北陵だより第17号/昭和52年3月10日発行


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開校5周年記念 公開講座開かる
 “地域と密着した高校を目指して”

 昨秋開校5周年を記念していろいろな行事が催されたが、時期等の関係で記念講座のみは年を越して実施された。施設、環境が一応整った段階で、少しでも地域に対する奉仕になればという目的で4つの講座が実施されたが、受講者は予想数を上回る盛況であった。
合唱(女声コーラス)
 基礎練習と希望の曲を23名の女性達が2部、3部合唱で楽しんでいた。
 講師は本校音楽の中辻先生で、1月26日(水)を第1回目としてスタートし、週に1回ずつ行い3月2日で終了した。

書道入門(行書の初歩)
 一般には書の入門は楷書といわれているが、すなおな筆づかいの行書の初歩から始めることにより、書を学び楽しむという趣旨であるが、35名の受講者はなかなか熱心で講師の加藤先生も汗だくのてい。1月26日から始めて、毎週水曜日に行い3月2日の5回目をもって終了した。

明治維新(長州藩の人々)
 長州藩の人物群像を通して、近代日本の出発点である明治維新を学ぶという目的で、特にNHK大河ドラマ“花神”の主人公大村益次郎についてくわしく話された。
 講師には社会科教諭8名が総出で当たり、昨秋3年生に主題学習として与えられた授業の内容と形態が展開された。1月29日10時から午後4時までの6時間も、45名の受講者は実に熱心に頑張っていた。

染色(合成皮革染め)
 カブロン染めは簡単な方法でオリジナルな作品を楽しめる特色がある。素材も取扱いがやさしく堅牢度も大きいので小物、袋物、衣料まで広く応用できる。20余名の受講者が田村、藤原の両先生の指導で染付きや作品の仕上げ等楽しげであった。2月23日(木)と2月26日(土)の2回で実施された。
 親と子が同一の学校で学ぶことによって、とぎれがちな親子の会話に共通の話題を提供することができたら、親子の断絶を埋め、生徒に心理的な安定感を与え、教育効果も一段とあがるであろうというのが、この公開講座のねらいである。
 親が懸命に勉強する姿勢を見せるということは、最もすぐれた教育だと言われている。観念的には親が苦労しているのだと分かっていてもなかなか共感が持てないものである。それだけに、共通の事柄について学びということは、親子の心理的つながりを保つ上で非常に大きな意味を持っている。生涯教育と言われている今日、学ぶ姿勢を持ち続けることは、21世紀に生きる最も有効な手段でもある。こういった意味を含めて、この公開講座への多数の参加を希望するものである。

ゆりの木
保護者

▼「一億総教育評論家時代」などと揶揄されるこのごろであるが、社会の教育に対する関心の増大と相まって、本屋の書棚に教育を論ずる本がスラリと並ぶ。しかしパラパラとめくってみると著者によって全く相反する意見が述べられているのに気づく。
▼教育の仕方や内容を改善することによって目立った効果があがることもあろうが、「反面教師」というのがあることから考えても、教育効果の判定は短期間に黒白を弁ずるように単純にはできないのではなかろうか。
▼対象にされた子供の人生はやり直しができないから、教育法を実験的に思い切って変えてみるというわけにはいかない。…となると、もっともらしい教育論が百出するのは、やむをえないことかもしれない。
▼規格にあった平均的国民の養成を目指した戦前の教育は、個性を引き出し自己を主張できる子を育てる教育に変わった。価値観も時代と共に変わっていく。現代の教育がそのまま何時の時代にもあてはまるとは限らない。
▼自分が一生懸命育てた木々には、どんな花が咲くのであろうか。楽しみでもあり、恐ろしくもある。
▼「百年の計を考えるなら、人を育てよ」と云われる。人づくりこそ、そして人づくりによってのみ、この困難な時代を切り抜ける活路の発見が期待される現状で、たしかな教育の発展が切望される。


