北陵だより第34号/昭和57年12月20日発行


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親としての責任
高P連研修会に参加して

後援会副会長

 街路樹の葉もすっかり落ち、晩秋のたたずまいを感じさせる11月13日夜のことである。
 我が家の前を、けたたましいサイレンの音とともに消防車が通り抜けた。何事だろうと、外へ飛び出した時、前方に若者の運転する真赤なコスモが煙をはきながら歩道に乗り上げ停止した。話によると、電柱に激突の上、火を噴きながら団地内を暴走したとのことであった。最近とみに静かな団地内を真夜中まで走りまくる暴走族には、迷惑千万である。
 こんな現場を目にしながら9月30日の高P連での話題を思い出したのである。それは、高校生の免許取得の問題であった。
 学校では、相当の必要性が認められない限り、免許取得をさせないよう指導されていると伺っているが、その指導の意味を、子供達はどうとらえているだろうか。私も、3人の子供を持つ親として無関心ではおられない。どう考えてみても高校生が10数万もかける免許取得には、限界があるとしか思われない。
 ましてや車を買うに至っては無理な話である。結局は、親の支援もあるのではないだろうか。
 免許を取得したいと言う子供達の欲求と、親が考える価値観、学校側で免許を預かるといういうような指導とはどう噛み合う問題なのだろう。法律的には16歳から自動二輪の免許が取得可能となっている。法的、社会的規範をどのように結び付けて理解をさせれば良いのだろうか。メカニズムに興味を持ち、その道に卓越した技術を身につける過程であるかもしれない。
 先日のテレビで、アメリカでは高校生に、週5時間の交通道徳の授業を行っていると言う番組を目にしたが、考えさせられる話である。この様に考えると、PTAが単に形式に止まらず子供達の為に存在することを強く意識しなければならない。
 「健全な青少年の育成」と言うスローガンを掲げた高P連の内容を多くの人達に伝える場を持ちたいものである。そして、子供達と一緒になって、学校生活、物の価値観、人生観を語られる先輩になることと、子供を教育する一番の責任者は、私達親であることを強く認識させられた研修会であった。
 次回には、より多くの父母の参加を期待したい。

ゆりの木
教職員

 例年にない遅い雪のお蔭で、心ゆくまで晩秋を満喫することができた。田畑の収穫物の取り残しも少なく、ゆっくりと行く秋の変化を眼にすることができた。
 校舎の周りに植えられている木々も、松類を除いて殆ど落葉している。校庭の木も大きくなった。植樹の時には一応適当な間隔で植えてきたつもりが、現在は間伐をしなければならない程に生長している。特にシラカバ、カラマツ、ナナカマド、ネグンドカエデが目立つ。アカシアとナナカマドが、今年初めて花をつけた。カラマツの根本にはキノコも出はじめた。
 校庭には本欄ゆかりのユリノキが数本植えられている。これは旧校舎の中庭にあった見事なユリノキを偲んで植えられたものである。旧校舎は数年前に取り壊され、その跡地に高層マンションが建設されている。又、ユリノキもわからずじまいである。旧校舎時代に親しんだ樹として植えられたものである。この木が屯田の風雪に耐えて、立派に生長してほしいと願わずにはいられない。
 屯田の地に校舎が移転して9年目を迎えた。その間に学校を囲む環境も大きく変わってきている。校舎の東側にあった水稲がまず消えた。続いて不要になった水路が埋め立てられた。三番道路は舗装され、中学校が新設され小・中・高とそろった。家並も南の方からひたひたと迫って来る感じである。今のところまだ校舎の周りには田園風景が見られるが、あと何年もつだろうか。できることなら、このままの広々とした田園の中に何時までもありたいと思う。


