北陵だより第38号/昭和59年3月10日発行


[北陵だより第38号 1ページ]


本校の発展を祈りつつ
校長

 昨年4月早々に私はひとりの親しい友人を失った。
 彼と私は、ひととき同じ学校に勤め、私より年下の彼はしばしば私の「死に水をとってやる」と語っていた。
 その彼が札幌のさる病院に入院したと聞いて、私は春休みに彼を見舞った。そしてその一週間後、家内とふたりで訪れたときは、病状急変してすでに危篤状態であった。それから二晩、彼の姉妹、親戚の人と交代で付き添った。そして三晩めの深夜、彼はついに還らぬ人となってしまった。
 亡くなる日のことだった。生の血の輸血が必要とのことで、私と家内は手分けしてあちこち心あたりに電話したが、生憎日曜日のことであり、さらにO型ということもあって、気が揉めるばかりでなかなか埒があかなかった。
 休み中だが、学校に電話してみた。すると、その3月卒業したばかりの卒業生が学校にスポーツをしに来ていて、その中の3人がO型だという。3人は早速車でかけつけてくれた。
 採血が終わったところで、友人の奥さんが何がしかのお金を包んで、何か栄養をとってほしいと差し出した。すると彼らは「いえ、僕たちの先生がお世話になった方のことですから……」と固辞して受け取らなかった。
 “たはやすく教師忘らる卒業後”という句がある。
 私は、それでいいと思っている。それが若者の持つ新しさであると思っている。その新しさで時代が新しく進む。目まぐるしく変化し進歩する現今の社会、生徒諸君は卒業したなら私たちにこだわらず、自分の新しい道をどんどん進んでいってほしいと思っている。
 だが、私は信じている。実際、見かけは忘れているようでも、内実は決して忘れていはしない、必ず心のどこかに残っていると。だから教師の責任は重いと思う。
 さてさきの三君は卒業したてだが、何年たっても、三君に限らず機会さえあれば同じことだろう。私は三君の名を書いた紙片を、さりげなく机上に置いていつも三君の前途を祈っている。
 昨年私は華甲の歳を迎え、さだめに従い今年度をもって退職する。39年余の教師生活だった。
 “花に別れぬ春し無ければ……”
 その日になったら、私にとって、いとしく大事な花であった学校の校門を、春には少しく早い時期ながらひとり立ち去ろう。会員各位のご健勝と、本校がまた新しく発展するのを祈りつつ。

ゆりの木
保護者

 いよいよ我が子の受験が始まった。高校受験で一度体験はしているものの、大学となると現実が見え過ぎて、いささかユーウツである。
 子供が小さいうちは「末は何とかか……」とまでは夢見なかったと思うが、もうちょっとは、ましな事を、思ったのは事実である。
 何浪で未だ道の決まらない人の話等を聞くと、本人はもとより待っている親の気持ちを思って胸がしめつけられる。希望は高い方が良いけれど、現実とどこで妥協するかが問題だと思う。
 今は2人くらいの子供のため何とか本人の希望をかなえてやりたいと願ううちに、時間がたって、あとで何をするのにも、手遅れになっては大変だと思う。
 受験に失敗した時「若い時の1年や2年、長い人生にとってどうってことはない」と励ますが、やはりそれは「3年や4年」ではないと思う。果てしなき戦いは避けるべきであろう。
 我が家では現実路線で進めたのだが、本人は実力もないのに「何科と何科はイヤダ」等と云うので受けるところも限られてしまった。その上、○大は論文があるから、受けないと云う。入試要項をみると小論文400字1枚となっている。論文と名がつくと、かなり高度なものと云う気がするが、400字となると「作文」又は「私の意見」程度にしか思えない。「要するに400字の中に自分の云いたいことがピシッと入っていれば、いいのだから」と云っても自信がないと云う。400字を論文とのたまう大学と、それに対応出来ない我が子も情けない思いだ。ともあれ、そろそろフタが開く頃である。


