北陵だより第30号/昭和56年7月20日発行
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PTA会長就任御挨拶
PTA会長
会員の皆様には日頃からPTA活動に深い御理解をいただき、絶大なご協力を賜り厚く御礼申し上げます。
去る5月23日定期総会も無事終了し新役員も決定、新予算も承認され昭和56年度の事業がスタートする事になりました。
私この度はからずも会長の大任をお引き受け致しましたが、もとより経験も浅く非力の身で皆様の満足のゆくような成果があげられるかどうか甚だ心もとない気持ちでございますが、幸いなことに優れた識見と豊かな経験をお持ちの野崎校長先生はじめ教職員の方々そして新再任の役員の皆様に支えられながら、北陵PTAの前進が果たせますよう精一杯努力する所存でございます。
長年のPTA活動のなかで優れた指導力を発揮され北陵PTAの今日をあらしめた田沢前会長はじめ退任された役員の方々、更には今春めでたく御子様のご卒業と共に退会されました会員の皆様の御協力に心から感謝申し上げると共に、今後ともPTA発展のために御力添えと御鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
教育の基本は、智、徳、体の調和のとれたものでなければならないが時には知育偏重に走り、ひ弱な自己本位の子供を作る傾向にあることは非常に残念であり、人間性の尊重をないがしろにすることでもあります。多様化する社会の中で子供達に健全な意識を求める正しい教育を、親、子、先生が三者一体となって話し合うことがPTAの使命ではないでしょうか。北陵PTAには他校には見られない「公開講座」もあり、各種の懇親会もあり会員相互に親睦と研修の中から情操豊かな子供を育て上げる勉強の場として活用いただきたく思います。
本年は開校10周年の記念すべき年であり、今秋には記念式典と記念事業が計画されていますが、この10年の節目をステップとして21世紀にはばたく子供達の前途を照らす灯火となるような意義ある10周年行事にしたいと考えておりますので、会員の皆様方の一層のご協力とご鞭撻をお願い申し上げまして、就任のご挨拶といたします。
ゆりの木
教職員
6月17日、全校遠足の日である。学年それぞれのコースを選択し実施する。朝から、生憎の雨催いの空模様。第1学年は、平和の滝を始発として発寒川沿いに手稲山登山である。小雨は執拗に降り続く。登山は、どのみち汗まみれになる。一歩一歩を確かめ全うするということで登り始める。霧に煙った山々、晴れて展ける新樹の海、木の間に落下する清冽な滝々。いつも乍ら自然のありように瞠り、緊張するばかりであった。
自然の偉容は、小さな個の生命の総和なのだ。一草一木が恵与された環境に、時を得て懸命に生きている。気品があって艶やかなムラサキヤシオツツジの雨後の彩は新緑中の紅一点だ。その名に負うごとく、ヒトリシズカがひっそりと木蔭に見える。ヒメイチゲが糸のような細い首を、精一杯に伸ばして群がっている。
これらの生は、決して人間の生と無縁ではない。「真実感合」とは、人間が自然になりきることだ。人間を含めた自然の調和を忘れたところに、心的・物的・現象的すべての破綻が出来るような気がしてならない。自然を愛する心は他を傷つけたり、争うことはしないだろう。「よく見る」ことは愛することだ。なにかを見届けるために生きているような気がするのである。
楽しく辛い登山で、生徒諸君はなにかを「視た」にちがいない。息切れの「ガレ場」を抜けて頂上に立ち、成就の満足感に浸りながら全員無事に下山した。
[北陵だより第30号 2ページ]
着任あいさつ〜賢く強く豊かに
校長
今年も昨年同様異常低温といわれながらも、札幌祭りを過ぎたことよりさすがに陽の光も眩しい夏となりました。
ご父兄各位にはますますご健勝のこととお喜び申し上げます。
