北陵だより第13号/昭和50年12月1日発行


[北陵だより第13号 1ページ]



巻頭言
前後援会副会長


(1)
 9月14日、第3回北陵祭最終日、私は懐かしい北陵高校へ急いだ。正面に大きく掲げられた「とんでん、今この地から」のテーマは、ぐいぐいと心に迫って力強い北陵高の息吹きを感じ、身の引き締まる感動を覚えた。自由の中にも統一された生徒の動きに私はなにかしらほっとする。いく度か見学した他校の学校祭の在り方が心にあったからかもしれない。ないないづくしの中で、北陵高校独特の校風をつくった先生、生徒、父母、僅か4年目とはいえ、立派に実を結んだ思いがした。
 どの部屋を廻ってみても、苦心したあとが見られうれしかった。太陽に吠えろを捩った写真映画、実に楽しかった。よくまあ上手に撮りまくったものだ。ここまで仕上げたのだから幻燈を使い活弁よろしく解説してくれたら、一層見ごたえがあったかもしれない。
 江戸時代風休憩室、工夫をこらした庭園付日本間、和服の娘さんの茶菓の接待、外国には日本の良さに目を向け、知ってくれたならと思った。力作ぞろいの美術展、高校生かと思われる程の大作、入口でくださったイラスト、思いがけないおみやげ、大切にしたい。最後の先生方の合唱、忙しい中大変だったと思うけれど、こうした参加がよい意味での仲間意識をつよめ、先生、生徒の交わりを深める絆となるのではなかろうか。
 私は心から満たされた気持ちで北陵をあとにした。

後援会会長
 北陵高校が開校してから早4年目を迎えたが、今までは仮校舎のため学校祭は一般に公開する事なく過ごしてきましたが、今年初めて公開しますとの招待をうけ、3日目に出席することにいたしました。学校内の施設設備も十分でなく予算もあまり無いとのことですし、準備期間も短期間ですと聞き、失礼ですがあまり期待をもたずに参加することにしました。当日車で行き校舎内に入ったとたん、大変の数の父兄や近隣の方々の参観者にびっくり。生徒達が運営するおもいおもいの趣向をこらした各種催し物が、全教室をつかって行われていました。
 茶室あり本物の金魚すくい、おばけ屋敷、ロックバンド、和洋コンサート、その他素晴らしい作品の油絵や書道が部屋一面に飾られており沢山ありました。特に茶室の女の子は馴れない和服を身につけてのサービスに一生懸命、教室の前では係の生徒が大声を張り上げて呼び込んでいる姿など、浅草の仲見世を歩いているような気分になりました。最後は体育館で行われている生徒の演奏するジャズと演劇を鑑賞後、校長先生にお会いして子供達もなかなかやりますね、大変素晴らしい出来ばえですと申し上げて別れました。私は今までの近頃の子供達のイメージも一掃されて、すがすがしい気持ちになり北区しました。

ゆりの木
 本校PTA会員の大野さんが、このたび立派なご本を自費出版された。
 このことは去る9月29日の新聞にも大きく報道され、ご存知の方も多いでしょうが、出版に至るまでの大野さんのご苦労は、さぞ大変なことだったと思われ、そのご努力に敬意を表すると共に、お喜び申し上げます。早速お借りして、読ませていただいた。
 石狩八幡町は、北海道で最も早く町になり、縄文時代の土器が原型のまま発掘され、300年前から和人のサケ漁が盛んで、石狩の玄関として奥エゾへの人や物資の輸送口となり、明治初期には開拓使の支所も置かれ栄えたという。それが石狩川の改修と、築堤工事で街の中心部がなくなってしまうため、『街の記録を残したい』と、八幡町の歴史から人情、風俗、習慣、方言など、そして街の住民が語った話をそのまま活字にのせて、“石狩・八幡町物語”という郷土誌を出版された。
 八幡町を知らない私たちにも、著者のその土地を愛するお気持ちや、随所に鋭い観察がなされ、人の心を打つ場面もしばしばで、大いに感激させられた。立派な布張りの表紙に金文字の表題、数多い写真と、上質で読み易い活字など、大野さんの意気込みが察せられる。
 なお、このご本は新聞にも書いてあるように、売るのが目的ではなく、なにか残しておきたいという著者の熱意で制作されたとのこと、この欄を借り、ご紹介した次第です。


[北陵だより第13号 2・3ページ]

