北陵だより第29号/昭和56年3月10日発行


[北陵だより第29号 1ページ]

PTA活動をかえりみて
PTA会長

 風雪にめげず3年、晴れて卒業式を迎えた生徒諸君には、心から祝福申し上げます。あわせて教職員の方々のたゆまぬご指導とご労苦に深く感謝申し上げます。
 巣立ち行くわが子にまずはホッとした一瞬の実感です。これからの進学・就職に健やかに育ちゆくわが子を願い、あるときは喜びをあるときは心痛める日、それが親としての責任でもあります。
 PTA活動は曲がり角にきている、当初の学校施設への後援団体的行動から脱皮して、責任を自覚し自らの研修を重ね親睦を図りつつ健全な教育環境作りを推進しているとき、校内暴力・家庭暴力・非行の多発に対処しきれない環境にPTAは「保護者会議」に改組せよと公の場で言われる近頃です。
 PTAの各種研修会、会議ではいつも問題提起されている、
◎放任はいけない、過保護・過干渉もいけない、では具体的にどうすればよいのか。
◎情操教育の不足というが、情操教育とはどのようなものか。「躾」が大切というが反面躾は強制を伴うもの、自主性の妨げになるという声もある。
◎家庭内暴力、学校暴力など連日報道されているがその根本的な原因は何か。
 これらはほんの2、3例に過ぎないが、問題点は次から次に出され、講師を招き討議もされていますが、その内容は一般会員の中に浸透しているとは思われません。
 集団暴力事件が起きて緊急総会を開いた、わが校に限って、わが子には関係ない、ということで日常の対応が不足しているのではないかと思われます。
 入学式と卒業式には参列するがあとは学校任せ、役員任せでいることはないだろうか、役員に選ばれた方は熱心に参加し理解されても思うにまかせない現状です。
 北陵には「公開講座」があり他校に類を見ない実践活動として注視され、参加者は年々増えていることは喜ばしいことで、今後ともより充実し会員が認識を深める場として活用されるよう希望します。
 思いつくままペンを執りました。身勝手と力なさをお詫び致します。
 開校10周年の今年、学校と家庭が一つになってわが子の母校北陵高校とPTAが一層の発展をされることを祈ります。

「テレビの家来になるな!」
後援会長

 去る2月10日旧制中学校を卒業して30年目の級会が札幌市内で開かれました。この日集って来た私の昔の仲間達40余名は、お互いに生きている幸せをよろこび夜の更けるのも忘れて語り合いました。その時の話題の中で“現代の高校生の家庭教育はどうあるべきか”といった話に議論が集中しました。私を含めて仲間のほとんどが高校生を持つ親の立場にあるため至極当然のことであったのかも知れません。
 「この頃の高校生は可哀そうだ、明けても暮れても大学受験準備に追いまわされ自分の時間というものを持つことが出来ない、そのためか人の心や相手の立場などということを考えてやれない人間になりつつある。」といった声が大半のようでした。
 そんな時、小学校の教師をしているN君がこんな話をしてくれました。『小学生と高校生では勉強の仕方はちがうが、小学生が学校で勉強する時間が1年間で約1千時間、家庭でテレビを観る時間も約1千時間、同じ量なのに子供達はテレビの家来になりつつある。テレビの言うことは良く聞くが親や教師の言う事をだんだんきかなくなってきた、つまりテレビが自分の友達や仲間の役割を持つようになってしまったのだ。家庭で親や兄弟、学校での教師や級友との会話が失われて行くことは恐ろしいことだ』。そんなN君の話を聞いても私達は誰一人としてこれに反論することができませんでした。
 変な話題になりましたが、さて今年も卒業式を間もなくむかえようとしています。わが北陵高校からも大学や社会に巣立ちゆく450名の諸君達にまずはおめでとうと申し上げます。又在校生諸君達もそれぞれ進級されますが、どうか先輩の残してくれた北陵の伝統が更に大きな実をむすぶよう一層の努力を願うものです。
 ところでかく申す私自身はこの1年間の後援会活動を反省してみますと誠に汗顔の思いでいっぱいでございます。
 本校は今年開校10周年をむかえ色々な行事が予定されておりますが、これに先がけ昨年PTAと合同で記念事業の一環として校舎の中庭の緑化を計画し、その作業が先生方や事務局の方々の手で進められてきました。雪どけと共にすばらしい憩いの場所としてその全貌をあらわすことでしょう。
 先に書いた話題ではありませんが北陵生諸君は決してテレビの家来などにならず緑あふれる中庭で読書に親しみ、グランドに飛び出してスポーツで汗を流す自由な学校生活でありますよう心から願うものです。
 卒業なされる諸君達も夏休みや休日には想い出の屯田の道に足をはこんでください。私も後援会卒業生の一人として北陵を想い続けます。

