北陵だより第21号/昭和53年7月20日発行


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地域住民と一体に 一層の充実を!!
PTA会長

 昨年子供が本校に入学して何時の間にかPTAの役員にその名を連ねさせて頂きました。小・中学校のPTAは少しばかりの経験がありましたが、高校PTAは全く初めてで、高校PTAとはどんなものなのか、折にふれて勉強をしなければと思いながらついうかうかと1年が過ぎました。そして本年はからずも会長という重責の座につくはめになり戸惑いと共に微力ながら生徒達の健全な成長の助けとなるようなPTA活動の運営に努力を致さねばと念じております。
 役員をはじめ皆様の温かい御協力を切にお願い申し上げます。

 私がこの1年間本校について感じたままを述べてみたいと思います。
 一つには本校は施設が非常に立派であるということであります。
 僅か開校7年というのに全道にもまれな視聴覚機器の充実、競技場の整備、環境の保全等々これらの充足の為には生徒を愛し北陵を立派に育てようとされた先輩PTA、後援会の役員はじめ皆様の並々ならぬ御努力と熱意の賜であろうと心から敬意を表さずにはおられません。
 二つにはこの北陵を全道、いな日本一の高校にしてやろうという意欲に燃えた先生達の熱意がひしひしと感じられるということであります。この先生方の熱意は知らぬ間に生徒に浸透していくものと感謝に堪えません。
 三つには学校とPTA、地域住民が混然一体と融和していることであります。小・中学校ならいざ知らず、こんなに和やかに融け合っていることは珍しいことだと思えるのです。
 そして四つ目には生徒はすこし迫力に欠けると言われますがみんな伸び伸びとおおらかに育っているように思えることです。
 本校も一昨年やっと開校5周年を終えて今充実期に入ろうとしております。今日迄本校をここまで育てて下さった先輩PTA、後援会、卒業生諸君、先生方の御努力に深い敬意をこめて衷心より御礼を申し上げたいと存じます。
 今日高校を取り巻く問題は非常に多いようであります。年々大学・高校の入学率が上昇している今日ですが学業・学歴に偏重して学問はあっても人としての教養もロマンもない青春は生徒達にとって不幸であると思います。
 明るい校風、伝統を作る為にみんなが考え力を合わせていかなければと心から痛感する次第であります。

ゆりの木
教職員

▼ゆりの木の由来について再びふれておきたいと思う。
▼本校は、昭和47年4月10日に一条橋のたもとにあった市の仮庁舎(前身は一条中学校)を仮校舎として開校した。その校舎の中庭の南の隅に大きな樹があり、6月なかばにうす黄色の花を一杯に咲かせ、古い建物に囲まれた雰囲気をなごませたその樹が「ゆりの木」である。現在その校舎も昨年夏にこわされて、今は旧校舎のおもかげを残すものはゆりの木だけになっている。
▼北陵だよりの一隅にその名をとどめたのも、はじめはそれほど深い意味を考えてつけたのではなかったが、今となっては旧校舎をしのばせ、しかも本校発祥の地を意味して意義深いものを感じさせる。
▼創設して7年目に入り、本校はもはや新設校ではなくなってきている。しかし、これからも新設当時の体質は残しておきたいように思う。いつまでも新設校としての甘えがあってはならないが、活気があり意欲に満ちた校風は、むしろいつまでも本校の伝統として、受け継いでいきたいものである。これから先、学校の内外であの当時はと懐古する言葉が出始めたらおしまいである。
 創業はやすく守成はかたいという言葉があるが、これから真価を問われる時代になる。毎年入学してくる生徒のためにも生き生きとした雰囲気を維持していきたい。


[北陵だより第21号 2ページ]