進路を考える


〜3年生は最後の追い込みを、2年生は飛躍への足固めを、1年生は目標の確立をすべき時です。その手がかりを探ってみました。〜

―それでは、これから進路に関する座談会を始めたいと思います。まず、3年生の進路の現況からお聞かせください。
(教員) 進学希望が334名、就職希望が32名です。就職希望の32名はもう試験が終わって、ほとんど内定し、あと残った数名について今最後の追い込みをやっています。進学希望の内訳は、国公立173名、私立64名、短大77名、各種学校19名です。

―就職状況を具体的に……。
(教員) 今年は厳しい不況で、その上本校はまだ企業に対して知名度が低いため、皆で職場開拓に駆け回るところから始めましたが、道立高校でもあるし、職安の方から北陵生はいいという評価をいただいたりしたこともあって、すでに92%が内定しております。就職先は日銀、道銀、北洋相互、道相銀といった金融機関、武田製薬、ポーラ化粧品、北電、ホクレン、北酒連なので、それぞれ本人の希望にかなったところへ行けたと思います。国家公務員は行政職9名、税務職2名の計11名となっております。

―次に、進学について……。
(教員) 本校の場合、受験校を選ぶのに1年の時から無言のうちに教えられるといったものがまだないため、志望する傾向が他校と若干違っている、たとえば国公立大学の場合などそれ相応の学力があれば結構なのですが、そういうものから少し離れて選ぶようです。若いうちですからそれもいいのですが、やはり地に着いた形の志望校を選んでほしいですね。
 勉強はこれから追い込みに入るわけですが、模試結果などからみると、本人は勉強しているつもりでも、回が進むと成績が相対的に落ちてくる傾向がある、それに歯止めをかけるために、今教科の先生方の協力を得ながら最大の効果をあげるよう努力しています。

―それでは、親の立場からぜひ聞いておきたいということで。
(保護者) うちはまだ1年で、地理の勉強で石狩湾新港に行ったり、消防署や高層ビルに行ったり、のびのび勉強しているようで、まだ受験とか就職のことは大まかにしか考えていないようです。まあ、親として一番心配なのは健康のことですが、朝食をとらないとか…。
(教員) そうですね、朝食をとらない生徒もかなりいるようです。進学の場合、特にこの時期になると体力と気力が物を言いますから、ご家庭での配慮がほしいですね。女子の追い込みに問題があるのも体力が原因のようです。
(教員) ただ、体力も必要ですが、1・2年で体力作りをし、3年になってから勉強するというのではとても間に合いません。
(保護者) 勉強のことですが、もしある科目の学力が急に落ちたりした時、先生方は特別相談にのっていただけるのでしょうか。
(教員) 学校としては、1年の時からそういった機会をつくってきております。いつでも遠慮なく相談に行ってほしいと思います。
(保護者) 受験のこの時期になると、精神的なイライラがひどくなるようですが。口ごたえしたりして。
(保護者) 親の忠告はうるさがって素直には聞いてくれないし……。
(教員) それは受験生特有の情緒不安定で、あまり心配しなくてもいいですよ。一過性のものですから。私どもも受験生の頃は些細なことで親とけんかしたものです。
(教員) ところで、進路に関する親子の話合いですが、受験間際になってあわててするのではなく、普段からの積み重ねが必要ですね。子どもの勉強を見てやれなくなったら、親子の話合いがとぎれてしまうのでは困ります。
(保護者) 耳の痛い話ですね。私どもでは、この春、上の子が大学へ行ったものですから、これで3年間受験に悩まされないですむなんて考えてしまう……。
(保護者) 私はできるだけ子どもとの対話は持つようにしてきましたが、時にはうるさがれて。
(保護者) 頭からガミガミ言いますと反発されますし。
(保護者) 受験だからといって、甘やかしや腫れ物にでもさわるようにするのはいけないのでしょうね。

―そう、むしろ普段と変わらないほうがいい……。
(保護者) 私もそう思う。子どもは煩がりながら、親の適切なアドバイスを待っているものです。

―そのほか何か……。
(保護者) うちは女の子のせいか、目的が定まらず、ずいぶん迷っているようですが……。
(保護者) そう、女子は変動しやすいですね。ちょっと成績が悪いとすぐ志望校を変更してしまう。
(教員) 女子は現実的ですよ。だから、決める過程でいろいろ迷う。

―ほかにございませんか。
(保護者) 掛け持ち受験は何校くらいでしたか。
(教員) 昨年は多いので4・5校だったと思いますが。
(保護者) 私立の場合、掛け持ちさせた方がいいと思うのですが。
(教員) 私立なら当然ですね。