[北陵だより第38号 2ページ]

卒業を祝って
卒業おめでとう
3学年委員長

 卒業生の皆様、ご卒業お目出度うご座居ます。心よりお祝い申し上げます。
 又、この3年間卒業生を育てられたご父母の皆様方本当に卒業お目出度うご座居ました。
 と共に、大変ご苦労様でしたと申しあげます。
 3年前、入学式に出席するために通った屯田3番通りには昔の面影は無く、元は通りの両側に農家が等間隔で散在し、その奥に歴史を刻んだ屯田小学校があり、市街地を見下ろす様に手稲連峰とこれに連なる山々が一大パノラマの様に拡がっていました。
 しかし、眼前にはモダンな新興住宅街が拡がり、その中に近代的な学校が散見される光景と変化していた。その奥の方に一番大きく、周囲を広い空地に囲まれた立派な建物がこれから3年間子どもがお世話になる北陵高校であった。
 この付近の冬の厳しさを知っている私には、近頃の弱い子ども達が果たして無事に通い通せるか心配であった。
 しかし「案ずるより産むが易し」の諺のとおり、何とか卒業の日を迎えることが出来たようである。
 これは当然本人達の努力も勿論ではあるが、3年間色々とお世話をして下さった校長先生をはじめ、諸先生のご熱心なご指導、ご配慮のお蔭によるものと心からお礼を申しあげたいと思います。
 本当に有難度うございました。
 お蔭様で子ども達の顔、体もあの入学時の童顔で弱々しく見えた体つきも、今は逞しい一人前に近い体と、考えと、物の見方と、行動力、実行力とを持つ子ども達へと成長して参りました。
 「会うは別れの始め」と申しますが、子ども達は諸先生、友達と別れ新しい目標に向かって巣立って参りますが、成長したとは言えまだまだ成長過程にある子ども達です。どうぞこれからも従来どおりご指導、励ましをいただけますよう親としてもお願いを申しあげます。
 お世話になった諸先生方、又卒業生の皆様方、くれぐれも健康には十分に留意され、お元気でお過ごし下さいます様ご祈念申しあげます。
追伸 名前だけの学年委員長で、皆様方のご協力により何とか無事1年間任務を終わらせることが出来ました。本当に有難度うございました。

今こそ自立を
3学年主任

 卒業式に臨む度に教師は深い感慨に浸ることになる。それが自分が担任して卒業させる学年の場合には、その思いは一入である。
 ―教えるべきことを充分に伝えられたであろうか、生徒の潜在する知的能力をよく引き出してやれただろうか、また、精神的なことでも、より深く培い育ててやれただろうか―そんな反省も多い。
 今、第10期生は巣立ってゆく。
 高校は義務教育ではないにしても、そこで受ける指導は、教科面にしても生活面のことでも、多分に義務教育的な面がある。生徒が自分の力だけでは処理しきれずに先生方の助言や指導を受けて納得理解したことも多いはずだ。
 さて今から出てゆく世界は、就職の道でも進学の道でも、今度は自分の足でしっかり立ってゆかなければならない世界だ。そこでは自分で自分の行為の結果を確認してゆかなければならないのだ。
 北陵高校で校訓として確かめてきた「自立」の精神がこれからこそ生きてくる。今まで学び果てなかったことや精神的に不安定だったと自覚することについて、これからは自立の精神の中で確立し、果たしていってほしい。
 これから進んでゆく世界は、高校という場面のようには束縛はないかもしれない。しかし、他からの束縛のない世界にこそ、自己の責任という大きな束縛がある。それに堪え、それを果たしながら生きていってほしい。進取の気概(これも校訓だった)で自己の個性を伸ばしながら自立してゆくことを、第10期生の諸君に期待している。
 いつかまた会える時に、私の想像をボッキリ折るほどに、もっともっとすばらしい人間となっているようにと、それを楽しみにして送り出してやろう。

