校訓について

 本校の生徒がどのような人間に成長していくのか、そのために、日常の指針としてどのようなものが必要になのか、これは非常に重要なことである。
 人間はより高い価値をめざして、自己を向上させていく存在であるが、とくに、高校生は価値への関心が非常に高まり、人格形成上重要な時期に位置する。つねに、高い価値をとおして現実の自分を見るために、悩みが深まり、その悩みとの闘いの中から自分を向上させていく。
 校訓「自立」「敬愛」「進取」は、今後、幾十年、幾百年にわたって、入学してくるであろう北陵高校生が、自分を向上させるための日常の指針としてつくられたものであり、創立10周年を迎えた本校関係者の願いがこめられているともいえる。

『自立』
 人間は死への存在である。死ぬ存在ということは、再びやり直しのきかない、たった一度の、しかも、他の人と取りかえることのできない、その人だけの個性的人生を歩んでいることを意味する。そして、このかけがえのない貴重な人生は、甘えずに、自分の力で生き抜く自立の精神によってのみ可能となる。われわれの生きている現代社会は、個性を奪い、平均化し、他と取りかえのきく人生をつくりだす傾向がつよい。しかし、それだからこそ、毎日を真剣に、自分に責任をもって個性的人生をつくっていかなければならないのである。
 人間は周囲の人々から影響を受けるのは当然であるが、影響は受けても、最終判断は自分が下すのであり、この判断によって自分を未来に向けてつくっていくのである。この個性的自分を、自らつくっていくからこそ、人間は尊厳なのであり、充実した生きがいが得られるのである。

『敬愛』
 最近社会連帯性が失われ、人間は個々バラバラになり、利己主義にとらわれている。
 しかし、本来あるべき人間とは、ことばのとおり、人と人との間という意味があり、単なる個としての孤立した存在ではない。この間柄としての存在であることを忘れるから、相手を人間として尊重できず、自分の打算のための手段として利用することになる。相手を道具やお金にしか考えないから、自分自身が人間性を失い物になり下がってしまうのである。
 人間が互いに、うやまいあう心と、愛し合う心で結ばれることこそ、人間として成長する必須の条件なのである。本校生もぜひ、相手を敬愛できる心の豊かな人間に成長してもらいたい。

『進取』
 本校生は意欲が不足しているのでは、などと指摘されることがある。
 人間の歴史を振り返ってみても、鳥のように空を飛びたいとか、カモシカのように速く走りたいという、実現不可能な夢のような希望がありその希望の実現をとおして人類の進歩があったといえよう。しかし、その実現は、ぜひ実現したいという意欲や努力によって、はじめて可能になったのであり、この意欲的な進取の姿勢が人類の進歩を支えてきたといえるのである。
 とくに青年は夢や未来に生きているといわれる。どうか、この青年の特性を自覚し、いつも前向きに頑張ってもらいたい。そして、この姿勢が北陵高校を発展させ、人類の進歩とも結びついていくのである。