全道高P連大会に参加して
PTA役員

 「心身ともに強くたくましい青少年の育成を目ざして」の主題で、去る6月22、23日の2日間、函館市民会館で行われました。「学歴社会」「受験戦争」「人間喪失」「無責任時代」等、嫌な言葉が氾濫している。こうした社会や、時代を作り出した原因や責任はどこにあるのか。子供を一流大学に入れたいという親のホンネと「学歴社会」をなくして、「豊かな人間性を育てたい」というタテマエがどこでどう解決されるのか、ホンネを出し合える会になってほしいとの願いで行われたようです。会場には約1300人程の方が参加し、1日目は「高校生と親」と題し、NHKアナウンサー鈴木健二さんの講演があり、他人に合わせることが中心になってきている現在、親自身、生きる目標を持っているだろうか。家庭はしつけの場、いこいの場である。核家族といわれ多くの老人が独り暮らしをしている。自分に直接利害関係のある人々とだけ関係を持ち、挨拶も出来ない人が多い。日常家族の間で「オハヨウ」「オヤスミ」を言っていますか。神棚、仏壇がありますか。生活の意味が解らなくなっていないだろうか。子供には、良いはげましを与え、何が幸せか、どうしたら次の人格にのぼっていけるのか、親はどうしたら手伝えるのか、自分自身どうあるべきか、等のお話があり、お部屋に帰って同じ悩みを持つ親たちが集まり時間の経つのも忘れ、ホンネで話し合えました。2日目は家庭教育の部会で、家庭における親子の人間関係こそ、人間形成の重要な基盤であり、たとえどんな社会になっても打ちかつ強い子供に育てるために、この混乱の中で親はじっくり腰をすえて、何が大切かしっかりした人間像を描き、平凡な毎日の繰り返しの中で自分にきびしく、誠実に建設的に生きるべきではないでしょうかとのお話でした。

私の青春時代
後援会長

 私の在校時代は戦争中であり、戦争を知らない人からみれば馬鹿じみていると言われるかも知れないが、当時としては当たり前のことで通った時代でした。国民は戦地と銃後に分かれ、物資は総て配給制度でした。吾々が作る米も政府の命令に依り強制的に供出させられました。
 父や夫や兄達を戦地に送り出した銃後では必勝を期待しつつ路上で千人針を作り真心こめて慰問袋に入れて送ったものです。学校内にも配属将校により軍事教練が激しく行われたものです。又汽車通学、寄宿舎通学等それぞれ銃剣術の銃を肩に巻脚絆姿で隊列を組んで通学させられました。又食糧の増産の為出征兵士宅には援農部隊を編成し1週間位の予定で水田の作業の手伝いに出かけたものです。在校3年間に学んだ事で、私は一生農民として食糧の増産に励み国民の一人として其の分を尽くしたいと考えました。現在もその当時の考え通り農業を営んでおります。又20歳になると兵役の義務があり、男子は軍人として国家の為に命を捧げる事を名誉とした世相の時代が私の青春時代でした。私が今心配している事は、現在の若者達が侵略から自己防衛する意識がどの位持ち合せているか、備えあれば憂いなしといわれておりますが……。
 最後に一言。今度障子前会長さんの後を受けて後援会長の大役をお引き受け致しましたが、現在は協力預金返済の時期ですが、歴代の後援会活動により整備された施設に感謝申し上げると共に、御父兄全員の御加入の御協力を戴く事が先輩各位に対する感謝の現れとなるものと信じておりますので、何卒よろしく御協力をお願い申し上げます。

話のひろば〜出会い
保護者

 愛は育てるもの、幸は築くもの、人生楽しからずや。この言葉は、私の好きな言葉の一つであります。この世に生を受け、あたえられた運命を全うするまで、数え切れない人との出会いがあると思います。この出会いの中から愛が生まれるのではないでしょうか。両親の愛情、先生方の教えに育てられている北陵生は幸せと思います。理想的な環境、ツブ揃いの教師との出会いから、スポーツ、勉強をとおしてエネルギーを発散させ、失敗の中から青春をとりもどし、明日への意欲を築くならば、素晴らしい人生が開かれると思います。やさしい言葉の一つが周囲を暖かくする。早朝マラソンをしている老若男女のうち、何人が「おはよう」の言葉をかけ合っているでしょうか。これも一日の出会いの始まりです。健康で生活できる喜びを感じたいものです。不健康であれば徹する事も不可能です。可能性を信じて僅かずつでも積み重ねを大切に努力しましょう。しかし不幸にして逆境に出会った場合、これも人生の試練としてうけとめ、立ち上がらなければなりません。困難と思われる中に新しい生活の知恵が潜んでいるものです。自己の主張をする前に他を受け入れ、人の批判をする前に自分を反省する。この精神も人間形成の上で必要な事と思います。幸せを求めるなら他の為につくさなければならないと思います。己をつくる事に精出して初めて人づくりが出来る事も事実です。人の為につくしてあげられる喜びを味わい、一切の物事に感謝が広がっていくのは、人間の成長であり尊い事と思います。健康は生活の中心であります。早寝早起を励行し、毎日の積み重ねに力を注ぎ、結果を批判するより過程を大事に、それぞれの道を歩みたいものです。これからも出会いを大切にし、やさしい思いやりの言葉で和をつくり、長所をつなぎ合わせて輪を広げ、楽しい人生を築きたいと考えております。人生の先輩として、吾が子を含め後輩への心の糧となるよう努めております。北陵だより編集委員の方御苦労さまです。


