座談会「北陵高校10年の回想」

[とき]
 昭和56年8月10日(月)
[ところ]
 新琴似 新寿司
[出席者]
 初代事務長、初代教頭、2代教頭、3代教頭、4代教頭、元・現教諭(昭和56年度当時)
*冊子の中にある出席者の氏名は、ここでは表示しておりません。


- お集まりいただき、ありがとうございます。ただ今からお話合いをいただきますが、最初に、主催者を代表して教頭がご挨拶申し上げます。

- 本日は、暑い中ご多用の時期にお集まりいただき感謝いたします。すでにご案内の通り、北陵高校が開校して今年で10年になります。学校でこれを記念して、いろいろな記念事業を考えてきましたが、その一つとして、北陵高校10年の歩みをまとめる記念誌の発行があります。その中で本校の創設時代からいらっしゃった先生方にお集まりいただき、当時を語っていただく座談会を企画いたしました。記念誌の内容がより充実いたしますように、よろしくお願いいたします。

[司会]
 早速、お話合いを始めます。座談会のテーマは「北陵の十年」ということで、おもに次のような事柄について、お話を進めます。第一は、北陵高校に勤めて強く印象に残っていることや忘れられない思い出を。第二は、北陵高校の誕生の経緯や校名、教育目標、教育課程、生徒会、校舎建築、制服の制定などの思い出を、第三は、校風や教育の方針をどう見るか、最後に、開校10年を経過して新しい段階に入った北陵に期待するもの、などを中心にご意見をお聞かせください。

開校当時の思い出あれこれ

- 私の最大の思い出は、北陵高校の新設という草創期の仕事ができたことです。46年頃から札幌の人口が急増し始め、市民の間には高等学校新設の要望が強まりつつありました。そんな中で新しい高校を作るならば、これまでにない特色のある学校をというのが、当時の市民、教育関係者の願いでした。そのような地域の人々の期待の中で生まれたのが北陵高校です。初代校長本間末五郎先生、そして初代教頭千葉賢一先生とともに仕事ができたことを大変光栄に思っています。

- 何と言っても最大の思い出は、第1回の卒業式です。1期の生徒はわずか180名でしたが、一条中学跡の仮校舎時代から、私たちと共に北陵の草創期に苦労した子供たちでした。地域の期待を担って教育した“試作第1号”を出したのが、第1回の卒業式でした。評価はまだまだですが、各方面で活躍している彼らを見ていると、本当に嬉しいかぎりです。

- 開校当時の一般教員は9名、その中で私は最年長でしたので、非常に緊張しました。前任校では、比較的大学進学を中心にした教育が行われておりましたが、北陵では人間教育を前面に出した方針であり、当初はとまどいを感じました。
 開校当時の思い出は沢山ありますが、その中でも開校式当日までの仮校舎の清掃は強く印象に残っています。仮校舎の一条中学校跡は、46年まで市役所の仮庁舎として使用されており、その後を北陵が使いました。開校前の2月初めに校舎を視察した時には、汚れがひどく、この建物が学校になるのだろうかという心配がありました。しかし、入学予定者の発表後、登校させ生徒と共に汗を流し、見違えるようにきれいになった時は、喜びと同時にほっとしたものでした。その当時の気持ちは今では強く印象に残っております。

- 校舎の清掃の話が出ましたが、私の場合は事務室の仕事ですから、仮校舎の整備とそこに入れる備品の選定や購入が大きな仕事でした。47年1月付の発令で正月休みもなく、とにかく4月10日からの授業開始に向けて全力投球の毎日でした。先生方の協力もあり、仕事は順調に進みましたが、今となれば昼も夜もないあの多忙な毎日が懐かしい思い出として残っております。それにしても、当時の事務長や事務主任のご指導には感心しております。

[司会]
 当時の事務室の皆さんの仕事は大変なものだったと思いますが、備品の選定・購入ひとつみても、それらの物品は新しい校舎で使用することを前提に入れなくてはいけない。しかし、その段階では新校舎のマスタープランも出来ていないわけです。ご苦労さまでした。


- その通りです。しかも、新しい学校は北海道でも例をみない立派な高等学校を作るという方針が打ち出されていたし、最初の先生方も非常に張り切っており、私どもへの要求水準が高いわけです。しかし、新設校とはいえ、十分な予算があるわけでもありません。先生方の熱意に応えたいものと苦労しました。でも、当時の苦労は今の私の仕事で生きており、新設校の開校準備というすばらしい仕事ができたことには心から感謝しています。

