座談会 北陵の10年をふりかえって

[とき]
 昭和56年8月16日
[ところ]
 北陵高校応接室
[出席者]
 空知教育局指導主事、1・2・4・5期生、現教諭(昭和56年度当時)
*冊子の中にある出席者の氏名は、ここでは表示しておりません。


懐かしい旧校舎と屯田吹雪

[司会]
 これから、北陵の10年の歩みについてふり返ってみたいと思うのですが、最初に北陵高校3年間の中で、一番思い出の中に残っているものを話していただきたいと思います。

[1期生]
 1期生は、旧校舎の生活が長かったものですから、冬のルンペンストーブの温度調節が、非常に難しかったことが残っています。それは、1日にたく石炭の量が決まっているものですから、朝のうちたくさんたくと午後の授業の時は寒いということがありました。

[1期生]
 古い木造の校舎だったものですから、どんなことをしても良かったということがありました。多少、汚れていても気にならないし、校舎に対して気にしなかった点が良かったですね。それと、入学の前のことで、非常に汚れていたものですから、校舎の清掃、ゴミ拾いなども残っています。入学の前にこんなことをする学校があるのだろうかと考えましたね。

[2期生]
 中庭があったのが良かったですね。新校舎に移ったら中庭がなかったからですが、昼休みとか、バレーボールなどをして遊んでいる、そういう雰囲気が良かったなあと思います。移ってしまうとなくなったので、旧校舎のことが懐かしく思われますね。それと、バスのことで屯田団地の所で止めて降ろされて、歩いて来たことがあります。今はこの付近も家が建ち並んでいるのですが、当時はあまりなかったものですから、冬の厳しさというものにはびっくりしたことが残っています。また、バスが止まったりして、集団下校したこともありました。

[2期生]
 確か、集団下校した時は、スキーに行っていた時で、山で見えない中滑っていたのでした。それと、下校時に屯田小学校の前で並んでバスに乗ったことですね。非常に混み合ったものでした。

[2期生]
 だいたい僕は1期生と同じくらいのことを経験していますから、今まで話されたことが頭にありますね。

[4期生]
 修学旅行とか臨海学校、林間学校が残っています。


楽しかった臨海・林間学校

[司会]
 行事の話が出ましたが、思い出の中に含めて、北陵でこんな行事があったのが良かったな、またこんな行事はやめたほうがというのを話してくれないかな。

[4期生]
 林間学校、臨海学校というのがありましたね。後半から、2つともやるようになったのですね。最初の時は、神恵内でしたので、まあ林間学校、臨海学校の両方とも良かったと言えるのではないかな。そして、そこで地引き網をしたのが記憶に残っていますね。

[4期生]
 俺等は最初から新校舎に入ったから、立派さにびっくりしました。また視聴覚教室での授業がそのころから整っていたから、充実していると思ったし、そのことが心に残っています。それと1年の夏にあった林間学校などで、皆がかたまって来ていろいろと良いこともしたし、悪いこともしたし、肝試しとかいろいろあったから。海でも泳げたし、後は屯田の冬が記憶にあります。俺なんか、石狩街道の方に家があるから、3番通り経由のバスで来ると今は舗装道路だけど、その当時は砂利道で細いから、三番通りでおろされてそこからずうっと学校まで歩いて来たのが残っています。

[5期生]
 古い校舎の記憶がなくて、すばらしい校舎に入って、行事では臨海学校とか、林間学校、雪中運動会、あと5周年記念の渡辺淳一先生が来たのを覚えているのですけれど。あとすごく学生の時不満に思っていたことなのですけれど、学校祭の時のお金を取ってはいけないということです。今は、どうなっているか知りたいです。その当時の他の学校に比べると、お金をもうけなければならないという迫力に欠けている。利益がないからやる気がないクラスとか、適当にするのが多く、お化け屋敷も数が限られていたりしておもしろくなかった。

