、最後に思い出多い場を与えられ、多くの立派な知己を得、多くの感銘のかたらいに参加出来た事を無上の喜びと存じております。北陵高校の今後益々の御発展を心からお祈り申し上げます。


想い出
初代後援会長

 本校開校10周年を迎え心からお祝いを申し上げます。
 思えば開校当時は教材・教具等はあまりなく、先生をはじめ生徒達も大変苦労を重ねる毎日であり、その姿を見るにつけ、他の学校並とはいかないまでも、なんとか少しでも多く整備してほしいと道教委に日参したものです。また、私共で協力出来ることはないかと、これまた会合を重ねた結果、出来たのが後援会組織です。
 本校校舎の建設用地も屯田に決まり、設計図も出来いよいよ校舎の建築に取り掛かりましたが、あの昭和48・9年は異常な狂乱物価高の中での工事であり、ほんとうに校舎が完成するだろうかとはらはら心配したものです。PTA・後援会役員も思いは同じで、現場慰問をしようと意見がまとまり早速実行する事になり、役員各自が手土産持参で春・夏・秋・冬を通して2ヶ年に渡って続けました。工事関係者の皆さんから大変喜ばれ「必ず立派な校舎に仕上げます」と言われ私達も安心しました。おかげ様で関係者の言葉通り、北海道有数の立派な校舎に完成させてくれました。
 たまたま本校が開校してから5周年を迎え、また、校舎の落成も兼ね祈念式典を行う事になり、準備に取りかかりました。記念事業の一つとして本校に相応しい立派な木を中央玄関前に植える事に決め、石狩当別の安藤さんに引き受けていただき、当別附近の山を歩き回り見つけたのが樹齢百数十年を経過している水松(オンコ)です。また、これを運び出す準備が大変で、業者の方も何ヶ月もかけ十分な根回しを行い、市内で最大の運搬車を使って何日もかけ現在の場所に移植したのです。また、この幹は専門後で直幹といい、近郷にもあまりないそうです。私共の願いとしては、この大木のような立派な人間に育つよう願っております。
 最後に、本校校舎建設にあたりPTA・後援会の皆さんはもとより北区全域の有志の方々で組織された学校校舎建設促進期成会の役員・有志の方の強力な御協力があった事を忘れてはなりません。


