北陵だより第31号/昭和56年10月3日発行


[北陵だより第31号 1ページ]

イチイのごとく
実行委員長

 今年は本校が創立されて10年目になります。10年ひと昔とは申しますが、このひと昔の中に本校は旧校舎から新校舎への移転、グランド整地、格技場の建設、そして51年に5周年記念と落成式を挙行してひとくぎりがつきました。その後は仕上げの5年間であったと思います。グランド、前庭の緑化、植樹の推進、校地のフェンス建設、そして中庭の芝生化を完成して、10周年記念式典を迎えようとしております。本校がこれまでになりましたのも、学校当局のPTA、後援会の努力は勿論ですが、関係機関の暖かいご支援ご援助と過去には校舎建設促進期成会のご苦労、更に陵友会のお力、そして忘れてはならないのは生徒諸君のパワーが今日の北陵に築き上げたものと確信いたしております。
 本校の正面にありますイチイ(オンコ)も5周年の折に当別町の山奥から移植されたものとうかがっています。樹齢100年を越えた大木が真直ぐに天に向かってそびえている姿は、これからの北陵高校を象徴するものであります。永い年月、風雪に耐えてきたからこそあのように雄々しいイチイに育ったのであり、温床の中からは生まれてきません。本校の生徒諸君がどうかあのイチイにあやかって、激動する社会の中で力強く生き抜いてほしいものと願ってやみません。それが父母の願いであります。
 この10周年にあたり、陵友会の方々から校訓の碑を贈っていただくことになりました。碑には校訓の「自立、敬愛、進取」がきざまれ、校舎に向かって正門の左側に建立されます。ここに紙面をお借りして陵友会に対し心からお礼申しあげます。校訓は全生徒全職員で決定されたと聞きました。登下校の折に沢山の生徒がこの碑を見ながら何でもよい一つでも他にほこれるものをもつ若者に育ってほしいと思います。最後になりましたが、10周年に寄せられました父母の方々のご支援に厚くお礼申しあげ、ご挨拶といたします。

10周年を迎えて
校長

 札幌の母なる川、豊平川一条橋のたもと、旧一条中学校校舎を仮校舎として本校が発足したのは、全国的に吹き荒れた高校紛争直後の昭和47年でありました。
 当時、私は名寄女子短大附属高校長でしたが、たまたま出札した機会に、不案内な道をたどりながら、札幌北陵高校の仮校舎になる旧一条中学校校舎の近くを歩き、ここに新しい時代の新しい高校が誕生すると思って、胸のときめきとともにいいしれぬ感動を覚えたことを懐かしく思い出します。
 爾来10年、その間の無から有を生み出す創業の辛苦と、それにひきつづく基盤づくりの営々たる努力のあとを偲びつつ、今日の姿を目にするとき、またまた私は新たな感慨を覚えます。
 さてこのたび、PTA、後援会その他有志各位のご協力により、今年の10周年をくぎりとして本校の新たな一層の発展を期すべく、創立10周年記念式並びに祝賀会、その他記念行事、事業の遂行を見ましたことは、まことに喜びに堪えません。
 その詳細は他にゆずり、その若干にふれますと、ひとつには生徒ホールにつづく中庭の整備があります。担当の方がたのご努力により、今や中央に清冽な噴水が高く上がり、それを囲んで緑の芝生が目を休ませてくれています。生徒たちの憩いの場、語らいの場として、そこから若者の健やかな夢が育まれることでありましょう。
 またひとつには、校訓の制定があります。この校訓は、本校の来し方をふりかえり、将来を見つめ全校生徒教職員が一体となって考えたものでありますが、個人として、自他のかかわりにおいて、そして未来を志向する若者、若さを失わぬ者としての「自立、敬愛、進取」の3項目であります。この校訓は本校の今後の展開の指針であり、この校訓のもとに全校協力して一層の発展を期したいものと念じております。
 今後とも変わらぬご支援ご協力を賜りますようお願いし、ご挨拶申し上げます。


[北陵だより第31号 2・3ページ]


座談会
編集委員 10年のあゆみを語る

[司会]
 本日はお忙しい折にお集まりいただきましてありがとうございました。今年は開校してから丁度10年目に当たり、この秋の10月3日には記念の式典が行われることになっております。今日の座談会も記念行事の一環として出します北陵だよりに載せることになっておりますが、北陵高校の思い出や印象、北陵だよりの編集に当たって苦労されたことなどを自由にお話いただきたいと思います。それでは……