ゆりの木
保護者

 春とは季節だけの特権ではないのです。人間の生活にも春は平等に必要なのですが、しかし、進学という処でみた時は春の訪れのない若者があるのです。社会の仕組みは一朝には変えられない中で、日の当らない春を迎える若者を考える時に私達は或る意味で恵まれたことに感謝すべきでしょう。そのことは、親の立場で将来の社会を作り出す若者のために何を考えてやるべきかということです。最近特に問題になっている若者の非行、私達はその若者の親であることを思い出しました。私達にも青春時代はありました。それは今とは比べることの出来ない時代でしたが、皆それなりに悩みよろこびをもって生きて来たのでした。それは今の社会の中で、すぐに物事の尺度になるとは考えません。しかしそれぞれに生きて来たという実績は、親として行動の基本であることに想をおこしてみました。非行に走る原因は色々あるでしょう、そのことを考える中に、確かに親として時代の違った中にいる若者に、何か自分の子供でない様な気がして言葉がありません。とはいっても自分の子供、この社会は物に価値を求め、愛とは多くのものを与えるものとし、自分もそれに満足するということになっております。今そのことを考え直し、人間とは心の生きものであることに思いをおこす中で、体験を心に変え親とは何かについて自己反省し、き然たるものも必要ではないかと自分の心に問うことで今後を考えるものです。


[北陵だより第29号 2ページ]

生きたよろこび
教職員

 昔のお百姓は「あしたに星をいただき、夕べに月を背負って帰る」といわれたが、秋の収穫を夢みて、日曜、祭日もなく、雨の日も風の日も働いたものである。少々オーバーな言い方かもしれないが私の教員生活の大半も同じではなかっただろうか。今、過去を顧みた時「十年一昔」という言葉が実感として味わえるのである。「人生25歳」と信じ戦争にかり出され、生死の境を彷徨い、生きて祖国の土を踏みしめ、ホッとした気持ちと、38年間大過なく過ごせた教壇生活を去る今の心境とは同じ様な気持である。更に戦死した多くの学友や部下に何か報いなければと、心の片隅にあった気持ちも整理出来た気もする。
 昭和49年4月、本校に赴任した時の、鳩糞の匂う旧校舎もなつかしい思い出であるが、それに増して感ずることは本校の先生方は勿論のこと、PTA会、後援会、陵友会の方々のご親切である。特に私の場合再度表彰を受け、4回も祝賀会を催していただき只々感謝している次第だ。多くの学校を歴任したが、北陵高校ほど住みよい学校はなく本当に心から満足感を味わっている。
 最近校内暴力の問題がマスコミをにぎわしているが、本校では父母の皆様のご協力と先生方の共通理解と相まってその心配はまずないことも、心残りなく学校を去ることが出来る理由である。永年校外指導にたずさわって来て感ずることは、子供達の非行は年々悪質化し女子の非行も激増し、万引きの多いのに驚くのであるが、本校の生徒で補導された生徒は皆無に近い。このことは補導関係者の認めていることであり、本校を高く評価していることも事実である。
 最後に札幌北陵高校の益々の発展と、父母の皆様、陵友会、後援会の皆様のご健勝を祈り、更には生徒が現在、未来にわたって大地に足をふんばり力強く生き得る人間になることを心から願ってやまない。

ものを活かし心を養う
教職員

 長い教壇生活の中で、子供たちに生活の中で生かしてほしいと願って実践してきた事は数多くありますが、“自分の手でものを作ること”“ものを活かして使うこと”ということもその中の一つです。
 普通課程の高校ではとかく知育偏重という方向に流れ、物をこつこつ作る、特に家庭生活の中での技術的なものは、学校で身につけなくても、家庭に入った時点で誰でもが出来るんだと軽視される風潮が強くなってきています。
 手間ひまをかけて作るよりも既製のもので何でも間に合うからと言ってしまえば、たしかにそうですが、家庭への温かい思いやりの心があれば、多少手間ひまがかかっても、そのことにより家族との話し合いや心のふれあいが生まれてくるのではないでしょうか。そうすることが物をじょうずに活かして使うことにもつながることだと思います。
 針を使うことの出来ない母親、画一的な味で、味の良しあしを舌におぼえさせることのない家族、心や体の病気になっても愛情こまやかな手当てもしてもらえない子供など、数多く目にし耳にすることもありますが、家庭生活の中でのそんな基礎的なことを教科の中でもっと実践させてやりたかったと思います。
 被服を選択した子供たちが、運針がじょうずになって、たやすく針をもつことが出来るようになった。浴衣を仕立てたことにより和服を見る目が違ったこと、自分の子供が生まれたら自分の手で浴衣を縫って着せてやりたいと感想をのべていました。こんな事にも教員としての大きな喜びを感じています。北陵での8年間、みな様の温かいお心の支えにより、大過なく充実した日々を過ごさせていただけました事を感謝いたしております。
 有難うございました。