[5期生]
 ぼくが一番印象に残っているのは、先ほど少し話しに出ていたのですが、冬ですね。ちょっと遅くなるとバスが来ないのです。あの辺で待っているとものすごく寒いですよ。吹雪になるとバスが止まって麻生まで歩いたりするのが一番印象に残っています。行事と言われると変なのですが、皆印象に残っている行事を言っているのですが、マラソン大会だけはやめてほしかったですね。

[1期生]
 ぼくらの時は、マラソン大会はなかったですね。先ほどから話を聞いていると学校の前の道路が砂利道だったというのを初めて知りました。移った時、冬だったので雪が降っていて、すぐ出てしまったのです。


厳しい躾・制服に誇り

[司会]
 次に考えてもらいたいのは、北陵高校の特長とは。

[5期生]
 北陵高校の卒業生というのは、学生時代の校風が兄弟で言えば次男三男という感じの人が多くおとなしくて、不良とかいうのがいなくてね、品行方正とはいかなくても目立ちもしないし、悪くもないという中間のところが、何かこう平和な学校生活という感じでいいじゃないかと思います。先生達も厳しすぎないし、遊ばせすぎもしないし、適当だった感じでした。

[2期生]
 言っては悪いのですが、2期あたりから変わってきたのかなと思いました。ぼくらの時はかなり厳しかったように思いました。髪の毛の長さとか、だいぶ言われました。

[1期生]
 最初の年は、かなり厳しかったようですが、次の年になるとあまりなくなって、入ってきた1年生の方に厳しさが回っていったように思っています。

[2期生]
 上靴を踏んでいると、後ろから蹴り上げられたということもありました。

[2期生]
 ぼくらの時代だけですか。靴の後ろを踏んでいたのは。

[5期生]
 年がたつにつれて人数が増えていったので、目が届きにくくなったんじゃないですか。

[4期生]
 そんなに言われなかったですね。髪の毛もパーマかけている人もいたし、そんなに厳しくなかったですよ。1年に入った時すぐの研修旅行の時は並び方の練習とか毛布のたたみ方とか厳しく言われましたね。他の高校から見たらやはり、おとなしい生徒のように見られていたのは事実だったようです。またお母さん達もそのように言っているようだし、ぼっちゃん学校っていう感じですね。制服が災いしているのではないかな。

[1期生]
 1期生として、ぼく達が入った時は、制服にプライドを持っていました。

[司会]
 1回アンケートをとったことがあるのです。その時は、男子が非常に誇りを持っているようでしたが、女子は少し不満だったようです。スカートの生地が軽くて、風で浮くのが不評だったようです。1、2期生の時はわりと記憶に残っているのだけど、5期生くらいになるとどうだろう。

[5期生]
 ぼくは、あまり好きではなかったですね。どちらかというと学生服の方が好きでした。

[5期生]
 私は制服の中にいろいろなものを着ました。白いものをほとんど着たことがありません。イートンの中にポロシャツとかハイネックとか、だめだというものもみんな着ました。セーターも着たし、チェックとか柄の入ったものを着ましたけど、特に怒られなくて、ヘアスタイルもそれほどうるさくありませんでした。

[1期生]
 ぼくらの時は、ズボンの色が少し違っただけで注意を受けましたし、ズボンをつめるのではなく、少し広げるのが流行っていましたね。今は逆につめているのが多いみたいですね。そして制服で思うのですが、入ったころはこの制服は北陵しかなかったんです。今は似ている制服を着ている学校がたくさんあります。それが、なんとなくかわいそうですね。

[司会]
 話はまたもどりますが、北陵高校の特長はどのようなことかな。

[4期生]
 俺の時は、1期生で最初に北大に入ったこともあって、なんとなく進学指導がホワッとしていて、他の高校に比べて厳しくなかったという感じがしました。勉強もそれほどきつくなかったし、どちらかというと勉強するより遊んだ方が良いという感じでした。
 勉強の面で言えば、社会のチームティーチングがすごくよかったなと印象に残りました。例えばフィールドワークとか、アパルトヘイトの講義みたいなのが印象に残っています。