さて私、今年度の異動にあたり図らずも本校校長を命ぜられ、この春着任いたしました。
顧みれば、戦時中の昭和19年、現八雲高校を振り出しに教職についてより、網走南ヶ丘高校、旭川西高校、次いで遠軽高校教頭、名寄女子短大附属高校長(現名寄恵陵高校)、斜里高校長、深川西高校長、小樽桜陽高校長を経て本校にまいりました。
ところで皆様ご存知のように、本校は過般来の急激な生徒増に対応して、昭和47年道民の期待と注目の中で発足した道内でいちばん初めの新設校でありますが、以来清新且つ堅実な歩みを続けて今年10周年を迎えます。
この記念すべき年に着任し、本校創設時を偲び、本校ゆかりの方がた並びに本校10年の歩みに敬意を表するとともに、校名「北陵」の由来する「北海道の最高峰」として生々発展するよう、との願いのもとに初代本間校長、2代高原校長両先生の意図を継承し、本校教職員ともどもに、おそらくは私の教職最後の締めくくりとなるであろう本校に微力を尽くしたいと考えております。
私はもともと次代を担う青少年が、磨かれた知性、強健な意志とからだ、そして情操豊かな人、つまり「賢く、強く、豊か」な人になってほしいと願っていますが、そのためには生徒ひとりひとりをますます伸ばし、横道にそれぬよう守り、落ちこぼれを出さぬよう「伸ばす、守る、こぼさない」ことを念じております。
幸い本校は熱心なご父兄、そして教育に献身的な熱情を有する先生方ばかりであります。
今年の10周年を契機として、本校がますます発展しますよう、ご父兄各位の一層のご協力をお願いしましてご挨拶といたします。
私の青春時代
保護者
大正末期から昭和初期の16歳から20歳頃までの4ヶ年、兄、姉の仕送りで旧制師範学校(現教育大)で過ごした私の学生時代を思い起こして。師範学校は寄宿舎生活(全寮制)で8畳の室に4人ずつ、座り机が4つと冬は薪ストーブだけ。舎監の先生御夫妻が両親役で夜は外出禁止、自習時間が決められて先生が必ず見回りに来られたものです。ここで食べて、学んで、遊んで、毎日学校と寄宿舎を一直線に往復したものです。
缶詰生活でしたから日曜が楽しみで、みんな懐淋しい仲間でしたが、保証人宅をお訪ねして御馳走になる者、街をぶらつく連中は昼ウドン、ソバ位たべて夕食時間ともなれば寄宿舎にぞろぞろ帰って来たものです。
外出の服装は詰襟、金ボタンの制服制帽で油染みたのを得意としたもの、寄宿舎では着物姿で、みんなが着た切り雀ですから余計な心配はしなかった。
当時不良学生と言われた者には軟派(女性に関心を持つ者)、硬派(けんか早い者)と色分けされたものですが、そんなの極く少数で一寸度を越すと直ぐ退学させられました。
スポーツは夏は野球、庭球、陸上競技。冬は卓球、籠球、スキー程度。しかし柔剣道は選択正科でこれで大分きたえられたものです。
娯楽は映画(ほとんどがチャンバラ時代劇)と四辻でバイオリンを弾いた辻音楽師からの流行歌を得意になって口ずさむ誠に単純なものです。
当時中等学校に進学出来た者は仕合せ者で、不平不満を持たず学生は学業を本分とするものと弁え結構楽しんだものです。
今の学生たちからなら、そんな世の中あったのかと不思議に思われるでしょうね。
話のひろば〜忘れられない思い出
保護者
20年位前の事ですが、当時私は石油会社に勤めていました。ある時、東京にある本社から、アメリカの潜水艦に燃料である軽油を給油するよう、指示がありました。もちろんその潜水艦は今問題になっている原子力潜水艦ではないので、入港するに当たって別に問題にされなかったようです。
その潜水艦に給油する軽油の量は、200キロリットル(ドラム缶で1,000本分)なのでタンカー(油の運搬船)から直接給油する事になり、税金のかかっていない軽油(免税軽油)を給油する為、関係官庁の許可をもらい立ち合いの上やっと給油しました。