- 私は、1期生(4クラス)の担任として3年間、本当に無我夢中でした。今考えてよく体力が続いたものだと思っています。3年間の総まとめが第1回の卒業式です。卒業生の名を読み上げていると、一人一人の生徒の顔と、彼らの3年間の北陵の生活の一コマ一コマが重なり、目頭が熱くなり最後まで呼名できませんでした。

- 沢山の思い出がありますが、私も1期生の担任時代のものが残っております。例えば、40年以上も経た古い木造の校舎を必死で清掃したことなどは忘れることのできないものです。当時は生徒の数は180名と少なかったから出来たのかも知れませんが、全員が毎日清掃に当たりました。放課後の清掃の時間には、先生方も一斉に職員室から出て、担当箇所で生徒と一緒に汗を流したものです。先生方と生徒が一丸になって、新しい学校、自分たちの学校を作ろうという気持ちに燃えていたのでしょうね。

[司会]
 開校1年目の職員はわずか17名でした。それが2年目になると一挙に20名が増え、37名になりました。4月当初は、前年からいた職員の方が違った学校へ行ったような気持ちになったものです。間口が完成するまでは、このような毎年新しい先生方が入られて、その雰囲気は少しずつ変わりました。しかし、子供たちとともに新しい学校を築き上げようという開校当初の基本的姿勢は、毎年入られる新しい先生方は引き継いで下さった。1年目からいた者として感謝している点です。


- 私は2年目に来ましたが、当時の印象として強く残っていることは宿泊研修です。3月末に新任の打合せはあったものの、4月5日に新しい学年団の発表、そして入学式。先生方の名前もよくわからないうちに、360名の生徒を連れて4月17日には宿泊研修を実施しました。学年の責任者として不安だったのは確かです。しかし、その不安も出発するとすぐに消えてしまいました。それは、2泊3日の期間を通して、先生方の適切な運営と指導、それを受けて積極的に行動する北陵の子供たちを見て、これならば、これからはどんなことでも出来るという確信をもちました。先生も生徒も過程の中では色々なことはあっても、やらなければならない時は、一つにまとまることができる。第2期生の宿泊研修では、そんなことを考えました。司会の話もありましたが、必要な場では全員が協力する姿勢は、引き継がれていると思います。

- 私は昭和49年度に来ました。北陵は開校してすでに3年目に入っていましたし、割と気楽に来たつもりです。しかし、気楽な気持ちはすぐに打ち消されてしまいました。勤務時間が過ぎても仕事を止める先生がいない雰囲気の中で、やって行けるのかと不安でした。しかし、当時のそのような熱意のようなものが、広く信頼される北陵高校を作った要因の一つだろうと思います。


北陵高校の印象―内と外

[司会]
 話題の中心が開校当時に集中しましたので、次は2代目以降の教頭先生に印象をお話いただきたいと存じます。


- 初代教頭の後、51年に私が着任しました。丁度、北陵高校は校舎落成、創立5周年を迎えた記念すべき年でした。仮校舎から移転して間もなく、真新しい校舎と先生と生徒たちのいきいきした学校での生活が、非常に新鮮に感じられました。着任式で全校生徒の前で挨拶をしたら、3年生から拍手をもらい、いい学校に来れたことに感激したものです。着任早々の思い出として強く印象に残っています。また、本間校長先生の勧めもあり、応援歌「明け行く弥生」を作りました。作曲は他の先生にお願いしましたが、生徒に歌ってもらえて、こんなに嬉しいことはありません。

- 北陵の開校当時、私は室蘭清水丘高校にいましたが、PRが行き届いていたためか、学校のことはよく聞いておりました。48年に同校から同僚が北陵へ転任することになり、内心うらやましく思いました。その後、昭和53年4月に第3代の教頭として北陵に決まったときには若干不安感もあったし、また緊張もしました。中に入ってみて、外で聞いていたのとでは若干ですがニュアンスの違いもありました。しかし、北陵を去ってみて考えることは、いろいろな見方や考え方はあるが、トータルとしては本当にすばらしい学校だと思います。現職の学校で、私の出すアイデアの大部分は、北陵での実践が中心になっています。

