北陵だより第35号/昭和58年3月10日発行


[北陵だより第35号 1ページ]


敬愛の精神―卒業を祝って―
PTA会長

 卒業生の皆さん、おめでとうございます。心からお祝い申しあげます。
 思えば3年前、皆さんは希望と期待を胸に北陵高校の門をくぐり、以来今日まで風雪に耐え、学業にクラブ活動に青春の情熱を注ぎ、充実した高校生活をすごされたことと思います。
 卒業生の皆さんは、多くの友達とのふれあいや思い出を心に刻みながら、新たな人生への出発の感激と希望に燃えておられる事でしょう。卒業後は、皆さんそれぞれ進む道はちがいますが、この3年間北陵高校で学ばれ、培われた力をこれからの人生に大いに発揮していただきたいと思います。
 激動の80年代、非常に複雑化した社会の中でともすれば忘れがちな豊かな心、思いやりの心をいつまでも持ち続けて北陵高校で学んだ誇りを持って強く前進してください。
 ところで先月五つ子の名付け親でもある京都清水寺貫主の大西良慶師が107歳という高齢で大往生を遂げられました。師はかねがね「平凡から非凡になるのは、努力さえすればある程度のところまで行けるが、それから再び平凡にもどるのがむつかしい」と語っておられただけに師の話される法話はたいへんわかりやすいことで有名でしたが、その法話の中に「人間という字は人の間と書く。親と子の間、夫婦の間、教師と生徒の間、みんな間柄がある。間のないのは間抜け、間が違うたら間違いやの」とのおことばがあります。
 平凡といえばまことに平凡ながら、本校の校訓のひとつ「敬愛」の精神そのものであり、競争原理の支配的な現今の世相にあって、ともすれば見失われがちでありますことは、それが本来、東洋の美徳として讃えられてきましただけにまことに残念なことであります。どうか卒業生の皆さん、敬愛、思いやり、間柄を大事にして、顧みて悔いの無い人生を過ごしてください。
 最後になりましたが、わが子の健やかな成長を願って慈しみ育まれた父母の皆様方のお喜びも格別のことと思い重ねて卒業のお祝いを申しあげますと共に、PTA発展のために今日までご協力いただきましたお礼を申しあげます。

ゆりの木
保護者

 今年もまた受験のシーズンとなり、先日の新聞にも各校の倍率が発表になりました。「内申が」とか「SSが」等と心配した事が、つい昨日のように思い出されます。それでも希望の北陵に入学する事が出来、親子共々ホッとして1年が過ぎようとしています。進学の時期を迎えるたびに、希望通りにならぬ悩みにきっと幾人もの親子が苦しむのではないでしょうか。でもそんな親子のかかわりのなかで子供は子供なりに自分をみつめ親は伴走者のようにそれを見守りそれぞれの人生を考えて行くものだと思います。先日の新聞の或る欄に「向学心に燃え目的に向かって進学するものに“受験地獄”などと云う言葉があるはずがない」という意味のことがのっていましたが本当にそのとおりだと思います。ただ勉学もさることながら「心」といいましょうか、「情感」といいましょうか、そんな情緒豊かなものに裏打ちされた賢さが今の学生には必要なのではないでしょうか。
 アメリカのハーバード大学の入試では学力と並行して人間性を重視した選考で行われているそうです。日本の学校も偏差値重視の教育ではなくもっと心を大事にし、のびのびとした心身を育てる事の出来る学校でありたいと心から思うのです。そんな毎日の生活のなかからいかに自分を活かし、人生を生きて行くべきかを真剣に考えられる大人になって欲しいものだと念じております。あと2年もしますと今の1年生も又新たな出発の春を迎えますが、それまでの学校生活が充実したものでありますように心より祈っております。


[北陵だより第35号 2ページ]