話のひろば
親の甲斐性といわれても……

保護者

 過日、ある会合の中で、最近の子供たちの遊びが、私たちの子どもの頃と違ってること、遊びの形態ばかりじゃなく、ケガの仕方も全く考えられないような状態で起きていることなど、校内外に於いて様々な愁う状態であることが、経験者の方々から話され、じっくりと遊びの世界に入っていられない、知恵をめぐらす余裕のない子供たちの生活について、親たちが考えなければならない時期にきているのではといったことが話されていました。
 その一方で、共通一次が終わった直後であったことから受験の話となり、『大学合格のためには塾は不可欠である。小中学生から塾へやる気くばり心くばりをして、大学への道を考えてやるのが親のつとめであること。今の世の中で、塾を拒否し、抵抗していたら、時勢に乗りおくれる。いわゆる社会生活の落ちこぼれでしかなくなる。我が子の将来を考え、救ってやるのが親の甲斐性なのだ』と云うのです。
 子供の愁うべく実態と今の受験体制のひずみが関連あるのではとの思いにかられていた私にとって、親の甲斐性を声高に語っている人が、地域に於いても社会的にも、いわゆる良識派で通っている筈の人なだけに、“なぜ”“どうして”と思わずには居られませんでした。
 いつぞや、岡本太郎画伯は次のようなことを話されていました。『自分は人生の岐路に立った時、必ず難しい方向を選択してきたし、これからもそうするだろう』と。私はそれを聞いてなぜ面倒な方をえらぶのかと思ったものです。
 ふと気付いたら身の周りは食品公害、環境汚染、教育の荒廃、経済の悪化等々。家の中はプラスチック製品の住家と化し、誰の作ったものかわからない薬づけの食品が食卓をにぎわし、読書の楽しさをテレビにうばわれた子供たちが学校と塾の谷間で遊びの時間を削られていました。怠け心が暗やみの中で足踏みしていたけれど、じっくりと手づくりの暖かな思いで、家庭と社会を作ってゆかなくては、それこそ親の甲斐性だと考えたら、岡本画伯のことばが実感となってわかりました。そうして、自分の思いをきちんと持って、世論にふりまわされずに生活することの大切なことを次の世代に引き継がなくてはならないと強く願わずに居れぬ昨今ですが、次のことばを皆さんはどう受けとめられますでしょうか。
 世論に弱者はおびえ
  愚者は拒否し
  賢者は判断し
  達者は左右する


[北陵だより第38号 3ページ]