[北陵だより第21号 3ページ]

昭和53年度 PTA予算書
 この項目は掲載いたしません。

昭和53年度 後援会予算書
 この項目は掲載いたしません。


[北陵だより第21号 4ページ]

昭和53年度 役員名簿
 この項目は掲載いたしません。


[北陵だより第21号 5ページ]

着任にあたって
教頭

 この4月、はからずも北陵高校に勤務することになりましたが、早いもので1学期も終わろうとしています。この間毎日の生活を通して、本校が建物施設設備はいうに及ばず先生方の教育に対する熱心さといい聞きしにまさる立派な学校であることを身をもって味わっている次第です。
 しかしながら、創立以来7年目を迎えた今日、本校も一つの反省期に立っているといえましょう。どんな美しい湖もたえず新鮮な水が注がれなければ、やがて泥沼と化すことでしょう。美しい湖をいやが上にも美しくするにはどうすればよいか、先生方ともども考え、実践して参りたいと考えております。又、最近は高校教育のあり方がいろいろ議論されておりますが、私は父母の皆さんの考え方をもって学校の教育の中に生かすことも大切なことの一つだと考えます。父母はすべてを学校に任せきりということでなく、又、先生方は父母が学校に対して何を望んでいるかを十分把握し、互いにもっと連携を密にして日常の教育をすすめてゆかねばならないものと考えております。
 こんなことを考えながら一生懸命努力して参りたいと思いますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

「うちの子に限って」(1)―ユーモアのある家庭―
生徒指導部長

 最近の高校生にも種々さまざまな問題が生じてきています。この年頃には、どうしていいのかわからないことがいっぱい詰まっていて、その悩みも大きいのです。勉強のこと、進路のこと、友だち関係、自分の性格、容姿、身体のこと、異性とのこと、社会のこと、家庭内の問題、……大人からすると些細で一笑にふしてしまいそうなことから大きな問題まで、実に多様であります。実はそのことがその時点では本人にとって大変深刻な意味を持っているのですが、加えて子どもの生活行動や交友関係も非常に広範囲になってきています。これは、家庭や学校での学習だけでは得られない自発的な人間形成の機会であると同時に、日ごろの緊張を解消できるだけではなく、自由な活動を通して、未知の世界と自己を発見する場にもなり得るのですが、現代社会においてはこの場が氾濫する商業娯楽の場となり、子どもたちの健全な発達を阻害する環境となってしまっています。自分の苦しみや悩み、不安などに対して、積極的に立ち向かっていこうとせず、善悪の判断に弱さや偏りのある子どもは時として現実からの逃避を企ててしまします。“わが子に限って”“うちの子はそんなことなど”と思いがちなのが親なのですが、高校生頃の世代には皆、生活の中に色々な危険な要因をもっているということを忘れないでいただきたいのです。こういった環境条件の中にいる現代の子どもにとっても、どこかに最終的に落ち着く安住の地がなければなりません。それが家でありましょう。家に帰ればほっとする、これが家だと思います。外でいじめられた子どもがわが家にとびこんでほっとする、そこは自分を守ってくれる城だからです。そしてそこにいつもの場所にいつものように母親が笑っていれば、どんなに安心できるでしょう。反対に家にとびこんだとたんに冷たい空気が流れてきたり、怒鳴りあいの声が聞こえてきたらどうでしょう。そこはもはや子どもにとっては安住の地ではなくなってしまっていると思います。どこかに安らぎの場所をみつけようとします。不良仲間のたまり場に憩いの場所をみつけようとした子どもは、非行集団に入っていきましょう。
 子どもは親の日常生活や行動をじっと見ています。親の心を敏感にうけています。夫婦ゲンカがあってもたまにはいいでしょう。夫婦の仲がよければ……そしてユーモアがあれば。子どもたちはユーモアのある家庭を求めているのです。困難さの中にユーモアの光を見つけ出すことができれば、それだけ解決に向かって一歩近づくのです。