―最後に、学校として進路指導の立場から父母の方々に望むことはございませんか。
(教員) そうですね、進学という問題に絞って考えますと、どこの大学に行って何をやるのかという目的がはっきりしてから、自分が勉強する気になるんじゃないかなって気がするんですよ。そういう目的を持つ時期は高校1年の時だろうと思うんです。その上で、1年の段階で予習復習の習慣をきちんとつけ、2年の終わりまでには英数国の3教科については完全に力をつけてもらい、遅くとも3年の夏休み以後は理科と社会で追い上げをするというペースをつくっておいて、受験の当日に最大の学力と精神力と体力をぶっつけるということが必要です。勉強については、毎日教壇で言っているわけですが、健康管理だとか、家庭内での精神管理や毎日の勉強だとかは、父母に依存しなければなりません。まあ、それぞれの分業体制で生徒を3年がかりで育てていくということだと思います。
(教員) 本校生の親御さんは、失礼ですが大学についての知識に乏しいところがあるようで、それが過大な期待となって生徒を困しめているようなところがある。その点も少しお考えいただきたいと思います。

―ではこの辺で。

話のひろば〜ある学年委員長の悩み
1学年委員長

 話は少々古いが、娘が待望の北陵高校に入学し、やれやれと一安心していたある日、学校から一通の封書が届いた。
 内容は、1年生のPTA役員と後援会役員の選挙投票用紙が在中して、曰く1年生父兄の一覧表の中から貴方が適当と思う人を投票してくださいとの趣旨である。私も困った、全く面識もない、勿論経歴等を承知していない人を、どのように判断して投票するか考えたあげく、住宅が学校に近く、又勤め先等を参考として投票した。
 数日後、学校から全員投票の結果、貴方が役員に当選したから就任してくれとのTEL……。これには私も全くあわてた。これらのことについて全く未経験の私が、学校のため、又学生のために何をどのようにしてその責任を果たすのか……ということが脳裏を走った。
 数日後、学校から役員会を開催するから是非出席してくれとの連絡を受けた。娘のためなら……ということで、所謂万障繰り合わせて出席すると、殆んどがご婦人方で、パパ族は仕事が忙しいのか、かつ又学校の集まりごとはママ族に一任しているのか、それともママ族が教育熱心なのかと思いつつ、PTA、学校側等から教育方針、PTA、後援会の予算等の説明を受け、全員異議なく承認、やれやれ今後はなんとしても妻に出席してもらうぞと思っていると、今度は学年委員長の選出の段階となった。
 この選出については、ご婦人方から議論百出、理由はやれ家庭の事情がどうとか、仕事の都合がどうとか、ガヤガヤ……結局、出席者中唯一の男性である小生が栄ある(?)学年委員長に決定と相成った。これまたビックリ……。
 しかし、大役を仰せつかった以上は、子供の将来のことを考えるとビックリばかりはしておれない。私は私なりにPTA役員として、又学年委員長として、学校のために何をどのように協力し、又、学生のために何を考えてやるべきか、このために私共の果たす役割なり活動はどうあるべきか、気ばかり思いつつ学校側にまかせきりで悩む今日この頃である。
 識見豊かなご父兄の皆さんのご高見なり、ご提言があればお聞かせ頂き、かつまた叱喀鞭励を賜れれば幸と思うものである。