話のひろば
巣立ち行く娘に

保護者

 早いものである。この間、入学式を終えたばかりと思っていたのに、早くも卒業の日を迎えることになり、お前自身も3年間の余りの速さに驚いているに違いない。人間形成にとって大切なこの時期に、良い友達を得、良い校風の学校で学び、健康で充実した日々を過ごせて幸せだったと思っているに違いない。それは3年前に躊躇なく北陵高をすすめた父親の気持ちの納得にもなる。
 憶えているだろうか。1歳半で苫小牧から札幌にうつり、兄妹両親の典型的な核家族、何事にも内気であったお前、犬猫はいうに及ばず飛びかう蝶々にも逃げ回っていたお前、よく大きく成長してくれたものと感謝している。娘の誕生が嬉しくてしようがなかった父親、心では躾をきびしくと思いながら、現実には甘やかす親ばかチャンリンの父親と反省の繰り返しの中学時代までであった。
 高校志望を決めるとき、15歳の春を泣かすなと中学の先生はA、B、C、D校とアドバイスしてくれたね。対するお前の反応は、A校は私服でよいが一寸きびしいかも、B校は制服がスマートだから気が動く、C校は、D校は、とそれなりの理由しか無かった。中学までは殆んど母親まかせだったのをここは私の出番とばかり強く北陵高をすすめたのを知っているね。職業がらいくつかの高校の評価は耳にしていたので、お前の生活なら躾がよく生活指導面で評判の高い北陵高へと、初めて父親らしい断を下したね。あれから3年、高校時代のことは改めて言わなくてもよいでしょう。1年の学校祭のスターウォーズからSF映画に関心を持った父親、2年の進路相談からいくつかの学校を知ったこと、来るなと言われた3年の学校祭で、いつか出てくると思った演劇でついに現れず顔を見合わせた両親、いろいろあるが考えれば顔を出し過ぎたの反省もある。いずれにしろこの3年間、優しく励まし、時には厳しく立派に育ててくれた母校に、そして敬愛すべき恩師に、また悩み、話し合い、助け合った友人に心からの感謝を忘れてはいけない。
 心の底からの感謝、それからお前の本当の青春が始まるのだ。青春は素晴らしい。夢があり、涙があり、無限の可能性がある。悔いのないように信ずる道を力の限り生きて行きなさい。如何なる困難に遭遇しようとも自分の未来を信じ、力強く生き抜くことです。
 最後にこれからは自分の責任で行動する年令になるのです。成人になるのももうすぐです。まわりへの感謝の気持ちを忘れず、思いやりのある、素直で、責任感の強い人に育って欲しいものです。


[北陵だより第29号 3ページ]

ツィゴイネルワイゼンと私
校長

 「ただ今から先生がお好きなツィゴイネルワイゼンの曲をかけて先生御夫妻をお送りいたします。」―これは去る2月、滝川時代の卒業生を中心にして、私のために開いてくれた「感謝と励ます会」のフィナーレでの司会の言葉である。曲が流れ始めて、私は万感の思いを秘めて退場したのだった。
 それにしても、卒業生というものは、よく遠い過去のことを覚えていると感心した。私がもう忘れかけていた思い出を、その時また強烈に思い出させてくれたのである。
 忘れもしない。昭和20年の暮れ近く、それまでは見ず知らずの70名程の病人グループが本隊と分かれてソ連アルスクの、とある田舎町の病院に収容された。その病院で約5ヵ月異郷に淋しく過ごした時のことである。
 その中にHさんという、召集前は奉天で歯科医をしておられた方がいた。私よりは遥かに年配、満州で抑留され、樺太からソ連に渡った私たちと奇しくも生活を共にすることになった。Hさんはバイオリニストでバイオリンだけは肌身離さず持ち歩いたという。そのバイオリンで、つれづれをいつも弾き続けたのが、ツィゴイネルワイゼンであった。私はこの時初めて、この曲を聴いた。ツィゴイネルワイゼンとはジプシーの調べというほどの意味だそうだが、聴くほどに心が慰められ、好きになった。なんとも言えぬ哀調があった。
 その後私は幸いにも帰国して昭和23年の1月から滝川に勤めることになった。その時の思い出を教室に行っては語った(のだろう)。それを知っていて、あの時ツィゴイネルワイゼンのフィナーレを思い付いたのだろう。あれから30数年、それにしても教え子というものはありがたいとしみじみそのころをなつかしんでいる。