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ホームステイをふり返って
保護者

 学校から帰宅した娘が「あーあ、もうすこしうちが広かったらねえ。」とため息まじりに言いますので、突然どうしたのかと尋ねたところ、この狭い3DKの我が家にホームステイの話が来たとのこと。そしてほんとうにアメリカからの留学生を泊めることになってしまったのでした。
 家族5人、純日本式、ベッドなし、ソファーなし、浴室シャワーなし、娘と共用部屋…私は、この狭苦しい住宅に泊まってくれるメーガンに申し訳ない気持ちになりました。けれども、くよくよ考えたところで仕方がありません。なるようになれ、前期の方からアドバイスを得て、後は我が家流で、と開き直ることにしました。なにより、メーガンは日本語が少ししかわかりませんし、ましてや私は全く英語ができませんので、全て娘に頼りっきり、我が娘ながら、この時はほんとうによくやってくれたと思っています。
 食事についてですが、それほど好き嫌いはなく、むしろ我が家の子供達の方が好き嫌いが激しいので、メーガンに合わせていただいた形になったかもしれませんが、今の若い人好み、とでもいいましょうか、わりと好みが合っていたようで安心しました。食べる物にはこれといった苦労がありませんでした。食事の後は、毎日入浴をするのですが、シャワーがついていませんので不自由ではないだろうかと気の毒に思っていましたが、浴室の中に入っている音が聞こえ、心配もいくらか和らぎました。
 私は、日中は仕事に出ていますので、家事が終わるのは夜遅くなり、メーガンとは言葉が通じないためもありますが、家族皆での団らんが少なかったかもしれません。それでも娘の部屋では、娘とメーガンの楽しい笑い声が絶えなかったようで、それほど淋しい思いをさせずにすんだのではと思います。夜、娘と布団をならべて寝息をたてているメーガンの寝顔を見ては、日本の生活になじんでくれたに違いないと思ってみたりしました。
 毎日が充実し、楽しい中でのあっという間の一週間でした。家族全員、また、娘にとっても素晴らしい体験をさせていただき大変良かったと思っております。娘には、普段見ることのできない面を発見し、一段階大人に成長したことに目を細めています。
 ともあれ、本当に素晴らしい一週間を過ごさせて下さったミス・メーガン・ギルバートに感謝すると共に、ホームステイのきっかけを作って下さった諸先生方にお礼を申し上げます。
 これからも、北陵高校とリンカーン高校の末長い友交を願っております。

話のひろば
雪かきの季節

保護者

 今年もまた雪かきの季節になった。ほどほどの雪ならば雪かきも楽しみである。掃除や洗濯とは違って心が晴れる。降りたての雪をかくときの手応えに、北国に生きているのだという実感がしみじみと湧いてくる。庭を雪捨て場にしているのだが、足場が高くなるにつれ、かたい木の芽を発見することがある。これも雪かきの余得だろう。しかし湿雪や除雪車がおいていくなかば氷の塊には泣かされる。
 わが家の両隣は石油スタンドと家具屋である。どちらも車の出入りの頻繁な商売だから雪の始末は行き届いている。
 右隣のスタンドは見事だ。若いスタンドマンが総出ではねるのだから瞬く間である。積み上げた雪は始終トラックで捨てに行く。しかも暇さえあれば踏み固まった雪も削り取る。雪の季節に黒いコンクリートがむき出しのスタンドはまるで癇症に髪の毛をむしっているうちに、すっかり禿げてしまった頭を連想させる。
 左隣の家具屋の御主人も結婚したての若手である。しかも日頃から家具を扱い慣れた力持ちだ。大型の除雪機を駆使して、店先はいつも広々としている。
 私たち夫婦が手こずっているとスタンドのお兄ちゃんも家具屋の若主人も見かねて助太刀してくれる。
 雪の始末が出来ぬようでは北国に住む資格がないくらいに思っている夫も往年の馬力がなくなった。私とて夫同様、北の誇りはあるのだが、雪かきが年を追って億劫になってきた。
 ついに昨冬、車のいれかえを諦めて除雪機を購入した。新車が除雪機の豆タンクに化けてしまったのだが、私たちは満足だった。これで重労働から解放されると思った。
 ところが、この豆タンク、すべてが若向きに出来ていた。まず100キロ近い重量が五十肩に応える。しかもいくつものレバーを同時に操作しなければならない。前進3段バック、雪をまきこむ速度、雪をとばす向きと高さ、それらをスピーディに切り替えるのだ。かつて運動神経に絶対の自信のあった夫だが、必至に豆タンクにしがみついている様子は、幼児のアンヨのおけいこのようだった。
 ようやく機械に慣れたころである。「除雪機、守衛を食い殺す」の大見出しが新聞に載ったのは。はずみで転んだ守衛さんの上に除雪機がのりあげ、回転していた刃に肉を裂かれて死亡したというのである。時速5キロ足らずの豆タンクが時として恐ろしい凶器になるというのである。
 雪かき放免になった私だが、こんどは豆タンクが夫を食べてしまわぬかと見張りをせずにはいられなくなった。
 はやばやと除雪機の整備は終わっている。今年こそは軽快に動いてほしい。雪はすぐそこまで来ている。