- 今年の3月まで、外から見ていた北陵高校の印象は、教頭会で発表された“公開講座”を通してのものでした。教師のサラリーマン化が議論されている中で、土・日曜日、先生方のボランティアにより、地域に開かれた教育活動を実践している北陵高校には強い関心を持っておりました。4月に転任してみて、先生方の行事への取り組みに驚きました。教頭として2校経験した学校には若い先生方が多かったのですが、本校の先生方はさすがベテランが揃っているというのが第一印象です。ただ、今10年を経過した段階で、先生方も生徒も考えなければならないことはありそうですね。

- 私も同じように思います。学校も10年たちますと生徒はもう新設校意識は持っていません。一方先生方の間でも、だんだんと最初の先生方が少なくなっていき、そのニュアンスも微妙に変わりつつあると思います。


旧校舎の思い出

- 生徒の新設校意識は、せいぜい3期生までではなかったでしょうか。それは、一条の仮校舎での生活を経験した生徒だったといえます。

- 私たち大人は、一日も早く不便な仮校舎から新しい快適な校舎に入れてやりたいと思いましたが、生徒らは必ずしもそうは思っていなかったようです。特に、1期生は3年間の大部分を仮校舎で過ごしたこともあって、クラス会などで出る話題は一条校舎の狭い中庭や、鳩公害、ユリノキの話が多いようです。

- 1期の生徒ばかりでなく、仮校舎で生活した先生方にも強い印象で残っているのではないでしょうか。車の騒音のために夏でも窓を開けられない蒸し暑い教室、冬になると壁板の継ぎ目にガムテープを貼る。グランドがないために、豊平川の河原での雪中運動会など不便なことが多かったですが、楽しい時代だったと思います。北陵の後で、清田高校が使い、その後解体されました。元の中庭の跡地にユリノキが1本残っていたのが印象的です。あのユリノキは移せるものなら新校舎に持って来たかったですね。


校舎建設をめぐって

[司会]
 一条仮校舎の話題が出ましたが、北陵高校10年の歩みの中では、歴史に残る事柄も多くありました。その一つは校舎の建設であります。校地の選定段階では篠路地区、新川地区、ほかに東苗穂地区も考えられたようですが、条件を考えて最終的に屯田地区に決定したようです。校舎建設の苦労や思い出などを話題にしてください。


- 41年4月に啓成高校が設置されてから6年間、札幌市内には1校の公立高校も誕生しておらず、公立高校の新設を臨む市民の声が高まっていた時です。全国的な高校進学率の上昇と、札幌市の急激な人口増加は、新しい高校の必要な時期であった、そんな時に誕生したのが本校です。また、当時は南学区に比べて北学区は進学難だ、という住民の要望もあって、屯田に作られたわけです。

- 校地の決定と並行して、新しい校舎建築の作業が始まったのは開校間もない5月だったと思います。新しい時代の高校教育にふさわしい校舎建築を合い言葉に、校内での検討が開始されました。夢のような奇抜なアイディアもありました。それらのアイディアの中から、マスタープランの段階ではスタディールーム構想、メディアセンター構想、そして生徒のゆとりある憩いの場として生徒ホールを設けるプランがまとまりました。建物の基準面積を越えない枠の中で、これらのアイディアを生かすのは、かなり難しいことでした。「今夜はラーメンにしたいのですが」という事務長の声がかかると、夜中の10時、11時になることは普通でした。この作業は事務室の職員ばかりでなく、先生方も授業が終わり、生徒が帰ってからこの仕事をしてくれました。この当時の人にとって北陵の校舎は、自宅かそれ以上に愛着の持てる建物になったはずです。それだけに、校舎の建物は古くなりますが、周りの木々が大きくなり、校舎を優しくつつむ時の来るのが楽しみです。

- 北陵高校の校舎建設では新しいアイディアが誕生し、それらの大部分が実現しました。一つは視聴覚室、放送室、教育工学室、図書室を中心にしたメディアセンターであり、もう一つは生徒ホールです。この生徒ホールと教育工学室の設置は、道内公立高校では初めてであり、以後の学校からは作られるようになったようです。また、途中からの学級増によって実現はできなかったですが、スタディールームの考え方はすでに取り入れられており、講義室や理科の各準備室が広く作られているのはその名残です。このように、校舎建築での北陵高校のアイディアは、新しい時代の高等学校の建物のパターンを示したことでも意義があったと思います。

