北陵だより第33号/昭和57年7月20日発行


[北陵だより第33号 1ページ]

新しい1年に向けて
後援会会長

 初夏の候、皆様には御変りなく御健勝のことと存じます。
 此の度、昭和57年度北陵高校PTA・後援会定期総会で、前任の会長の後を引き継ぐことになりました。まさに、その責任の重且つ大であることを日毎に感じている次第です。此の機会に学校長・教職員並びにPTA会長はじめ後援会役員のみなさんの絶大な御協力を心からお願い申し上げます。
 さて、本校は昨年開校10周年の記念大事業を内外の関係者の努力と協力に依り盛大に開催出来たことを心から敬意を表するとともに、人生でも10年1フシといい、更なる新しい1年を迎えると云う輝かしい年が本年度だと思います。そして過去10年間において、北陵高校としての校風と伝統が確立されたと確信しています。その証拠として就学率の向上や社会進出においても広く人材の提供に好評を得ていることが物語っていると思います。その蔭には、教職員各位の高邁な御指導と親身による子供たちとの接遇があったればこそと深く感謝をする次第です。
 本校教育目標に「ひとり、ひとりを大切にし、その可能性を最大限にのばす教育」とあります。まさに今日の教育の中で一番重要な点について掲げられていることを私は大変うれしく思うと同時に、子供たちは大変幸福だなあと思います。それだけに、学校の方針を家庭においても補助機関の役割を果たさなければならないと決意するとともに、学校との連絡やPTA活動についても皆様の御協力を心から願うものです。
 さて、後援会昭和57年度の事業計画では、図書室整備・施設備品整備の充実確保のため予算増をはかりました。校内教育設備の充実に一層努力していきます。又、環境整備・部活動の助成にも増額をいたしました。今日、教育課程において勉学にいそしむあまり、心身の鍛錬が不足がちではないかと察せられます。先人は「健康な身体から健全な心が宿る」と話されています。近年、甲子園出場校に公立高校の勇姿を見ることがあり、大変うれしくなると同時に、我が北陵高も一日も早く実現したいのは私だけだろうか。そのためにも、本年度は100万円の積立金をはじめて計上しました。後援会本来の任務である環境づくりの整備などに活動の重点をおいてがんばります。後援会副会長他役員及び会員のみなさんの御協力を心からお願いします。

ゆりの木
 此の頃の高校生をみていると全く腹の立つことばかり。登山遠足から帰ってきたので、「楽しかった?」と聞くと「面白くなかった。」「どうして?」「皆んなナウイ服とかパンツはいてきて、私だけ去年のジーパンで恥ずかしかった。」「あんたどこみてきたの、山小屋の前の沼きれいだったでしょう。」「まあね。」どうして登山にナウイ服など着て行かなければならないのでしょう。何のための登山だったのか情けなくなります。
 学級対抗の球技大会も1年生のうちはハチマキで済ませたものを、2年目になるとお揃いのTシャツパンツ等を誂えるとのこと。たしかにカッコ良く級の士気も上がることでしょう。親の高校時代は制服すら揃っていなかったのに恵まれ過ぎて今ではこれが当たり前みたいに思っている。
 日曜日、部活に出るのに朝シャワーをあびて頭を洗いドライヤーをかけて出かける。帰って又同じことをやっているので「どうせ汚れるんだから帰ってからだけにしたら。」と云っても聞かない。それだけのエネルギーがもったいないとか、そういうことは全く考えないのです。親はもったいない、もったいないで育ってきたのですから、子供にはそれなりのことを云って育てたはずなのですが、このごろは全くかみあいません。何事もカッコ優先の高校生、ぜいたくになれ過ぎてエネルギー不足の時代がやってきた時、どう対処して生きて行けるのでしょうか。
 「甘ったれるな高校生」と腹を立てているのは私ひとりでしょうか。


[北陵だより第33号 2ページ]

輝く学校
校長

 春まだ浅いころ、ご近所のI氏夫人が町内の用件で私の家に見えられた。そのとき、私の家内に次のような話をされたというのを、のちに聞いた。
 I氏夫人のところでは、子どもさんがこの3月に本校を卒業し、現役で国立のO大学に進学した。
 話はそのことに触れてのことだったようだが、I氏ご一家が子どもさんの入試合格の喜びに浸っていた夜、夫人は子どもさんの名前をしみじみ呼んで、
―あなたが合格できたというのも、みんなあなたが頑張ったからなのね……
と話した。
 夫人の脳裏には、幼いころから手塩にかけて育ててきた過去のひとこまひとこまが、走馬灯のように浮かんだことだろう。夫人はきっと胸がいっぱいだったにちがいない。
 すると、そう話しかけられた子どもさんは、即座に
―イヤ、ぼくが頑張ったからじゃない……
と言って、そのあと暫く考えているふうだった。瞬間、夫人は、何を言い出すのだろう、とドキッとした。
 そうしたら子どもさんは視線をあげて、きっぱりと
―母さん。ぼくが合格したのは、ぼくが頑張ったからではない。父さん、母さんのせいでもない。みんな北陵の先生のおかげだよ。母さん、北陵はいい学校だよ。
と、ひといきに言ったという。
 私はその話を聞いて、目の前がパッと明るくなった。体が軽くなったように感じた。そして、もうこれで十分、ほかに何もいらない、と思った。
 私はかねがね学校は、校門を入ると精神を感ずるところでなければならないと思っている。それがこの話を聞いて、北陵の校舎が光輝いているように思えた。
……そのように思ってくれる生徒がいる。輝く学校―みんなで頑張らなくては、と思うのである。