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卒業を前に
「成熟した人格」を
3学年主任

 第3回卒業生の諸君を送ることになった。3年間は過ぎ去ってしまうと本当に早いものである。木造の仮校舎に入学して以来、諸君は学習に生活に精一杯生きてきた。入学式の3日後には、慌ただしく宿泊研修をし、高校生活とは、北陵とはの理解につとめ、改めて時間の尊さを知り、臨海学校、林間学校、見学旅行等、行事の中で教師集団を知り、級友を知り、自己をみつめて成長してきた。そしてこれら全てが諸君にとって悪戦苦闘の連続であったといえよう。
 しかし、こうした生活の中で培われたものは何であったか。第3期生の諸君に課せられた大事業は先輩の蒔いた種を育て、花開かせること、北陵の伝統づくりであった。自己の練磨そのものが伝統づくりであり、従って、多種多様な場を得て、さまざまな価値に触れ空しさや不安との背中合わせの中で、次々と新しい殻に脱皮してゆくこと。時には馬鹿となり、矛盾の中で古い殻を捨ててゆくこと。まさに、これらの全てが培われてきたものと信じている。
 10代から20代という青年期は、人生の疾風怒涛の時代である。空しさ、不安、矛盾は更に続く。シュトルムウントドランクの中で自己発展を遂げねばならない。本当の自己練磨は今後にある。世はまさに未熟の渦。渦の中で「成熟した人格」を作らねばならぬ。他はない。自己の姿こそ未熟か成熟か、その検証を怠ってはならぬ。時には「自己の鏡」をぶちこわしてしまい、「自己のレール」を取り外してしまう生き方に、なまなましい「生きざま」を見てもよいのではないか。諸君の健闘と発展を祈る。

きびしさに耐えて
3学年委員長

 ご卒業おめでとうございます。人生を少し長く生きたものの老婆心から、思いつくままを述べます。おめでとうと申しましたが、皆さんのこれからを考える時、有頂天にばかりなってはいられない気がします。
 就職、進学のかた共々に、これからが大変です。就職した方は、これで宿題も試験もなしと、ホッとしがちですが、毎日が試験の連続と考えなくてはなりません。
 世の中に出ると自分の力、考え、行動が如実に評価されます。小言を言われないかわりに冷酷な問答無用といった処罰を受けることが多いのです。
 進学する方も、これからの皆さんを一人前の社会人として扱います。人格の自由を認めるわけですから、必要以上に干渉はしません。しかし、自分のすることには責任を持たされ、誰もその責任の肩代わりはしてくれないのです。職場や大学が高校より自由で楽だと思う甘い考え方は大まちがいです。世の中は考えている以上にずっときびしいところと云えましょう。
 たとえこれからの社会が、どのように変化しようとも、自己をみがき努力を続ける事は、とても大切な精進の一つです。
 “一事に通ずれば万事に通ずる”と言われます。大いに心をひきしめ屯田の地に培われた北陵魂を土台にし、十分体に気をつけて、文字通り悔いのない青春を謳歌されますよう心から祈ります。
 “あなた達、若者の未来はきびしくも輝いています”頑張れ、卒業生のみなさん!

卒業にあたって
3年生女子

 3年前、何も分からずにただ夢と希望を抱いて入学してきた私達。そんな私達が、もう高校生活を思い出として語る事が出来るようになりました。
 考えてみれば、いろいろな事がありました。宿泊研修、臨海学校、北陵祭、見学旅行…。もちろん夢が壊された事も何度かありましたが、一つ一つの出来事がとてもいとおしく、最も大切なものであるように思えるこのごろです。
 3年になってからは、どんな時も「これが最後」と自分に言い聞かせ過ごしてきました。そのせいか、この1年が最も充実していたように思われます。感激の連続であった最後の球技大会では、飛びかう歓声の中で、こんな素晴らしい仲間達もいっしょに生きているという喜びで心の中がとけるようでした。そして終った後で、心から「このままでいたい」と感じ、あっという間に過ぎ去る「時」に対する自分の無力さを、どうしようもなく腹立たしく思った事を覚えています。
 また、クラブでの思い出も忘れる事ができません。問題もいくつかありましたが、それによって心の目が見開かれ、そして今「合唱をやって本当によかった」とはっきり言えるのです。そんな思いをさせてくれた合唱部員の方々に、この紙面をかりて心からお礼を言いたいと思います。入学当時、先生から頂いた「初心忘るべからず」と書いてある紙は、もうすっかり色あせてしまいました。しかし、卒業を迎えた今、もう一度この言葉を心に刻み直し、これからの私の支えとしていきたいと思います。

