北陵だより第11号/昭和50年5月7日発行


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第1回卒業証書授与挙行される―183名 学窓を巣立つ―
校長式辞「運命は自ら開くもの」
紅林委員長「山坂達者なるべし」

 春光ふりそそぐ3月10日、10時より本校体育館において第1回卒業証書授与式が挙行された。式典には道教育委員会委員長紅林氏をはじめとしてPTA役員など、多数の来賓や父母が参列する中で、盛大かつ厳粛にとり行われた。卒業証書は183名の一人ひとりが登壇し、校長揮毫の色紙とともにしっかりと手渡された。
 校長は式辞で、第1回生としての労をねぎらうとともに、「運命は自ら開くもの」という人生訓をもって激励され、紅林氏は氏の母堂から卒業に際して贈られたという「山坂達者なるべし」を披露され祝辞とされた。沖君は「他校では味わえない試練に充実感と誇りを感じ」「不撓不屈の精神で堂々と人生を歩む」との力強い誓いのことばを答辞とした。

出会いを大切に
学年委員長

 人間の出会いというものは不思議なものである。北陵高校の開校、入学ということの現象を通して見ず知らずの多くの方々と触れ合うことができたのである。苦楽を共にした先生と子ども、また子ども同志は勿論であるが、われわれ父母にとっても同じことがいえよう。新設開校ということが一段と拍車をかけた事は事実であるが、3年間という限定された期間を通じ、生涯忘れ得ぬ人ができたことは何にもまして素晴らしいことに思えてならない。今一応のピリオドをうったのであるが、わたしたちはこの貴重な人間関係を今後も大切にしていかなければならないと思う。
 どんな社会においても、心の触れ合いが大切であるが、特に教育の場はそれが根底になければ成立しないのである。卒業ということは、すがすがしい心の満足感を持つものであるが、しかし学校によっては、なんとなくあと味の悪さの残る場合もあるのではないかと思う。だが北陵のあと味の良さは抜群である。子ども達にとっても本当に充実した3年であったと思うし、また父母にとっても満足感に満ち満ちた3年でもあった。校長先生をはじめ諸先生方に深く感謝を申し上げます。
 人間社会における価値観の多様化しているところへとびこんだ子どもたちには、何かと苦難の時があろうかと思いますが、今後共変わらぬご指導を賜りますようお願い申し上げます。
 北陵高校が今後すばらしき発展をされますようお祈りし、意を尽くせませんがお礼のことばといたします。

1期生よ大きく羽撃け
校長

 温かい教室、整った特別教室のある立派な新校舎から183名の1期生が胸を張って卒業していく姿を見るにつけ、これまで父母の皆様が寄せられた、並々ならぬ涙ぐましいご協力に対し、教職員、生徒ともども心から深く感謝申し上げるものである。
 さて、鳩の飛び交う凸凹の中庭で朝会を行い、バレーに興じた3年間を、今しみじみと思い出す。すき間風がひどく、ガムテープの目張りでがまんしたこと。天井を鳩がガサガサ歩き、教科書の上に異臭をもつほこりの落ちてくる中での授業。あげればボールが天井にぶつかり、打てば羽球が梁にあがってしまう体育館。新校舎の完成を一日千秋の思いで待った2年半であった。こうした中で生徒たちはたくましく、すなおに育ち、まもなく殺風景な老朽校舎に和気あいあいの雰囲気が満ちていった。体を鍛え、学業に励み、細かい規制はなくとも厳しく自己規制ができ、人の心の痛みを汲み取れる温かい心のある人間に育ってほしいと願いながら、教師、生徒一体となって学校づくりに精進したのであった。1年がかりの生徒会づくり、各種運動部文化部の創設と活発な活動、全員毎日の校舎清掃、挨拶の励行など仮校舎の生活の伝統を築いてきた。学業の面では先生方の指導だけでは実感がわかず、暗中模索の連続で、先輩のいない高校生活の創造は、制約の少ない反面、きびしい自らとの対決に並々ならぬ苦労があった。
 そうして今、国立大学15名の合格をはじめ、多数の大学進学が実現し、それは北陵生の生活行動と共に新設校の評価を高め、自ら得た自信と後輩に与えた影響は大きく、1期生の役割を十分に果たしてくれた。私は、先生方の測り知れないご苦労と1期生の精進に対し、心から感謝するとともに、1期生よ、胸を張って羽撃け、と念ずるものである。

