第2編・実践活動〜第5章 行事

行事全般
 教育は心のつながらないところに効果はない。互いに関心をもちあえる、その関係の中にこそ互いに影響されるところがあるのである。そして、この「心のかよい」こそ集団の力を生む源泉である。新しい北陵高校を創造していく上で欠くことのできないものである。すべての行事はこの考え方の上に成り立っている。開校以来の精神をいかしながら個々の面でよりよい教育成果を目指して検討を加えられながら、10年をむかえたのである。


宿泊研修
 全員が一カ所に集まり、寝食を共にし裸になって人間を語り合おうというのがこのねらいである。あわせて北陵高校での生活のルール、勉強の仕方などのオリエンテーションという意味を持たせている。そのため第1回の宿泊研修以来、毎年新入生が入学して間もない時期に国立大雪青年の家を宿泊及び研修の場として活用してきている。しかし入学早々に実施されるために、生徒の自主活動という点では必ずしも十分とは言えないことと、大雪の自然を十分活用しきれないという問題ものこされている。


臨海学校
 他校に見られない独特の行事である。1学期終了直前に1年生全員が参加する現在の形になったのは3期生の時からであるが、場所については10周年の今年まで本校開校と同年に開村した「かもえない青少年旅行村」を利用しつづけている。海水浴だけでなく、炊事などのキャンプ生活、海釣り、川釣り、植物採取や地質調査、そして地元中学生とのスポーツ交流の中で個性を発見し、それぞれを磨き、協力することの必要性とすばらしさを身につけ感じることがそのねらいである。近年においては、ねらいは継続しながらも水泳指導を中心におくなどの変遷をもちながら、生徒にとっては思い出深い行事の1つとなっている。問題は天候に左右されることと、1学期中に2つの大きな行事がかさなることによる学習面への影響が心配されており、このことを考慮に入れた指導計画を考える必要があろう。


林間学校
 集団登山によって団体行動の訓練を行い、山を踏破する気力と体力を育て、自然の美しさ厳しさに接して豊かで美しい情操を養うことを目的として計画、実施されてきたものである。1年生の臨海学校に対応する行事として、2年生の希望生徒の参加により夏季休業中に2泊3日の日程で大雪山登山として3期生が実施したのが始まりである。以後4期生は2年生全員によるニセコ登山が実施され、全員登山の楽しさとむずかしさを経験した。この経験から、多人数登山の場合の天候の急変への対応などを含めて、実施方法・時期等について検討され、その結果夏季休業中の希望者による登山が原則的な方法となり、現在は2年生に限定せず全生徒からの希望者により実施している。しかしこの行事は宿泊施設の問題などから54・56年度の実施は見送られている。


見学旅行
 基本的には教科学習活動の延長・拡充という考え方に立って、自主的な研修の中から日常の教科学習を深め、同時に集団生活の秩序を学び相互の親和をはかることを目的として実施されている。見学箇所は京都、奈良を中心に札幌では見られないものに接するという考え方で見学コースが設定されているが、特に小グループによる自主研修に力を入れており、事前の研修、準備、調査及び研修後のレポート作成などはそれぞれの特徴を生かしており、生徒の自主的な研修活動として、その目的を充分に果たしていると考えられる。しかし見学旅行の行き先が限定されていることもあって、グループによる研修内容に新しいものをとり入れるために苦慮してきている。見学コースの開拓などで成果をあげてきているが、今後検討すべきことの1つであろう。


北陵祭
 協同作業の中から創造するよろこびを学び、文化活動の成果を発表し、校風づくりに役立てることを目的とし始められた北陵祭も、今年で9回目となった。文化系部活動の発表とクラスの発表など軸となっている点では他校とかわったところはない。違う点は、バザー(食堂と売店)以外では金銭を扱わないというところである。48年度の第1回から今年の第9回まで、その方針は変わっていない。これが屋台や喫茶といった安易な方向にブレーキをかけ、8mmとか寄席とか茶室といった工夫を生み出し、協同作業を引き出しているようである。そのほか、外国人を招いてのシンポジウムや講演会、合唱コンクールなどがそれぞれの年度で実施されてきている。しかし一方には上記のような努力を要する方向に進むのではなく、ともすると安易な方向に流れやすい傾向が依然として根強く存在しており、金銭の扱いについても生徒間にはあきらめきれない様子もうかがえる。前夜祭については回を追うごとに力が入ってきているようで、第1回の行灯展示とフォークダンスから、3回〜6回の仮装行列、第7回からの6kmにおよぶ行灯行列がフォークダンスに加わり、第6回からはさらに花火も加わり、地域の人々も見物におとずれ、迷子が出たのもこの頃からである。文化祭としての北陵祭と、いわゆる「祭」を中心に考えた北陵祭の考え方の両方をいかに調和して、意義あるそして楽しい北陵祭にするかが今後の重要な課題となろう。