- スタディールーム構想では、当初二つの面を考えました。一つはできるだけ多くの生徒に自学自習の場を提供すること、二つは現行の学級定員を半分程度の小集団にして、全教員で直接的に指導に当たろうという考えでした。そのために、多くの部屋が必要でありました。したがって、現在ある各準備室や演習室は小集団指導のためのものであって、教科教員室とは趣を異にしたものでした。間口増によって、この構想が立ち消えになったのは残念です。

- 北陵の校舎建築が後の新設校舎のモデルになったということでしたが、建物ばかりでなく、内部設備や活用法も含めて、理想とする姿を道教委から問われたこともありました。それは視聴覚教育でした。将来の高等学校教育の方向や教育方法を含めて、それらを実現するための学校建築を考えたわけです。今考えると、あの忙しい中で、よく出来たものですね。

[司会]
 当時、私はメディアセンター部門を担当していました。簡単な教育機器は扱ったことはありましたが、システムとして施設・設備を考えるのですから、私にとっては大変な重荷でした。完成してから考えてみて、日ごろ使っていらっしゃる先生方にとっては、使いにくい箇所が多いのではないかと今でも心配しています。校舎建築での思い出の一つは、他校の視察でした。何か所見学したか忘れましたが、よく旅行しました。中でも、事務長を中心に私を含めた4人で、愛知県豊橋市にある県立時習館高校を視察したのは記憶に残っています。以後、校舎が完成してからも、メディアセンターの活用法を勉強するために、北陵から十数名の先生方がこの学校へ出かけております。開校当時の熱意がこんな所にもうかがえます。


- 建物を作ることはもちろんですが、中に入れる設備・備品でも本当に苦労しました。先生方の要求水準は高いし、偏った整備もできません。この点で本間校長先生の力をフルにお願いしましたし、事務職員には苦労をかけました。でも、それらの施設・設備が、今日十分に活用され、その効果を上げていることを聞き、私は大いに満足しています。私たちの苦労が生かされ、ありがたいことです。

- 北陵高校の諸施設は、確かに全道に誇れるモデルだといえます。しかし、もっとすばらしいことは、休みなく活用されている事実です。例えば、教育工学室や視聴覚室はいつ見ても使用しています。施設や設備も立派ですが、活用という点でも全道に例がないと思います。

- 私も同じ意見です。転任して最初に校舎を案内されました。建ててから7年以上もたちましたので、壁の汚れもありましたが、それよりも教育工学室や相談室の立派なことには驚きました。同時に、フルに活用しているのにはびっくりしています。

[司会]
 管理棟や教室棟の施設に比べて、体育館の方はどうも貧弱すぎはしないかという意見も聞きましたが。


- 体育関係についてはその通りだと思います。あまり新しいアイディアは見られませんね。そのことは、比較的最初からいらっしゃった先生方も感じているのではないでしょうか。

- ご指摘の通りです。当初、体育部門を冷遇したわけではありません。開校当時いらっしゃった先生からは、北国の体力向上をねらって斬新なアイディアが沢山出されました。その一つは、体育館のフロアを三層構造にして、冬でも不自由なく体力づくりができるようにする考えでした。私たちも、北陵を機会に北海道の学校体育施設を考え直す意見も出ました。しかし、残念ながら当局の基準を破ることはできませんでした。体育関係の件は、私の心残りの一つです。


創造的な教育活動を目指す

[司会]
 校舎の建物に、私たちは数々の新しいアイディアを盛り込むことができました。しかし、その新しいアイディアは、新しい教育をすすめるための発想に基づいたものであったはずです。建物は新しい発想を具体化するための場や道具であろう。この10年間に2回の教育課程の改訂がありました。次に、北陵の教育の中味について、初代の教務部長からひとつ。


- 47年の開校当時は旧の教育課程によるものでした。翌年から指導要領が改訂実施されましたが、新しいものは、必修クラブの誕生でした。先ほどから話が出ていましたが、一条仮校舎はグランドなどの施設は貧弱なものでした。完成時を想定しての必修クラブの実施は大変苦労しました。結果的にはあまり広い場所を必要としないもので、3年間継続することによって技術的に向上が期待できるもの、そして放課後の部活動では経験できない内容のものということになりました。こうして、日本古来の伝統を継承するもので囲碁・将棋・空手・陶芸などに落ち着きました。それでも全学年が同時に展開することが不可能という予想から、3年生にはゼミを行うことになりました。本校の教育の大きな特色の一つであるゼミはこうして誕生しました。