一条校舎での生活
[教職員]
 僕にとって北陵というのは一条校舎で、木のがっしりした、年代は経っているんだけど、少しもゆるんでいないような木の校舎でスタートした。校舎を毎日全員で掃除してきれいに磨き上げて使ってきた。そういう仕事を通じて我々も生徒一人一人を覚えていったし生徒も我々の考えを判っていったのではないでしょうか。それが一番心に残っていますね。
[教職員]
 開校当時は校舎の構えが締まっていたというのは、そこにいた人の心が締まっていたのだと思いますね。
 何かを創り出さなければならないと願う心で、生徒と先生の気持ちが一つになっていたんでしょうね。校舎清掃がその好例ですね。
[1期生保護者]
 開校式、入学式当日の本間校長のやさしい言葉遣いから、『暖かみのある学校だなぁ』と印象づけられました。
[2期生保護者]
 雪の降った寒い入学式でしたが、ある母親とその娘さんの母親に対する暖かい態度に打たれ、きっとこういう娘さんの行く学校なら良い学校に違いないと思いました。

新校舎に移って
[4期生保護者]
 48年にアカシア団地に引っ越して来て、2階の窓から校舎が建築されていく様子を娘と一緒に見てきました。娘もあの学校に是非入りたいと勉強しましたが、お陰さまで入学出来、大変幸せに感じております。
[教職員]
 49年12月13、14と2日に亘って旧校舎より初めての屯田の新校舎に移転してきましてね。1期生にとっては、わずか3週間ほどの新校舎での生活でした。
[5期生保護者]
 4、5期と2人お世話になりましたが、先生生徒一体となってワックスがけなどをし、その中で悩みや考えを先生に聞いてもらいました。そうした教育が大学生になった今でも生きていると思います。
 北陵の受験一辺倒ではない教育に感謝しています。
[6期生保護者]
 うちの子は、屯田小学校の6年の時北陵が出来て、その時すごくきれいな校舎だったので、僕は絶対北陵に入るとあこがれていました。中学に入ってからテニスを始めたので、時々運動公園で指導を受けている北陵生と先生の姿をみて感激し、友達3人で『目指せ北陵』とはげましあって揃って入学できました。
[2期生保護者]
 娘は2期生で、テニスクラブがなかったので私が北陵へ入ってテニスクラブを作るんだと意気込んで入ったので3年間テニス、テニスで暮らした様なものです。
 今でもクラブを通じた友達も沢山いますので、大変幸せな娘だなぁと思っています。
[司会]
 本間校長先生は卒業生一人一人に色紙を書く為に生徒に作文を書かせていましたが、クラブ活動をしていた子供達は、迫力のある作文を書いて、クラブ活動が高校生活をより有意義なものにしたようだと話しておられました。
[7期生保護者]
 私は直接本間校長先生を知らないのですが、陵友会を通してお目にかかる機会がありまして、その時のお話の中に今でもよく子供達の消息をよくご存じなんですね。改めて校長の偉大さがわかりまして本当に感激しました。
[5期生保護者]
 息子の数学の先生にとても厳しい先生がいらして、息子が浪人している時、その先生を思い出して『すごく叱られたけれども厳しい先生ほど授業もよくわかった』と言うんですね。
 この様な北陵高校で3年間過ごせたことを家族一同感謝しています。

編集の思い出
[司会]
 それでは北陵だよりの編集上の苦労話や思い出話などありましたなら……
[3期生保護者]
 私の時、丁度5周年に当たり記念誌を作る時に資料が沢山ああり、まとめるのに苦労しました。
 家が中の島なので、当時まだ交通の便が悪く屯田は随分遠いと感じました。
[1期生保護者]
 私達は編集委員という名前だけで、ただ先生に言われた事だけより出来ませんでした。
 今こうして10年経ってみて、立派な北陵だよりが出来上がっているのを見ますと羨ましく思い、1期生としては大変嬉しく思っています。
[2期生保護者]
 最初は『北陵のあゆみ』の編集委員に名前を連ねていただけでしたが、あまり先生に負担がかかるものですから2年目からは手伝わせて下さいということで、記事に参加するようになりました。
 記事が埋まらない時はよく武田先生に何か書いていただきました。
[4期生保護者]
 編集に関した校正、割付などという言葉も、初めて聞く用語でさっぱりわからず2年目に入り、少しお手伝い出来たかなと思っています。
[5期生保護者]
 編集委員をと先生からお話があった時、どうしようかと思い、私なりに寝られない日が続いたのですが、この編集の仕事をしてみて知識を得、私なりに成長出来たと喜んでいます。
[6期生保護者]
 編集の仕事をお手伝いすることがなければ学校に行く事もなく、息子の高校生活を知ることもなかったと思います。
[7期生保護者]
 2年の途中から参加させて頂きました。初めは大変な事を引き受けてしまったと後悔し、気が重かったのですが、いざ出かけて皆に会うと楽しい雰囲気で苦労を忘れてしまい、本当に私の生涯にとってよい思い出になりました。
[5期生保護者]
 私の時は共通一次と開校5周年記念講座が開かれるということで、それを載せるのに大変苦労しました。このことで字をすごく覚えましたし、自分の向上のためにも役立ったと思います。主人もよく協力してくれました。



