北陵だより第16号/昭和51年12月20日発行


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校舎落成創立5周年記念式典挙行される
グランド・格技場・教育工学室完成


 去る11月6日午後2時から体育館で挙行された落成式には、本校生徒職員のほかに180余名の来賓父母が感無量の面持ちで参列していた。
 昭和47年4月に旧一条中学校跡を仮校舎として発足してから4年7ヵ月、全道のモデル校にという当時の関係者の願いにふさわしい施設設備ができあがった。
 本間校長は式辞の中で「すきま風がひどくガムテープの目張りでがまんしたこと、天井を鳩がガサガサ歩き、教科書の上に異臭をもつほこりの落ちてくる中での授業、あげればボールが天井にぶつかり、打てば羽球が梁にあがってしまう体育館、新校舎の完成を一日千秋の思いで待ったものでした。」とある思いは、式典に参列した父母全員の思いでもあった。本間校長は更に続ける。「こうした中で、生徒たちは、たくましくすなおに育ち、間もなく殺風景な老朽校舎に和気あいあいの雰囲気が満ちていき、体を鍛え、学業に励み細かい規定はなくとも厳しく自己規制ができ、人の心の痛みのわかる人間に育ってほしいと願いながら、教師生徒一丸となって学校づくりに精進したものでした。1年がかりの生徒会づくり、各種運動部文化部の創設と活動、全員毎日の校舎清掃、挨拶の励行など本校の生活の伝統が築かれていきました。こうした生活の支えになったのは父母の皆様の温情でありました。」この教師、生徒、父母、さらに地域住民の熱意と努力とが、この校舎をつくりあげたのである。
 この完成を祝った落成式だが、1、2回生の父母の感激とは対照的に、在校生の中にはある種の違和感があったらしく何とも言えないザワザワとした感じが式典の中を流れていたところに、北陵高校の今後の問題があるようである。
 そこに上原生徒会長の言葉の意味がある。「5年間の基礎づくりを終えてこれから北陵は成長期に入ります。これからの歩みは今までに増して大切なものとなるでしょう。しかし、初心というものを忘れたくないものです。旧校舎の不自由な環境の中で第一歩を踏み出したのだということを、グランドもなく思うように練習もできなかった時のことを、それがいかに貴重なものであるかということを。私たちには、この恵まれた設備を十分に活用しなければならないという義務があります。せっかく良いものでも、それを使う人がそれ以上に良いものでなくては本当の良さは出ません。これからもその使用者である私たち生徒がより立派な生徒として、生活しなければならないと思います。」
 この意識を持ち続けることこそが、今後の北陵高校の歩みにとって最も重要なことであろう。

ゆりの木
保護者

▼現代は、教育が非常に普及してまいり、その反面勉強は入学試験の合格が唯一の目的となり、自分の素質を生かし考えながら自主的に勉強し、会得した知識で社会に貢献するという「考える人間」を育てる教育が、軽視されている様に思われてなりません。
▼偏見かもしれませんが、現代の教育方法では、考えながら勉強する余裕はなく、試験勉強に夢中になっている中に高校、大学を卒業してしまうのかの様で、極端に言えば考えることの知らない視野の狭い人間が大量に生産されているのではないかとも思われます。
▼数年来、コンピューターが急激に普及利用されておりますが、コンピューターに何を求めるか、どんなプログラムを組むか、またその結果をどう判断するか等は、すべて人間の仕事で、これを効果的に活用することは人間の考える力に左右されるのではないでしょうか。よく新聞とか雑誌にいろいろな統計が出ておりますが、それは殆んどコンピューターにより計算されたものと思われます。
▼ところがこの同一の統計が、新聞雑誌によって全く異なった評価をされているケースがあります。
▼つまり、見方によって答えが非常に違うということで、言いかえれば思考力に欠けると、その適正な判断を誤る危険性が多いのではないかと思います。
▼また現代は情報化社会と称し巷間にはあらゆる情報が氾濫しておりますが、この傾向は将来とも続くものと考えられますので、これらを踏まえ物事を冷静に判断でき寄稿力を養う巾広い教育の場が必要なのではないでしょうか。