[1期生]
 今はわかりませんが、1期生の頃というのは先生が8人で、生徒が180人でしたから、本当にテレビに出てくる分校みたいな形で、何でもすぐ一人に話が伝わると、その日の午後には全部に伝わる、そういう意味では悪い面でも面白かったですね。


生徒会発足の苦しみ
 自由の雰囲気 第1回生徒総会

[司会]
 次は生徒会活動を通しての感想を。まず最初に生徒会発足当時の思い出は。

[1期生]
 そうですね。新設校ですので、まるっきり何もないのです。まず最初は、本州のいろいろな高校に手紙を出して、生徒手帳とか生徒会規則を送ってくれというふうにしました。そして、いろいろなものを参考にして、生徒会準備委員などは夜遅くまで残って仕事をしていたのではないですか。

[1期生]
 生徒会というのに、積極的に参加していなかたものですから、あまり記憶にはありません。後ろの方からやれやれと言っていた方でした。

[1期生]
 第1回の生徒会長の選挙の時、旧校舎の音楽室でやったのが残っています。今では、卒業式みたいな感じで全員が体育館に集まって深刻な感じでやるのですが、あの当時はなごやかな感じで、あいさつする方も、周りに知っている連中ばかりで、自分の思い思いのことを言える雰囲気で選挙に臨めました。

[2期生]
 ぼくもあまり生徒会について興味というか、全く記憶がないんです。ただ、同じ時、生徒会長になったのがいたなという感じです。立ち会い演説会の時、天井の低い体育館で聞いたような記憶があります。

[2期生]
 私もあまり記憶がないんです。

[司会]
 生徒会行事で残っているものはないですか。

[4期生]
 あまりそういうものに興味がなかったし、俺の学年なんかは、ある一人の生徒が全部やっていた感じだから、あの人にまかしておけばいいんじゃないかという感じでした。

[5期生]
 生徒会行事と言われても何が生徒会行事なのか全然わからなかったのです。学校祭というのだから生徒会行事かな、という程度でした。他に何があったろうと言われても全然出てこないです。

[司会]
 学校祭は生徒会の最大の行事なのですが、どうですか。

[5期生]
 学校祭よりも生徒総会というのがあって、その時に終わりそうになると、何か適当な問題を出して授業がつぶれるという具合でした。その、引き延ばしをやっていたのを覚えています。後ろの人達は全然聞いていないし、好きなことを話していたようです。

[2期生]
 また、生徒手帳がなかったものですから、生徒会の規約を見る機会がないから覚えていないです。

[1期生]
 だから、校歌もまともに覚えていないですね。卒業式に合わせるように出来たようですから。それに難しかったですね。校歌も北陵高校の一つの特徴じゃないですか。


逆境にめげず、頑張る。
 残念、戦績は・・・・・・

[司会]
 クラブ活動についての印象は。

[5期生]
 6時半までしかやれないことがあって、すぐ帰されていました。バスケットクラブに入っていたのですが、練習が全然できなかったので、どうしようもないと思いました。

[1期生]
 最初のころはハンドボールクラブが有名でしたね。ハンドボールで面白かったのは、とにかく作る時に、学校が1年生ばかりなので勝てるわけがなかったのです。ハンドボールは市内に5、6校しかなかったので、これならまだ普及していないのでいいのではないか、ということで作ったのです。またハンドボールを知っている先生方もいなかったですから、自分たちで本を持って来て、それを見ながらこれは反則だ、これは反則ではないということから始めました。1年生が入ってすぐの6月に高体連の大会があるのですが、一応、数クラブが参加したのです。ぼくはバレーボールに出たのですが、1回戦に創成高校と当たったのですが全然相手にならなくて、簡単に負けたことを覚えています。