全道高P連大会に参加して
PTA会長

 6月23日、24日の両日苫小牧市に於いて第32回北海道高等学校PTA連合大会が「時代の進展に即した高等学校教育の発展に向けて」のテーマのもとに、全道247校945名のPTA会員が参加して盛大に開催されました。
 大会初日は開会式が行われ、道高P連竹内会長が挨拶にたち、この大会に参加された会員の皆様が、価値観の多様化の陰で見過ごされている人間としての本来の生き方を見直していただき、自己本位になりがちな現代社会の風潮に一石を投じていただきたいと述べられた事は、私の胸に突きささるものがありました。その後功労者の表彰があり、多年にわたり道高P連の為に尽力された61名の方々に感謝状が贈呈されました。更に多発する青少年の交通事故、車にかかわる非行に憂慮された道高校長協会が6月17日に声明を発表されましたが、それに呼応して本大会に於いても交通事故非常事態宣言の発議があり、第32回大会の名に於いて別項の非常事態宣言が発表されました。本大会の記念講演は元慶応大学の塾長高村象平先生が「家庭教育について思う」という演題で講演されましたが、家庭に於いて人間味のある子供に育てる、人に好かれる人間になる様な育て方、行為行動に責任をもたせる、即ち人生経験に責任をもち、自己責任から逃れない、卑怯者にならないという教育をしてもらいたい、という趣旨の講演でした。大会2日目は4つの分科会が開かれ「行財政」「学校教育」「家庭教育」「私学教育」の部会に分かれ、各地の学校がもつ悩みが提案され討議が行われました。
 私は家庭教育部会に参加しましたが、特に躾という点に話題が絞られましたが家庭に於ける躾、学校に於ける躾の責任が明確にされずに、学校にすべてを押しつけ、授業料と弁当を持たせればあとは学校まかせという事はないだろうか、もう一度考えてみては如何でしょうか。子供を真に理解するには子供の考え方、行動を容認することではなく厳しい愛情と毅然とした態度が子供の善悪に対する指針となり、親の人生哲学の中から躾が生まれると言われます。どうか皆様も自分の子供さんと話し合ってみては如何でしょう。多くを学んだ大会でしたが来年は札幌で開催されます。どうか沢山の人が参加されまして健やかな子供の成長の一助としていただければPTA活動も意義あるものとなるでしょう。

話のひろば

保護者

 ライラックの咲く頃になると、きまって届く一枚の往復葉書。同窓会の案内状である。1年に1回開かれる同窓会、その後に集う同期会も楽しみのひとつ、高校生活の男女共学は、2年の短い(併置中学からの移行)ものでしたが、本当に心から青春を謳歌した時代でした。勉学に、スポーツに、若かりし力を一杯に発揮し、上級生に淡い想いを寄せながら、むなしく終わった純情なあの頃、等々、今お互いに頭に白いものがちらほら、あの頃の美少年、美少女も、今は子供の事、孫の事、そして老い先を語り合う年代になってしまった。呼び名は「何々ちゃん」と呼ばれても不自然に感じず、昔の学生服、セーラー服時代の、ありのままの姿で昔を語り懐かしんでいる。1年毎に1人、2人と名簿から消え去って行く淋しさ。でも、私達の合言葉、2人になる迄仲良く、手をたずさえ、此の会は続けようと。
 主人の転勤で東京、札幌、函館、そして札幌と、住まいを変えながらも次々と出来るお友達、子供の学校の父兄の方、社宅の人、又町内の皆様と数年のおつきあいながら、別れる時の悲しさ、涙で見送られるたびに、その土地土地の人の暖かさにふれ、その後の再会の嬉しさはひとしお、夜の更けるのも忘れて語り明かしたものでした。
 今、此の地を永住の地と決め、又お友達も、学校の方、趣味を通じてのお友達、町内の方々と小さい輪が沢山出来ました。その小さい輪のひとつひとつが大きな結びつきとなって、私には皆かけがえのない大切なお友達ばかり。嬉しいにつけ、悲しいにつけ、私を励まし力づけてくれる友、良い友に囲まれている私は幸せであり、私も又、そう思われる人間でありたいと思う。
 子供も、我々が昔を懐かしむ青春時代に、今育っている。若い時代は二度とない。此の3年間、大きく翼を広げ、想い出多い、悔いのない時代を過ごして欲しい。出会い、ふれ合い、そして友情と、私は此の3点を大切に過ごしていきたいと思う。