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座談会 北陵の5年



5年目は新しい出発
本日はお忙しいところをありがとうございました。これから北陵高校の5年間をふりかえっていろいろお話いただきたいと思いますが、まず記念式典のご感想から。

(事務長)航空写真で校舎の全景を見た時、やっと恰好がついたなあと思いました。新設校はその後も毎年建てられていますが、本校生が学業に、またスポーツ・文化両面で大いに活躍しているところは他の認めるところですし、生徒も自身をつけてきていると言えるんじゃないですか。

(保護者)北陵高校がここまでくるためには、大変なご苦労の積み重ねがあったと思います。その喜びの式典は盛大で素晴らしいという感動はありました。けれども、式典中に人の話は黙って聞くというルールが守られなかったことを、とても残念に思いましたね。

(保護者)前の晩から興奮しておりました。やっとここまで来たという感じで、この5年、どのようにして今のようになったかを知る者には、この式典は二度と味わえない一生の思い出ですから。ただ残念だったことは、先ほども言われたことですね。立派な校舎が完成した、これをどう生かしていくかが今後の問題だ、その新しい出発のけじめがこの式典であるといういことを、もっと考えさせるべきだったかもしれませんね。

(教頭)式典に臨むための、生徒に対する事前の指導が行き届かなかったのかも知れませんね。

(保護者)北陵生はきちっとしていると評価されて、それを私達も誇りに思ってきたのですが、そんな感覚で見るせいでしょうか……。

(保護者)5年のうちに随分変わったという感じがしますね。

(保護者)時代が変わっても、きちっとすべきところはきちっとするという点は変わらないと思うんですが。あこがれて入って来たら、子供達も誇りを持っていたいと思うんです。

離れ難い旧校舎
何か5年前が随分昔のような感じになってしまいましたが、この辺で旧校舎のことを……。

(保護者)学校祭が初めて行われた時に行ったのですが、あのアスファルトの小さなグランドで生き生き活動していた生徒と、校庭にあった大きな木、ゆりの木ですか―子供達に言わせても、大きい木があり鳩がいるというあの校舎が忘れられないと言いますね―、そんなことを思い出します。

(保護者)玄関の簀子がとっても印象に残っています。音が出ないように歩いても同じで、職員室の先生に申し訳ないような音でして。

(教職員)一番印象に残っているところは2月1日、辞令をもらってから初めて一条校舎へ見学に行った時ですね。ガラスは割れ、荒れ放題で、これで授業ができるのかと……。とにかく学校をきれいにということで、すす払いや体育館の油ぬりなどを全員で夜9時頃までやったこともありましたね。

(事務長)住民の要望もあって1年早く開校したわけですが、予算が十分でなく大変でした。校舎の汚さもそうですが、鳩にも随分悩まされました。生徒にはよくなついていましたがね。毎朝、豆をやるものですから。

(教職員)学校祭の開会式の時、ファンファーレと一緒に鳩がパアーッと飛び立ったんです。これが鳩の自主的な協力だったわけです。そんなこともあって、生徒は離れたがりませんでしたね。卒業式もここでやりたいといって。

(保護者)入学式前にも何度か呼び出されて学校に行ったのですが、先生方はいつもジャージで遅くまで働いていましたね。あの頃のことは忘れられません。新しいものを創り出す喜びがありましたね。

(保護者)あの頃でしたら、学校の用事というとまず優先でしたね。あの頃は親の方も張り切っていました。

(保護者)1ヵ月のうち16日も通ったことがありました。

(保護者)休まなかったし……。

(保護者)総会をやればびっちり一杯になってしまって……。

(保護者)第1回の後援会の時なら、眼に浮かびますね。黙っていても熱気がありましたね。
(保護者)忘れられませんね。

建築促進の先頭に立った父母
―では、少し話題を変えて新校舎建築についてはどうですか。

(事務長)そうですね、校舎をつくるということはなかなか大変なことだと思いますよ。父母の方々には、校舎建築の促進をお願いしたわけですが。48年度予算獲得から大活躍でしたね。

