第1編・沿革小史〜昭和50年度

[昭和50年度]

学級増と定員増
 第1回生183名を送り、第4回生450名を迎えて1,275名と生徒数はなった。
 学級数は28で当初計画した24学級を4学級超過したため、特別教室を普通教室に転用して急場をしのぐことになった。
 通学区域は、従来の南北共通学校から石狩北学区に組みこまれ、地元の北区を主に東区、西区からの通学者が圧倒的に多くなった。
 教員8名(1名は退職者の補充)、実習助手2名、事務生1名の増員があり、教職員の総数は67名の大世帯となった。
 校務分掌も新たに総務、進路指導、生徒会指導の3部を増設して計7部22係とし、より一層きめの細かい校務運営がなされるよう配慮した。

国際交流
 50年1月にリンカーン高校と姉妹校提携後初の来訪者として5月19日、ポートランド市バラの女王が来校した。全校集会で挨拶、授業参観、生徒会代表との交歓などを行った。
 また、夏休み中ではあったが8月20日、米国高校の柔道使節団が来校。この日は全校生徒が登校し、体育館で交歓をしたほか、必修クラブを参観したり、参加するなどの行事を行った。

林間学校
 第1学年の臨海学校に対応する第2学年の夏の行事として、林間学校がこの年はじめて実施された。引率教員は校長以下11名、参加生徒は142名で、7月28日から2泊3日の日程で大雪山系旭岳に登頂した。

北陵祭
 通算第3回になるが、新校舎に移って後の本格的な学校祭はこれが最初。
 テーマも「屯田、いまこの地から」ときめ、展示、バザー、ステージ発表、伝統のシンポジウムと今までにない充実ぶり。9月12日の前夜祭では、はじめて仮装パレードが行われ、その後ファイヤーを囲んでフォークダンスに夜のとばりが石狩平野をすっかりとざすまで、存分に若さを謳歌した。9月14日(日)の一般公開当日は晴天のためもあって、大変な人出でにぎわった。

マラソン大会
 9月23日、第1回校内マラソン大会が晴天のもとに挙行された。校舎の西方にひろがる石狩町新札幌団地に至る男子10km、女子5kmのクロスカントリー競技で、本間校長のハチマキ姿も勇ましく参加した。

増設
 24学級から30学級への拡大に伴って、校舎の増築工事(普通教室6、手洗所)が6月29日から着工、11月22日に竣工し、12月3日に特別教室からの移転を終えた。
 また、この増築工事に並行して取付道路、グランド造成等の外講整備工事がほぼ完了。校門(正門と生徒通用門)も完成した。

記念植樹
 第1回生は49年10月9日に校地東側の自転車置場附近に記念植樹を行ったが、第2回生もこれにならって11月12日に校地の南側と東側に卒業の記念植樹を実施した。