- ゼミの実施については、随分議論しました。実践していると思われる本州の学校から資料も取り寄せました。結果的には、担当する先生方が、大学などの専攻した専門や、卒論の内容などを中心に、一つのテーマで深く掘り下げて学習させる方法を考えました。しかし,自分の専門とはいっても、いざそれを半年間にわたって教えるのは大変なことでした。

- 私も最初は何とかなると思っていましたが、いざスタートして実施してみると、大変な負担を感じました。私のテーマは「自然科学概論」だったと思いますが、生物を扱う部分はよかったのですが、他の科目になりますと苦労しました。

[司会]
 私もゼミでは困りました。私はシルクロード周辺の地理に興味を持っていたものですから、ゼミを機会に生徒と一緒にシルクロードを勉強するつもりでこれをテーマにしました。今のように「シルクロードブーム」ではなかったのですが、生徒は集まりました。深田久弥の「シルクロード」の本を輪読する方法で展開したのですが、半年間のゼミは本当に長く感じました。このゼミも結果的には、先生方の負担もあって廃止されましたが、私は残念に思っています。明年から始まる新しい学習指導要領で唱えられている、いわゆる学習活動における“ゆとり”とは、本校で実践されたゼミもその一つの形ではなかったでしょうか。


- 理想としては誠にその通りです。しかし、ゼミを実施するためには、担当する先生方の負担増などを考えると、難しい要因が多かったわけです。結果として、私の教頭時代に廃止しましたが、学校運営をスムーズに行うためには、残念ですが止める以外の方法はありませんでした。

- ゼミや必修クラブも含めて、新しい考え方を教育活動の中で具体化しようとしましたが、その一つ一つを見ると、10年前にすでに、明年からの新しい教育課程の実施を予想していたかの如く思われます。例えばいわゆる“ゆとり”は教育活動全体の中で生かされなければならないのでしょうが、教科の教育は当然として、他の活動でも特に学校行事などの面で工夫する必要がありましょう。すでに本校では、多くの行事を効果的に位置づけて実施しており、今や楽しい学校生活を行う上で重要なものになっていると思います。他に地理巡検、生物や地理の野外調査活動、社会科のティームティーチングなど、どれを取り上げても新しい教育を模索しながらの実践だったと思います。また、先生方のアイディアを取り上げ援助してくれた歴代の管理職の勇気と決断にも敬意を持っております。


今後の発展を期待して

[司会]
 開校して10年。北陵高校は、道内の高等学校教育のモデルとして高く評価されています。それは、教育実践表彰の結果を見ても明らかです。「ひとりひとりを大切にして、その個性を最大限に伸ばす」という教育目標は、新しい教育課程がねらうところでもあります。私たちは、数々の新しい試みを実践してきましたが、これらの中から、いったい子供たちはどのように育っているのか。北陵高校に校風といわれるものができつつあるのか。さらに、10年を過ぎて、新しい北陵高校に何を期待するのか。出席者の皆さん全員から、一言ずつ話していただき終わりにいたします。


- 現在の仕事の立場から考えて、北陵高校の教育方針は正しいし、卒業生も含めて、生徒の中には確実に生かされていると思います。そして現在北陵が行っている教育の内容は、明日の新しい時代に即応したものであるし、現職の先生方は勇気を持って今の教育を進めていただきたいと思います。私は、そんなことを期待しています。

- 北陵高校の教育目標はすばらしいと思います。この教育方針と「学校生活のすべてが教育の場であり、創意と工夫をこらして実践、常に生徒とともにあることの自覚の下で、きめ細かな指導をめざす」という教職員の信条こそ、北陵高校が新しい学校像として北海道の最高峰として生々発展していく基盤だと思います。新しい教育は磨かれた知性をもち、自ら考え実践する人間、仕事に誇りと責任をもち豊かな個性をもった思いやりのある人間を育てることにあります。明日の北陵高校に期待するものは、初代校長本間末五郎先生の創設時の建学の精神ともいうべき「ひとりひとりを大切にし、バランスのとれた人間の育成」を、代々の校長をはじめ全職員が一貫して受け継いでいくことだと思います。