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学力向上のために(4)
性格と学習法

学習指導部

 柔道の山下泰裕5段は、この3月に東海大学大学院を卒業するが、その修士論文は「柔道と性格の相関」についての研究で、それによると柔道家として大成する条件として、体格や柔道センスといった身体的条件よりも、粘着性とか集中力などの性格的要因が大きなウェイトを占めるらしいのである。
 学習成績についても、確かに、知能の程度は同じでも、注意の集中できる生徒、根気のある生徒、積極的な生徒のほうが、そうでない生徒よりも成績が良いのは事実である。そこで、望ましい性格をつくるようにしつけ、本人もそれを目指して努力することが必要になってくる。ただ、現実の問題として、高校生ともなれば、性格を変えるといっても容易なことではないし、時間的余裕も無いであろう。したがって次に考えられることは、現在の性格に対応した学習法を見つけることである。この点については、今日「適性・処遇交互作用」といって、適性と処遇つまり指導法との間には、相互に影響しあう関係があるというところから、適性にあった指導法を用いることが強調されている。
 ここでは、学習習慣が確立されていない生徒、あるいは学習にムラがある生徒を対象にして、その指導の方法、勉強のさせ方について考えてみたい。
(1)規律正しい生活をさせる。生活リズムの乱れは、学力向上の最大のガンである。起床、食事は無論のこと、毎日規則正しい生活をさせることである。学習習慣もひとつのリズムで、決まった時間になると自然に机の前に座るようになればしめたものである。生活を規則正しくしても急に頭のリズムが正常に働くようになるわけではないので、できるだけ早い時期から心がける必要がある。このことだけで、学力が急上昇した例は無数にある。
(2)からだ全体を使って勉強させる。教科書やノートを読むだけだと、雑念がうかんだり、騒音が気になって気が散ることがある。こんなときには、ノートに書いたり声を出して読んだりするとよい。
(3)興味あるものから始めさせる。好きなこと、得意なことには誰でも集中する。勉強の場合も同様である。
(4)小刻みに勉強させる。あきやすい子供は、はじめから1時間も2時間も続けて勉強しようとしないで、15分でも30分でもよいから、何回かに分けて勉強するようにと、少しずつその時間を延ばすようにする。
(5)勉強に変化をもたせる。小刻みに勉強するだけでなく、勉強のしかたにも変化をもたせる。黙読と音読とを交代させたり、読むことから書くことに変えたり、また、理解することを交互にするなどの方法がある。
 まだ、他にも方法はあると思うが、望ましい性格形成は容易なことではないし、時間もかかることなので、できることからまずスタートすることが大切である。ぜひ「習い性と成」って、学力が向上することを期待したい。

我が家のシクラメン
保護者

 知人が胃潰瘍で入院したということで、急に見舞に行くことにした。
 胃潰瘍なら食べ物はだめ、そして予算もあることだし等と考えた末、折よく見つけたシクラメンの鉢植えを持って行くことにした。
 この美しい花は病室の白壁にとけ合って長い退屈な1日1日が少しは慰められるのではないか、私自身も大好きな花である。
 鉢植えを大切にかかえバス停に向かう途中近所の奥さんに会う。「あら、どちらへ」「お見舞いに」「その花を持って」「そう立派でしょ」私は得意顔で見せた。
 ところがところがである。彼女曰く、シクラメンはシ(死)とク(苦)が重なった言葉で決して病人には持って行くものではないという。その上鉢植えには根がついているので根(寝)つくというので縁起が悪いという。私は困ってしまった。知らぬが仏で持って行こうか、それとも正直に話すか、花言葉は何かしら、あっそうだ、シクラメンの日本語名もあるのだろうか、辞書を調べた。「豚のまんじゅう」と書いてある。ああなんという名前なの。だが誰が見てもシクラメンで通っている花を「豚のまんじゅうよ」なんて言って持って行けない。だんだん腹立たしくなって来た。その人に会わなければ今頃は地下鉄に載っている筈である。時間も過ぎて行く、迷った末考えをかえて持って行くのを止めることにした。
 シクラメン、私も欲しかった花である。たいした花のない我が家にこれだけ立派な花があれば部屋も明るくなる。暗い吹雪の日も心をなごませてくれる。意を決して鉢植えをおきデパートに寄り、見舞いの品を調えて手作りの部屋ばきを添えて病院へ行った。病室に花はなかった。
 我が家のシクラメンは見事に咲きほこっている。20位も花が咲き、そして葉陰には、まだまだ小さな蕾がたくさんかくれている。
 この冬この赤い花は我が家を訪れる人の注目の的となること請け合いである。そして私はながながとこの花がここにある訳を話すことであろう。
 毎朝水をさしながら病気だった彼女のことが忘れられない今日この頃である。

文芸
せみしぐれ一樹となりて人を待つ/多摩

まどろみの中を竿売り通り過ぐ/爽秋

落葉路の一歩を深く歩みけり/莞二

寒波急インコ親子のまじめ顔/満彩

玉子売る家冬構へ堅くして/冬果

芒原悲鳴のごとく風吹けり/則子

総身に夕日をためてななかまど/きよ

酎煽り足袋の泥置き立ち去りぬ/秋城

ねぎ坊主風に総立ち反抗期/嬉美

葉がくれに燃ゆるトマトのひとつかな/つるの

鰯雲山崩し居るブルドーザー/翠春

いきなりの雪襟巻きを深くして/きく

松茸の香の残りたるどびんむし/信子

尺八を老が吹きをり秋の夜/睦月

銀色の紙片かもめの小六月/一翠

(公開講座)