家庭教育シリーズ(8)
見学旅行を終えて

校長

 何事もそうだが、大勢の生徒と寝食を共にするのは楽しい。殊に、平生生徒と接することが少ないだけに、生徒と話し合う機会を得て、種々考えさせられる。
 朝が早かっただけに昼食が待ち遠しい。生徒の最初の荷物は大半が食物らしく、しかも女子の場合は、男子の分も用意されて、発車後間もなく分配されて賑やかになり、口を動かさない者はいない。30分もすると着替えが始まる。感心したのはどの子も脱いだ物をきちんとたたみ整理したことである。あの子(男)がと思われる者が、ギコチない手つきでワイシャツをたたんでいた。お母さんからいわれてきたのか、皆のまねか、事前指導なのか、とほほえましかった。
 12時を過ぎると、船中を待ちかねて弁当の包みを開く。パックの1つはカラフルで美味しそうなお菜、1つはのり巻き、いなりである。「お母さんは何時に起きたの」「3時」という。大変なことである。嬉々として友達とパクついている光景は何とも和やかである。お母さんの愛情と苦労をしみじみ感ずる時である。
 食事についていえば、好き嫌いのある子がかなりいる。貧血症の原因とも聞く。遺伝ではないが、親の好みが子にうつる。親の嫌いなものは食卓にのらないからであろう。
 「ずいぶん食べてばかりいてお腹の方は大丈夫かな」「そんなに食べていないんです。お母さんから言われてきましたから」という。第1回目の時は京都に着くなり、腹痛を訴えた者が何人かいたが、今回は最後まで腹痛で騒ぐ者ばいなかったのは、そのせいだろうかとも思った。
 1日目の日程は強かった。しかし、生徒は元気に旅装を解いた。最初の夕食が終わると外出だが、その前に赤電話に群がった。家へ安着を知らせるためである。親も子も同じ気持ちである。ここに本校生の素直さの根源があると思った。
 長い校外生活で宿泊を伴う場合、つけ焼刃では生活は改まらない。必ず平生が現れるものだ。きちんとした言葉づかいや服装、折り目の正しい動作、気を利かして先き先きと仕事をしていく子。家庭の日常生活を彷彿させる。こんなよい子にどのようにして育てたのか、お母さんに会いたいものだと思った子がかなりいた。子どもは親の鏡だとつくづく考えさせられた。
 今回も、1・2回に引き続き今時珍しく規律正しい高校生と関係者から好評を得たが、家庭教育の基盤がなければ期し得ないことであり、本校の特色であろう。
 生徒も他校生に接し、改めて自覚することが多かったと思う。故郷は遠きにあって思うもの。よい旅行であった。

石狩地区PTA懇談会概況
 昨年、石狩河口から北陵高校に入学した6名の父母が、疎遠がちな学校と、教育を理解し懇親を深めようと始めました。
 今年は、学校からのご希望で厚田、浜益、生振地区を加えて、15名でもつよう計画を進めさせていただきましたが、花畔地区の方から「同じ町内なので一緒に」とのことから、この地区の34名が加わることにご案内を差し上げましたが、急なためかご都合の悪い方が多いようでした。来年は石狩方面からの北陵高校生が一段と増すことが予想されますし、生活や社会環境の異なることからもご一緒が適当かどうか考えさせられます。
 さて、会は要領よく進められました。始めに校長先生が学校経営全般に亘ってお話され、特に生徒の学力向上もさることながら、体と心の健康教育の大切さについて、具体的に話されました。続いて各学年主任の先生やPTA担当の先生から、学年生徒の特性や指導の重点、学校やPTAの動きなどについてお話くださいました後、全員の自己紹介をして懇談に入りました。
 懇談は、学校の教育方針と現状及び問題点、生徒指導に於ける躾と学習、交通対策、通学路の学校附近における街灯設置その他についてなされ、さらに短時間でしたが学年懇談ももっていただきました。
 また、これを機会に石狩地区親の会を結成し、規約を設けて組織的に活動することになりました。そして懇親会に移りましたが、学校で用意くださいましたスライドで、生徒の学校生活の一断面、臨海、林間学校のようすをユーモラスなご説明をいただきながら、観せていただきました。
 会は、いずれもあらかじめ準備された資料をもとに進められましたが、話し合いが活発であり、内容が具体的なために、いつも時間不足でした。3時間近い時間を短く感じましたし、北陵高校の生徒の特性や指導のきめ細かな手立てがよく理解でき、参加者は満ち足りた様子で、閉会後も何かその余韻を感ずることができました。私たち親も、もっとできることからしなければならないことを、改めて痛感いたしました。


[北陵だより第13号 4ページ]

スクールライフ


第1回マラソン大会開かれる
 9月23日、快晴、風強し。紺(3年)、ブルー(2年)、エンヂ(1年)、色とりどりのスポーツウェアーに身をつつみ、9時30分校庭に集合し開会式が行われる。校長先生から「北陵高校第1回のマラソン大会を、自分の体力の限界に挑戦し、一生懸命に走りましょう……」との挨拶のあと、選手宣誓の力強い声が校庭にひびく。10時スタート。男子10.8km、女子5.4kmの距離を3年生から順番に走り出す。その中に、校長先生が汗を流し一生懸命に走る姿に思わず大声で「ガンバレ」の声が飛ぶ。
 ゴールに入る生徒達は自分の記録を手渡され、まだまだ余裕を見せる者、その場に座り込み立てなくなる者など、それなりに完走の喜びを味わったことだろう。牛乳を美味しそうに飲む生徒の姿が目から離れない。99%完走。3年生で1位になった生徒に一言感想を聞いてみた。「部活動は陸上。面目に賭けても1位になりたかった。」「部活動はナシ。体力作りは別にしていない。ただ一生懸命に走っただけ。」2人ともおみごと。
 12時閉会式。第1回マラソン大会も無事に終わる。