―陳情の波状攻撃はその頃でしたか。

(保護者)そうですね。道庁の中を上がったり下がったりぐるぐつと。

(保護者)ぞろぞろとねえ。

(保護者)頭を下げては上げ下げては上げで。

(事務長)父母の皆さんが中心になって進めたわけです。よくやってくれたと思いますよ。

―建築現場の慰問に参加されたのは。

(保護者)みんなしてるわね。

(保護者)役員が先頭になりまして、大きなおいなりさんを作って働いている皆さんに配ったり、話を聞いたりしました。

(保護者)基礎をつくっている時に来ました。夏でしたが、涼しくていいところだなと思いました。

体力と気力の源泉―部活動
―それでは、生徒の活動についてどうですか。

(保護者)北陵は、新聞紙上を随分にぎわしましたね。子どもが、今日も出てるよって。

(保護者)ハンドボールをしたわけですが、親の方は全然分からず心配しましたが、部員の方達のチームワークが良くて……。室蘭の全道大会に出ました。抽選負けでしたけれども……。

(保護者)「部活動をしたから成績が悪いというのは理由にならない」という娘の一言に惚れこんでしまったのですね。そういう意気込みならいくらでもやりなさいということで始めたのですが、朝6時半から晩の8時までの毎日で、かなり苦しんだようですが、やり通せたということに意義があったと思います。3年の高体連が終わってからが勉強の場のようですが、後輩のためにも志望を達成したいということで、気力、体力の全てを打ちこんでいたようです。

―今の考え方が本校の教育方針の柱の一つだと思うんですが。

(教職員)そうですね、運動をして体力、気力を充実できれば、勉強も伸びてくるはずだというのが。校長の考えもそこにあるのですね。

北陵の今後に望む
―では最後に北陵高校の今後に望むことについて一言ずつ。

(保護者)少なくとも制服を着ている時はそこの生徒なのだという自覚と、受験の厳しさを在学中にもっと本人が知って欲しいということの2点です。

(保護者)5年たってもまだ新しいのですから、創り上げていくという気持ちを持ち続けてもらいたいと思います。

(保護者)勉強も大事ですけど、その子の良い面を引き出して欲しいということです。

(教頭)私も、歌ばかり作っているわけではないのでして……、良い生徒をどこまでも伸ばしていく、これを目指してがんばっています。先生方も全道のよりすぐりですし、十分ご期待に応えていけると思います。

―本日はいろいろありがとうございました。

「小説と人生」と題して/講師 渡辺淳一氏


 11月19日、校舎落成・創立5周年記念行事の一環として、全校生徒を対象として記念講演会が行われた。講師には札幌出身の直木賞作家、渡辺淳一氏にお願いし、『小説と人生』という演題で、1時間20分にわたって話をされ、聴衆を魅了した。

《作家としての原点》
 私は、人間の“死”とは遠い世界の出来事だと思っていた。医師として患者の死に遭遇したとき、死とは平凡なもので“無”そのものであることを知ったショックは大きかった。更に私が反目していた父が死んだとき、より明確に死を知った。人間は死ぬから仕事をするのだ。死から原点に返った。
 「光と影」における寺内正毅(後の総理大臣)と小武敬介―両大尉による運命の軌跡、雄別炭鉱で経験した事故者の生と死、ガンに冒された15才の少女―これらのものに左右した運命の不可思議さ、そして人間とは何と悲しくもろい存在なのかを知った。
《愚直の一年》
 私は、高校2年の時恋愛をした。純子(「阿寒に果つ」仮名実在)からラブレターを貰う。蒼白い顔、大きな目、コケティッシュな女性であった。人間には絶対的に良い人、悪い人はない。人間に対する洞察の目を持った。
 呉健(東大)は、教授から愚の扱いを受けた。彼はのち心臓学の権威者となった。
 “一期一会”ともいう。何でも人から吸収し、自家薬籠中の物とする意欲が大切なことだ。

育て若い木よ
保護者

 5周年記念事業協賛の一環に、生徒全員が校庭に記念植樹を行うため、1年P委員は仮植している苗700本を学校へ運ぶ作業をする。苗木とは1メートルか1.5メートル、間隔もなく草と共に成長しているトドマツであった。
 校長先生、用務員さん、10名のお母さんが、もくもくとスコップを動かす。休む間も惜しんで女性のパワーの偉大さを発揮し、屯田の風吹きすさぶ校庭の隅に、バケツで砂を運んでまた仮植。2時間の予定が5時間もかかる。
 想いを一つに汗を流す、和気あいあいと、この強い風にも負けずに緑豊かに、雄々しく育て若い木々よ。