ところがタンカーからの給油量より潜水艦の受け取り量が約3キロリットル(ドラム缶15本分)少ないとクレームがつき業務関係の仕事をしていた私がソロバン持参の上、会社の上司や関係官庁の方、それに自称英語がわかる社員等、合わせて6名で潜水艦を訪問しました。当時使用していた計算器は重くて今のように軽いのと違い、持ち歩くのは困難な為ソロバン片手に出かけたわけです。
生まれて初めて潜水艦に乗船するに当たって私は無頓着にも事務服にスカートという出で立ちで行きました。ところが甲板から中に入るにはマンホールのような円い入り口から下に真直ぐについている階段を降りなければなりませんが、下には水兵さんが4、5人いて上を見上げているのです。当然スカート姿の私は降りるに降りられず、もじもじしていたら、誰かが大声で号令をかけました。その声で水兵さん達はいっせいに、後手を組んでくるりと背中をむけてくれたので無事降りて行きました。
中に入ってみると外見よりかなり広々とした感じでした。艦長室に入りましたら、艦長始め幹部の方5人が我々を暖かく迎えて下さいました。
3,000キロリットルもの量が違うのにはそれなりの理由があるのです。暖かい時、寒い時で油の比重が変わるため温度による比重の係数が決められています。その係数は6桁前後もあります。そのことを通訳してもらい、その計算をソロバンを使って割算を始めましたが、まわりにいる10名の目が一斉に私の手許にそそがれ、私の心臓はドキドキ、たぶん手もふるえていたと思います。やっとの思いで計算が終わりその数字を艦長さんに伝えましたら、重くて持って行けなかった計算器と同じもので検算を始めました。私は息がつまる思いで見ていたら検算が終わり「OK!!」と艦長さんが声を上げ書類にサインしてくれ、その大きな手で握手をして下さいました。その時の感激は今もって忘れられません。
[北陵だより第30号 3ページ]
昭和56年度 PTA会計収支予算書
この項目は掲載いたしません。
昭和56年度 後援会収支予算書
この項目は掲載いたしません。
[北陵だより第30号 4ページ]
昭和56年度 役員名簿
この項目は掲載いたしません。
[北陵だより第30号 5ページ]
着任挨拶
教頭
今春から本校に勤務することになり、この4月に着任いたしました。着任に先だって、3月27日、事務引継ぎのためにはじめて本校に参りましたが、冬の名残りの雪壁を舗道の両側に見ながら、校舎をとりまく雪原と住宅地からの距離に、開校当時の通学の厳しさをふと考えさせられました。本年は創立10周年、関係父母各位の献身的なお力添えと、教職員・生徒の意欲的な学校創りによって築き上げられてきた本校が、次への大きな飛翔を果たそうとの気運をみなぎらせつつある意義ある年。かかる年に着任いたしましたことに、一層の緊張を覚えている次第です。
着任してまず感じたことは、教育工学室をはじめとする諸施設設備のすばらしさでした。そして日を経るなかで、教育に対する先生方の熱心さにふれるとともに、更に、すでにお子様を卒業させられた父母の方々や旧職員の方々までが、本校のために惜しみない努力を今なお続けていただいている様子に幾度となく接し、本校に勤務する者としての責任の重さを痛感しているところでございます。
昭和47年に本校が開校され以後、札幌市及びその周辺地区にも13校もの高校が新設されておりますが、過日そういった新設校の教頭の連絡会議がありました。その折、「自分たちも一体となって創る学校」から「そこにあるから入学した学校」へという気風の変化が、生徒たちの傾向面に生じて来つつあることが、生徒指導上の諸問題の一つとして提起されました。日々の生徒の生活に接するなかで、本校の生徒にも同じような傾向の発現を感じていただけに強く印象に残った提起でした。
また、高校進学率の向上にともなう生徒の多様化にからみ、高校教育のあり方もいろいろと論議されておりますのは御承知のとおりでございます。先生方ともども、父母の皆様方との連携を一層密にしながらこれらの課題に取り組んでまいりたいと考えておりますので、よろしく御協力を賜りますようお願い申し上げます。