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スクールライフ
高体連・高文連 全道大会で活躍

弓道部
2年生女子

 9月19日、新人戦札幌地区大会が行われましたが、実施期日が知らされたのは学校祭直前でした。学校祭の演武その他の準備と忙しい時であっただけに大会に向けての練習には熱が入り陽が沈み的が見えなくなるまで続けました。男子は1年生が中心で予選で敗れましたが、女子は2年生4名が1次予選を通過し佐古が個人3位となった。
 弓道は筋肉トレーニングなどはないが、精神的集中力が求められる事と同時に正確無比の基本体形の習得にあります。
 不動の平常心と機械の様に性格な体配を得る為にこれからも厳しく練習したいと考へて居ります。
 その積み上げが正射必中となり、私等を勝利に導く事を信じます。

陸上部
2年生女子

 今年の新人戦は9月15日に、円山陸上競技場の改修工事のため、恵庭市において行われた。大会での結果は、2年の川口が円盤投で第5位、1年の黒田が棒高跳で第3位という史上最低で終わった。
 陸上競技は、他の団体スポーツと違ってあくまでも個人の実力のみを問われる個人競技である。それ故に、人の手助けを得ることの出来ない厳しいものである。そしてこの厳しさに耐えられる者こそが、陸上においての勝利者となるのである。
 この勝利者となるため、これからの練習に部員全員で励んでいきたい。

美術部
3年生女子

 今年をのがしては大作は描けないと思い、題材は子供に決め夏休みから100号の絵に取り組みました。
 ほんの小さな点でもガラリと表情がかわってしまうので、やわらかなやさしい表情を出すのに苦労しました。
 今回も不安のまま全道美術展に出品したのですが、3年連続の本宮さんと2年の佐藤君と共に初入選したので喜びも大きかったです。
 たとえ結果が良くても全く後悔しないなんてことはありません。だから最後まであきらめず筆を動かしましょうーー後輩たち!!

囲碁同好会
2年生男子

 11月7日に行われた石狩地区囲碁秋季大会は、思ってもいなかった個人戦優勝で、今年春秋連続優勝を遂げた。今大会に向かって、同好会の活動はこのところ少しおろそかになっていたし、大会数日前に見学旅行から帰ってきたばかりなので練習もあまりしておらず、自分でも驚いてしまった。
 囲碁の大会は、試合の成績はもちろん重要であるが、それ以上によい点がある。それは、他校の生徒と友好関係を深めるという点だ。ぼくは、大会の昼食時間がやはり一番楽しく、年に3回しかない大会を楽しみに待っている。これからも“囲碁同好会”ヨロシク。


素晴らしかった二条城
2年生女子

 もしも今、見学旅行での最高の思い出の場所を尋ねられたのなら、私は迷わず、自主研修として行った二条城をあげるでしょう。ただ大きいとか広いとか美しいというのではなく、何というのか、『ああ、これが日本の城だ』っていうような不思議な雰囲気と落ちつきが感じられたのです。
 そしてその日は、ちょうど京都での最後の日とあって何となく感傷的になっていたのと、朝からぱらぱらと落ちてきた雨のせいで、私が以前から京都に対して抱いてきたイメージが、二条城のもつ雰囲気と重なったからなのでしょうか。
 ともかくも雨の中、開城を待って中へ入ると、どっと大勢の人たちが一緒だったはずなのに、気がつくと私たち6人だけ。その広さと静寂さとに驚きました。そしてそれから、表と裏の彫りの模様が全く違う精巧な欄間を見たり、うぐいす張りの廊下を渡って行ったりするうちに、そういったものをつくった人たちの時代にすいこまれて行くような気がして『やっぱり私も日本人だっだんだなぁ』などと勝手に納得したのを思い出します。
 多くの寺社を巡り、また、北海道とは違った自然を感じながら、私はこの旅行を通して日本の古い時代のすばらしさにじかに触れてきたのだと思っています。

編集後記
 暖かい陽気にいささかのんびりしていたら、11月末の寒波とドカ雪でいっぺんに冬化粧。クリスマスや大晦日が猛スピードで近づいてきています。
 毎年のことながら、年の瀬は気忙しい。「師走」というように、学校の先生方におかれても、2年生の見学旅行が終わったのも束の間、学期末テスト、さらに3年生の進路指導と大変な日々を送られているようです。
 「北陵だより」も皆様のおかげで一段と充実してきています。
 ご寄稿いただきました方々に、心よりお礼申し上げます。