教育活動の歩み〜視聴覚教育

視聴覚教育
 本校では視聴覚・教育工学は学習指導部の中に位置付けられているのが特色である。本校での教育機器の積極的活用は、常に学習指導法の現代化、あるいは授業改善の方法を志向して行われてきた。以下に年度順に主な出来事を掲げてみる。
 昭和47年、16ミリ映写機などを購入。視聴覚室も設置され各教科で教育機器の活用と研究活動が始まった。同年8月にはビデオが導入され、地理・生物を中心に「学校放送」の利用が開始された。一方、こうした実践をしながら「新しい時代の高校教育にふさわしい校舎建設」を合い言葉に、新校舎の視聴覚施設の基本的構想がほぼまとめられた。
 本校におけるメディアセンター構想は放送室・視聴覚室・教育工学室・図書室などの施設を集中的に配置することによって、音声や映像、さらに図書資料など多様な教育メディアを有機的に活用し、授業の効率化と個別化を進めようとする考え方であった。教材提示機・アナライザーの導入は当時としては画期的なものであった。一人一人の学習者の理解度や進歩を把握することができると同時に、学習者の反応結果は教師自身へのフィードバックであり、授業改善の有力が手がかりとなっている。
 昭和48年には、図書室移動に伴う視聴覚室の整備がされ、OHPなどがさらに購入された。実践面では、第24回放送教育全国大会(札幌市)で研究発表を行った。新校舎の最新の教育機器に対応するため教員の研修も活発に行われた。「校内AV研修会」、石狩高放視研・視聴覚研修集会や全道視聴覚教育研究会などへの積極的な参加が行われた。特に「愛知県立時習館高校」には数年間に十数名が見学し、施設・設備はもとより、実践研究の面でも多大の啓発を受けた。
 昭和49年12月新校舎完成と同時に視聴覚室も完成し、三学期から使用された。全普通教室にスクリーンが設置され、OHPの使用が可能になった。
 昭和50年には、社会科の「チームティーチングによる主題学習」が2クラス合併で、視聴覚教室の機器をフルに駆使して行われ、視聴覚室の利用状況はパンク寸前であった。年度末に第一講義室にビデオシステムが整備され、いくらか緩和された。
 昭和51年、石狩高視研の事務局校に、同年10月、石狩高視研放送・視聴覚教育研究集会の会場。開校五周年事業としてアナライザーを設置。さらにビデオ機器の整備も行われ、視聴覚室の混雑が緩和された。
 昭和52年、NHK学校放送研究校に委嘱され英語・古典文法(1年全クラス)の教育工学室(現在の社会科教室)のアナライザーを連続活用して研究がされた。
 昭和54年3月、次年度の10月開催予定の第31回放送教育全国大会の当番校を引き受け、準備開始。
 昭和55年10月同全国大会、公開授業のリハーサルなど全校あげての準備態勢が整えられた。10月8日、倫社、世界史、日本史、地学による研究授業が公開され、全国各地から50余名の参加者をみて、盛会裡に終了した。
 昭和59年10月、LL教室の設置(旧社会科教室)。教材提示機、アナライザー、英語発音ソフトビデオによる授業が開始される。
 昭和61年、視聴覚室に三管式ビデオプロジェクター導入により、大迫力の画面でビデオの視聴が可能になり、体育を中心とした授業で利用される。
 昭和62年、コンピューターによる成績処理の開始。学力検査選抜のコンピューターの導入開始。
 昭和63年、ワープロ、職員室に3台(2HD対応2台)となりワープロの利用が飛躍的に向上し、教材や小テスト作成などに威力を発揮する。
 昭和64年(平成元年)、視聴覚機器の老朽化改善のための三年計画が職員会議で決定。βからVHSへの転換が決定。衛星放送アンテナ設備完成(1階から3階の管理棟)、初めて視聴覚室に衛星放送映る。音楽室のAV化(衛星放送受信設備完成)。集中管理方式から一部分散管理への移行。移動用ビデオとモニターの導入(2・3階)。校内放送地区大会(Nコン6月、高文連12月)当番校。
 平成2年、コンピューター(2HD対応)とレーザープリンターの導入による成績処理の高速化をはかる。ワープロ機種の固定を決定(SANYO)。地学・生物・物理準備室での衛星放送受信設備完成。社会科教室(旧教育工学室)に新型移動用教材提示機の設置。
 平成3年、ワープロ新機種(SWP700)四台の設置(職員室)、コンピュータールームの設置(教員用コンピューター五台とレーザープリンター一台、シリアルプリンター二台、ワープロ四台)、コンピューター新機種の設置。新型液晶ビジョンの導入。社会科教室に衛星放送受信設備完成。
 創設期の労苦とその成果が現在の授業改善に役立っているが、機器の老朽化への対応とコンピューターの利用による一層の授業への工夫が最大の課題である。