進路決定の視点(2)
―国立大学の入試改革について―

進路指導部長

 先頃、新聞やテレビで報道されたように、いよいよ54年度から、国立大学の入試改革が実施されることになった。
 発表された国立大学協会の構想によると、改革内容の骨子はおおよそ次の通りである。
(1)全国87の国立大学は、同一日に一斉に共通第一次試験を行う。文系理系の別なく、全員5教科7科目(国語、英語、数学I、社会2科目、理科2科目)を受験しなければならない。
(2)各国立大学は、独自に、同一日に第2次試験を実施する。科目数、内容などについては、各大学が学部ごとに検討し独自に決めることいなっているが、3科目程度の少ない科目で、記述力、考察力、表現力などを重視した、論文形式が多くなりそうである。
(3)合否判定は1次、2次両方の試験の総合判定が望ましいとされているが、受験者の倍率の高い場合は、1次試験で3倍程度にふるい落とす(足切り)のも止むを得ないとしている。
(4)1期校、2期校を解消して全国立大学を一本化する。

 明年秋までに発表することになっている、2次試験の各大学の要項を見なくては、確かなことは言えないが、今の段階で予想される改革のメリットなどについて述べてみたい。
(1)共通第1次試験は、高校での学習事項の達成度を評価することを目標として、各大学教官の衆知を集めて問題を作成するので、従来のような難問、奇問がなくなり、高校教育の範囲内にとどまることと思われる。また受験の科目は1、2年時で学習するものが多く、基礎的なものになろう。したがって、平常学習習慣がついていて、きちんと予習復習などの努力を積み重ねている者にとっては影響はあり得ないが、大学受験は3年になってから式の者にとっては、科目数が増加するのであるから、従来よりもかえって負担が増すことになると思われる。
(2)2次試験は、専門分野への適性をより深くたしかめるために、できるだけ少ない必要科目に限るわけであるから、志望する学部学科が要求する科目に秀れていなければならない。1科目でも失敗できないことになり、論述式が多くなることも考え合わせ、従来より深い確実な学習が必要とされよう。
(3)2回の試験を行うことで、現行入試の一発勝負的な傾向が少なくなると言われているが、足切りが行われた場合は、それで万事休すである。
(4)1期2期の一本化は、2期校の入学辞退者の増加や2期校コンプレックスの解消には役立つが、従来の2期校の難化が予想され、より慎重な大学選択が必要とされる。
(5)54年度実施ということには、現1年生だけが該当するのではなく、現2年生3年生が浪人する場合には直面する問題であることを忘れてはならない。現2年生の受験の際には、現行最後の年として「駆け込み入学」が行われ、一段と難化することにもなろう。
 以上述べたようにいろいろな点が予想されるので、父母の方々もこの問題を念頭に置かれてお子さんの進路をお考えいただきたい。


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スクールライフ



見学旅行〜明日香村をたずねて(2年1組第6班)
◎研修のねらい
 我々は、「高松塚古墳」というテーマで、今回の自主研修を有意義なものにしようと奈良をおとずれたわけであるが、なぜ「高松塚古墳」というテーマを選んだかというと、「高松塚古墳」は日本でも最も新しく発見された古墳であり、その内容は我々の興味を強くひいたからである。
 高松塚古墳は、日本で発見された古墳の中で最も新しいということもさることながら、多様な色彩によって描かれた数多くの壁画、色々な古墳の造りの中でも代表的な古墳の造り、これらはすべて我々の興味をひき、自分達がそれらのすばらしい文化にじかに触れ、我々のこれらに対する認識を新たに深め、あわよくば、今までの調査ではみつけることのできなかった何かを発見して、現代の古墳研究者の中に一大センセイショナルを巻き起こそうという夢のようなことをねらいとして、ある期待感を胸にこの自主研修にのぞんだ。