[4期生]
 長続きはしなかったですね。ラグビー部なんかがんばっていましたね。

[2期生]
 ぼくらが入った時に、野球部が出来て、豊平川の河川敷で練習していました。

[1期生]
 その時、最初に当たったのが藻岩高校で、とにかく勝つことができたんだよね。次の試合が札商と当たって負けたんです。

[2期生]
 その応援で、授業が終わってからするということで、皆が来るまではすごくて0対0でいい調子だと思っていたのですけど、皆が来る前にどんどん点を入れられて、結局皆が来る前にコールドゲームでした。

[司会]
 クラブで全道、全国に行ったというのはどんなのがあったかな。

[2期生]
 軟式テニスとかバレーボールとかが強かったようです。

[司会]
 文化系のクラブでは、弁論クラブが全国に行っていましたね。毎年、行っていましたからね。

[2期生]
 全国で2位、3位というのもありました。また人数では4、5人は行っています。練習も厳しかったようですよ。また最初のころは先生方も大変だったですよ。いろいろなクラブの顧問をかけもちしなければならなかったですからね。

[司会]
 次に北陵高校の3年間で学んだことは。

[5期生]
 私は北陵高校に入ってからすっかりだめになってしまいました。入学当時から、成績の点では全くだめになって、どこの大学とか全部落ちて、高校3年間を振り返って考えると、高校というのは自分で勉強しなければならないというのが心にあっても、周りの人に飲まれて遊んでしまい、先生方もあまり言わないので3年間たって出るということを考えないでいました。毎日を遊んで暮らしてる、という感じでした。3年間で学んだということは友達ができたということだけです。

[5期生]
 別に全然記憶にないです。どこの学校へ行っても変わらないと思いますけど。

[4期生]
 混んでいる時のバスの乗り方が上手にできるようになりました。面白かった授業といっても、あまりデキがよくなかったので、英語の時間よく立たされて目をつけられていました。

[4期生]
 マラソン大会とかで、根性がついたというか、我慢することが身についたことです。柔道ができたのも良かったなと思います。3年間の教育の効果というのは、すぐに出てこないと思うのです。もう少したってみて、ああやっぱり良かったなと思うようになるんじゃないかな。

[2期生]
 新校舎にきた時、この辺は田舎で、バスで来る途中にもタンポポが咲いてきれいだったし、自然の面で帰りの夕日がきれいだったことが印象に残っています。

[2期生]
 ぼくは勉強の方は全然だめでした。北陵に入ってから徐々に落ちていった方ですから、遊びすぎたようでした。一番記憶に残っているのは、集会をするときに必ず5分前に集まるように言われたのです。それが未だに記憶に残っていて、役に立っているのはそのことですね。勤めてからも役に立っています。

[2期生]
 ぼくは勉強の方はあまり良い方ではなかったので、その方の話はできませんけど、先生方が厳しかった反面、生徒達が反骨精神を持ち、それに対抗しようじゃないかという考えがあったと思います。実際ぼくもそう感じていたし、この中にいる方でそういう風に感じた人もいると思いますね。そういうのがあったせいか、すごく自分でおおらかな気持ちになったようです。3年間で学んだことというと、友達がたくさんできたということ、規制されないで、それをとび出していくんだという感じを持てたということです。それが、大きかったと思います。

[1期生]
 ぼくは、後悔はないです。北陵のイメージは良いものです。3年間で良かったことは、自分がとても積極的になったことです。先輩がいないから好きなことが言えて、上から押さえられることがなかったし、人数も少ないし、何か当てられるから何か言わなければならないということがあっても、だんだん話すことが苦痛でなくなり、積極的になりました。それとこれから一生つきあっていけそうな友達がたくさんできたということです。先生方もいろいろと特徴を持った先生がいて、それぞれ覚えています。