[北陵だより第33号 3ページ]

昭和57年度 PTA会計収支予算書
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昭和57年度 後援会収支予算書
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[北陵だより第33号 4ページ]

昭和57年度 役員名簿
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[北陵だより第33号 5ページ]

学力向上のために(3)
テストについて

学習指導部

 期末テストも終わり、いよいよ夏休みである。1学期の通知表の成績は如何なものであったろうか。
 良かった場合には、慢心することなく、より一層の努力を、悪かった場合には、くじけることなく1学期の学習態度を十分反省して、この長期休業を意義あるものにする様ご指導いただきたい。
 さて、今回は学力向上とテストの関係について述べてみたい。
 学力のどこに欠点があるかということは、テストの答案によってよくわかるものである。学校でテスト(本校では5回の定期考査、3回の実力テストを中心に進学模試や就職模試・公務員模試、小テストなどを実施している)をたびたびするのも、ひとりひとりが自分の学力の弱点を知り、次回までにそれを補うために行われるのである。ちょうど運動の練習試合と同じ意味をもつのである。練習試合でも負けるよりは勝つ方がいいが、より重要なことは、これにより自分のチームの弱点や調整の遅れなどを把握し、公式の試合に備えることである。したがって、テストの場合も、その結果の点数の上がり下がりだけに気をつかうのではなく、内容の検討がきちんと行われなくてはならない。
(1)間違いの程度をしらべる
 どの問題も全然わからないというような重症の場合は別として、同じ誤りであっても、その程度はいろいろなはずである。仮に下の図のように分けてみよう。
(ア)図のDのように「わかっているのにうっかりした」は、もう一度やり直しておくだけでよい。
(イ)Aのように「まったくわからない」場合は、教科書や参考書の「どこがわかればよいのか」を見つけ出すこと。
(ウ)B・Cのように「見当がつく」「だいたいわかる」という場合は「どこがいけなかったのか」「どうすればよいのか」を考えた上、もう一度やり直すこと。
(2)どんな問題が多く間違っているかをしらべる
 これは、厳密にはむずかしいことであるが、次のような大まかなことは本人でも、御両親でもわかると思う。わからない場合には教科担任の先生のところへ答案をもっていってアドバイスしてもらうとよい。間違った問題を各教科ごとに次のように分類してみる。
(ア)長い文の読解が必要な問題
(イ)原理がわからないと、答えようのない問題
(ウ)文法的なこと、公式が必要な問題
(エ)計算力などのような技能的な問題
(オ)書取りのような単純な記憶の問題
 それぞれ弱点がわかれば、そこを中心に、少しずつ補強していくのである。1学期の各テストの答案を検討して、夏休みに弱点の克服に努めていただきたい。

私の青春時代
保護者

 私の青春時代といえば、それは高校時代の事です。戦後も10年近く過ぎ世の中も少し落ち着いて来た頃ですが、就職難の時代でした。私は就職が有利という事で商業高校に入学しました。桜が咲き出すと全校生徒でお花見の時間があり、3、4時間目にかけてお弁当持参で近くの五稜郭公園に出かけ、5時間目迄に学校に戻るという他の学校にはない行事があり、又、先輩に流行歌手がいて、その人の実演を学校が全校生徒を連れて観に行く等、実にユニークでした。
 私はスポーツに専念し勉強はその次の感じでしたが、今思っても私にとって充実した3年間でした。
 昭和29年は特に私にとっても忘れられない出来事がありました。その年は夏に北洋博覧会が行われ、五稜郭公園も会場となりました。毎日、授業中に当時ヒットした流行歌の「お富さん」が大きく聞こえて来て、勉強より歌の文句をしっかりおぼえました。夏休み中には国体が開かれ、ハンドボールと高校野球が市内の各会場で行われ、私はハンドボールの会場で場内アナウンサーをやり各試合の実況放送をしました。
 この様に有意義な夏休みが終わり、9月に入り学校祭で我々も浮立った気分でいた26日深夜、あの悲惨な洞爺丸台風の事件が起こりました。当時学校から歩いて14分位の処に火葬場があり、24時間通して犠牲者を火葬する為、風の吹き具合によっては授業中にその臭いがして、始終授業が中断されひどい頭痛に悩まされた位です。今でも悪夢の様な気がします。
 台風で延期された修学旅行は関西方面に10日遅れで出発し、往復とも鈍行列車で青森から京都迄約17時間もかかりました。道中、台風の事を沢山の人に聞かれて返答に疲れはてた思い出が残っています。でも一番楽しかった思い出です。