ゆりの木
▼北陵高も第1回生を卒業させることにより、一節を経るに至った。ここらで本校の校風ないし伝統といったことについて案ずるのも意味のないことではあるまい。
▼まず第一に、教師生徒相互間における“人間尊重の精神”があげられようか。このことは「生活の基準」を吟味すると明白であるわけだが、学校行事・生徒会行事、そして組織にもあらわれてくる。
▼次に、このような教師と生徒の心の結びつきは、相互の“信頼関係”“連帯意識”となって現れてくる。例えば、今日臨海学校を学校行事として開催している学校はあるまい。蚊に刺されながら同じ釜の飯を食う、何と素晴らしいことではないか。損得勘定ではないのである。
▼1年生の某君が「新鮮な青葉のような」と表現している。言い得て妙である。確かに青葉のように新鮮かつはつらつたるものがある。反面、青葉の青は未熟、不完全をも意味する言葉だ。今後に待たれるものが大であるわけだ。次に生徒については“明朗闊達”と言えようか。屈託なく伸び伸びしている。しかしこれはマイナスの面を考慮する必要があろう。
▼多くの生徒は「規律の厳しさ」「生徒の自主性の無さ」を指摘した者がいた。更に最も括目しなければならないのは「先生がつくりあげた校風か」という疑問があることである。この疑問に対し校風・伝統といったものが、教師の手で創り出すことは可能かと反問しておくことにしよう。しかし、この疑問は本校生徒に欠如する一面を鋭く突いていると言えよう。


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はなむけのことば
3月雑感
保護者

 3月は卒業生が巣立つ季節です。毎年繰り返される卒業、入試、なんとあわただしい緊張に満ちた日々でしょうか。
 わが家にも娘がその一人として本間校長より北陵高第1回卒業生として無事証書を戴いたわけですが、そこには感傷的なものは一つもなく、誠にのびのびとしたものさえ感じました。
 ここで昔の自分を振り返って私達の年代が皆そうであったように、戦中時代を過ごした者にとっては、総てに開放的で大らかな生き方が、うらやましくさえ思えるのです。自分達になかった青春時代が愛おしく時として説教じみた言葉になって子供にはね返ってゆくのです。
 しかしそんな中でも淡い夢を見ていた時も……そうだし娘もきっと昔の私と同じように考え、或いは悩んでいるのかもしれない。大切にそっとしておきたいこともあるかもしれない。
 そんなふうに考える時、成長した娘がかつての私と二重に重なり、これからの人生を素直にそして愛される人になって欲しいと卒業を機に考えたことでした。
 人生60―70歳で終わるにしても子供達と一緒に感動し体験することにより、私の一生ももう一度振り返り見直すことができ、自分の一生を二重にも三重にも生きることができるのではないかと、そんなふうに考えます。
 最後に最近新聞で拾った感銘深い言葉として「尊敬に価する人を一人でも二人でも多く持てるということ、それは人生に於ける何よりも生きる力になる」。とても印象的でそれに価する人々に多くお近づきになりたいし、私もそれに少しでも近づけたらと思います。

