第2編・実践活動〜第2章 教育実践

教育課程

教育課程I(全般)
 教科科目の合計単位数については、50年度に32から31として、面接相談、個人指導、生徒会活動・部活動などの時間確保を図った。これは、57年度からの新教育課程にも引き継がれている。ゼミは50年度から始められたが、講座数確保困難などの理由で54年度に廃止され、ゼミで読み替えていた3年生にもクラブ活動が実施されることになった。また、53年1月から共通一次試験が実施され、その対策や学力向上が積極的に検討され、類型についても、54年度からA1、A2、Bの3類型になった。理由は、50年にA(文系)とB(理系)の2類型に整理されたが、AはBの4倍の生徒が集まり、進路、適性、能力が多様すぎて一つの類型におさめることが無理だったので、AをA1とA2に分けることになった。

教育課程II(教科)
 54年度にA1、A2、Bの3類型になったが、A1は私大などに適し、従来のAよりも数学や理科の負担を軽くしたり、芸術を必修にしたり、また、被服を理科と選択させて幅広い教育ができるように配慮した。A2は従来のAよりも数学2増の5単位として、数Iの演習も含めて共通一次試験に対して配慮した。また、日本史1増の4単位にして、3年生の授業時数不足を補えるようにした。Bは数学2増の7単位として、数IIIの他に数I、数IIの演習も可能にした。また、日本史で受験する生徒が多いので増単して配慮するとともに、世界史を廃して社会の合計時数を減らして生徒の負担を軽くした。英語も1増の6単位にして充実し、理科は理II2科目6単位を8単位に増やして学力の向上を図った。その反面、理IIの展開が複雑になり、時間割を硬直化させ、自然学級編成に一層の努力を要することになった。以上の増単をゼミとの関連でみると、ゼミを廃止して、各類型の特徴を出すために教科科目に増単したと解釈することもできる。

教育課程III(ゼミ)
 50年度から実施されたが、共通一次試験などの大学受験方法の変化や、講師時間削減などのために、生徒の希望する講座数の確保が困難になり、54年度に廃止された。廃止までの経過としては、52年度に従来の形のゼミに併列させて、問題演習を中心とした演習科目や、選択科目を設置した。理由は、実施が目前に迫った共通一次試験などへの関心が大きく、受験と無関係な主題をとりあげても関心を示さず、ゼミの狙いである自主的創造性を育てることが困難な教科も出てきたことなどである。さらに、53年度は1〜4組と5〜10組の2展開で実施した。理由は、5時間の講師時間を削るため、講師と関係ある教科科目のゼミを削り、芸術などを2展開して補わなければならなくなったためである。また、ゼミが廃止された理由として、講師時間削減のため、生徒の希望が多く、本来のゼミの形態をとりやすい社会、生物、家庭などを削らなければならず、ゼミに対する魅力が乏しくなったこと、また、受験に対する意識が深まり、ゆとりをもって創造性を発揮していくというゼミの本来的性格が失われやすくなったことなどがあげられる。さらに、2展開になってからの選択指導が一層困難になったことも理由としてあげられよう。

教育課程IV(クラブ活動)
 48年度6クラスで始まったクラブ活動も、生徒数が増加するにつれて、クラブ数も増加していった。50年度は13クラブ、51年度は19クラブとなった。とくに、51年度に新設された百人一首、読書、ソフトボール、軟式庭球などは生徒の希望も多く、本校クラブ活動の流れを考える上で重要である。54年度から3年生もクラブ活動を実施することになったため、450名の3年生をどのように収容するかが最大の問題となった。初めクラブ活動の2展開も検討されたが、普通授業への悪影響などのために廃案になった。1展開で収容するためにクラブ数を増やさなければならないということになり、教員で指導してみたい新しいクラブなどの調査を行い、この調査をもとにその他の諸条件を考慮して、次の28クラブで実施するになった。従来あったクラブ14に、研究的クラブ10と、その他としての推理小説を加えての28クラブである。また、研究的クラブの殆んどに学年指定をつけて3年生の収容を図った。本校のクラブ活動の問題点としては、卓球、バドミントンなどの運動系クラブに希望が多く、施設設備の関係でその希望を満たしてやることができないことであろう。また、女子向けクラブが少なかったが、百人一首、読書、ソフトなどで緩和された。