- 北陵から去って外から見ると、多くの人々の北陵に対する評価は非常に高いといえます。世間の評判が良い。私も大変嬉しく思います。それはどういう点かと考えてみると、北陵の教育目標が3年間の教育で見事に達成されていることだといえます。先生方は、これまでの北陵の教育の成果にもっともっと自信をもっていただきたいし、勇気をもって新しい高校教育に挑戦していただきたい。私の期待です。

- 北陵での私の在勤は3か年という短い期間でしたが、この間に感じた北陵生は、育ちがよく、マナーを身につけた都会の若者という印象でした。頭もよいし、何でもできる素質を持っている。生徒に自信を持たせる教育が必要だと思います。北陵の教育が確実に定着している一つの証は、卒業生がいつも学校に来ることです。そして父母の学校への協力のすばらしさは、何よりも北陵高校が地域から信頼されているからだといえます。北陵を愛するあまりに、苦言も言いました。私の人生において、北陵の3年間はすばらしい一時でした。期待しています。

- 先ほど、教育課程について話題になりましたが、前回の改訂の趣旨を生かし切れなかった学校が多かった中で、その趣旨を生かし、模倣ではない教育に取り組んできたのが、本校の流れだったと思います。その意気込みは生徒にも通じています。しかし、今10年たって、それに安住してしまっては困ります。安住しないで、常に進取の気性を生かすようにするためにはどうしたらよいか。これからの大きな課題です。

- これまでに北陵が築き上げたことが、まさに新学習指導要領のねらいとするところです。これまでの歩みをかみしめて、更に発展させていただきたいと思います。具体的には、生徒と先生の心の結びつきをより大切にする教育を望みます。

- 学校をよくする要因には幾つかあると思いますが、最大で最も大切なものは先生方の意欲ではないでしょうか。北陵の先生方はすばらしいアイディアをどんどん出してきました。私の立場で先生方のアイディアをどう生かそうかと考えながら仕事をしてきました。どうしたら子供たちのためのなるかという点では、事務も先生方も一致します。いい意味で事務の人たちを困らせるくらい仕事をしていただければと思います。

- 恥ずかしいのですが、前任校時代にそこの教育目標はよく覚えていませんでした。しかし、本校の目標はよく知っています。それは、現職だからということではなくて、目標にある「可能性を最大限に伸ばす」教育を北陵では常に実践しているからだと思います。校内には難しい課題もありますが、実践に挑むエネルギーだけは常に貯えておきたいものです。

- 指導主事になって学校訪問をしていると、どちらの学校から出たのかをよく聞かれます。北陵高校から指導主事に出たということで、私の評価が決まりかけたこともありました。一般的に北陵高校の先生は優秀であるという見方があるわけです。私は、北陵の6年間で教育目標にあるひとりひとりを大切にする教育を実践したつもりです。この教育を実感として真剣に取り組んでいる学校が北陵だと思います。

- いつも思うことですが、学校の評価を一番厳しくしているのは、その学校の卒業生ではないでしょうか。部活動をやった卒業生が時々練習に来校してますが、彼らから話しをきくと、一様に北陵に来てよかったという感想です。先ほど、学校行事のことが少し話題になりましたが、卒業生が何度も神恵内や大雪山へ行っているそうです。こんなに卒業生が来校する学校も初めての経験です。卒業生にとっては、北陵高校はまだまだま身近な母校なのだと思います。

- 北陵に対するいろいろな見方はあろうが、まだまだ活力を持っていると思います。いざという時には、全員で取り組める力を持っていると思います。それは、生徒にとっても同じことで、最近の非行などでは、他の学校と同じような状況もありますが、いざとなれば、開校当時と同じような評価を受けています。さすが北陵生という評価です。これは、これまで多くの人が努力して築いた10年間の伝統だと思います。一般に、生徒は先生よりも先輩の言うことに耳を傾けるといわれます。であるならば、今のこの子供たちにすばらしい教育を行って、後に入ってくる子供たちにとってすばらしい先輩になれるように育てることが先決ではないでしょうか。その可能性もまだまだあると思いますが。

[司会]
 西アジアの遊牧民のことわざに「生まれた所が故郷ではない。満足できたところが故郷だ」というものがあります。卒業生の多くが北陵高校での生活を満足して終えたのであれば、教師冥利に尽きると思います。お話しいただきました皆様と共に明日の北陵の発展を祈りながら、この座談会を終わりたいと思います。
 長時間、ご苦労さまでした。