北陵だより第24号/昭和54年7月20日発行


[北陵だより第24号 1ページ]



北陵生に望むこと
後援会会長

 一週間ほど前私は一通の国際航空便を手にしました。差出人は、ミス・カレン・スミス。オーストラリアの高校2年生からでした。
 昨年の春、ロータリークラブの交換留学生として小樽の道立C高校にやって来た彼女は1年間を日本で過ごしましたが、帰国する頃には日本語を殆どマスターし、お別れの挨拶の時は英語を忘れたかの如く鮮やかな小樽弁のアクセントの日本語で、私を驚かせたものでした。  その彼女の手紙は、英語に弱い私の為に漢字、ひらがな、カタカナまじりの文字と、ところどころ英語の単語で綴られているというバラエティーに富んだものでしたが、彼女の手紙を要約すると、次の様なことが書かれていました。  “シドニーから車で2時間程の距離にあるタンカリーホスターの街は、これから冬に向かう季節です。冬休みにはアルバイトをして旅行の資金作りをします。旅行先は2年後にもう一度、今度は自分のお金で行こうと計画している日本です。大学に進むのはその目的を果たした後で、ゆっくり考えたいと思っています。
 小樽のC高校で、沢山の友人が出来た事は本当に嬉しい事でした。しかし彼や彼女達の殆どが大学受験の為か、ガリ勉型で自分の自由な時間があるのだろうかと思う程でした。その事だけが私には悲しい事でした。
 オーストラリアの高校生は、精一杯汗を流してクラブ活動や課外の運動を楽しむのが普通です。
 私のまわりには、いつも沢山のボーイフレンドが日本語を教えてくれと集まってきます。お土産にいただいた日本製の腕時計は正確でみんなが正しい時刻と合わせる為に、よく聞きに来ます。その時計を見ながら私はどんな事があっても高校を卒業したら必ず日本に、もう一度行きたいと考えている毎日です”
 彼女の手紙を読んだ後で、私はふと自分の学生時代の事を思い出しました。赤点をもらうのが当たり前の様な不勉強な毎日でしたが、地下足袋をはきサッカーをしたり(級の殆どがサッカーシューズを買えませんでした)、素足のままで陸上競技をしたものでした。
 時代が違うといえばそれまでの事ですが、それでも私は自分の青春時代ともいうべき学生時代の思い出はいつもバラ色に輝いています。
 北陵高校の生徒諸君に私の時代をまねろとは云いませんが、カレンの様に大学進学だけがすべてではないと云いたいのです。自分の進む道は両親や先生が決めてくれるものではありません。一度だけの人生の間で一度しかない高校生時代をもっと楽しみなさいと云いたいのです。
 グランドに飛び出して汗をかけ! 真夏の太陽の下でキャンバスに絵具をたたきつけてみろ!
 そして閑をつくって教科書とも仲良く対話をする事を忘れるな!
 モヤシのような青白い顔の生徒が一人もいない北陵生に是非なって欲しいと私は願うものです。
(後援会会長)

ゆりの木
保護者

 近頃の世の中は、本音と建前とをあまりにも自分の都合の良い様に使い分けられている様に思います。
 例えば自分から他人に対しては建前で話をし、自分は本音で言動をする風潮が大きいのではないでしょうか。この様に考えられるいくつかの要因として、自分の視野の狭さ、自分の所持している情報の少なさ、あるいは教養もしくは知識の不足等が挙げられると思います。自分の生活を振り返ってみても子供のしつけ、主人との会話などにこれらのことが随所に見られ、反省させられます。
 以前、私達が教育を受けた時は確かに本音と建前は近づけるべく努力するものと習ったと思います。本音と建前がなぜ必要なのか、どこでそれら本音と建前とを近づける様努力すべきなのか、出来るだけ正しく正確な判断をするには、やはり意識しながら毎日を過ごすことが、大切なのだろうと考えます。


[北陵だより第24号 2ページ]