[1期生]
 上級生がいなかったものですから、仲間として絆が深かったのではないかと思います。生活面での習慣が社会に出てもやっぱり使えるのだなと感じでいます。当時の先生方の特徴を覚えているくらいです。名前は忘れているのですが、顔と特徴は忘れないものですね。先生の職業というものは大変なものだと思います。今の時代と違って校内暴力とかなかったですから、良い時代だったなと思います。


強かった先生と生徒の意欲・一体感

[司会]
 1期生は数が少なかったから常に一致団結という感じだったし、先生方は学校を作らねばならないという責任感、使命感が強かったようだね。

[1期生]
 先生と生徒が一緒にやっていたことがずいぶんあったのではないですか。今はわかりませんが、ぼくは北陵の特徴だと思っているのですが。

[教員]
 卒業生が、歴史の浅いせいもあるけれどたくさん遊びに来ますね。何かあると来ます。その要因がなんだろうかと思うのだが、生徒がみんな学校作りの時に一人一人が参加したという思い出があるので来るのかな、と思ったりするのですが。

[教員]
 前の学校が実業高校でしたので、だいぶ感覚が違いますね。女の子が多い学校でしたから。普通高校で卒業した生徒がブラッと来るのだけど、実業高校はこれで終わりという生徒が大半だから感覚が違います。普通高校は大学に行くのが多いものだから、ステップみたいな感じで、卒業したらあまり関係ないような感じが多いのだけど、その割にはずい分学校に来たりするのが多いなと感じます。私達としてはうれしいですね。

[1期生]
 先生方も生徒のことをよく覚えてくれるからではないですか。だから、普通だったら自分の担任のところにしか行かないのに、職員室に行ったらこの先生もこの先生も知っているということで思い出しますからね。先生が声をかけてくれるというのはうれしいものですね。


悔いのない高校生活をせよ

[司会]
 私は一生忘れられない学校という気持ちはありますね。後輩に望むことは。

[1期生]
 とにかく、誰でも言うことなのでしょうが、先生にもっと食いついて、勉強でもスポーツでも学校生活において先生ともっと話し合ってみたかった、という気持ちはあります。積極的にそういう機会をもつことを後輩に望みます。それと、ぼく達にとっては、北陵しかないのですから、北陵に在学して何を学んだかなど、いろいろな思い出を残してほしいですね。市役所に勤めているわけですが、仲間が何人もいます。そこで、いろいろな思い出話が出てくるのです。とても、懐かしい感じがします。だから、高校時代の友達を大事にしたいと思います。

[1期生]
 北陵の制服を見るとやはり懐かしく思い、よく注意して見ますね。友達作りをやはり大切にしてほしいです。大学が全然違っていても、ぼくは高校時代の友達の付き合いが多いのです。だから、だてに3年間は過ごさなかったと思っています。

[1期生]
 高校時代の付き合いから、数年付き合って、社会の中にもまれて友達も変わっていくし、自分もまた変わっていることを考えると、うれしいというか面白いですね。

[1期生]
 だけど今、ぼくらの時は人数が少なかったから逆に友達がつくりやすかったのかもしれないですけど、人が増えていくと難しくなりつつあるのかもしれませんね。

[司会]
 やはり、名前を呼び合えるということがないと難しいですね。

[2期生]
 ぼくも、高校時代何もしなかった方ですから、高校時代は別に自由にやって先生に言われることを気にしないで、ある程度自由にやってみていいんじゃないかな。あまり型にはまった高校時代だと、社会に出て型にはまったままの人間になり、良く見られないのではないかな。

[2期生]
 今から思うと、高校時代はすごく大切な時間だったと思うから、高校生を見るとうらやましいし、年をとったなと感じるから、何もしないで無駄には過ごしてもらいたくない。自分でもいろいろやったわけではないけれども、例えば友達を作ることでも、勉強じゃなくても何でもいいから、とにかくすごく良い時なのだから大事にしてほしいと思います。今、社会に出ると下手に周りのことが分かってきちゃうと、自分も枠の中にはめて考えるみたいになってしまうけれど、高校時代は自分が偉く思える時期で、自分のやりたいことが通用する、またはできる時期だと思うのです。だから、そういうところを自分で抑えないでやってほしいですね。