体育大会
 各種の運動競技を行う中から、学級の連帯感を深め、体力づくりと運動競技の向上をはかることを目的とするもので、他校に比べて特別にかわった点はない。開校の47年に1学期末考査終了後に、バスケットボールと卓球を球技大会として実施したのが始まりである。以後種目の追加、変更などがあり、一時は中央体育館も使用して実施した年もあったが、新校舎に移転してからは屋外での種目(ソフトボール、サッカー)も加え、屯田西公園も併用し活発に行われるようになった。又クラス対抗意識が高まるにつれ、早い時期からの練習、それぞれにクラスでのユニフォームの使用など、過熱気味の状態も見られ、今後の課題として検討がなされている。なお51年度より柔道が加えられ、名称も最初の球技大会から体育大会と変更され継続されている。


運動会
 体育大会と同様の目的で、54年に体育大会の前日に新琴似運動公園(現在は屯田西公園と改称)で実施されたのが最初である。55年は円山陸上競技場で、陸上競技種目も加えて実施したが、昼食時より雨天となり午後からの競技は中止された。56年には屯田西公園で雨のため1日順延したが盛大に実施され、新しい行事として定着しつつある。


雪中運動会
 雪国の自然の中で冬を楽しみ、体力を増強し、クラスの連帯感を養うことをめざして、48年度の3学期に旧校舎裏の豊平川河川敷で雪合戦、雪上カヌー、バイアスロンなど、アイデアあふれる競技で先生・生徒共に楽しんだのが始まりである。新校舎に移転した後は学校のグランド内で実施され、種目内容は年度により若干の違いがあるが、その雪中で楽しむ精神は継続されてきている。なお52年度はインフルエンザのため中止された。


マラソン大会
 持久力の不足しがちな都会の生徒に、長い距離を走りぬくことによって強靭な体力と気力を養い、苦しさに耐えることと、それを乗り越えて物事をなしとげた時の喜びを経験させたいとして、校舎の屯田移転を機に50年度から実施した。コースも第3回から男子11キロ、女子6キロに固定され、今年で第7回をむかえることになり、生徒間にも定着(あきらめ?)してきており、無事故のまま継続して目的を十分果たすことが望まれる。


文化行事
 生徒の文化的な催しへの接し方も札幌にいる割には少ない状態を考え、3年間に音楽、演劇、古典芸能の3分野に触れて、少しでも視野を広げることを目的に芸術鑑賞としてはじめられた。その後、美術や文化講演なども含めた幅広い内容から選択することになり、名称も文化行事と改められているが、適当な催しがなく実施しない年も出ている。


行事に参加して

大雪山登山記
 7月29日、いよいよ大雪山に登る。最初はロープウェーで姿見の池へ向かう。これから私たちが登ろうとする旭岳がぼんやりと雲の中に浮かんでいる。
 私はどうしてもこの山に登りたかった。この機会をのがしたら、もう二度と登山などというチャンスはないだろうと思った。一度でいいから山に登ってみたかった。
 大火山におおわれた坂道を登る。傾斜はゆるやかだが、やはり足が重い。途中左手に地獄谷が見える。傾斜はこのあたりから急になってくる。地獄谷特有の硫黄の臭いが鼻にツーンとくる。後ろを振り返ってみた。なんとすばらしいのだろう。私が立っている地点よりはるか下の方に雲海が広がっている。夢のようだ。この気持ちが、頂上まで歩く意欲をかきたてた。
 頂上が見える。もう数十歩で到着しそうな気がしてくる。あと数メートル、もうすぐ私は念願を果たすことができる。あと3歩、2歩、1歩……。こうして私たち一行は、北海道の最高峰、2,290メートルという旭岳に登頂した。私たちは思わず握手し合った。そして「ヤッホー」と叫んでみた。
 みんなが笑っている。グループの仲間たち、先生方、本間校長先生は体力的にずっと劣る(?)はずなのに、頂上近くになると両手を膝につけ、水をかぶったように汗をかき、黙々登る校長先生。若者の中に混じって、感激もひとしおだったにちがいない。すばらしい。感無量である。私は一生この感激を忘れない。林間学校に参加して本当によかった。(第3期生)