学力向上のために(1)―知能の特徴と学習法―
学習指導部長
高等学校における様々な教育活動の中で中心的位置を占めるのは、何といっても教科の学習であることは論をまたない。昨今マスコミに取り上げられている「校内暴力」をはじめとする生徒の非行問題も、「勉強が面白くない」「授業についていけない」といった学習面に起因していることが少なくない。
学校での授業を充実したものにするためには、家庭での学習が不可欠であり、1・2年生でも3時間、3年生ともなれば5時間の家庭学習が最低限必要と思われるが、北陵の実態がそれには程遠いのは残念である。したがって、学習時間をきちんと確保するということを大前提に、次に効果的な学習法ということを考えてみたい。
次の表は、アメリカのギルフォードの知能構造の分析を基礎にして、具体的な対策を提示したものである。日頃の種々のテストや検査、それに本人や両親の判断を加味されて、もし弱点があれば、その対策を実際に試みていただきたい。やみくもに学習するよりは、必ず効果が上がると思う。
要素 | 内容 | 低い場合の影響力 | 対策 |
---|---|---|---|
記憶力 | すぐおぼえる力 | 1.くりかえさないと、おぼえにくい。 2.物事の関連が考えにくい。 |
1.予習・復習でくりかえすこと。 2.一つのことを長くするより、何回もすること。 |
忘れない力 | 1.覚えたもので忘れることが多い。 2.前後の関係がむすびつきにくい。 |
1.毎日復習をまずしてから、次の勉強をすること。 2.新しいことの学習には、その前の段階からくりかえすこと。 |
|
直感力 | 応用のきく力 | 1.同じことがわからない。 2.応用問題が苦手である。 |
1.練習問題を多くすること。 2.わからないこともわかったつもりになりやすいので、一度実際にやってみること。 |
いわゆる「カン」のよさ | 1.予想が立たない。 いわれたことしかできにくい。 |
1.練習問題を多くすること。 2.いつも要点をまとめる習慣をつけること。 |
|
論理力 | 順序だてて考える力 | 1.まとめる力が乏しくなる。 2.関連づけて考えにくい。 |
1.系統をたててまとめる習慣をつけること。「要点」を教科書から引き出せるようにすること。 2.いつも前と関連づけて考える習慣をつけること。 |
いわゆる判断力 | 1.原理を抽出することが苦手である。 2.応用できにくい。 |
1.どの原理を使って考えるのかの態度を身につけるように習慣をつけること。 2.練習問題を多くすること。 |
|
全体としての粗雑さ | 気持ちの上での粗雑さではなくて、頭の働きがそうなっているのである。気持ちの問題とともにくる場合も多いが、要するに理解の空白ができやすいタイプである。 | 粗雑さを補う何よりの方法は、綿密な復習である。教科書を読むこともよいが、漠然と読むだけでは粗雑さの繰り返しになりかねない。自分でまとめるなり、人にたずねてもらうなりすること。 |
新任紹介
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[北陵だより第30号 6ページ]
スクールライフ
高体連・高文連全道大会で活躍
柔道部
1年生男子
札幌地区予選を第3位でこれといった苦労もなく通過し、全道大会に出場しました。会場では全道大会にふさわしい好試合が展開され緊張の中で第1回戦が行われました。前半は有利に試合を進めていましたが後半に疲れが出、逆転され残念にも破れました。この試合であらためて、自分の試合運びの未熟さと力不足を痛感しました。北陵に入って2ヶ月の間、武内先生及び諸先輩方にいろいろな稽古やアドバイスをしてもらったにもかかわらず、それを生かして試合に発揮することができなかったことを情けなく思います。この試合の結果を踏み台にして今後の練習の参考にしていきたいと思います。