[2期生]
 先生から言われたことがあるのですが、お前ら高校に勉強しに行くのは間違っているぞ、と言われたことがあるのです。先生にもよるのでしょうけど、その先生はすごくおおらかな人でした。失敗してもいいから、自分の思ったことを表現できる、間違っていてもやってしまう、その代わり最後に残った時にはまたじっくり考えて始まるんだということでした。まず、最初に思い出を作りなさいと言いたいですね。だから、3年間の時期の中でどこまで自分を表現できるか、人にアピールできるかが一番の問題ではないかと思います。それが、後々まで自分の中に残るものではないかなと思います。

[4期生]
 人格の完成を目指し、平和的な国家及び社会の形成者・・・を望みます。あと勉強と遊びを両立させてほしいと思います。自主性を養っていったら良いのではないかなと思います。

[4期生]
 ぼくは、友達もそうだと思うのですけれど、何でも、例えば他のところの大学に行って地元に帰ってくるとしたら、先生こんなことがあったよとか、何でも話せるような先生を一人でもつくってほしいという感じがします。今はどちらかというと先生へ距離を置いた感じがするけど、なるべくそういう話し合える感じを持ってる先生がほしいなと思います。

[5期生]
 ぼくもみなさんが言われたように、同じなんですけど、ぼくが3年間ほとんど何やっていたと聞かれても答えるものがないのです。高校時代と限らないと思うのですけれど、今までこういうことをやっていたんだよと人に言えるようなものを一つでも作ってもらいたいと思います。


話し合える、自主性を育てる先生であってほしい

[司会]
 今、後輩に望むことを話してもらったのですが、北陵高校でこういう教育を続けてほしいとか、新しいこういう教育をしてもらいたいとかあったら出してください。

[1期生]
 先生と生徒の距離なのですが、必要な時もあると思いますが、授業が終わってその時から、先生と生徒ではなく自分の大先輩として何でも言えるような感じであってほしい。先生というものは、ぼくはそのように言ってくれた方が生徒のことを理解でき、教えやすいのえはないかと思います。生徒の方からも、先生の方にもっと話せる、先生の方も一人一人に声をかけてやってほしいと思います。

[1期生]
 何事にもけじめが必要ではないかと思います。

[2期生]
 北陵高校時代の先生には良い印象を持っていないのです。何かすると必ず言われるのです。高校時代は自分のすることに間違いがないという感じだったのです。決めつける事を少なくして、生徒の意見を聞いてほしいと思います。新設校の先生の特徴なのか、何か自分の考えを押しつけられることが未だに嫌いですね。

[2期生]
 新設校なので気負いみたいなものがあり、周りから良く見られなくちゃならないというものがあり、また感じられて、かえって生徒達はいやになるということがあって、あっまんり対応してくれない先生が多いので困ります。何でもこれは規則だからだめなんだ、と言われるがこの時期はそれだけでは割り切れない何かがあるのです。それで、すごく納得いかないことがすごくありました。やはり、その先生なりの考えをもう一歩出して話してくれると、自分の考えと違っていてもそこから話が出来るのではないかと思います。

[1期生]
 一番先生方に要求したことは、先生方に団結してほしいと思います。先生方一人一人の考えが違うと困るのは生徒の方ですから。先生方でバラバラであると説得力がないのではないかと思います。

[2期生]
 これから先生になる人には、もっと独創心を持ってほしいと思います。自分で考えたらこうなんだぞというような、人間味のあふれる先生になってほしいなと思います。

[司会]
 この辺で北陵10年の歩みについて話し合いを終わりたいと思います。