視聴覚教育

 一般的に他の高校では、視聴覚とか教育工学という部門は教務部や図書部などに所属している場合が多い。本校では、学習指導部の中に教育工学係として位置づけられており、そこに本校の特色がある。すなわち、本校での教育機器の積極的活用は、常に学習指導法の現代化、あるいは授業改善のよりすぐれた方法を志向して行われてきたといえよう。
 昭和47年度の開校間もない5月には、早くも教育機器整備の第1号として、16ミリ映写機等が購入され、図書室と兼用しながら視聴覚室も設置をみて、各教科で教育機器の活用と研究活動が始まった。また、8月にVTRが導入されると、地理・生物を中心に「学校放送」の利用が開始された。
 一方、こうした実践と並行しながら、“新しい時代の高校教育にふさわしい校舎建設”を合言葉に、視聴覚係の教諭を中心として、新校舎の視聴覚施設のマスタープランの検討が開始され、9月上旬には、メディアセンター構想としての視聴覚施設の基本的構想がほぼまとめられた。
 本校におけるメディアセンター構想とは、放送室・視聴覚室・教育工学室・図書室などの施設を集中的に配置することによって、音声や映像、さらには図書資料など多様な教育メディアを有機的に活用し、授業の効率化と個別化をすすめようとする考え方である。例えば、視聴覚室では、現在一般化されているあらゆる音声・映像による教材提示が可能であり、さらに効率化をはかるために2学級合併による授業も可能である。一方、教育工学室はアナライザーによる学習の個別化をねらったもので、学習者ひとりひとりの理解度や進歩を把握することができる。同時に学習者の反応結果は、教師自身へのフィードバックであり、授業改善の有力な手がかりとなる。
 48年度は、図書室の移転にともない、視聴覚室が整備されるとともに、OHPなどがさらに購入された。実践面では、札幌市で開催された第24回放送教育研究会全国大会において、2名の教諭が研究発表を行った。また、新校舎の整備された最新の教育機器に対応するために、教員の研修も活発に行われた。視聴覚係を中心に行われる「校内AV研修会」、石狩高視研放送・視聴覚研究集会や全道視聴覚教育研究会などへの積極的参加は現在も継続して行われている。また、他校視察も実施されたが、特に「愛知県立時習館高校」には、数年間に延10数名が見学し、施設・設備面はもとより、実践研究の面でも多大の啓発を受けた。
 49年12月、待望久しい新校舎完成。同時に視聴覚室も完成を見て、3学期からの授業に早速使用された。また、全普通教室にスクリーンが設置され、OHPの使用が可能になった。
 50年度に入ると、社会科の「ティーム・ティーチングによる主題学習」が2クラス合併で、視聴覚室の機器をフルに駆使して行われるなど、視聴覚室の利用状況はパンク寸前の有様であった。年度末に第一講義室にVTRシステムが整備されて、いくらか緩和された。
 51年度は石狩高視研の事務局校になり、10月には石狩高視研放送・視聴覚教育研究集会が本校を会場に開催され、13科目の公開授業が行われた。この年は開校五周年目にあたり、記念事業として未整備であった教育工学室にアナライザーが設置された。さらにVTR関係の機器も整い、視聴覚室の混雑緩和に寄与するように配慮された。
 52年度には、古典文法(1年全クラス)と英語などで教育工学室のアナライザーを活用しての連続利用が開始された。さらに「NHK学校放送研究委嘱校」に決定し、「古典研究」、「名曲ライブラリー」、「現代の世界」、「高校生の科学〜生物〜」がモニター番組に指定された。
 54年3月には、札幌市で55年10月開催予定の第31回放送教育全国大会の当番校を引き受けることになった。このため54年度は、全国大会に備えての準備会議や事前研修会に忙殺された。そうした中で、11月の石狩高視研放送・視聴覚教育研究集会で、社会科主題学習「自然と人間」と国語科アナライザーを利用した「古典文法」の授業が公開された。
 55年度、いよいよ全国大会を10月に控えて、公開授業のリハーサルなどと並行して学習指導部を中心に、全校を挙げての準備体制が整えられた。10月8日、4名の教諭による研究授業が公開され、全国各地から50余名の参加者をみて、盛会裡に終了した。
 以上、紙面の関係で極めて簡略に10年間の流れを概観したが、改めてこの10年間を振り返ってみると、教師の側も生徒にとっても、本校のような恵まれた教育施設の中で学ぶことができた幸せを思わないわけにはいかない。英断をもってこのような施設・設備の充実に踏み切られた初代校長本間末五郎氏らの管理職の先見の明と初年度から視聴覚係として新校舎のマスタープランを考え、再三の校内研修会などを通して教員の資質向上に努められた木戸口道彰氏の識見とご努力に深く敬意を表したい。
 さて、本校の今回の10周年を期に、新たなる飛躍を目指す必要がある。現在の段階では施設・設備の面でも、実践研究の面でも道内先進校として一定の評価を得ているが、これに満足することなく、よりよい授業改善を目指していく所存である。