開校10周年によせて
現後援会長

 創立5周年記念の時の「北陵の5年」「記念式典のしおり」を見ますと、開校当時の仮校舎の写真が出ています。旧一条中学校校舎(市内中央区南1条東6丁目)を使用して開校することになり、それには次のような説明がしてあります。
 「ガタガタ音を立てる窓、歩くたびにきしむ床、吹き込む風も、ところ構わず落ちてくる鳩の糞も、開校の喜びに涌く第1回生の親子にとっては少しも苦にはならなかった。荒れ朽ちてきている感じさえあった校舎も、先生・生徒・用務員のおじさん共々苦労した毎日の清掃に、見違えるようにきれいになって、学校に来て下さった皆様にお褒めいただいたこと、草創の苦労が、ひとつずつひとつずつ報われていく、こんな小さな出来事にも先生、生徒共に喜びを分かち合って来た。古びた校舎の玄関に知事が揮毫して下さった北海道札幌北陵高等学校の太い文字の門標は、前途遼遠たる北陵高校の力強い歩みを思わせ、何もなかった北陵にとって、唯一の学校の証しであった。」と書かれています。当時の開校と入学の喜びを率直に表現したものと思います。
 昭和47年4月10日、180名の新入生徒・父兄・来賓が式場である屋内体育館に入場、厳粛ななかにも希望あふれる開校式・第1回入学式が行われました。私も来賓の一人としてその席におりました。こういう仮校舎方式がとられたのは、次のような理由によります。昭和46年12月、第4回定例道議会の本会議において取上げたのですが、昭和41年4月に道立札幌啓成高校が新設されてから6年間に、札幌の人口は小樽の人口より多い約22万人も増加しているのに、その間1校も高校が新設されていないのはおかしい、という質問に対し、計画による48年1校新設の予定を1年繰り上げ昭和47年新設することとしたいとの答弁が教育長よりなされ、新校舎が間に合わないという経緯によります。従ってやむなく仮校舎で開校ということになったのものです。
 そのような事を考えながら式に列席して、生徒の皆さんや古い屋内体育館、校舎等を見ていて、こういう古い仮校舎方式で開校をやってはならないなと心に深く考えさせられました。そしてそのため第1回生の生徒が一日も早く新しい本校舎に移ることができるようにしなければいけないと心にきました。しかし、待望の新校舎への移転は、それから2年10ヵ月もたった昭和49年12月13・14日の両日行われ、第1回生が翌年3月10日卒業する、わずか3ヵ月前だったのです。
 その後機会ある毎に、高校新設と新校舎へ新1年生を同時に入学させるようにすべきであると、道議会において知事や道教委に質問いたしましたが、財政的理由も付加されて結果的には仮校舎方式が続くことになってしまいました。即ち北陵高校の後に清田高校、又北高校の校庭内にプレハブ仮校舎が作られ手稲高校、続いて西陵高校が使用し、昭和54年10月に至ってやっとこれらの仮校舎が無くなりました。この間7年半にもなり、あまりにも長すぎました。
 昭和55年4月開校の南陵高校から新校舎開校と同時に入学するというようになりました。(北海道教育長期総合計画(後期分昭和56年〜60年)では、高校新設は札幌圏7校を含め12校ですが、すべてこの方式でやることになります。そして昭和62年には私立高校を含め、収容率100%、進学率97%にして、希望者の高校全員入学をはかる計画になっています。)
 北陵高校は開校10周年を迎え、記念行事として行いました中庭の噴水、芝生等の整備も完成し、校庭のフェンスも道費でできあがりました。10年たってやって北陵高校の環境整備が終わったように思います。10年の歴史は一つの節目でありますが、これから50年、100年へと続く長い歴史の道程です。北陵高校の伝統と歴史は、生徒を中心として先生・父兄・地域や多くの人々によって、一日一日と積み上げられ作られていくものです。北陵高校の永遠の発展を望んでやみません。


開校10周年記念に寄せて
校舎建設促進期成会事務局長

 北陵高校の10周年記念心からお祝い申し上げます。
 一条中学を仮校舎としてスタートした本校も早10年の星霜は、多くの人々に尽きることのない想念と感動を、今改めて喚起せしめていることと思います。改めて10周年を祝福申し上げます。
 今ここに10年の節目を回顧するとき、私は本校が完成する迄の間に種々の人生経験を学んだからであります。即ち私が本校に縁が出来たのは、吾が地域に公立高校が出来ればという有志の声を耳にしていた頃であった。たまたまその時に道教委に北区に新設校の計画があるやの情報に接し、早速独り道教委に出向き意向を打診したところ、現在は2カ所の予定地で内々検討している旨の回答があり、この場合是非屯田地域についてもなんとか対象に入れていただく事の了承を取りつけ、地元に帰り早速地主各位と協議したところ、話し合いに応ずる用意がある事を確認し、連日道教委と地主との接渉のとりもちを始め、幸い基本条件が整い校地は屯田に落ち着いたのであります。然し困難はこれからでありました。時あたかも列島改造の最中、高度経済成長期であり、地価もまた日進月歩の如く流動して行く中で、基本的な地価も時のずれるについて、周辺地の地価が値上がりする。一時は如何に未来の学舎といえどもこれ以上譲歩出来ないとの説も出て、一時は不調の瀬戸ぎわ迄追込まれ、全く絶望的なところに到達したのでありますが、地主協力と道の配慮もあり一件落着し安心した想い出は今も尚私の頭に残っているのであります。
 いよいよ建設に向けて校長及び事務長、そして支援するPTAの役員、そして期成会の役員が打って一丸となり、全道随一の学舎建設に全力投球した結晶とも言えるのであります。全くこれ等に参画された学校当局、PTA役員、期成会の役員の各位に深甚なる感謝の意を俸げたいと存じます。
 10年の歴史と伝統を今後益々立派に育て上げるため、諸先生の止まざる御研鑽と御健勝、亦生徒諸君の尚一層の勉学を心から念じ、雑感を述べ拙文と致します。