海水風呂
教頭

 練習帆船『日本丸』での乗船実習を直前にした子どもから来た手紙の中に、「これからハワイまでの35日間の航海を考えると、しばらく口にすることの出来ないケーキだとか、寿司だとか、うまいコーヒーだとかを食べだめして……などとぜいたくなことを考えたりもしますが、食べ物よりもっとぜいたくなことがあるのを知っていますか。それは風呂に入って、水をふんだんに使うことなのです。今度の大洋航海中は週に2回の風呂日があるのですが、湯ぶねの中は海水で、清水は上がり湯に洗面器で約2杯分使えるだけなのです。最近では、陸上で風呂に入ってもなぜか水を節約する癖がつき、銭湯では何か損をした感じもします」とあった。
 4月12日に東京港を出港し、名古屋・門司・神戸・日立・東京・神戸・ホノルル・ヒロと寄港して、8月26日東京港に帰港して帰って来た子どものみやげ話には、各停泊地での楽しい思い出話や、途中で外人のヨットからのSOSを受信し現場に急行したとき、救助のための志願者募りのことや、帆船ならではの苦労話もあった。私はその話を聞きながら、海の仲間としてともに育っていこうとする若者たちの心といったようなものをひしひしと感じさせられた。
 そしてまた、手紙に書かれていた海水風呂のことも、暑い太陽光の下で汗を流しての作業の話と合わせ聞くとき、「ぜいたく」の意味も本当によくわかったような気がしたのである。
 『日本丸』で清水(せいすい)(海水に対する清水か?)は、航海中の船のバラストの役割も果たしているので、使いすぎるとわずかな風でもひどく傾斜して大変なことになるそうである。そしてこの清水の使用量は実習生の話し合いできめさせられ、その規制は3杯までとなっていた。ところが実際使用の結果は、もっと節約した使い方がされており、そのおかげで航海士官の指示で途中からは5杯まで使っても良いとされたという。
 だがそうなっても、実際の使用場面では誰が何杯使ったかのチェックするわけではないのに、自分ひとりぐらいは、といった身勝手な使い方をする実習生は一人もいなかったということである。
 さて、ここでは海水風呂のことしか書けなかったが、船乗りを目指し、今それを目前にひかえた若者たちの自覚の度合いを、年齢もちがい、おかれた条件もちがう高校生に、そのまま求めることは当然無理があるとは思う。だがしかし、今の高校生の生活意識と比較してみるとき、少しくその差が大きすぎるような気がするのである。高校生だからこのぐらいは許されるだろうといった自分中心の甘え、自他とのかかわりにおける自己へのきびしさの欠如が、多くの本校生たちにとってまず乗りこえなければならない大きな課題なのではないか。

進学事情あれこれ(3)
進路指導部長

 新教育課程の生徒が巣立つ60年度入試内容は私立大学・短期大学等については従来と大差ないといえるが、国公立大の共通一次試験には大きな変動がみられることになります。
 実施時期については今迄は冬期休暇中でしたが、来年は1月26・27日に実施されるようで冬期休暇中、更に始業式以後の過ごし方が今迄とは様子のちがったものになる筈です。
 教科目については国語・数学は従来とほとんど同じですが理科・社会・英語については大きく変わるようです。
 理科についてみると「理科I」と他の物・化・生・地の4分野の基礎的な部分を含み、その融合問題が意図されております。基礎的な部分とは云え、選択理科との境界が明確なものでなく、理科Iの教科書の内容だけでは満足なものとはなりません。選択理科の1科目も従来の範囲より広がることもあり、文科系の生徒にとっては負担増といえるでしょう。
 社会については「現代社会」と日・世・地より1科目となりますが現代社会の性格から出題されるものがどのようなものになるか不明の部分もあります。
 英語についての変化が特に気になるのですが、新課程での語彙数は旧課程のときの7割程度に減少します。語彙力と得点は比例するといってもよく、旧課程の浪人と比較すると絶対的に不利な立場に立つことになります。従来は学校で高3までに学習する単語量は4,000程度で私立大を含めて入試では6,000程度が必要でした。新課程で学習する語彙数は多くて3,000程度なのです。
 国公立大の2次試験・私立大等の入試において恐らく問題内容のレベルをダウンさせることは無いと思われます。大学は我が儘です。例年全国で80数万人の進学希望者のうち浪人は20数万人おりますが、英語に関して浪人は絶対的に有利な立場に立つことは前述の通りです。
 60年以後についても大学が6,000語程度の出題が考えられるとすれば、学校での学習以外にその強化を図らなければなりません。英語の学習は多くの時間を必要とするので1年生も今からしっかりと準備することが必要です。
 61年以降の入試のあり方について政府も強い関心をもって改革に取組むようですが、実施時期・科目等についての変更が若干あったとしても、日本人の国民性からいって競争が緩和されることはありません。1、2年生の諸君が制度の変化をよく知り自身に有利に展開させるための力を貯えるのに今努力することを希望します。