北陵に期待するもの
[司会]
 それではこれからの北陵に何を期待しておられますか。
[教職員]
 来年から新指導要領に変わるのですが、北陵は10年前から同じ方向の教育をしているんですね。それは生徒一人一人を大事にし、一人一人の個性を出来るだけ引伸ばしていこう、そして自信を持って生きていけるような教育がスタートにあり、それが来年から全国的に進めていこうとする教育と同じなんですね。北陵が今までやってきたことを十分かみしめて、それを発展させてほしい。
[1期生保護者]
 最近素直でない子供達が多くなっている中で、勉強も大切ですが素直な心も育ててほしいと思っています。
[2期生保護者]
 教育とか勉強の方は学校に一任しますけど、服装などは入学時はきちっとしているのですが、だんだんルーズになって……。
 社会に出ればどんな服装も出来るのですから、学校でしか出来ない服装、態度を親としては望みたい。私は学生らしさが好きです。
[3期生保護者]
 先日久しぶりに『北陵だより』の30号を見せていただきました。出来ましたら年に一部で結構ですので、読ませていただきたいと思いますが……。
[4期生保護者]
 受験の時の気持ち、初心を忘れず、北陵生らしいものを持ってやってほしい。
[5期生保護者]
 全道一のモデルスクールとして発足し、1期生2期生、地域の方々のなみなみならぬ御苦労があったと思います。これをずっといい伝えて学校を愛する気持ちを育てていって欲しい。これは公共心にもつながると思います。北陵生として誇りをもって胸をはって生きていって欲しい。
[6期生保護者]
 この頃は、地域の人達の見る目も北陵生に対して厳しくなってきます。その反面、成績も良くなければ入れない学校として認められて来ていますので、服装や態度もきちんとして、地域の方々の期待を裏切らないようにしてほしいと思います。
[教職員]
 7、8年もすると新設校ではなくなり、規模も大きくなり、施設も満たされてきて、並みの、普通の高校になってきたような気がします。自然なのかも知れませんね。良く言えば、素直従順。別に言うと、ぬるま湯に漬かりっぱなしとでも言いましょうかね。
 校訓制定により、目ざすところがより明確になり、敬愛の心を基に自立・進取の気骨を積極的に育てなければならないと思います。
[7期生保護者]
 毎朝お掃除をしながら、家の横を登下校する生徒達を頼もしく見かけたりしますが、世間の目は厳しく誰が見ているかわかりません。あとは皆さんの言われた事と重複しますが、やはり態度、服装には十分注意してほしいですね。又親子共、北陵を卒業したという事をどこでも誇りを持って言える様な学校、生徒達であってほしいと思います。
[8期生保護者]
 私の娘が今3年に在学しておりますが、1年の時と比べますとこの頃全体に少し変わってきているように見えるのです。髪型とか服装とかが変わって来ているのでしょうか。でも家に遊びに来る方を見てますと素直でのびのびしていて、北陵の教育の一端がうかがわれるようです。
[教職員]
 そうですね、ご指摘のように、服装や髪形など、確かに変わってきていますね。学校でも厳しい指導はしているんですが、徹底するにはなかなか面倒な所もある。外面の甘さは、内面にも通じて行く恐れが大きいので、教師と生徒が一緒になって、真剣に考えなければならないと思います。北陵生は明るく伸び伸びしていると、よく言われますが、そこから甘さを追い出さなければなりませんねェ。
[司会]
 まだまだ話は尽きませんが、一応この辺りで終わりにしたいと思います。本日はどうもありがとうございました。

文芸(俳句)
公開講座より

嫁ぐ娘より母たかぶりて冬薔薇/多摩

稽古終え降りる階段日あし伸ぶ/葉子

除夜の鐘揃えてたたむ洗ひもの/つるの

一鋤の重さ春風しづかにくる/莞二

万緑や埋もれし地蔵子と数ふ/爽秋

母を超え生くだやかにいわし雲/冬果

犬の仔にあくびうつされ夏至暮るる/永子

枝に来て弓ひくごとし寒雀/美喜

枯木立色すこしずつ動きそめ/嬉美

病む夫に粥盛る指先日脚伸ぶ/則子

夫の背を流すごとくに墓みがく/きよ

腕時計止まりしごとき森の昼/八千代

ポプラの樹よそよそしくて進学す/延齢草

ふんわりと小枝にのりし雪の景/愛子

寒暁や二の字に魚のはりつける/秋城

掌のうちに落としてまわす冬胡桃/睦月

華やかに狂ひ豪雪つづきけり/満彩


[北陵だより第31号 4ページ]