卒業に寄せて
3学年主任

 短かったと思う人、長かったと思う人。いずれにせよ高校生活最後の時がやってきた。この3年をふりかえる。―合格の喜び。一時的緊張(入学式・宿泊研修)。部活動登録。勉強きびしい。疲れが出る。手の抜き方を覚える。2年に進級。学校の勉強なじまず。
 部活動にも限界、模試SS下、学習は無気力でもほかでは気力横隘(窓からバスに乗った者などあり)。楽しい楽しい見学旅行。学習放棄、3年生、受験は気がかりだがもう少しやりたいことがある。ふと転機をつかみ学習に取組む。気がついたら卒業間近。―時期のずれこそあれ、こんなパターンをふんだ人はなかっただろうか。
 この3年間、学校は決して君達に勉強のみを押しつけていたのではありません。「自分の将来を考えなさい」ということが、すべての先生の気持ちだったと思います。君達の道は決して一つだけではないのだから。
 「勉強なんてどうせ面白いはずのものではない。将来楽な暮らしができるからやっているに過ぎない」などという考え方がエリート高校生と呼ばれる中にもあると聞く。こんな類の人間が世に害毒をまき散らす存在と化するのではなかろうか。進学を志す以上は、自分なりの努力を傾けて、社会の為に少しでも貢献できる人間を目ざしてほしい。そのことが又自分自身にも本当の喜び、生き甲斐となって返ってくるものと信じます。「みんなが行くから」とか「せめて大学くらいは」という考えだけでは、これからが思いやられます。
 過信はいけないけれど、自分の能力を低くみすぎてはいけない。天才とは1の能力に対し9の努力を行使する人といわれる。北陵高校に学んだ君達なら、世に出ても努力さえ忘れなければ、きっと人に負けることはないだろう。その気さえあれば学ぶ場はすべての人に開かれている。手に入らない書物はない。それぞれの道で1日1日を大切に、又二度と訪れぬ青春時代を力一杯生きてください。いつまでも親に頼り過ぎることなく、自律の精神を養ってください。
 無限の可能性を秘める君達の多幸を心から祈りつつ。

基礎体力に配慮を
健康指導部長

 本校における健康保健の業務は養護教諭1名と他に1名の保健担当の教員が中心になって企画運営に努めております。又生徒会組織の中にある厚生委員会(各級2名選出)の保健班が、教師の指導のもとで協力しており次のような作業を行います。教室暖房蒸発皿、カーテンの点検、水飲み場の衛生、石鹸の有無の確認、身体測定・健康診断の補助とその資料統計の協力、体育行事の救護活動等、1年を通じて活躍しております。
 養護教諭はさらに予防注射検尿等々の諸検査、保健所との業務連絡、高体連等選手の検査結果書類の作成、進路関係の身体検査票の作成、健康相談、学校安全事務、日常の内科外科的疾患についての応急処置、家庭との連絡、救急処理を行っており学校保健の中核的存在で多忙をきわめております。
 55年度12月現在での健康相談件数は学年を通じて80件で、全校在籍数の約6%にのぼっており、学年にまたがる長期的な相談もあり、学業活動の影の力になっております。保健室の利用は年々増加する傾向にあり、これは全国的なもので、内科的外科的な利用者の記録にあるものだけでも1,758件であり、3月終わりまでには2,000件ははるかに越す事になります。感冒の流行の頃は3つのベッドが完全にうまり病院へ移す事もありますが、一般的に見て腹痛頭痛共に軽度なもので休養を望む生徒が多く、又薬を希望する生徒が多くなっており、少々我慢が足りないのではと思う事がかなりあり、判断には慎重に対処しております。明らかに朝から具合が悪く登校してすぐ保健室へ直行する例もあり、家庭での指導を望みたいとも思います。
 また朝食調査の結果は大部分の生徒が朝食をとっている事になっておりますが、清涼飲料を飲みながらパンやオニギリを食べている生徒の食生活の態度から想像すると、朝食の内容が問われるわけです。子供等の嗜好にまかせた食事で体力を減退させている例もあるのではと思います。
 保健室で休養する生徒の大半は胸が悪い気分が悪い吐き気めまいを訴える場合が多いわけで、日常の基礎的な体力の欠如が感じられます。その事が風邪をひき易くしているのではないかとも考えております。
 冬季間は喉の痛みを訴える生徒が多いのも最近の傾向で、トローチを求める傾向は家庭での習慣も影響があるのではと思いますが、本校ではなるべく投薬を避けて嗽をすすめております。冷水による嗽は喉に湿りを与えるのみではなく刺激により喉の壁面を強化して風邪の予防に効果があるとの事です。一応保健室には嗽薬は置いてあるのですが、冷水でも良いわけで家庭での習慣が第一と考えます。
 頭痛薬風邪薬等々は、原則的に提供しませんので十分御理解いただきたいと存じます。女子の場合生理痛の処理等家庭での注意によって解決出来る事が多いと思います。鎮痛剤等は出さない事にしており、過度の痛みについては下校させる事も考えられますので、御協力願いたいと思います。
 以上組織と活動内容を紹介すると共に父母の御理解戴く事をも加えて3回に亘ってのべた健康指導部の業務内容の紹介を終わります。今後共お気付きの点がありましたならば御指摘していただき、生徒の健康指導に役立てるよう協力願えれば幸甚です。


