教育の営みを支えるユニークなPTA活動

はじめに
 PTA活動は、いうまでもなく子ども=生徒を中心にすえて、父母と教職員が彼らのすこやかな発達・成長と幸せを願い、それぞれの立場からこの課題を実現するための学校・地域・家庭の教育のありようを共に求めていく営みなのだと思います。この場合「それぞれの立場」というのは、父母は子どもの教育を委託した側の権利=責任の主体であり、教職員はこれを委託された側の権利=責任の主体であって、相互に自立した独自の存在であることを共に認め合いながら、共通の課題に向かうものでなければならないからです。
 その意味で本校のPTAは、発足当時から「学校、地域、家庭の三者が一体」(『北陵十年史』)の教育が推し進められることを願い、校舎建設の事業ともかかわって、とりわけ地域の人々との結びつきを大切にする活動を志向して取り組んできました。ですから、51年から始まる「公開講座」はこの活動を象徴するものとしてある、と言ってよいでしょう。


学校を地域にひらく「公開講座」
 この「公開講座」は当初、本講の創立五周年を記念して行われた事業の一環として開講されたものでした。それは、校舎の建設をめぐって多くの父母や地域の方々にお力添えを戴いた感謝の気持ちを伝えるべく開講したものですが、あわせて平常の授業(このときは「染色」「書道入門」「明治維新」「合唱」の4講座)をそのまま父母・住民に公開することによって「親と子の、また学校・家庭・地域との相互の理解を深め、その学習・文化への要求に応え、一層の連携を強めること」(「公開講座」12年の活動と課題―本校紀要「実践と研究」第12号所収)を期待するものでもありました。そして、この講座に参加された人々の間から引き続いて開設を望む声が強く出されるに及んで継続の努力が行われ、54年からPTAによる事業として開設していくことになったのです。
 現在ではこの数年をみても、講座数は10前後に増え、したがって講師も20数名を数えるほどで、受講者は延べ数で常に1,000名を越えるものとなっています。
 58年から通年開講の「源氏を知る会」は父母・地域の方々からも好評をもって迎えられ、古典に親しみ、楽しみを知る機会ともなっているようです。また「書道入門」では、受講者からの希望もあって、作品の展覧会を地域の施設で催したりもしていますし、一昨年から開講の「登山入門」などは最近の中・高年者の登山ブームを反映してか、満員盛況の人気で、キャンセル待ちで登録するありさまです。「合唱」はこの講座から巣立って合唱団を編成したり、他の合唱団で活躍している受講者も出るようになっています。
 今年で16年目を迎えていますが、このところ「生涯学習」ということが喧伝され、さまざまなレベルのカルチャーセンターや教養セミナーが開設されて利用者が多くなっています。こうした事情の下にあっても「学校を地域に開き・・・学校、家庭、地域の結びつきを深め」(講座開設要綱)て、父母・地域と共にある学校を創り出していくという視点は、決して欠かすことのできないものでありましょう。本校の「公開講座」は、今日でもそういう働きをもって息づいています。


「父母・地域に根ざす学校」を探る教育懇談会
 もうひとつは、63年の1月に始まる地域別の教育懇談会です。本校のPTAには地区とか支部とかの組織はありませんから、これは自発的な集いの性格をもった懇談会として取り組まれているものです。
 経緯は、たまたまその年度の役員の方から、高校生の子どもとどういう接し方をすればよいのか、最近は戸惑うことが多いので、ぜひ自分の地域で子どもの学習や発達にかかわって先生方と膝を交えた語らいをしたい旨の申し出があり、他方学校の側には何とか地域に出て北陵高校の本当の姿を伝えたいという声がありましたから、役員会で検討の上、とりあえず「地域別の教育懇談会」ということで開催することにしたのです。吹雪の激しい夜でしたが、石狩町の北コミュニティセンターで会員の3分の1が参加して行われました。そして翌年からこれをPTA活動の一環と位置付け、事業計画にもあげて、あくまでも自発的な集いとして当面は校下近隣の地域に限って催していくことになりました。
 今年で足かけ4年目になりますが、以来屯田、新琴似、太平、石狩の4地域で毎年行われてきております。出席率は太平がほぼ30パーセント台で、他はいずれも40パーセント前後という実情です。この種の懇談会としては出席者の多い集いと言ってよいでしょうか。ただ、夜の催しですから、共働きの家庭が多い状況の下では主席する父母も教師もなかなか大変です。また、集いの形式も進行の仕方も、何しろはじめての経験ですからすべて手探りで進めているのが実情です。
 しかし、石狩の地域のように生徒、父母、そしてまた学校の願いでもあった石狩〜北陵高間のバス路線の新設を求める運動を紡ぎ出し、この懇談会を間にはさみながら、3年越しでついに往・復路とも実現する活動にまで進められたところもあり、貴重な教訓を残してもいます。子どもの教育にかかわる父母の願いや地域独自の必要事を寄せ合って、父母自身がこれを共同して実現していく取り組みは、PTAの活動として今後も求められていくことでしょう。
 「日時、呼びかけ等、方法には少し工夫が必要に思われましたが、学習・生活面とも先生方の懇切丁寧なお話に感銘を受け・・・ホンネで語り合えたことで、学校での雰囲気とひと味違うソフトさが感じられ」(『北陵だより』第55号)とか、「質問の中には生徒達の喫煙、登校拒否、進学問題などなど、どれも1年生を持つ親としては興味深いお話ばかりでした。・・・日頃学校生活があまり良く分からない親にとっては、懇談会の意義は大きい」(同上第58号)とかの感想はありますが、先にも触れましたように、この教育懇談会は歩み始めたばかりです。多くの方の知恵が集められて、参加者のニーズに応えることのできる集いとして育っていって欲しいものです。