第1回生を送って
3学年主任

 第1回生の卒業にあたり、この3年間の本校の教育の意味を私なりにまとめてみました。
 それは、時にはわき目もふらない馬車馬的な生き方も必要だが、常にそれしかないのではだめだということです。宿泊研修、生徒会づくり、臨海学校、毎日の掃除、見学旅行、部活動、諸々の話し合いなど、多様な価値に触れた上でそれらを背景として1つの価値たとえば受験に賭ければ、大きな力を出し得るということです。
 このことを今後の生き方とのかかわりで考えてみるとこうなると思います。社会には多様な価値があります。が、その選択は意外に簡単な基準によっています。それがどれだけ権力あるいは金力に近いかという基準です。この基準に従って選択された生き方は、現実には大きな意味を持っていますが、同時に、空しさや不安と背中合わせであることが少なくないようです。その点を十分承知してその生き方を選択したのであれば、それはそれでよいでしょう。が、本当に選択したと言えるためには、多様な価値に触れてそれそ理解した上で、1つを残し他を捨てるという体験が必要なのです。いろいろな人と話し合ったり、多くの本を読んだり、様々な体験をくぐりぬける時期なのです。その上で、自分が生涯を賭ける価値を選び取るべきでしょう。そうしてこそ、充実した、実り豊かな人生をつかみ取ることができると思います。

苦は楽の種
卒業生

 No gain without pains.
 友人から、高校入試の時送られたこの言葉に3年間励まされてきました。
 テレビなどの青春シリーズで高校生活にあこがれて入学したものでしたが、あっという間に3年が過ぎ、今となっては以前のことを思い返すことしかできません。数多い思い出の中でも、特に議長をつとめさせていただいた総会などは、体重を4キロも減らしてがんばったものでしたが、努力と情熱だけではうまくいかず、今思っても顔を赤らめるような失敗もありました。しかし、私にとってはいい勉強だったと言える日がきています。また、あの夏涼しく冬はこごえてしまいそうな仮校舎での2年半の生活も有意義なものでした。大半をあの校舎で過ごした私達1期生のほとんどは、ルンペンストーブや鳩がなつかしく思われるのではないでしょうか。楽しかったが、つらかったあの生活を、立派な屯田校舎に移ったからといって「咽喉元過ぎれば熱さを忘れる」というわけにはいかないと思います。
 若さをぶっつけてきた勉強やクラブや、また恋愛も、人それぞれに思い出として残っていることでしょう。これから実社会に船出してからは、体当たりした高校生活をいかし、逃避することなく、負けることなく、校長先生が私達に贈ってくださった言葉のように、自ら切り開いた道を歩んでいきたいと思います。

話のひろば
転勤と息子

保護者

 子供の意志など全く無視するかのように、ある日突然に転勤の内示があり、荷造りが始まる。
 息子は、落ち着く場所を奪われ、足の踏み場もない程広げられた荷物の陰で本を読み、うつろな目で天井を仰ぎ、時には眠ってしまう。転校とわかって親しい友達がお別れに来てくれる。息子は表情を変えず淡々と「元気で。さようなら」を繰り返す。私の方が胸いっぱいになる。
 6年生になって間もなく、3つ目の小学校へ転校、山を越えての通学路にもすぐ慣れた。一番小さなサイズの詰えり学生服を着、真っ白な運動ぐつを履いて、ちょっぴり大人びた息子は、元気に山道を下って通学をはじめた。
 梅が咲き、山々に響く鶯の鳴き声に酔い、塩谷駅の満開の桜が散り始めた頃、次の転任地が決まった。
 今度は、故郷にもどれる。両親も兄弟もいる。そして、息子が3年生までいた同じところへ引っ越せる。荷造りは、はかどった。けれども息子は喜んでくれず、友との別れを惜しむように、毎日暗くなるまで帰らなかった。
 中学生になって、初めての転校である。息子は、担任の女教師に連れられて自己紹介をすませ、いつになく明るい笑顔で教室から出てきた。3年生まで仲良く遊んだ○○君が「オーッ。」と手を上げてくれたと言うのである。別れた友との出会いもあると、うれしくなった。
 やがて職員室に入り、今までの本をお見せしたところ、先生は「転校はそれだけでマイナスです。学習の遅れがあっても、特別な指導はいたしません。友人からノートを借りるなどして、補習してください。本は美術と保健を除いて、全部違います。新しい本がくるまで1ヶ月はかかりますから、それまで上級生の使用したのを借りて、間に合わせるように」と言われた。この話を聞いて、幾分腹を立てた私の母が、3日で本をそろえてくれたのには、頭が下がった。ここも1年足らずで、札幌に転勤になった。この時息子は初めて、「転校は、いやだ」と言った。
 渋々と登校する後ろ姿に、無言の抵抗が感じられて、つらい。
 進路の問題がお互いの口に出るようになっても、高校への期待をもち過ぎないよう、自分に言い聞かせる。初めての懇談で「おしゃべりが多い」と注意を受けた。
 息子も、もう高校2年生。願わくば、今のままで……。