新任自己紹介
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[北陵だより第33号 6ページ]


スクールライフ
高体連・高文連全道大会で活躍

軟庭部
3年生男子

 6月17、18日と士別市で行われた全道大会には、団体、個人戦ともに出場した。3年生にとっては最初で最後の全道大会、3年間で最後の試合でもあったため、不安と緊張が入り混じった試合になった。試合の結果は、団体戦1回戦敗退、個人戦2回戦敗退と、全くの惨敗であった。初出場であがってしまったせいか、自分の力が出せずに終わってしまった。1ポイントを取るのがどれだけ難しいか、また、練習時での1本1本への集中がどれだけ大切であるかが、痛感させられた。
 僕たちの出来なかった全道大会で勝ち進むこと、また全国大会出場、これを今後の軟庭部に期待したい。
 最後に、軟庭部並びに各部の1・2年生に言いたい。「試合で泣くな、練習で泣け」と。

陸上部
3年生男子

 全道大会は6月25日から3日にわたって行われました。本校からは男子3名、女子2名の計5名が出場しました。結果は3年の斉藤が棒高跳で2位、同じく永井が5種競技で4位でした。1、2年生は大きな大会に慣れていないせいか、あがってしまって自分の力を十分に出せなかったようでした。3年生はもう終わりだけど後輩諸君はまだ先があるので、この経験を生かして来年、再来年を目指して頑張ってほしい。

柔道部
3年生男子

 わが柔道部は、高体連地区大会において、団体戦ではおしくも敗れましたが、個人戦では軽量級1名、中量級2名、軽重量級1名と計4名が全道大会に出場することができました。全道大会においては、3・4回戦まで進出し軽量級では国体予選の出場権を手に入れました。
 3年生は、これで引退となるわけですが、ただ心配なのは、1、2年生を合わせても7人という部員の人数です。
 1、2年生のみなさん、まだ遅くありません。柔道部に入部しましょう。

弓道部
3年生男子

 高体連全道大会は団体個人共に当然狙える力を持っていたが、男子団体は旭丘に1射の差で敗れ、個人戦で松尾、小林の2名が全道大会にのぞみ、小林は全道5位に入賞した。
 6月25日には国体地区大会で北海高校、北照高校をおさえ団体優勝し、高体連の雪辱をはたしたのである。
 一見単純に見える弓道は強靭な精神力の鍛錬が必要である。常に自己との対決を通した精神と技の練磨によって、時にのぞんでの「平常心」が保たれ自ら相手に勝てるのである。
 北陵高校弓道部は今、少しづつ着実な歩みで一歩一歩弓道本来の姿を求めて歩みながら、確かな伝統を築こうとしている。

放送局
2年生男子

 今年のNHK杯は、完全にアナウンサーのみの勝利であった。地区大会においては、アナウンス部門で3年小川が最優秀、同じく3年伊藤が優秀、朗読部門で3年遠藤が優秀であった。だが、ラジオ番組部門においては、まだまだ課題が多いようである。
 また、6月19、20日両日の全道大会において、アナウンス部門に小川、朗読部門に遠藤が共に入賞し、8月上旬に東京で行われる全国大会に駒を進めることができた。両先輩にとっては高校生活最後の晴れの舞台である。
 先輩!頑張れ!頑張れ!

囲碁部
2年生男子

 念願の石狩地区大会優勝、そして6月20日の全道大会、昨年は準々決勝で敗れ、相手の人はその後勝ち進み優勝してしまった。さて今年は全国大会めざして一発やるかと思ったが、初回はうまく勝てたが問題の準々決勝にきて、勝っていた試合を最後の最後で持ち時間が気になって大ミスをやり大逆転されて負けてしまった。悔いが残ったので例の『負けても勝つ』は果たされなかった。
 でも来年こそはガンバルつもりです。それから、来年からは団体も出場できるようにみんなでガンバロウと思います。

編集後記
 北国の短い夏が巡って参りました。会員の皆様にはいかがお過ごしでしょうか。本年度最初の「北陵だより」をお届け致します。
 昨年10月に、本校が創立されて10年目を迎えてひとくぎりがつき、本年は新たな一層の発展、充実を期して、一歩をふみ出す年となりました。
 皆様に少しでも楽しく読んでいただける北陵だよりをと委員一同努力してまいりましたが、学校の様子など少しでもお届けする事が出来ましたら幸いに存じます。編集にあたり、お忙しい中原稿をお願い致しました御父兄、諸先生、生徒の皆様、本当にありがとうございました。