[北陵だより第29号 4ページ]



スクールライフ
卒業を迎えて

3年生男子
 高校時代をふり返って一番の収穫といえば、加藤諦三に出会ったことだろう。当時僕はテニス部の部長としてかなり苦しい立場にいた。そんなとき偶然立ち読みしたのが彼の“生きる”という本だった。全くのショックだった。彼の一言一言が胸に突き刺さってきた。“何のために生きるのか”“人と比較するのはやめろ”。人間にとって一番大切なことである。人と自分とを比較してくよくよ悩むのはくだらない。自分を飾るのは空しいことだ。加藤さんを知るまでは今考えるとくだらないことに相当悩んでいたが、この衝撃を受けてから人を気にせず自分自身として生きていくように努力しようと思った。受験も自分なりに納得してできるようにずいぶんと考えた。いろいろなことがあったが、少なくとも今は、高校生活に悔いなしと感じている。

3年生女子
 “卒業”。一口に出して言ってみても今は言葉として響くだけで心までは届いてこない。まだ実感がわかないのである。それには、気持ちが受験の方へと傾いているせいかもしれない。また、まだ自分が高校生活の余韻の中にいるせいかもしれない。ただ、周りの人が卒業・卒業と騒いでいるだけで私の方はいたって平然と客観的に受けとめている。でもそれはまだ仕方のないことだと思う。それに今の私はまだ、高校生活をふり返ってしみじみ感慨にふける程の年でもないと思うから。今はある程度の年令になって自分の過去を振り返った時に、心にからだ中に響いてくるような毎日を送りたい。決して後ろを振り向かず前だけをみて歩いて行きたい。その後にはちっぽけでもいい、私の私だけの人生の軌跡が残っているにちがいない。

卒業記念贈呈品の紹介
 今年度卒業される第7期生一同から左記の品を卒業記念品として贈呈されました。
一、ピアノ(体育館ステージ備えつけ)
一、校章(正面玄関にとりつけ)
 右の総額は寄付金の88万5,500円をあてさせてもらいました。

編集後記
▼雲間からもれる陽射しにめっきり春の訪れを間近に感じるこの頃ですが会員の皆様にはいかがお過ごしでしょうか。
▼永年教育功績者として御貢献され、又本校発展の為にも多大の御尽力を頂きました高原校長先生はじめ笹森先生、田村先生この度惜しくも退職されることになりました。長い間御苦労様でした。益々の御健康と御発展お祈りしております。
▼木々の芽吹きと共に巣立たれる卒業生の皆様おめでとう御座います。これからもそれぞれの道で頑張ってください。
▼毎号新しい発想のある“北陵だより”をと念じつつ、早くも今年度最後の号となりました。又今回の編集にあたりましては、心よく御指導御協力頂きました諸先生方、お忙しい中を御寄稿下さいました皆様方、本当に有難う御座いました。係一同心から御礼申し上げます。