卒業に寄せて
3学年委員長
 「人が入り来て泣く、これ即ち生。人があくびをし、出て行く、これ即ち死」
 このような言葉がフランスにあるのだそうです。この間には絶えることのない時の流れがあり、ある長さがあります。
 この時の流れにあって、一つの連続した生命体がずっと伸び続ける中で、人は育ち、恋をし、結婚し、親になり、老人になり、世を去ります。もう何千年も、いや、それ以上に繰り返されているこの営みを、「空しい」と言う人もあり、「すばらしい人生」と呼ぶ人もいます。
 卒業生が人生の約5分の1の地点にいるとすれば、まだ5分の4が手つかずで残っていることになります。やってみたいと思うことがあれば、大抵のことは出来るはずです。中学・高校・就職・進学・大学というのは、それぞれ別々の「時のかたまり」と考えられがちです。が、本当は、全部つながっている一つの流れの中で、それぞれの時という「かたまり」を通過して行くのではないでしょうか。
 もし、自分という一つの連続した生命体を見る代わりに、一つ一つの小さな時の塊を通り抜けて行く、通過の仕方だけにしか関心がないと、「目先のことに捉われて」しまいます。一方、自己という生命体の連続性に主眼を置いた場合、自分はどういう人間なのか、持味として良いところは何なのか、それを活かす生き方はどの方向なのか、何歳にはどうなっていたいのか、ということに思いを巡らすことができましょう。ひとつ、病気で入院したつもりで考えてみることも必要ではないか。何も考えず、敷かれたレールをただ安易に歩くよりは、まだましだと思えるのですが。
 もし北海道で生きるつもりなら、産業を興すことも考えてもらいたいと思います。北方圏として世界各国との交流もひんぱんに行われて来て、学ぶことは多くあります。まだ歴史の浅いこの地で、優雅に生きようなどとは考えないで欲しいのです。幾百年もの積み重ねがある海外の北方圏に比べ、我々のほうは次に開基200年を目指す、まだ基礎づくりの時代ですから、敢えて困難な道を選んでもらいたいと思うのです。

3学年主任
 一日も早く本当の意味での高校生になってほしいと、生徒の皆さんに話をしてから、もう3年になろうとしております。月日の経過の早さを思いながら、ひとりひとりについて入学の頃からのことを考えてみると、その成長の大きさに感慨の深いものがあります。
 こどもがおとなになるためには想像以上に大きな変化をしなければならず、他から見てすんなりとおとなになる者もありますが、悩みながら無器用にギクシャクした形でしか成長できない者が、いつの時代にもいるものだと思います。昨今、多様なおとな像の存在する中で、おとなになるこども達にとっては大変な時代なのだとつくづく感じています。親子戦争という言葉で表現されるほど、このことで苦しんでいる例も多いわけです。
 “やや積極性に欠けるが、明るくて素直なこども達である”というのが私達担任の9期生に対する一致した見方なのですが、この3年間いろいろな面でよくやってくれたと思います。学校の行事では1年の時から上級生を相手に健闘してきたし、部活動も最後まで続けた者が多く居ました。一番大切な学習面については当初はいささかの心配があったのですが、後半になってからの伸びがすばらしく、これまでの最高というデータも出されております。
 十分に満足できない点もありますが、全般的に見て良好であったという気持ちで卒業を迎えることができますことは、生徒の皆さんの努力と担任団の一致協力の姿勢、父母の皆様の暖かい御援助の賜と深く感謝いたしております。
 これからは進学・就職といろいろな道に分かれて進むことになりますが、北陵の生活で得たものを大きく発展させてくれることを信じています。最後に、巣立って行くこども達と父母の皆様の御健勝を祈り、今後も変わらぬ御支援をお願いして筆をおきます。