話のひろば
〜勉強もまた楽し

一般市民

 あるサークルの新年会で、北陵高校の公開講座が話題となった。
 それぞれが新聞を読んで知っていた。「あなたは近いからいいわね」といわれてみて、急に聴かないと大きな損をするような気分になるから不思議だ。全講座に出席する訳にもいかず、私は「明治維新」と「書道入門」を選んでお願いしたが、結局は雑事のために第1回目はやむを得ず欠席してしまい、「明治維新」の1日公開講座から受講させてもらった。雪の白さがきわだって目に沁みる屯田地区に集まってくるのだから、本当に聴きたい人達ばかりであったと思うが、誰もが並々ならぬ熱の入れようであった。特に長州藩の人々にスポットを当てて集中的にお話してくださったので、幕末のゆれ動く思想と事件が錯綜してきて困るほど。又、先生方の準備された資料の提供が多いので、現在でも繰り返し読み直す楽しさが残されている。私も年の割には強い方であるが、この日ばかりは肩のこりを感じ、首筋が痛むほど近代日本の夜明け前にすっかり陶酔しきっていたことに気がつく。そして20数年前の己の高校生活をふり返る機会ともなった事を心から感謝すると同時に、我が子の学ぶ学校で共に学ぶ喜びを得たことを最上のものと思っている。それにつけても北陵高校生は恵まれた施設と熱意ある先生に囲まれていると改めて思う。
 皆さんはそれぞれの立場で知的欲求を満たす雰囲気で登校していっているのだろうか。
 中央ホールでなごやかに食べては語り合う光景も、明るく伸びやかに育つ姿としてほほえましい。が、学校でも校外でもけじめなく、趣味的なものが大手をふってまかり通る雰囲気を感じているのは私だけだろうか。やはり私は内面的に掘り下げる思想がほしい。
 そうした知的ムードは、級の生徒の一人一人が心して創り出すべきであろう。


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道教育実践表彰校に選ばる


 今年度第8回の北海道教育実践表彰に本校が選ばれ、去る2月18日にその授賞式がホテルアカシアの大広間で行われた。
 本校からは校長、後援会長、職員代表、生徒代表の計5名が出席した。
 式典はまことに荘重な雰囲気であり、100名位の来賓の見守る中で受賞者の実践活動が紹介され、その後で北海道教育委員会委員長紅林晃先生から個々に表彰状の授与がされた。
 進路相談、健康相談を含んだ巾広い教育相談活動等生徒指導の充実、ゼミ学習、主題学習、教育機器の有効な利用による学習指導法の開発、宿泊研修、臨海学校、見学旅行等学校行事の改善、研修活動紀要の発刊など多彩な活動が認められたのである。
 今後の一層の充実が期待されている。

地区別研修会に出席して
 先生方の人生観をざっくばらんに聞く会を計画してみごとに失敗したと友人が話していましたが、北陵高校では歴史は新しくても、先生方も父母と一体となって生徒達のために前向きで歩んでいます。
 先生方はあらゆる生徒の実態を把握して向上させるためにどうしたら良いかを日夜研究し、その成果を父母に伝える各地区毎の研修会も今度で3度目となりました。「自然を愛し」「個性をのばした教育」を目標にして良き社会人になるようにと指導してくださる「北陵高校の先生方」の姿を、1回から3回までの研修会に出席して見てきた私は、ほんとうに頭を下げたい気持ちでいっぱいです。
 それにつけても、父母の出席が先生方の熱意に応えているかどうかは疑問に思っています。その点子供達がきびしい人生観と将来の目的を持ち、高校生活を責任もって歩いてくれるように導くために私達親がもっと勉強し、研修をつまねばと思いました。