 秋空の陽ざしのもと、全校生徒の参加をモットーに行われたマラソン大会を省みて、感じたことをしるしてみたいと思います。
 各自の持つ力量記録もさることながら、長距離レースに耐え完走出来た生徒に心から拍手を送りたい……。長い人生を生き抜いていくためには、何事もベストをつくし自信をもって歩み続ける心がまえが必要です。次回は全校生徒が一人でも多く参加し、完走できるよう日ごろの体位向上が望まれるのではないでしょうか。またレース後、仲間同志が集まり思い思いに談笑する雰囲気からみて、机の上の勉強は勿論重要ですが、スポーツを通じて心のふれ合いもまた成長過程に大切な事を感じ、次回の開催を楽しみにしたい、マラソンが人生と縁の深いことを知らされた意義深い1日だったと思います。

全国大会に出場
 去る9月19日、全道高校弁論大会に、前生徒会長の佐藤君が出場、自由の部「高校生活と生徒会」と題し見事優勝し、11月29日、倉敷市に於ける全国大会に出場しました。

見学旅行〜自主研修の1日
 見学旅行―第4日目。この日は自主研修で、私たちのグループは奈良の工芸品をたずねて“墨のできるまで”というテーマに基づいて旅館を8時に出発。京都駅から近畿鉄道に乗り(車内ではオシボリを出され、感激!)、訪問先“墨運堂”のある西の京へ向かいました。さて、工場では予定時間を延長して、たいへん新設に応対してくださいました。墨は気候、気温、湿度の関係で寒い時期11月から翌年4月頃まで製造されるため、残念ながら休業中でしたが、工場長さんに墨づくりの順を追って丁寧に説明していただきました。
 この研修で、まず感じたことは1つの墨ができ上がるにはずいぶん時間がかかるということです。厚みの薄いもので1ヵ月、五丁型では2ヵ月もの時間がかかります。これを聞いて「墨は簡単に作れるのではないか」という安易な考えがもろくも崩れ去ったのでした。
 墨の原料は主に煤煙(すす)と膠(にかわ)ですが、膠を溶解するには湯煎という熱湯中に膠と水を入れた器で2時間かかります。液体になった膠と煤煙と香料を撹拌。これを取り出し、手と足でよく練り、一定量を計って木型に入れる。木型はナシの木で作られ、高価なものなのでなかなか手に入らないそうです。そしてプレスし、木型から墨を取り出す。このまま放置しておくとヒビ割れするので、木灰の中で乾燥。一番薄い墨で一週間もかかる。灰乾燥から空気乾燥へ。これはわら墨を編んで天井からつるしておいて、約1ヵ月。その後、表面に付着している灰、その他のものを落とすために水洗。墨の仕上げにははまぐりの貝殻で磨き、墨に彫刻された文字、絵模様に金粉・銀粉などで彩色。最終的にキズ、ワレを検査し、包装し、完成品となるわけです。これまでの作業は、分業なのでいくつもの仕事場がたくさん並んでいました。狭い家の並ぶ住宅街の中に広い敷地を使って伝統工芸品を作っているのは対照的でおもしろく思いました。
 現代は、いろいろな面で技術が進歩し、機械化と叫ばれていますが、墨は大和朝廷の頃日本に伝来してから“手作り”で工芸品として生きていたのでした。職人さんが体じゅう真っ黒にし、汗を流して作られた墨には、心がこめられているのかと思うと、今まで何気なく墨を摺っていた私は反省させられ、大切に使わなくてはとつくづく感じました。
 小春日和の一日、奈良の都・西の京の唐招提寺、薬師寺の塔をはるかに眺め、たわわに実る道端の柿の木を見、竹林を歩きながら、私達の研修のまとめをし古都をあとにしました。

編集後記
▼新校舎に移転してまる1年、昭和50年もひと月を残すのみとなりました。
▼進路関係の取材を通して、先生方の日ごろのご苦労と、取材原稿の難しさを認識し、“時人を待たず”“時に及んでまさに勉強すべし”の感をうけました。
▼編集委員が一体となって初の試みに挑戦し、頑張っています。
▼会員の皆様のきたんのないご意見をお待ちしております。