話のひろば
悔いのない高校生活を

保護者

 ガリ勉生徒でもなく、クラブ活動をはじめとする課外活動を楽しみ、交友の和も広げ、余裕を持って、大人になってからも楽しい思い出として残る、悔いのない高校生活を送ってくれることを期待したのが、3年前の4月であった。
 早いもので、その子も、もう学び舎である北陵高校を後にしようとしている。
 現代の高校生活がどんなものかについては、私は、わが子を通してと、マスコミによる知識しかないが、過日、ある雑誌を読んでいたら、大阪府の高校生を対象に「何のために高校へ入学したか」というアンケートが載っていた。その問いかけに対し、高校生達は「いい大学へ行くため」「スポーツをするため」等の答えの他に「ただ何となく」「皆んなが高校へ行くから」というのが、26%強の答えとなっていた。そして「今後どうするか」との問いには「大学へ」「スポーツの世界へ」と並んで、「まだ決まっていない」との答えが半数近くを占めていたい。
 私は、この記事を読んで、現在受験産業が増大し、マスコミが受験、受験とあおり立て、一方では文部省の提唱する、ゆとりある学校生活の中にあって、自分達の進路、あるべき姿を正しくとらえることが出来ないのではないかという疑問を抱いた。
 大学受験のためであれ、スポーツに青春を燃やそうが、自分で目的を持って生活を送れることは、立派であり尊いことであろう。
 「何をして良いか解らぬ」生徒達へのサジェスチョンは、父兄の、教師の義務ではなかろうか。だからといって、私は、そのサジェスチョンは、父兄、教師の押しつけであってはならなく、要は、子供がいかに悔いのない高校生活を送るかに対するサジェスチョンでなければならないと考える。
 もう、30年近くも前になるが地方都市に育った私には、今日のような、受験戦争という言葉もなく、課外活動を十分楽しみ、何とか大学も卒業するという生活をして来て、今、全く高校生活に対する悔いは無い。むしろ、楽しい思い出だけが残っている。
 新聞のスポーツ欄、大学の合格者発表欄、その他マスコミ等を見る時、まず先に見るのは、やはり、わが子の北陵高と同じく、自分の母校の名を探す。
 このことは、普段は忘れている母校であっても、心の片スミに常に母校の意識が存在しているからであり、高校生活に悔いがなかったからこそ、楽しく思い出せるのではないだろうか。
 わが子を含めて、北陵高校の生徒の皆さんに、しっかりと自分をみつめ、学業に、スポーツに、課外活動に、自分の青春をぶつけ、悔いのない高校生活を送り、いつまでも、母校、札幌北陵高校を楽しい思い出のヒトコマとして残せる、そんな大人になってもらいたいと祈る次第である。


[北陵だより第35号 3ページ]

なくしてならないもの
教頭

 学校長の話である。放課後廊下を歩きながら、ふと壁ぎわの目地につまった綿ゴミが気になって、近くの教室からほうきを持ち出して掃いていた。そのうしろを何人かの女生徒が、中には急にお喋りを止めてそのまま通り過ぎていった。ある教室の前まで来たとき、たまたま部活動を終えて着替え中の男子が賑やかに語り合っていた。彼らは学校長に気づくと、すばやく身仕舞をすまし「先生、僕たちがやります」と言ってとび出してきた。学校長は暫く一緒に掃除を続け、戻ってきて気持ちのいい生徒たちだったと私に話された。
 男女がそれぞれ二様のかたちになったようであるが、残念ながら多いのは男女を問わず前のかたちの生徒たちである。私はこの話を聞きながら、3年前に出席した卒業後18年ぶりのクラス会でのことを思い出していた。
 私はこの生徒(?)たちに聞いてみたいと長らく思いながらも、いつも聞きそびれていたことがあった。それは彼らが3年生のとき、クラスの女生徒数名が毎朝早目に登校し、担当の区域でもない水飲み場やその周辺の清掃を目立たないように続けていた。その動機が何であったのかということである。彼女たちの就職にあたっての推薦書に、生活態度をたたえる具体的事例としてそれを書きはしたものの、何となく聞かない方が良いような気がして、動機はとうとう聞かずじまいになっていたのである。
 「別にとりたてて言うほどのものではないんです。自分が高校生活を過ごしたこの学校、そこで自分は意義のあることをやったんだということを心の中にしっかり残しておきたかった。そんな感じではじめたことなんです。」そう答えがかえってきた。そして懐かしそうに笑っていた。
 20年の歳月の間に世の中は大きく変わった。そしてその間に、なくしてならないものまでもだいぶなくして来たようである。
 いま本校には、残念なことではあるが廊下や階段に平気で紙くずを投げ捨てていく生徒がいる。これらの生徒の考え方にはもちろん問題があるが、自分の立っている足もとに紙くずが落ちていても、それを拾おうとしない生徒もまた多い。「足もとの紙くずをゴミ箱に捨てなさい」と言うと、「何で自分が?」といった表情がかえってくる。言われればやるが、自分からすすんで身のまわりをきれいにしようという気持ちにはなかなかなり切れていないようだ。そんな場面に出くわすたびに、家庭で掃除をしてくれるのはいつも他の人なのかな、ふとそう考えたりすることもある。
 事は清掃だけではない。「世の中には無報酬の労働があることを教える必要がある。そしてそれを一番教えやすいのは家庭である」ということが、他の地区のPTAの研究会で話題になったことがあった。今の本校の多くの生徒たちに限らず、やはりこのことが大きな課題になっているのではなかろうか。なくしてならないもの、家庭も学校も押さえ直す必要があろう。