◎研修コース(明日香の史蹟)
 川原寺跡―橘寺・橘宮―石舞台古墳―国立飛鳥資料館―飛鳥寺―入鹿の首塚―甘樫丘―天武・持統天皇陵―鬼の雪隠―高松塚古墳

◎研修を終えて
 我々は今回の研修で、日本の最も古い文化にじかに接し、自分達の持っていた認識を新たに深めることができたことは、大変有意義なものであった。ただ20世紀最大の発見である「高松塚古墳」は、この日冷たい金網と重い鉄の扉の奥に、「関係者以外立ち入り禁止」の文字とともに静かに眠っていて、見ることができなかったことは残念である。
 もし、この地を訪れて研修を行おうと考えている後輩諸君がいるなら、ただひとつテーマを決めてそこだけを調査するのではなく、できる限り多くの史蹟をまわってほしい。我々も再びこの地を訪れて、ゆっくりと歩いてみたいというのが実感であった。

優勝を振り返って
2年生男子

 第2回マラソン大会での優勝。一言でいえば「うれしい。」に尽きる。僕にとって毎年9月は陸上部に入部している関係上、その方の大会が重なり、体調を維持するのが難しい時期だ。今年もこのマラソン大会を含む3つの大会が約1週間間隔の過密スケジュールで行われた。
 大会前はその恐れと不安が入り混じり複雑な心境だった。マラソン大会の練習は大会の5日前から始めたが、短期間の調整だったためどうかなと思っていた。しかし陸上部の面目が他の体育系クラブに敗けることを許さなかった。
 また、陸上部の数々の大会では、僕にとって賞という言葉は疎遠だったので、この機会に是非ともという意気込みも心の隅にあた。それだけにこの優勝は、自分にとって非常に価値のあるものであり、部の練習の成果としてこのような形で表れたことはこれからの励みにもなた。
 このマラソン大会の優勝を踏み台に、練習を地道に積み重ね、来年こそは高体連においてなんとしてでも日の目の見える所へ行きたいと思っている。また、来年のこの大会でも力の限りを尽くして走り抜きたいと思う。

はじめて観た北陵祭

 9月12日(日曜日)、私は主人と中1の娘とその友達4人で、第4回北陵祭会場へと早々に家を出る。車中早くも心は北陵高校へと飛ぶ。長男が入学してから、初めての学校祭である。
 はてしなく続く紺碧の空の中に北海道一を誇る近代的、かつ雄大な新校舎が緑の屯田平野を背に、どっしりとしたたたずまいを見せている。会場は生徒と父兄で満ちあふれていた。壁にはられたポスター「豊かな未来をめざして」のテーマが生々と眼に映る。非常に恵まれた環境の中で、のびのびと動いている生徒たち、若さが満ちあふれ躍動している。何とした頼もしい姿だろう。唯々感激の一言、各催物教室は全部見せていただく。
 ステージ発表、映画、展示等に観るもの聞くもの、すべてに新鮮さを感じ創意工夫の跡がうかがえた。“やっぱり高校生だなあー”と実感。特に北陵高校の5年間の歴史を、時間をかけてみせていただいた。映画「屯田にかける橋」も主人と2人で大笑い、となりで娘が「ドッキリカメラも面白かったよ」と小さな寸評、演劇「瞼の母」も結構うけていたようだ。
 油絵や書道も力作ぞろい、イラストも上手、どの教室も人・人でぎっしり、呼び込みの生徒、飲み物を一生懸命売っている姿の純粋さは印象深く残った。それぞれの特徴を生かし、力いっぱい演じ各分野の中で北陵祭という大きな目的に向かい、全員で協力し合い、作り上げた姿はほんとうに有意義そのものであった。
 マリンブルーの上衣、グレーのズボン、ワインカラーのネクタイを身にまとい、統一された生徒たちの姿に思わずみとれ、充実した頼もしさ、楽しさを実感として味わった一日であった。

編集後記
 校舎落成、創立5周年を奇しくも同時に迎え、今回はその特集として、座談会を開き取材にあたりました。限られた紙面の中にそれを収めることは、素人の私達には大変なことでしたが、この紙面を通して開校時のご苦労を偲び、立派な校舎の中でその幸せをかみしめて、当時のような熱意を皆様の心に湧き立たせることができたら幸せに存じます。