ヒマラヤの峰々を眺めて
教職員

 ヒマラヤが私の心の中に息づくようになったのは、大学1年生のときだったと思う。今から20数年も前のことである。その年に世界最高峰のエベレストはイギリス隊の登られた。その記録映画の感激的なシーンは今でも私の心に焼き付いている。しかし、当時の経済的貧困さの中では、ヒマラヤにいくことなど夢のようなことだった。しかし、私にもようやくチャンスがやってきて、アンナプルナ連峰の氷河の奥深く入り込むことができた。アンナプルナ連峰は7000m以上の山々が幾つも連なり、主峰のアンナプルナ本峰は8091mもあり、これらの山々はきらめくばかりの氷壁で輝き、抜けるように青い空に映えわたっていた。氷河の奥深くへ進むと、これらの氷壁が私たちをすっぽりと取り囲み、現実離れした美しさにすっかり陶酔させられてしまう。私たちは、これらの氷壁を何度仰ぎ見たことだろう。ヒマラヤの1日は、氷壁が黄金色に染まり出して始まり、また、真紅に燃え尽きて終わりに近づく。それは言葉で表せない厳粛な瞬間でもある。夜は冴えわたる月光に、くっきりと浮き上がった氷壁は青く、まるでメルヘンの世界に迷いこんだようである。昼の氷壁も実によい。強い日射しに、固い金属のように輝く峰々は、まさに白き神々の座である。何度も何度も限りなく氷壁を眺めては進んでいった。アンナプルナ氷河での1日1日は、私の存在の根底を支えるような充実した日々だった。
 ただ、高山病のためテントピークを断念しなければならなかったことが残念でならない。機会があったら何度でもヒマラヤにいきたいというのが、私のいつわらない実感である。

進路決定の視点(3)
進路指導部長

 このシリーズの最終回にあたって、父母のかたがたにご留意いただきたい点について若干述べてみたいと思います。
(1)子供の良き相談相手に。
 今年度、全校生徒に実施した「生活意識調査」の中に、こんな項目があります。「君の将来の生き方(進路)について最も影響を受けているのは次のどれですか」―(ア)友人の意見、(イ)親や兄弟の意見、(ウ)先生の意見、(エ)先輩の意見、(オ)テレビの内容、(カ)新聞や雑誌の内容、(キ)文学書の内容、(ク)学者や偉人の考え方、(ケ)その他
 回答数の中で圧倒的多数を占めたのは、(イ)の38.3%です。(カ)が12.7%、(ア)が11.4%、その他が各数%であることに比べても、誕生以来、長年生活を共にしている家族の影響は大きいものだと言えましょう。
 「自分の進路は自分で決める」というのは理想的な姿ですが、「高校生なのだから自分で決めなさい」と「本人まかせ」にされて途方に暮れている生徒も多いのです。
 高校生の年頃は、強制や干渉をきらう反面、適切な助言、援助を期待しているものです。形式ばる必要はありませんが、折にふれ人生の先輩としての経験を語りかけて欲しいものです。
(2)進路情報に関心を。
 よき助言者として信頼されるために、学校から流す各種進路情報や、新聞、雑誌などの情報に強くなることが必要かと思います。
 進学の場合では、どの程度の難易度か、受験科目は、費用は、学部学科の内容は、そこを出るとどんな就職先があるのか等々、適切な判断、助言のために知っておく必要がありましょう。
(3)先生との連携を。
 子供さんの「能力、適性」を理解することは大変難しいものです。学校では学業の成果、志望や性格、適性、職業興味検査、個別面談、行動観察などを通して生徒を総合的、多面的に掌握しようと努めております。子供をよりよく見つめ、よりよく生かすために先生方との連携を密にすることが大切です。
 定期的な父母懇談会にはぜひ出席していただきたいし、少なくとも1年に1回は個別の懇談をもって、子供の理解を深めていただきたいものです。
 過大な期待をかけたり、兄弟や他人と比較して過少に評価したりして、折角の芽をつんでしまいたくないものです。


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スクールライフ
全国5位 NHK杯全国高校放送コンテスト

 放送コンテストアナウンス部門で入賞した北脇さんをはじめ、北海道学生書道展と朝日書道小品展の両方で文部大臣賞を得た林さん、児童生徒文芸作品コンクール(詩)で教育長賞の高橋さんと、文化系の活動が目立った1年であった。体育系では軟式庭球部(女子)が、3月宿願の全国大会に出場することになっている。