全道高P連大会に参加して
行財部会で会長が提言

教職員

 今年の高P連全道大会は、6月21日22日の両日滝川市文化センターで開催された。1日目は総会とシナリオ作家倉本総氏の講演があり、2日目は「未来をになう青少年の豊かな人間性の育成を目指して」というテーマのもとで、4つの部会(行財政、学校教育、家庭教育、私学教育)が開かれた。
 大宮会長は、『PTAの研修活動はいかにあるべきか』と『学校教育発展の為の援助をいかにすべきか』との2点について提言をした。すなわち、現在高校は受験戦争、乱塾、落ちこぼれ等の幾多の問題をかかえており、文部省はこれらの問題を解決する為に指導要領の改訂を行い、知、徳、体の調和のとれた豊かな人間性を育てる教育への転換を目指している。この重大な転換期にPTA活動はどうあるべきなのかについて提言したのである。
 提言1の研修活動は、PTAの本来的な活動であり、子供に対して遺漏のない指導助言をする為には、親も子供に見合う成長が必要であり、親自身が教養を高め生きがいを追求してこそ子供の範となるわけで、今後研修活動を大いに推進すべきであると提言し、本校の公開講座の概要を紹介した。
 提言2では、人間性豊かな生徒の育成の為には、子供のおかれている教育環境を改善する事が急務であり、特に対区間の床面積・暖房・第2体育館の必要性等や、視聴覚施設設備の整備状況の調査結果からも、一部の高校をのぞいて極めて不十分である事が判明し、関係当局に対して積極的に改善を図ってほしいとの提言がなされた。これらの内容はどこの高校でもかかえている問題であり、熱心な討議がなされたのである。

私の青春時代
後援会副会長

▼札幌師範学校(現北海道教育大学)を卒業して、月寒にあった旧歩兵第25連隊に入隊した時はまだ鉄けん制裁などは禁じられていました。それがわずか4年、あっという間に太平洋戦争に突入してしまいました。私の20代は戦争につきまとわれた時代です。
▼学生時代には、二・二六事件という衝撃的な事件があり、思想統制が次第に強められておりましたが、まだゆっくりとしたところがありました。入学した時からすぐバスケットボール部に入りました。
 昭和初期の頃とは違い、コートは原則として屋外を使いました。得点すればボールを毎回センターサークルにもどして、試合開始の時のように、またボールをあげなおしするという方法でした。
▼ルールも今のようにしっかりしたものではなかったので、かなり荒っぽい試合が行われたものです。全道大会は7月下旬に行われましたから、授業終わってから暗くなってボールが見えなくなるまで、激しい練習を続けました。外でやる練習ですから、ユニフォームを着ているところだけを残して、全身真っ黒です。
 先輩達は過去2回全国大会で優勝していましたから、全道大会にはかならず優勝するための、激しい苦しい練習が要求されました。在学5年中、4年間レギュラーメンバーとして出場し、3回全道大会で優勝し、全国大会には4回出場しました。4年の時、全国大会で準優勝をしましたが、自分の手で優勝するという機会にはめぐまれませんでした。
▼こんな青春時代を過ごした私には、色々貴重なものが残されているような気がしてなりません。

話のひろば
下宿屋体験記

一般市民

 昨年北陵高校を卒業した男子生徒3人に2年間下宿してもらった。
 今は3人ともそれぞれの志望校に入って元気に学生生活を送っており、冬休みや夏休みには、我家を訊ねてくれるが、そのたびにこの子たちと生活を共にする経験をもてて良かったとつくづく思う。
 と言うのは、下宿の話が出た時は正直言って「シラケ世代」「受験地獄」「三無主義」などなどの言葉が頭に浮かんで、何となく不気味な生物が侵入してくるような一種の恐怖感を覚えたからだ。しかし、実際に生活を共にしてみると、そんなマイナスイメージは全く消え去って、逆に現代の高校生の良さを発見させられたように思う。
 粗暴さのない行儀のよさは一人っ子世代の積極面なのであろうが、縦横の博識ぶりや、楽器や各種スポーツを自由にこなす多才さが、彼らだけでなくその友人たちにも共通しているのを知って、終戦直後に小学校に入った私達の世代が受けた教育と今日の教育との巾の違いのようなものを感じたことが一つ。彼らの高校生活が「灰スクール」どころかまことに充実していて、3人ともそれぞれの所属するサークルで多くの友人をもち、伸び伸びと自分の才能を発揮していることに感心したこともその一つである。女子生徒とのくったくのない交際ぶりもまことにさわやかな印象を残している。
 私も教育にたずさわる者の一人であるが、現代の高校生との直接的接触の機会を与えられ、今日の若者像の修正を余儀なくされ、その可能性に確信を持ち得たことは自分にとっても大きな財産になったと思っている。およそ若者を信ずる心がないところに教育が成立するはずがないからである。
 我家は、私自身が多忙で出張も多い為、半母子家庭の状態にあって、この点は現在も変わらないが、下宿生達はこの欠損家族を十二分に埋めてくれた。特に妻は長く高校教師をしていたので、彼らとの話し合いが楽しみを過ぎて生き甲斐になっていたようである。幼稚園に通っていた2人の子供も、3人の「おにいちゃん」にたっぷり遊んでもらい、すっかり北陵高校のファンになった。おにいちゃん達が卒業していった後、我家はしばらく風穴があいたように思えたものである。彼らの良さは、おそらく北陵高校の校風とも無関係ではないのだろう。地域住民の一人として、良き校風の維持発展を心から願う次第である。