開校10周年を祝して
生徒会長

 10年前、一体何をしていただろうか。この10年の間に私たちは、大きく成長してきたと思う。小中学校を卒業し、本校に入学し、今また、新たな目標に向かって進んでいる。しかし、今までの10年は、自分自身の力より、親等の大人の力に頼っていた。何かあれば、親や先生方がかばってくれていたと思う。けれどもこれからは、今までに貯えた自分自身の力によって、さまざまな問題を解決しなければならないと思う。
 今回、本校の開校10周年を迎えて、この原稿を依頼され、再び今までの10年という年月を考えさせられた。本校のこの10年という年月を経て、新しく出発すると思う。私たちもまた、今を契機に自分自身を見直す必要があると思う。

留学生ミッシェルと我が家
保護者

 2年の三女が、学校でアメリカの留学生を下宿させてくれるところがないかと、捜しているよ、という話を聞き、言葉の通じない外国人を預かることは大変なことではあるが、その反面、子供達の教育のためにはまたとない機会ではないかと思い、およそ不似合な我が家ではありましたが、このお話をお引き受けすることにしました。預かる期間が12月、1月の短い2ヶ月間とは言っても、不安な気持ちで一杯でした。しかし、こちらの質問に、片言の日本語ではっきりと答える、笑顔の金髪娘ミッシェルを見てこれなら大丈夫と安堵しました。
 彼女はオレゴン州ベーカー市に住み父は建築業、母は木材会社に勤めており、4人兄妹の一般的家庭で育った、利口な女の子でした。2ヶ月間の生活の中で一番苦労をしたのは、言葉が通じない事、2番目には食事でした。言葉の面では3人の娘が通訳代りになり、特に三女は初めての国際電話に出て夢中で応対しておりました。また食事の方は様子を見ながら好みをつかんでいきました。さらに日本の家庭生活をよく知らせてほしいという留学生受入れ団体の要請もあり、それにどのようにして応えるか、ということに苦心しました。私はできるだけお客様として待遇するのではなく、自分の娘として接し、年の暮れには娘達と一緒に大掃除、おせち料理作りを手伝わせ、お正月には振袖を着せお雑煮を食べさせて、百人一首、羽根つき、たこ上げ等を教えました。
 一方、日本人は仏教を祭って、なぜお正月には神社に行くのか…との質問には、ついに正しい答えをすることが出来ませんでした。彼女は、日本人の信仰に対して不思議に思っていたようでした。
 また、毎日夜遅くまで辞書をたよりに話すうちに、私達が知らなかったアメリカの小都市の市民生活を知ることができたのでした。文化も言葉も違う者が、一緒に暮らすことの大変さをつくづく感じましたが、ミッシェルのお母さんから娘のことを案ずる手紙を戴き、母が子を思う気持ちは、国が違っても共通のものであることを知りました。
 彼女との暮らしの中で、アメリカ人の積極性、表現力の豊かさ、ユーモアには驚かされ、日本人の頭の良さ、優しさ、家族のつながりの深さ等改めて数多くの日本の良さも知らされ、現代の社会で失われつつある事の中に、沢山の宝物があり、それをしっかりと次代に引き継ぐ事が、私達親の責任であり、子供達が自信を持って国際交流が出来る道だと感じました。貴重な経験を残しながら、2ヶ月はまたたく間に過ぎ去りました。
 彼女は本当に日本の家庭生活を知り得たであろうか、あれもこれも教えておけば…という悔いが残ったのも確かでした。しかし、この不足は彼女が「もう一度、日本を訪れる」と残した言葉を信じその時補うことを胸に秘め、ミッシェルを乗せて飛び立った飛行機を見送りました。

編集後記
 集中豪雨、そして台風の被害にあわれた皆様に心からお見舞い申し上げます。
 読まれる「北陵だより」と念じながら、委員一同一体となり、ない知恵を出して編集しましたが如何でしたでしょうか。
 今回は本校10周年を迎えその特集として歴代の編集にたずさわった方にお集まり頂き、限られた紙面の中でしたが座談会を開きいろいろ語って頂きました。録音を整理しながら、開校初めの御苦労がありありと浮かんでくるような気がいたします。
 卒業生と御父兄として先生方のお言葉がこれからの北陵生の成長の手助けの一端になれば幸いと思っております。
 お忙しい中、原稿をお願い致しました御父兄、先生、生徒の皆様本当にありがとうございました。又座談会に御協力下さいました御父兄の皆様に厚く御礼申し上げます。