第1編・沿革小史〜昭和48年度

[昭和48年度]

学級増と定員増
 本校は完成時において8間口24学級、生徒定員1,080名の標準規模の学校として計画され、初年次だけは半分の4学級180名募集でスタートした。したがって第2年次360名を収容して、生徒数は一躍3倍の540名となった。
 これに伴い教職員も新たに教諭18名、養護教諭1名、事務生1名が増員となり総数37名の教職員となった。前の年まで、広々とした校舎に僅かの生徒、人の数より鳩の数のほうが多いといわれた本校も、ようやく人の動きが目立つようになった。

新教育課程
 昭和48年度の入学者から新学習指導要領にもとづき新しい教育課程へと移行したが、当面の問題は新設の「必修クラブ」の取扱いであった。数度の職員会議をもち検討をした結果、2年生も含めて2学期から実施することとした。校舎や施設の関係から種目に極端な制約を受けた。

学校祭
 ほぼ1か年間の準備期間をとって、前年度末(48.3.23)に発足した生徒会は、執行部を中心に次第に活発な動きを見せ、生徒会行事の第1弾として学校祭(正式名称は「北陵祭」)を実施することになった。
 テーマ「今、はばたくとき」のもと、9月25日の前夜祭を皮切りに26、27日の両日、一般公開なしの内輪ばかりの学校祭ではあったが、外人講師を招いてのシンポジウム、展示、クラス合唱コンクールと楽しいひとときを過ごしたのであった。

見学旅行
 10月21日(日)、本間校長を団長に6名の教員と183名の第1期生は5泊6日の見学旅行の途についた。京都・奈良を中心に天候にも恵まれ、多くの成果を収めて帰着した。特に京都附近におけるグループの自主研修は、第2回以降も本校の見学旅行の目玉として、帰校後の報告書発刊という形にまで発展している。

頭髪指導
 見学旅行の前後から男子生徒の間に頭髪をことさら長くのばす者が目立ちはじめた。当時のTVタレントなどの流行にあやかってか、担任や指導部の指導にも容易に応ぜず、中には女子生徒の応援を得て教員をてこずらせるケースも現れた。頭髪の長さについては「生活の基準」の示し方にも若干疑義があったので、職員会議の結果、服装などの許容限界を含めて解説を附し、生徒への徹底を図るとともに、家庭へも印刷物を配布して協力を要請した。これまで、学校の指導に対しては極めて素直に従ってきていたが、こと頭髪に関してはかなり強い抵抗を示し、些か教師側も戸惑ったが、一方では「自我」の目ざめと評価するむきもあった。