受賞して
 予餞会に感謝状を頂いた事は夢のようで嬉しさも一入です。小学5年生の折、級友に誘われて書道教室に毎週土曜日、お弁当を持って通い出したのが書との出会いでした。今でも忘れませんが、小学1年のお正月、書き初めがいやで1日延ばしに延ばし、見かねた母が先生で筆法も形もバラバラな余りバカみたいな字を書くと、私にゲンコツが落ち泣く泣く書きあげた「日の出」の3字を忘れる事が出来ません。小学校、中学校と夏は水泳、冬はスキー・スケート、クラブは体操と「動」につかれた様な私でしたが、それ丈に書道の「静」の一時は無条件に無心そのもので、これは今もって変わる事がありません。高校入学の折、校長先生から頂いた直筆の短冊「初心不可忘」を私は座右の銘としておりますが、北陵での思い出は書道教室から大きな輪になって広がり、今日の感謝状に凝縮された感じです。書道に志を同じくされる後輩諸兄姉の今後のご健闘を心からお祈りいたします。

入賞して
 福岡の夜は、長かった。中でも予選を終えた夜は、一層苦痛な時間に感じられた。結果の発表がどうであったかを考えると、どうも寝つかれない。どうにかして眠ろうと試みたところで、ふと気がつくと明日の発表のことをくよくよと考えている。眠らなければならないという苦しさのうちに、どうにか私は浅い眠りについた。
 翌朝、少し早目に会場へ向かった。予選通過者の名前は、すでに発表されている様であった。私は一心に人ごみの方へとかけよった。そして、その人ごみをかき分け、何か名前の書き連ねてある2枚の紙をみつけた。その瞬間、心臓の鼓動は速度を増し、かすかに体がふるえた。私の目は、すでに自分の名前をその中にみいだそうとしていた。本当につかの間の出来事だった。私の体を、何か稲妻のようなものが駆け巡り、それまで張りつめていたものが、一瞬にして消え去った。そして、思わず“あった”と叫んだ。この時、あの5位入賞という栄誉へのパスポートを、私は手にしたのだった。

児童生徒文芸作品コンクール
3年生女子

 このたび、私の出品した詩が受賞し、とても感激しています。私にとって詩は生活の一部ですが、試作を続けてきて、ほんとうに良かったと思いますし、これからも励みたいと思っています。
<受賞作>

 遊離

   わずかな空気の切れ目から
   流れ込む光彩

   錆びついた空
   止まってしまった時間
   碧いガラスごしに
   枯れ果てた光景が
   滲みこむ

   煙草の香にゆらぐ
   朽ち色の乾燥花
   入れかけの珈琲に似た
   蒼黔い緊迫感

   一瞬にして
   鋭いピアノの音を
   飲み込んでしまった
   緋色のカーテン

   サラサラと砂時計が
   囁き出すと
   季節を忘れた風鈴が
   啾り響く

   ―新たに飛翔く者へ―

初出場に思う
2年生女子

 女という本質のために、ずいぶんまわり道をした感じだが、どうにか2年がすぎた。数々の疑問にぶつかり、何度やめようと思ったか知れない。しかし、私が今もこうしているのは、クラブ内の人間関係から、とり残されたくはなかったからだろう。
 テニスというものは、その1球1球に、自分の性格があらわれてくる。勝てば勝つほど、生活の細かい部分まで要求される。
 優勝したことは嬉しい。だがそれは、結果にすぎない。それよりも、今の私には責任の重さによる不安の方が大きい。しかし、向かっていく気力だけは、誰にも負けたくない。

編集後記
▼寒波厳しく、又雪も多い年で寒さに慣れている私共でも春が待ち遠しい今日このごろです。
 わが北陵高校も開校5周年を迎え、記念式典、祝賀会、記念行事の一環としての公開講座と、あわただしい1年でした。
▼その中で、北陵だよりの編集にたずさわり、素人なりに幾分なりとも学校の様子を紙面を通じて皆様にお知らせ出来ましたならばと委員一同努力してまいりましたが、会員の皆様の心をとらえることができましたら幸いと存じます。
▼本号をもちまして本年度を終わらせていただきます。
▼北陵高校の今後のご発展と、巣立ち行く3期生の幸せをお祈りいたします。