学力向上のために(5)
―学習意欲について―

 学力向上の前提条件が、学習意欲(やる気)にあることは、誰も異論のないところであろう。欲求階層説で著名なアスローが、「心とからだが健康であれば人間は必ず伸びるものであり、真剣に働くものである」ということを、人間性の基本においたことは、傾聴するべき考え方である。そのことは、健康な赤ちゃんが目を覚ましている間は、片時もじっとせず、いろいろなものに興味をしめすのをみても明らかである。このようにそもそもが“やる気”いっぱいのはずの子供がどうして意欲を失っていくのだろうか。そこで、やる気を失う心が、どこにあるのかを確かめることが必要である。下の表で、子供自身がどう思うか、親の目から見てどうかを別々に答えてみていただきたい。両者が一致している場合は、どうすればよいか十分に話し合うことである。親の立場から、子供に言ってきかせるのではなく、子供と共に考えるのである。この順序を踏まえないで子供を責めるだけでは、たいていは空廻りに終わるのである。本人と親とが、見方が違っている場合は、実はどこに問題があるのか、はっきりしない。ぜひ早いうちに担任の先生などに相談していただきたい。そのうちなんとかなるだろうでは、取返しがつかなくなるのである。
 意欲を殺ぐ一番大きい心理的条件は、「やってもできそうもない」とか、「自分はどうせだめなのだ」という気持ちである。そんなことはない、やったらできるのだといくら励ましても、なかなかそんな気にはなれないようである。こうなるとかなり重症である。
 このように重症な場合、一気に普通の状態に導こうとしても無理である。やってもできそうもないという気持ちを崩すために、はじめは「5分間で5点分を」をモットーにするのである。書取り一つでも計算一つでも余分にできるためということである。2〜3回5点でもよい点が取れたら、少しは気持ちもわかるであろう。そして少しでも良い結果が出たら、「よかったね」「頑張ってるね」と励ましの言葉をかけて欲しい。気持ちが変われば、しめたものである。劣等感の強い子は、やればできる個なのである。全くできない子は、できないことを悩むことはないであろうから。
(欠点発見表)
あてはまるところに○印をつけて自分で判断してください。
1.からだつきがみんなよりおくれているようである
2.運動がへたである
3.学校で習うことが、いつもむずかしいように思う
4.ものごとを深く考えるのはきらいなほうである
5.いいたいことがうまくいえない
6.思うようにいかないとすぐ気持ちがおちつかなくなる
7.思うようにならないとすぐはらをたてる
8.一つのことにくよくよする
9.なんとなくからだがよわいことが気になる
10.つかれやすいのでつまらない
11.からだの動きがにぶいので気になる
12.成績がさがりはしないかと心配である
13.ときどき学校でならうことが、うまくできないように思う
14.友だちにのけ者にされないかと、いつも気をくばる
15.みんながじぶんをかばってくれないようになりはしないかと気になる

文芸(俳句)
冬の蜂きのうのままに石にいる/多摩

大寒の雑巾かたくしぼりけり/爽秋

聖夜近し童女氷菓を舐め居たり/莞二

ふうふうと囲む夕べの鍋の味/満彩

初鏡たしなみの紅うすくひく/冬果

雲裂けて陽の帯はしるななかまど/則子

葉ぼたんはしづかに夢を白く巻き/きよ

雪囲い遅れてひねもす妻の声/秋城

娘の家がすぐ見えてくる枯木立/嬉美

松過ぎていつものセータにもどりけり/翠春

病室に冬日澱みて刻きざむ/きく

駅頭の別れショールをかき合わす/信子

座布団に落ち着き夜の濁り酒/睦月

冬銀河なだるる吾子の名を呼びぬ/一翠

(公開講座)


[北陵だより第35号 4ページ]