教育相談

本校の教育相談のねらい
 本校における教育相談の基点は学級担任にあり、相談係の任務はあくまでもそれを援助することにある。すべての教師が生徒に接するあらゆる機会をとらえ、あらゆる教育活動の実践の中で、教育相談的(カウンセリング・マインド)な配慮を生かしていくことが基本的な考えになっている。この考え方でひとりひとりの生徒のもつ悩み苦しみ、情緒障害、不適応等人間形成の問題をともに考え、ともに歩むなかで生徒の自己実現を援助していっている。施設面では昭和49年の新校舎完成を目ざし当時教育相談に造詣の深かった先生を中心に多くの先生方の英知を集め相談室の設計に当たられ、三つの個人面接室をもつ普通教室の3分の2の広さの立派なものが完成した。

相談係の役割
 相談室が開設してから現在までその運営は、学年・クラスの枠を取り払った全校生徒を対象とする相談室係ということで、学級担任をもたない教師の常駐によってなされている。現在では組織も拡大され、常駐者のほかに各学年とのパイプ役ということで3人の教師が加わり4人によって運営されている。相談室係は、学級担任の相談活動への援助ということを基盤に、自主来談者、転校生、下宿生、問題行動のある生徒等との面接活動を行っているほか、事例研究会の計画と推進、外部機関との連携等を行っている。相談室係の相談活動は当然のことで、本校における相談活動の本質は初めにも述べたが学級担任にあり、生徒の個人面接、父母との個人面談が中心的役割になっていて、相談活動の真の成果はこの活動の中でなされている。また相談室では昭和50年以来研究課題をもって臨んでいて、成果を上げているので研究課題主題を紹介しておく。「青年の悩み」(50年)、「意識調査」「登校拒否」(51年)、「親とのかかわり」(52年)、「子供が見えるということ」(53年)、「自分をみつめる」(54年)、「自分をみつめる」「登校拒否」(55年)、「面接活動の推進と技術の向上」(56年)。

事例研究会のこと
 ここで、本校で行われている事例研究会についての実際について述べてみたい。年間2回各学年団を中心として行われるこの事例研究会も、初めは十分なものではなく、学年によって実施したりしなかったり、また、2回の予定が1回であったりしたこともあったが、現在では軌道に乗りその下地が固まってきていると思われる。この事例研究会の運営方法は、学年、時期によって若干の違いはあるが、本質面では差異はない。この会は学年主任が主体となって運営され、相談室係は資料の準備、案内等の援助的な仕事をする。参加者は学校長、教頭、学級担任(旧担任)、副担任、教科担任、進路相談係、健康相談係、相談室係等で構成され、意見の交換がなされる。1学年に450名もの生徒が居るなかでひとりひとりの生徒を我々教師側が共通理解することはなかなか難しいものである。クラスの枠をはずし意見を交換する中から、どういう問題行動をもつ生徒がいて、その環境はどうなのかを共通の問題として理解する。これだけでも生徒を共通理解するということで今後の生徒指導に役立つと思うが、単なる情報交換に過ぎないという感もある。もう一歩つっこんで問題行動の著しい事例についてはその対策を考えていくことが大事である。その観点から事例によってはその問題行動に対する解決のために学級担任を中心として学年主任、相談室係でチームをつくり事例研究を行い、問題を解決していく方法がとられている。以上が事例研究会の大筋であるが、一応の成果は出ているものと信じている。