[北陵だより第24号 3ページ]

昭和54年度 PTA予算書
 この項目は掲載いたしません。

昭和54年度 後援会予算書
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[北陵だより第24号 4ページ]

昭和54年度 役員名簿
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[北陵だより第24号 5ページ]

笠森先生の著書、発刊
生徒指導にかけた半生の記録

 「先公お前に関係ない!」。なんとシラケタ、自棄的なことばだろう。この衝撃的なことばを題名としたこの書には、落ちこぼれようとしている子ども達の本心を掴もうとする、先生の情熱と真剣さと愛情がいっぱいだ。「先生、俺達のことを知ってくれよ。俺達を見捨てないでくれよ。」という無言の叫びを、先生は心でしっかりと聴いておられる。
 30年間の教護生活の激務は、先生の生徒に対する深い愛情を支柱としている。「親はヨワイ子どもほどかわいい。それと同じですよ。」淡々と語られるおことばに深い感動を禁じえない。
 内容の個々の事例は多彩だ。実態をありありと伝えてくれる。非行生徒の心の渇きが見えてくる。
 生徒指導をする教師にとって、また家庭教育を担う父母にとってこの書は生きた示唆を与えてくれるだろう。
 昨年、先生は業績を認められ、社団法人青少年育成国民会議より全国表彰を受けられた。
新北海道教育新報社出版局 定価970円

「家庭がつまらない…」(1)―調査にあらわれた特徴―
生徒指導部長

 前回までは親と子のかかわりを一般的な関係の中でとらえてきましたが、今回は資料をもとに進めてみたいと思います。
 昨年の夏、札幌市内の一般の小、中、高校生2,000人を対象に「少年非行に関する意識調査」というのを市青少年問題研究所が行いましたが、その後道警本部の協力で昨年の夏休み中の1ヶ月間、市内各署でシンナーや万引き等で補導された少年252人を対象に、同じ質問用紙を使って調査をしてみました。この2つの資料を比較することによって、非行少年の意識の実態ならびに非行の原因についてある程度の理解が得られるのではないかと思うのです。次に資料から得た非行少年の特徴というべきものをいくつか挙げてみましょう。
 まず非行少年だけの調査結果では、一般の子供を対象にした調査結果に比べ、家庭が楽しいと答えた率は極めて低いということです。「楽しい」と答えたのは、一般調査で小学生が73%だったのに対し、非行少年では33%、中学生で58%に対して38%、高校生で50%に対して41%、非行少年の中で、とくにシンナーで補導された少年(大半は高校生)をみると、その率は26%と極端に低くなっています。つまり非行少年の特徴の一つは、家庭、親に対して不満を持っているものが多いということです。
 次に非行少年には、欠損家庭の多いのが目立つということです。一般の調査では欠損家庭の占める率は、7%から10%前後なのに、補導された非行少年の場合、小、中、高ともその倍以上の高率を示しています。欠損家庭といえば両親の離婚、別居など家庭崩壊がもたらすケースが多い昨今ですが、両親の間に入って悩む子供たちがあわれでなりません。
 また非行少年に老人同居家庭が少ないのも特徴の一つです。それにしても非行少年の家庭が共働き家庭よりも母親が家にいて家事に専念している家庭に多いというのは何という皮肉でしょうか。母に専念している率をくらべると、小、中学生では非行少年も一般もあまり差はありませんが、高校生は逆に非行少年の方が10%近くも高くなっているのです。つまり母親が家にいてもちっとも非行の歯止めにはなっていない家庭が多くなってきているということです。
 以上は、比較による特徴の一部ですが、何はともあれ大切なことは、親は友人関係などにも話にのってやり、子供を正しく理解し、聞き役としての親の態度からこそ楽しいものが出てきましょう。

新任自己紹介
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[北陵だより第24号 6ページ]

