第2編・実践活動〜第1章 校風

教育目標策定の背景
 昭和40年代前半の高度経済成長に伴って高学歴志向が増大し、いわゆる“教育爆発の時代”が現出した。それは高校進学率の急上昇をもたらした。現行の中学区という仕組みのもとでは、新設校に入学してくるのは、中間層の生徒で、まじめで目立たず、教師の負担になることの少ない半面、おとなしすぎて積極性に乏しく、成功感を味わう機会に恵まれなかった生徒か、全くののんびり屋といった生徒が多いことが予想された。また、激しい受験競争の中で高校入学だけを目当てにしたガリ勉のために、楽しく学ぶことを身につけられなかったものが多いことも考えられた。本来の学習習慣が身につかず、ある面での可塑性がすり減っていて背伸びした状態で入学してくるであろうということである。

 一方、情報化社会から大衆化社会へと進む中で、他人志向型になりやすく、信念を持って自主的に判断し行動することが乏しくなってきているという一般社会の状況があった。加うるに、過保護の現象が目立ち、従って、根気強く耐え目標を確立して最後まで完遂するという面に欠け、無気力・無意欲・無感動などが目立っていた。それはまた、自由は大声で主張するが、実際のところでは自主自立に欠け、心身の発達を見極める機会がないままに自己中心的になって、まわりへの関心を失ってしまうという現象にもなっていた。
 さらに、急激な社会の変動、スピードアップということばに表される社会の動きについていくためには、最後に頑丈な精神力が必要であり、そのためには、何といっても体力が必要とされる状況が随所に見られた。

教育目標
(1)ひとりひとりを大切にし、その可能性を最大限にのばす教育。
(2)あらゆる機会をとらえて、調和のとれた人間形成をめざす教育。
(3)たえず向上しようとする旺盛な意欲のもと、充実した気力と強じんな体力を養う教育。

 この実践にあたっては、次のことをあわせ考えた。
 人間は万能ではないが、全く駄目な人間もいない。それぞれが必ず一つは長所を持っているはずである。従って生徒は、一個の人間として尊重されるべきであり、“Be Gentleman”となるようにしむけていくべきである。この考え方に立てば、規律は細かくすることなく、絶対最小限のものを自覚させればよいことになる。社会的人間として「これだけは」というものを徹底して身につけさせ、あとは生徒の自主的判断や行動を誘発することである。
 活動の場を積極的に作り、それを通して個性の発見、特にペーパーテストに表れない能力の発見およびその自己理解につとめさせる。これらの活動において、小さくともよいから絶えず成功感をもたせ、継続させて、生きがいのある生き方を感得するところまで進めていくことである。

教職員の信条
 前述の教育を支える教員のあり方として次の4項を考えた。
(1)すべての生活に行きわたるきめ細かな指導の徹底。
(2)学校生活のすべてが教育の場であることの認識。
(3)たえず創意と工夫をこらした、明るくいきいきとした実践。
(4)つねに生徒とともにあることの自覚。

 以上が開校にあたっての本校の進むべき方向として考えられたものである。この基本路線に沿って、校舎も設計され、分掌の活動も考えられ、行事も計画され、制服も決められたのである。以下各章においてやや詳しくその実践について述べていくことにする。