10周年を祝して
同窓会長

 開校10周年を心よりお祝い申し上げます。
 早いもので、私第1回生として南1条豊平川そばの仮校舎に入学したのをつい昨日の様に鮮明に記憶しております。ネクタイを父に結んでもらい希望に胸をときめかしての入学式でした。あれからもう10年です。関係皆様の御努力により現在の新校舎で第1回生の卒業式を挙行して下さいました事に今改めてその御配慮にお礼申し上げます。
 旧校舎のときは風で窓ガラスが飛んだり、鳩が天井ウラに巣をつくり、その重みで天井が落ちたこともありました。ところがどうでしょう。新校舎は堂々鉄筋の建物があの屯田ブリザードに挑戦する如く建ち、私達を待っていてくれました。この新校舎で勉強出来るという感激は今でも忘れることが出来ません。
 さて、10年一昔といいますが、その間校舎内の設備の充実、或いはグランドの整備等々に大変な御苦労をなされ、北海道のモデル校としての現在の北陵を築き上げた諸先生、PTAの皆様に改めて感謝申し上げますと共に、私初代同窓会長として何等役立たなかったことを深く反省し御詫び申し上げます。年々同窓会員も増加しておりますが、まだまだ若者だけの集団です。然しながら関係者皆様の御指導のもとに今後一層連帯感を強め、この10年を一区切として更に更に母校の充実発展のために微力ながら役立たせていただく所存でございます。
 第1回卒業生は既に結婚した人、或いは実社会の夫々の分野で北陵精神を忘れずに活躍しております。私も社会人2年目を迎えようやく仕事にもなれ、北陵健児の名に恥じない仕事をしているつもりですが、只痛感することは健康な身体でなければ企業では役立たずということです。幸いわが母校北陵は充実した気力と強じんな体力を養う教育を教育目標の一つとしてかかげ、それを実践されております。勉学にスポーツに北海道に北陵有りという日は近い将来と確信し、そうあることを希って粗文ではありますが10周年のお祝のことばとさせていただきます。


10周年を迎えて
生徒会長

 私たちにとって、とても長い10年という年月を経た本校の開校10周年を、私たちの在学中に迎えることができ、とても光栄に思います。
 一口に10年と言っても、現代のように時と共に移りゆく時代の中でも10年というものは、世の中を、そして私たちを驚くほど変えさせました。10年前の私たちは、小学校に入学し、やっと小学校の生活になれだした3・4年生のころでしょう。まだ何も知らない無邪気な私たちが、小学校・中学校を通じ様々なことを学び、成長してきました。そして、私たちは自力で勝ち得た合格通知を胸に本校に入学し、現在こうして開校10周年を迎えることができました。
 私たちがこのように、物心がついて最も変わってきたこの10年の年月を、本校も様々な思い出と共に送ってきたことと思います。今、私たちの見ることの出来ない一条校舎からスタートした本校、当時は新しい学校を作り上げようとする諸先生と共に、私たちの先輩も、自分たちの力で自分たちの生徒会を、そして、学校を作り上げようとするバイタリティーにみなぎっていたことと思います。又、その先輩の皆さんの並々ならぬ努力により、現在の生徒会の、そして各種行事の基盤が作られ、今まで受け継がれ、やっと校風らしきものとなってきました。10年という一つの節目を迎えた今、私たちはこの校風を受け継ぎ、後々まで受け継がせなければなりません。そして、そのためにも私たちは今一度原点に立ちもどらなければなりません。原点に立ちもどり、自らの何たるかを再確認し、これからの時代へ新たな気持ちでスタートしなければなりません。
 このたび私たちは、本校の開校10周年を迎えることが出来ました。この機会に、自分自身を、10年という年月を見直すことができ、今までの諸先輩の様々な業績をも知ることができました。今、私たちは青春の真っ最中にいます。こうしている間にも、時は流れ去っています。そうした中で、この高校生活中に何か燃えるものがあれば、今現在を生きる者として幸いだと思います。
 最後に、開校10周年、誠におめでとうございます。