スクールライフ
卒業を前にして
3年生女子

 私達の3年間を、静かに見守ってきた校舎前の大きな木。初めて北陵に来た時も、今のように冬囲いしていた。頭を悩ませ、多くの先生とふれあった授業、泣き笑いした行事。すべてが再び鮮やかに甦っては、言葉にできない想いとなって広がりつつある。漠然と、北陵で生活できたことがしあわせだったと、自分にとってかけがえのないものだったと思う。精一杯過ごしてきたつもりだが、北陵生として残された時間が、ひたすら惜しい。「高校の3年間はあっという間よ。」入学当時に聞き流した誰かの言葉が、ふと最近になって思い出されて、幾度となく心の中でくり返される。

卒業を前にして
3年生男子

 ようやく卒業である。他人よりも2年も余計に在学した私にとっては喜びもまたひとしおである。肝炎で1年半入院した私が復学した時には、当時の同級生達はもう卒業目前で、彼らを見送る私の気持ちはやはり淋しく、また新たな学年の中でうまくやっていけるかと不安もあった。しかし、みんなが気持ち良く接してくれ、余計な心配をしていただけに、それはとても有難かった。彼らには本当に感謝している。更に、お世話になった先生方、特に担任をしていただき、ひとかたならぬお世話になった石黒・加藤両先生にもこの場をかりて御礼を言わせていただきたい。本当に有難うございました。

有島文芸賞に入賞して
3年生女子

 有島武郎の作品もまだ読んだことのない私に、この文芸賞の主旨にそうものが書けるかどうか不安な面もあったが、比較的「書く」ということが好きなので日頃思っていることなどをそのまま文字にしてみた。その作品が佳作入選となって、喜びというよりはむしろ「書いてみてよかった」という気持ちで満たされている。しかし、文学がまだまだ奥深いものであるということも感じられた。批評してくださった諸先生の話からも普段の勉強不足を痛感させられた。
 これをひとつの機会として、今後、より多くの文学に親しんで行きたいと思っている。

アメリカに旅して
3年生女子

 シアトル空港で入国審査を済ませ、係員のアメリカ人にほほえまれた時、ようやく「ああ、日本を離れて、今、アメリカにいるのだ」という実感が込みあげてきました。不安よりもまず第一に、これから始まる生活への期待感ばかりに気ははやるのです。
 目的地のポートランドで、懐かしいメーガン達と会い、私達はそれぞれのホストファミリーと共に各家庭に入ることになりました。
 大きなクリスマスツリーとその下に置かれたプレゼント等。イブの夜には教会に行き、25日のディナーでは七面鳥を主として御馳走を食べ…と、なにもかも映画と同じで感激しました。アメリカには「冬休み」というのはなく、2週間足らずの「クリスマスホリデー」を家族全員で楽しく過ごすのだそうです。
 3日から学校は始まり、私達も姉妹校のリンカーン高校を訪問しました。アメリカの高校とはいっても、そこには様々な人種の生徒達が共に学んでいるのです。日本の授業風景とは全く異なったそこのそれに私達は関心を持ち、ディズニーランドに向かう車の中で、教育について論じ合ってみました。
 この素晴らしい体験を、今後いかに活用できるかが私の課題です。

卒業記念贈呈品の紹介
 今年度卒業される第9期生一同から左記の品を卒業記念品として贈呈されました。
 一、書架および図書館図書
 右の総額は寄付金の699,000円を当てさせてもらいました。

編集後記
▼暖冬少雪かと思えば、寒波の襲来と不安定な天候状態が続いております。会員の皆様いかがお過しでしょうか。
▼本年度最後の「北陵だより」をお届けいたします。
▼卒業生の皆さんおめでとうございます。北陵で皆さんが3年間身につけられた、有形無形のものをこれからの人生に役立てて下さい。又ご父母の皆様にはお子様のご卒業を心からお祝い申し上げます。
▼諸先生、諸先輩のご指導のもとに、はじめての編集に携わり、記事の企画、原稿の依頼、そして何度かの校正……。一つのものを作り上げる大変さと、チームワークの大切さを痛感した1年です。これからも皆様に、よりよい「北陵だより」をお届け出来る様努力して参りたいと思います。
▼最後になりましたが、編集にあたり、お忙しい中原稿をお書き下さいました、ご父母、諸先生、生徒の皆様、ありがとうございました。厚くお礼申し上げます。