第1編・沿革小史〜昭和47年度

[昭和47年度]

開校式
 仮校舎は老朽のうえ、市役所の臨時庁舎として使用した跡であったので汚れが甚だしく、学校らしい状態にまで清掃するのは大作業であった。
 開校式・入学式に先立つ4月8日、全合格者を召集して校舎内外の大掃除を行った。生徒も職員も一緒になってすすはらい、床みがき、ガラスふきに寒さを忘れて奮闘した結果は見違えるばかりの仕上がりであった。以来、徹底した掃除は本校の伝統として定着し、外見のボロに比べ内部の清潔さは来校者のひとしく賛嘆するところとなった。
 4月10日、開校式並びに第1回入学式挙行。道教委佐山励一教育委員長、村上正雄教育長、来賓として道知事(代理真鍋学事課長)、札幌市長(代理小塩助役)ほか大勢の父母の見守るなか、真新しい制服姿も凛々しく180名の生徒が入場、厳粛ななかにも希望あふれる開校式・入学式が展開された。

校務分掌組織
 初年度は校長、教頭、教諭9名という陣容であったので、分掌組織は教務、指導の2部制とし、2年次乃至3年次になって人員が揃ったところで他校なみの多部制を採用することとした。ほかに学年の組織もあるが、単一学年しかないので、学年の仕事即全校の仕事ということになり、すべてが全職員の協力によって校務が進められるという状況であった。たとえば、新入生のオリエンテーションの資料(新入生のしおり)づくりなども、4月10日入学式のあと、全員が遅くまで残ってガリ切り、印刷、製本をするといった有様であった。
 校内規程も急いで作ることはせず、完成年度を目標に整理するという方針で臨んだ。

校舎建築構想
 新しい時代の高校教育にふさわしい校舎建築を合い言葉に5月2日から検討を開始した。具体的な内容は別項に譲るが、資料の収集にマスタープランの練り上げに全教職員が放課後、深夜に及ぶ熱心な作業を展開。9月上旬にはほぼ平面計画がまとまった。

宿泊研修
 新しい学校づくりは教職員と生徒とが一体となって進められなければならない。その手だてとして、入学後なるべく早い機会に宿泊研修を実施する。この方針は、開校が決定された直後、教育計画立案の冒頭に確認され、受入れ施設との交渉に入った。幸い国立大雪青年の家の好意により、4月22日から2泊3日の日程がとれ、校長以下全生徒が寝食を共にしながら、高校生活のオリエンテーション、相互の理解と連帯感の昂揚、生徒会のあり方などについての討議あるいはレクリエーションと、めまぐるしい中にも充実した3日間を過ごした。

臨海学校
 4月の宿泊研修は入学早々でもあり、ほとんどが学校側で計画し運営するという形をとらざるを得ず、生徒はただ参加するのみであった。そうした欠陥を補う意味で計画されたのが、7月学期末に行われる臨海学校である。
 7月23日から2泊3日で、積丹半島神恵内の青少年旅行村において実施した。希望者のみの参加としたが、第3回目からは1年生全員参加の形となり、実施期間は授業日の中に設定されることになった。

球技大会
 仮校舎の体育館は梁の低い旧式の建築で排球、籠球等の球技は天井がつかえて思うようにできなかった。グランドもなく、三角形の中庭にかろうじて庭球コート1面、排球コート1面をとり、体育の授業や放課後に使用するといった状況で、元気な生徒たちのエネルギーの発散の場としては、まことに不十分なものであった。
 1学期の期末考査終了後、籠球と卓球を体育館と柔道場を使って初の球技大会を計画。各クラス男女の1チームずつでリーグ戦を行った。プレーに応援に校内は湧きに湧いた。

PTAと後援会
 草創期においては、教職員と生徒とが一丸となって基礎づくりに励むことはもとよりであるが、父母の理解と援助なくては成り立たないことは明白である。
 組織づくりの第一歩は、リーダーとなる会員を探し出すことからであった。合格者発表の直後、3月21日から市内の各中学校に適任者の推薦をお願いした。その結果に基づいて個々接渉。御当人にはまことに遺憾な話であったと推測するが、学校づくりのため、また子どもたちのためにまげて北陵PTAの産婆役をお願いしたのである。
 3月25日、6名の世話人の方々に来校を願い、PTAの基本構想について忌憚のない意見交換をしていただき、4月4日には設立発起人会を開催、10名の父母と学校側から校長以下5名の職員が出席した。4月10日開校式・入学式に引き続いて設立総会を行い、規約の決定、役員の選出、事業計画、予算案の基本構想の承認などを行った。
 この総会において、PTAは本来の活動が十分できるように後援会的要素を排し、その面については別に後援会を作ることに決した。以来この二つの団体は表裏一帯となって物心両面にわたり本校教育の基盤整備に尽力してきている。
 初年度のおもな仕事としては、10月23日から11月1日の間、市内9会場で地区別懇談会を実施した。
 また、年明けて48年1月24日にはPTA臨時総会を開き、校舎の早期着工、早期完成と内部施設設備の充実方を関係方面に強力に陳情請願するために全会員の署名を行った。

環境整備
 仮校舎は昭和のはじめ、女子高等小学校の校舎として建てられ、戦後は学制改革により一条中学校となり、下って学校統合により市役所の仮庁舎に転用された。この間40余年の歴史をもつ木造建築である。それに校舎全体が鳩の巣で、いたるところに鳩の糞だらけ。強い風が吹くと天井のすき間から羽毛や時には糞が落ちてくるという有様。従って、清掃は大変な労作業で、180名の生徒全員が毎日掃除に当たり、公務補の負担も大変なものであった。
 新しい校地の緑化と卒業記念植樹のための苗木集めも初年度から実施された。10月2日には営林署からトドマツなどの苗1,400本、10月4日には岩見沢農高からナナカマド、ストローブマツなどを貰い受け、教職員の手で仮植を行った。