陸上部
3年生女子
私達陸上部では男子4名、女子1名が26日から岩見沢で行われる全道大会への出場権を獲得した。これは、5人の努力はもちろん、部全体が地区予選を目標として努力してきたからにほかならないと思う。
全道大会。各地区から練習を積んだ選手が集まる、厳しい大会である。それに自己のベストで臨む。それこそが、部や地区代表として、そして自分に恥じぬプレイになるに違いないと思う。自己の最大限を出すことを心がけ、大会に臨みたい。
弓道部
3年生女子
高体連弓道競技札幌地区予選大会は、6月1・2日の両日、本校体育館において行われました。結果は男子個人2年松尾が第1位、女子個人3年小川が第2位、女子団体が第3位と健闘し、個人入賞者2名は全道大会へ進出することになりました。今回の大会は我が校が当番校ということもあり、常の試合よりも忙しく、練習時間を雑用に回されたりして、部員の心境もたかぶっていましたが、よく健闘したと思います。今年は例年になく新入部員も多く、2年男子も伸びてきているので、今後の弓道部は期待できると思います。
軟庭部
3年生男子
全道大会では4回戦まで勝ち進むことはできたが、全国への壁は厚かった。全国をかけたファイナルゲームであそこに返球していればと考えるとやはり悔しい。
軟庭は技術が3割で精神力が7割を占めると言われている。だからといって精神力だけで勝つことができるわけではなく技術の3割が勝を握る鍵なのである。その3割の重さをいかに重くするかは日頃の苦しいトレーニングや練習であると思う。夏の日照りや屯田風に負けず、私達が成し遂げることができなかった全国大会出場に向け後輩諸君頑張って下さい。
放送局
3年生男子
今年は、突然僕が書くはめとなってしまった。つらい。今年6月7日に行われたNHK杯のアナウンス部門において3年生の徳差さんが第9位、番組自由部門において第2位。
以上2つの部門で全道大会に臨みました。番組は、テープ審査ということですが、アナウンス部門において最大限の努力を傾けました。その結果、アナウンス部門で第6位と全国大会への切符をつかみました。全国大会でも力一杯やってきます。みなさんのご声援をお願いします。
宿泊研修を終えて
1年生女子
中学生気分も抜け、やっと高校生活にも慣れはじめた頃―4月下旬。私達1年生は、高校生活最初の集団行事・宿泊研修に参加した。
出発前は“旅行”にでも行くような軽い気持ちでいたが、実際はどうしてどうして、そんな生やさしいものではなかった。
まず、行動のひとつひとつが分単位で定められ、その限られた時間帯の中で必要な事全てを消化してしまわなければならない。これは慣れるまでちょっと大変だったが、おかげで普段何気なく過ごしていた“時間”の有効的な使い方を教えられた。
そしてもうひとつ教えられたのは“高校生としての集団での行動と責任”だった。
中学生では、ただ単に与えられた指示の通りに行動していればよかったが、高校では何事も自分で考えて集団の規律に反しないように行動しなければならない。だから当然、その行動に責任が伴ってくる。中学の時のような“人まかせ”の甘い考えは通用しないということだ。
また、他にこの宿泊研修で学級レクや行き帰りのバスの中で普段話をしたこともなかった人たちと気軽に話せるようになって、クラスの交流が深まったように思う。
編集後記
さつきの花が満開で、すごしやすい季節になりましたが会員の皆様いかがお過ごしでしょうか。
よりよい北陵だよりをと念じながら、やっと第30号が出来上がりましたので、皆様のお手許へお届けいたします。
編集にあたり御協力頂きました諸先生、お忙しい中御寄稿下さいました皆様、心からお礼申し上げます。それから今年は北陵高校開校10周年記念号を出す計画もありますので、その節はくれぐれもよろしくお願い致します。