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姉妹校調印(昭和50年1月24日)


 今日の世界情勢、若者の国際社会に向ける目の鋭さなどから考え、生徒諸君が海外の若者と交流できる機会を持つことの必要性は誰もが認めるところです。
 こうした意を抱き、本校開校以来ユネスコクラブでは、学校祭には数カ国の若者を招き討論の場を持ったり、各国領事館などから情報資料を集め校内発表、展示等するなど地道な活動をすすめてきています。また、社会科、英語科などの教科を学習する中からより積極的に国際感覚、現実を求めたいとの声が高まってきています。こうした経緯から、海外に本校との姉妹校をとの動きが出、たまたま札幌市と姉妹都市であるポートランド市のリンカーン高校の名が浮かび、市の教育長の米国視察時の情報、更にはユネスコクラブ員や一般生徒の中から文通を交わすことなどを検討した結果、百余年の歴史あるポートランド市リンカーン高校との本調印にこぎつけました。この契りの大きなねらいは次のような点にあります。
一.世界各国民との真の相互理解を図る。
一.国際的視野を広め、公正なる判断力を培う。
一.国際社会の成員としての自覚に立ち、自国の特性を育伸すると共に、他国の歴史、文化等の理解に真摯な態度で臨む。
 さて、こうした観点に基づいて、今後両校が文通、アルバム、作品等の交換、また学校行事、生徒会活動について情報交換をすすめていきたい。このような情報や意見交換を通しお互いに世界人としての素養を身につけるため、この提携が大きな橋渡しになるものと思います。

新任紹介
 この項目は掲載いたしません。

地区別研修会開かれる
 昨年度まで地区別懇談会として9地区に分けて実施した行事であるが、懇談内容がややもすると学年、学級懇談会と重複する面があり、父母の出席もあまりよくないことから、父母の関心の強いある特定の話題にしぼって研修する場に変更した。研修テーマ、会場等は次のとおりである。
1.テーマ
 「高校生の学習と進路について」
 「高校生の性の指導について」
2.日程と会場等
 49.11.30(土) 旧校舎
 49.12.7(土) 西区区民センター
 49.12.14(土) 北区区民センター
 50.1.18(土) 新校舎

 主な話題はクラブ活動と学習は両立しにくいがどうしたものかとか、実力テストで何点とればどの大学に合格出来るかとか、性については小中との一環した指導がのぞましい、またスライドの「こんにちは結婚」をみて、ぜひ生徒にも見せてほしいなどの質問や意見がかわされた。


[北陵だより第11号 4ページ]

スクールライフ


栗山さん(フィギュアスケート) 3年連続全国大会へ
 栗山さんは昨年度、全国大会へ駒を進めた本校唯一の選手であった。殊に華麗な自由演技には定評のあるところであった。
 今年の最初の大会は、1月10日から苫小牧市の岩倉体育館で行われたインターハイ予選(国体の予選を兼ねる)であった。この大会では心技ともに充実した栗山さんが予想どおり圧勝し、全国大会へと駒を進めた。
 国体は2月3日から山梨県の河口湖、富士急ハイランドにおいて開催された。この大会は、全日本指定選手を含めた48名の選手が参加して優勝が争われた。しかし栗山選手は、第1課題31位と伸びず、第2課題で23位、これまでかと思われたが最後のフリーで11位と躍進し、総合で15位、団体戦では6位であった。やはり全国の壁は厚かったようだ。幼少のころから英才教育を受けている選良選手にくらべ、栗山さんの健闘ぶりは称賛されてよいだろう。
 次に10日から同ハイランドにおいてインハイが開催された。栗山選手は疲労の激しい中で気力をもって戦ったが、参加選手56名中22位にとどまった。
 同選手は3年連続国体・インハイ出場、また全道各大会において4回優勝と、わが北陵高の名を全道に高らしめてくれた。
 また栗山さんは大学進学という大問題をかかえながら、立派に競技活動を両立させた選手で、その不屈の闘魂は他の範となすに足るだろう。
 最後に栗山選手より「高校時代に悔いはありません」ということであった。