新任自己紹介
 この項目は掲載いたしません。


[北陵だより第21号 6ページ]

スクールライフ


柔道部
3年生男子

 われわれ柔道部は、3年生3名が全道大会へ出場しました。結果は、加賀がベスト16、中野渡がベスト8、しかしこの準々決勝での試合は、審判の判定に疑問の残る試合でした。そして、筒井がベスト8と全体に不調でしたが、この後の国体予選へとまた頑張ります。

体操部
2年生女子

 6月17・18日と岩見沢の競技会に出場し感じたことは、去年よりも一層レベルアップが見られ、一人一人の力がほとんど同じくらいになってきて、ちょっとしたミスで順位が変わる状態でした。これからも良い成績を取るようがんばりたいと思います。

バレー部
3年生男子

 6月22日から25日、紋別市にて全道大会が開かれました。ベスト4に入りたいと思っていましたが、残念ながらその前で負け結局ベスト8でした。勝ちを意識したのが敗因で、やはり全力を尽くすことによってのみ、自ずから道が開けることを知らされました。

バドミントン部
3年生男子

 われわれは、北陵、また全札幌の期待をにない小樽へ旅立った。しかし、われわれを待ち受けていたのは、全道の厚くそして高い壁であった。われわれには、2回戦の壁を打ち破ることができなかったのだ。ウーン残念。“島津”来年こそ、たのむぞ!!

陸上部
3年生女子

 函館千代台で5名が健闘。春以来故障者の連続、特に優勝候補とみられたポールの本谷が膝関節をいため、その上競技中にポールを折り涙をのんだのは残念。全道レベルは年毎に上昇している。幸いにして2年部員の参加が多かった我部は来年の札幌大会に期待したい。

軟庭部
3年生男子

 6月20日、21日と帯広市で行われた全道大会において、我々軟庭部からは団体、個人2チームが参加した。共に好成績を得ることはできませんでしたが、この大会に出場したという自信を忘れず、今後の大会に臨みたいと思います。今後の軟庭に期待します。

見学旅行 自主研修の一日

長谷寺詣で
2年7組生徒6名

◎研修のねらい
 奈良にはかぞえきれな数の寺があるが、その中でも牡丹や梅の花なおで有名な長谷寺―そこが、私達の自主研修の目的地であった。季節がら、特に牡丹は満開頃であろうという考えもあったし、他にも、珍しい建築方式等を見学するのも、ねらいの一つであった。また、疲れさせないような登廊・長谷寺の名を広めている大きな要因の一つである霊の言い伝えも、興味深く感じられていた。
 事前研修で、こうしたねらいを発見し、学習して、長谷寺へ向けて出発した。小雨がちらつくというあいにくの天気ではあったが、案とか見学できた。比較的年配の参拝者にまじって、私達はカメラのシャッターを押し、境内を歩き回った。
◎研修コース
 長谷寺およびその門前町
◎研修を終えて
 前にも述べたとおり雨降りであったが、もやのかかった風景もまた非常にすばらしかった。牡丹も予想通り満開で、眺める人々を魅了していた。登廊においても、とても歩きやすく、これを考えた人々の繊細かつ温かい心配りが感じられた。そうして、長谷寺を含めた寺というものが、決して年配の方々だけでなく私達にとっても心の休まる場所であることがわかった。また、近鉄長谷寺駅で下車し、歩いた1キロの道のりにも門前町の姿を見ることができて、うれしく感じられた。そしてそこが、今でもこの長谷寺を中心に動いているのである。そのしっとりとしたたたずまい、荘重な寺、これらには、どこにこんなにも人を寄せ付ける魅力を秘めているのだろう。しみじみ思い起こしている次第である。

編集後記
▼ふくいくとしたバラの花咲きにおう美しい季節になりました。本年度最初の「北陵だより」をお届け致します。
▼はじめて編集にたずさわり、記事の内容・配分など、1ページをうめるにも緻密な神経と、皆の協力が必要なのだと痛感致しました。
▼今回、生徒指導の先生にお願いして生徒の悩み(諸問題)を「シリーズ」として取り上げてみました。親たちは子供の悩みをどの程度理解しているのか、もう一度あらためて考え、親は今何を知らなければならないのか、生徒達はどの様な悩みを持っているのか、皆で考えてみませんか。
▼お忙しい中、原稿を戴き有難うございました。