今後の課題
 今日ほど生徒の問題行動が多発し多様化している時代はない。この中で一人の学級担任の力だけで問題を解決していくことは至難の業である。こうした現実の中で教育相談的技法を根底に教師自身がチームを組んで問題解決に当たるといった協力性が大切な時代であると思う。最後に、本校の教育相談の課題の一つは、学校教育相談に対する理解者の拡大と造詣の深い指導者の養成で、もう一つはそれらの人を中心に学校全体の中でいかに有機的に機能させていくかということである。“学校教育相談が全ての問題行動を解決することはない。しかし、問題解決の有力な方法の一つであることは確かである”


進路指導

めざすもの
 高等学校における進路指導は、単なる卒業期における進路の選択指導だけでなく、個々の生徒の能力・適性の発見と開発を前提としながら、人間として望ましい生き方を自覚させ、生徒が自主的に進路の選択をし、将来の生活における社会的・職業的自己実現に必要な能力や態度を育成することを基本的な目標とする教育活動である。
 そのためには、教師と生徒との暖かい人間的信頼関係を基盤として、個々の生徒に自己理解を深めさせ、将来の進路に関する適切な情報を得させると共に、ひとりひとりの生徒の進路意識の発達・成熟を促し、適切な進路相談を行って就職や進学の進路を選択・決定させ、またその後の生活により良く適応し進歩できるよう組織的・計画的に行っていくことが必要となる。
 しかしながら、現実には厳しい受験体制のもとでは前記の基本的な姿勢が見失われがちとなる傾向にあり、「振り分け配分」的な進路指導が主体となりかねないことになる。

年間計画の概要
 本校における進路指導は、前述の主旨に沿い第1・2学年において特に自己理解とそれにもとづく進路計画、さらに計画実現のための努力を期待している。
 具体的には下記の日程となるが、「進路に関するLHRと学年集会」をセットとし、この時期に父母懇談会が行われており、進路希望調査が実施される。これは全て本校作成の「進路のしおり(1)」を順次計画的に使用することとなる。

年間計画
<第1学年>
 4月 学年集会
 5月 進路LHR(進路希望調査)
 9月 学年集会
 10月 進路LHR(進路希望調査)
 2月 進路LHR(年間反省)
<第2学年>
 5月 進路学年集会、進路LHR(進路希望調査)
 11月 進路学年集会、進路LHR(進路希望調査)
 2月 進路LHR

 他に、第1学年では3回、第2学年では4回の校外実力テストを実施し、学力面での自己理解をたすけると共に、努力目標の設定に役立てている。
 第3学年については、2年間の指導の上に立って、より密度の高い計画のもとで、卒業期を控えての具体的な事象について担任団との連携を密にして指導助言できる体勢をとっている。

今後に向けて
 入学当初から、卒業期を見通しての指導が意図され計画実施されてきたが、第1・2学年で春・秋の集中的に進路を考える期間の設定も、成長期の生徒にとって「断片的」なものとなり、更に「与えられる」ものとなっている傾向は否めない。
 また、生徒各自が目標を設定し、それを実現するための努力を期待するが、第3学年のはじめにおいても「夢」と「目標」が混同されていることが多く、結局はなりゆきまかせの学力水準に合わせた志望となっていく傾向がみられる。
 進路設計と学力は、不即不離のものであることを考えるとき、本校生徒の特性を理解する中で「学力」の向上により強く意を用いることが必要であり、あわせて生徒各自が、それを実現するために努力する「目標」の設定が行われるように密接な家庭との連携の中で、日常的に適切な進路指導が行われなければならない。