第1回予餞会開かれる
 2月15日、昭和49年度第1回卒業生183名を送る第1回予餞会が、新装なった本校体育館で盛大に催された。在校生心づくしの赤い花のリボンを胸につけた卒業生が拍手で迎えられ、予餞会委員長の開会宣言ののち粗品(カリント)の贈呈が行われ、続いて演劇部、合唱同好会、1年生の劇、先生方の出し物、2年生の劇、フォーク同好会と、熱演が続けられた。各種目ともに放課後の短い時間の練習ではあったが、在校生の真心のこもった出し物に、卒業生は惜しみない拍手を送っていた。ひき続き感謝状授与にうつり、在学中3年間、生徒会活動に功績のあった第1回、第2回生徒会本部役員、体育クラブの柔道、ハンドボール、スケート、サッカー、文化クラブのユネスコ、北陵祭歌作曲者の各代表に生徒会長から賞状と記念品が贈られた。終わりに生徒会長、卒業生代表、校長の挨拶のあと、全員で校歌を高らかに歌い、本校開校以来はじめての予餞会は、盛会のうちに幕となった。

男子バレー 選抜優勝大会出場
 部創設以来、旧校舎の不十分な施設の中で活動してきた男子バレー部は、選抜優勝大会において、地区代表として2月15日より苫小牧市で開催された全道大会に出場し、初年度の目標であった3ヶ年でのチーム作りを一応達成できた。同部は夏期は由仁町、更に冬期には深川市にと練習時間と場所を求めて合宿を重ね、今回の栄誉を勝ち得たのであり、新設校としては白眉の快挙といえる。全道大会では、2回戦で函館北にストレートで敗れはしたが、大会役員からも、そのバレーテクニックは高く評価され、今年度はさらに駒を進め、津軽の海を渡るべく意気盛んに練習を積んでおり、今後の活躍が期待される。

1学期の主な行事
 4月8日 始業式
 4月9日 入学式
 4月10日 対面式、実力テスト
 4月23日〜25日 宿泊研修(1年)
 4月27日 身体検査
 5月4日 開校記念日
 5月26日〜28日 中間考査
 6月17日 中高懇談会
 7月8日〜11日 期末考査
 7月23日〜25日 臨海学校(1年)
 7月26日 終業式
 7月28日〜30日 林間学校(2年)

編集後記
▼寒くて長かった北海道の冬も、3月に入るとともに太陽の輝きも一段とその強さを増し、快い春の訪れを思わせる今日この頃でございます。入試発表に先だち、素晴らしい新校舎より本校初めての卒業生をお送りいたしました。卒業生並びに御父兄の皆様に心からお祝いを申し上げます。
▼本校第1期生誕生の喜びを秘めて、この号では「卒業式」を主題として取り扱いました。
▼編集委員をお引き受けしたものの名ばかりで、本号の場合は「入試」「卒業式」次いで新年度「入学準備」と学校行事の山積する中を、先生方に大変御指導を頂きました。感謝申し上げます。
▼「ゆりの木」で“校風”を取り上げてもらいました。余聞として、「胸を張って『私は北陵高の生徒なんです』といえる自信がついてきた」と伺いました。ほんとうに嬉しいことです。
▼183名諸子のご多幸、ご発展を希って止みません。