父母と生徒と教師をつなぐ『北陵だより』
 最後に、広報『北陵だより』の発行活動を挙げておきたいと思います。
 47年7月22日、「北陵だよりの第1号は中庭のユリノキの花が散って一条仮校舎の職員室の中から・・・ガリ印刷で」(北陵だより総集編第一『甍巍々たり』の編集後記)誕生しました。そしてこの1学期末の発行で60号を数えることになりましたが、これがすべて父母たちの手で編集・発行されているのが本校広報の特徴です。
 この体制は『北陵十年史』によりますと、「50年に2期生の父母が編集委員長に就任してから」で、「第12号」から始まっています。このときの「編集後記」に、担当の先生は「PTA活動が学校教育と社会教育との接点になる一つの道に、今回の編集活動がならないかとひそかに期待しています」とその思いを述べていますが、この後の『北陵だより』の編集活動は、その「接点になる一つの道」を地道に切り拓きながら歩んできたということができるでしょう。
 編集委員になられた多くの方は、広報づくりのような仕事など初めてという人ばかりです。したがって、最初からひとつひとつ編集作業の内容から手順や要領などを他の委員の方たちと共同で作業をしながら学んでいくことになります。しかも3年間を引き続いて担当して戴いているのが実態ですから、毎号の発行に平均して5回から6回は学校に出向するとなると、日数にしてほぼ50日にも及びます。この間、委員の方たちは家庭〜地域〜学校を往復しながら、文字どおり足で記事を書くことを実地に試み、会員のみなさんに読まれる紙面をつくってきているのです。「総集編第一」を通覧すると、このことがよくわかります。創立20周年を記念してその第二集(第35号〜第60号)が刊行されますが、そこに通底する委員の方たちの心は同じであることをみることができます。
 「魅力ある内容の“北陵だより”」(第26号編集後記)、「皆様に少しでも楽しく読んでもらえる北陵だより」(第30号)、「より一層・・・親しまれる紙面作り」(第49号)を願い、「この小さな紙面がどんな大きなキャンバスとなって皆さまの心の中にお伝えるすることが出来るのかと、新たに抱負をふくらませて」(第48号)、どの委員の方たちも毎号のように取り組んでおられる姿が、どの紙面にも滲んでいます。第49号からは活字も13級に替えて大きくし、行間にもゆとりをもたせ、レイアウトにも工夫を凝らしたりするなど、委員の方たちの心配りが伝わってきます。最近は生徒・父母・教職員ばかりでなく、卒業生からの寄稿も載るようになって、「広報」のあるべき姿を求めて編集に当たっている動きが見えるようです。第5号から設けられた「話のひろば」、第7号からの「ゆりの木」のコラム欄も健在で、この頃ではそこに国際色が出てきているのも、時代の相を映していて興深く思われます。
 ユリノキは、いま前庭に3本あるきりです。「草創期の生徒が親しんだ樹」(第50号)なので10本の苗木を今の校舎に移転した折に植えたのだそうですが、花の咲くのが待たれます。この木が「北陵の樹」として生長していくように、『北陵だより』が家庭と学校、父母と生徒と教師をつなぐ広報として一層の発展を続けていくことが期待されます。