スクールライフ
高体連・高文連全道大会で活躍


陸上部
3年生男子

 北陵高陸上部4人は、6月22日・23日の両日札幌円山競技場で健闘しました。その結果は、みんな緊張ぎみで試合に臨んだため、実力が十分出せず、残念にも一人しか全国への出場権を得ることが出来ませんでした。全国は滋賀の大津で開かれますが、本州の選手に負けないようにがんばってきます。

体操部
3年生女子

 6月16、17日帯広で行われました。結果は跳馬で1位となったものの総合では5位でした。他の学校に比べると練習量も少なく、私自身苦手な種目に自主的に取り組む事が欠けていたため4種目平均に、演技出来なかったのは残念です。来年は団体で出場してほしい。

柔道部
3年生男子

 6月2・3日と千歳高校での高体連地区大会では、団体戦はなんなく勝ち進み、3位になったものの、全道をかけた第一高校との試合におしくも敗れました。個人戦では、木村が軽量級で優勝、安達が軽量級で3位となり、全道大会では木村が3位の結果でした。今後の柔道部に期待します。

弓道部
3年生女子

 すべてが経験となりました。確かに初出場だからと、なぐさめられる様な結果に終わりました。この“参加”の意味は、今迄の地道なつみ重ねとして得る事の出来た結果であり、これをこれからの1、2年生の活躍のためのふみ台として生かしてほしいと思います。

テニス部
3年生男子

 波の音を聞きながら、函館での全道大会を迎えました。試合当日の20日・21日は雨もようで、個人戦がインドアになるなど重苦しい雰囲気の中で行われ、団体と個人3ペアが出場しましたが、いまひとつ前進することができませんでした。再度の奮起をはかり、もう一歩飛躍を。

放送局
2年生男子

 大会となれば運動部よりも影のうすい放送局ですが、今回のNHK杯高校放送コンクールでは、ラジオ番組部門で全道大会に参加する事が出来ました。結果としては入賞出来ませんでしたが、この次こそ全道の壁を破ってやりたいと思います。我々のNEXT-ONEを見ていて下さい。

見学旅行 自主研修の一日

飛鳥めぐり 2年5組第6班
 前日の雨が嘘のように、からっと晴れあがった気持ちのよい日だった。自転車に乗って、通り過ぎる風がとても心地良かった。飛鳥はとても歴史が深いため、多くの貴重なものが遺っている。時間は思ったよりも少なく、研修は大変でした。
<研修コース>
 まず最初に、飛鳥が一望でいる甘樫丘、飛鳥大仏で有名な飛鳥寺、壮大な建築物跡の板蓋宮、参道の傾斜がとてもきつかった岡寺、蘇我馬子の墓といわれる石舞台古墳へ。ここでは馬子のたたりか、レンタサイクルの鍵をなくした人が2人もいた(後で発見)。そして、聖徳太子生誕の地である橘寺では全員で花嫁修業の予行演習としておうす茶をいただいた。最後の目的地である高松塚古墳へ到着。壁画館にも入り説明を聞き、なんの変哲もない丘から、色彩豊かな壁画が発見されたと実感し、感動した。
<研修を終えて>
 見学旅行で一番楽しかったことは、聞かれたら無条件に“自主研修”と答える。それ程に私達にとって飛鳥の印象は強烈だった。自分達の手で調べ、自分達の足で歩き、自分達で見、自分達で感じた。時には歴史の重さに驚き、時には諸手をあげて喜んだ。一度も行ったことのない土地で、たった一枚の地図だけをたよりにして、ひとつひとつの目的を達成した。そのたよりがまだ慣れぬ友との結びつきをさらに深いものとしてくれた。
 私達と同じように飛鳥へ行った班もあるだろうし、また別の歴史を見た人もいるだろう。でも、私達のおもいは、ある一点でつながると私は信じたい。同じ国の同じ人間の築いてきたものを同時に見たのだから。

編集後記
▼葉蔭恋しい候となりました。馴れない者同士が集まってやっと出来あがりました。皆さまに喜んでいただける、より良い北陵だよりをと念頭から離れませんでしたが、楽しく読んでいただけましたでしょうか。
▼下宿屋体験記いかがでしたでしょうか?この“ひろば”の欄を気軽なおしゃべりの場として活用していきたいと思いますので、ご寄稿下さいますよう係一同お待ちしています。皆さまの御力で素晴らしい北陵だよりに育ててくださいますようお願いします。
▼編集にあたり御協力頂きました諸先生、お忙しい中を御寄稿下さいました皆さまに心からお礼申し上げます。