宿泊研修
 5月2日から、2泊3日にわたっての宿泊研修を終えて、僕はこう思う。
 集団生活を通し、相互に協力することの大切さを学び、規律の精神を身につけることをねらいとして、僕は宿泊研修にのぞんだ。
 初日最後の研修は、高校での学習や進路について指導部の先生から、そしてその後には「運命は自ら開くもの」と題して、本間校長先生からそれぞれ講話があった。これらの講話によって、入学当初の新しい希望に胸をふくらませ、意欲に燃えていたあの頃のことを思い浮かべた。何事も「初心忘るべからず」であることをつくづくと感じ、と同時にこれからの自分はどうあるべきなのかを、しっかりと決意した。
 その他水泳研修やスポーツ研修によって、楽しみを味わったと共に、短時間でありながらも心身の鍛練、体力の増強をはかったこと。
 また、レクリエーションやホームルーム討議によって相互の連帯意識を高めたこと。
 朝夕のつどいで、気持ちを安らかにするひとときをつくったこと。
 キャンドルサービスでは、ろうそくの灯をみつめながら静かに今の自分を見つめ、皆と歌ったりして心の交流をはかったこと。
 そして何よりも、過ぎた日の楽しい思い出として皆と寝食を共にしたこと。
 以上のような点で、この宿泊研修は僕にとって大変有意義であったと思う。だから、この機会をきっかけに、これから3年間の学校生活において1日1日を悔いのないよう過ごすように努力していきた。(第5期生)

体育大会について
 体育委員会が中心となって行われる行事は3つあります。運動会、体育大会、雪中運動会です。
 運動会は、私達の時からはじまった、まだ新しいものです。何事もはじめが肝心だから、私達も悩みました。他校からプログラムを送ってもらいました。みんなにより多くアイデアを出してもらうために、例年より多く委員会も開きました。そうしたみんなの苦労により、あの運動会ができたのです。今行われている運動会も、多分に影響をうけているものだと思います。
 体育大会は、体育委員会が中心となって行う行事の中で、最も重要なものです。各クラスで華やかなユニフォームを作り、大会の前に幾度となく練習を行い、1年生も3年生も関係なく、優勝目指しがんばるのです。毎年、大会が終わったあと数多くの反省が出ます。私達の時も、昨年の反省点は直したつもりでも、又新しい反省点が出てきてしまったのです。しかしそれは、私達が手をぬいて計画をしているせいではなく、各クラスがみんなで大会に出て、一生懸命になっているからこそ、みんなが悪いところに気が付き、よくしていこうとするから出てくるのだと思います。
 雪中運動会は、あの屯田の暴風雪の中行われる行事です。このものすごい寒さの中、いかにすればみんなが参加し、楽しくできるかとまず悩みます。大会の前にグランドにコースを作り、山をつくり、穴をほり、何度もコースを走ってみて、悪い所を直していくのです。
 どの行事にもいえることですけど、大会が行われるまでの期間、毎日のように学校に残り、計画を練り、プログラムを作りました。時にはバスがなくなってしまって、先生方の車で送ってもらったこともありました。しかし、今になって考えてみれば、忙しく悩んだこともありましたが、どれも楽しかった記憶として残っています。(第6期生)

臨海学校の思い出
 臨海学校という言葉を聞くと、静かでしかし確実な何かが体の内部から湧きあがり、高校時代の美しい思い出として鮮やかによみがえってきます。
 北陵高校の第4期生として昭和50年4月に本間校長先生のもとに入学した私は、高校生活に対する大きな期待を抱きながらも、新しい先生方、友人、クラブ活動、授業など今までと一新した環境の中で緊張しながら生活していましたが、それらにもだいぶ慣れ、クラス独特の雰囲気が醸し出されてきた7月の下旬、私たちは神恵内に赴きました。
 2泊3日の臨海学校の後はすぐ夏休みということも手伝って、海と山の大自然の中に到着した私たちは心も軽く、楽しくてうれしくてしょうがないという気持ちでした。入村式を終え海水浴、ソフトボールなどに分かれて研修を行った後、グループに分かれて共同炊事に入りました。野菜や肉の大きさや形、見栄え、そして味も悲惨なものでしたでしょうが、大自然の中で実際に自分達の手で計画し、苦労しながら作ったもののおいしさは、どんな美辞麗句をあやつったところで表現できるものではありません。
 そして、肝試しや夜のテントの中での話、ファイヤーストームのことも楽しい思い出として心に刻み込まれています。期待と不安の中で、あの真っ暗な散歩道を歩いたこと、夜、消灯時間がすんでから、先生方の見回りの足音に注意しながら、自然の中で強く育った、殺虫剤にびくともしない蚊やハエやクモにも負けずに、テントの中でいろいろな話をみんなで討論し笑ったこと。そして1年生全員で行ったファイヤーストームの時には、北陵生の一員である誇りと連帯感、充実感に心が躍動したのを覚えています。
 大自然の中で、教師と生徒がお互いに裸になり、積極的に共同炊事やレクリエーション、村の生活をみんなで計画し、協力して実践していく過程で、生きることの喜び、すばらしさを学び、人間としての心の安らぎを感じ、友や先生方との絆を深くしたこの臨海学校の思い出は、心の内部につもり、現在の自分を支える要素となっています。(第4期生)