文芸(俳句)
多摩
 今日ひと日着物で過ごす柿の秋

爽秋
 街路樹の剪定の男ら空にあり

莞二
 少女佇つ冬の孔雀の羽根光る

満彩
 遊覧船銀色カモメがむれてつく

冬果
 氷張る川ひとところ囁きけり

則子
 不意にくる客もてなせりにしん漬

きよ
 年賀状思はぬ土地に友住めり

秋城
 小春日を忝(かたじけ)のうする老端坐

嬉美
 福引の赤玉ばかり出でにけり

つるの
 年賀状またひとり友減りにけり

延齢草
 豆炊いて掻くほどもなし雪の降る

翠春
 初鏡帯の縞めをふりむきて

信子
 七草にほのとありたる野の匂ひ

節子
 白鳥の子ら中ほどに風蓮湖

睦月
 酔のころ喉つたひゆく寒の水

一翠
 灯の溜まる空の緩急降誕祭

(公開講座)


[北陵だより第38号 4ページ]


スクールライフ

卒業生を送る
予餞会実行委員長(生徒)

 先日、予餞会が行われました。本来、今までお世話になった3年生に対して感謝の気持ちを込めて送り出す、というのが主旨となっているのですが、異常なまでに雑然とした雰囲気でした。自分の席を立ち、他クラスの席にいったりストーブの周りに鈴なりになったり、教室にかえるなど、ひどいのになるとステージの上に雪玉を投げ込む。今までこの会を開くための準備に使った時間は、一体全体何だったのだろうかと思うと腹立たしく思えてきました。それでも、昨年よりはまだ良い状態だというのだから、うちの学校はどういう学校なのだろうか。
 もっとも、僕がこうして書かなくても、うちの学校の生徒は、とんでもない学校であるということをわかっているし、今年の卒業生も予餞会がこういう状態になることは、当然わかっていたでしょう。卒業する前に自分の学校の醜態を見せられて、どういう気分だったのでしょうか。今回の予餞会の委員長として、卒業生に対してすまないという気持ちしかありません。
 とにかく、今の生徒会では、役員の良し悪しはぬきにして、学校全体の雰囲気から考えると卒業生をあたたかく送る会などとは無理だと思います。

読書体験記コンクールに入賞して
3年生男子

 あの作文には真実だけを書くように努めました。文芸作品は設定する視点によって現実とは異なった姿が浮かびます。作品には真実だけを抽出しましたが、僕が切り捨てた部分は生活する上では十分考慮されるべき事だと考えるので、みなさんがそれをすくい上げる思いやりをもつことを望みます。
 今回の受賞は、多少非日常的な出来事で、それによって起こる様々な波乱は十分僕を楽しませてくれました。サラリーマン教師について何も言うことはありませんが、彼等が聖職視されている教職を隠れ蓑にし、自ら教育者だと思い込んでいる欺瞞は、かならず糾弾されることでしょう。
 今の段階で文章を書くことは僕の弱さから出たことで、あの作品は他人が読んで生産的な価値のあるものだとは思えません。他人に認められたという事実は、四面楚歌の状況の中で、ちょっと一息つけたというところです。賞を受けること、それ以外の意味はありません。

男子バレー部、道大会へ
 僕達男子バレー部は2年ぶりに南北海道大会へ出場できることになりました。技術的にも精神的にもまだまだ未熟ではありますが、本番では札幌の代表の一つとして恥ずかしくないように高校生らしいプレーをめざし、先輩の築いた伝統を名実ともに受け継ぐためにも頑張りたいと思います。

卒業記念贈呈品の紹介
 今年度卒業される第10期生一同から語学演習等に利用度の高い高速ダビング機(テープ録音が5〜6分でできる)一式を卒業記念品として贈呈されました。

編集後記
 永い北国の冬に、生気溢れる春の訪れが待たれるこの頃ですが、会員の皆様いかがお過ごしでしょうか。本年度最後の「北陵だより」をお届けいたします。
 永年高等学校教育に御尽力下さいました、野崎校長先生が本校を最後に退職されることになりました。本当に長い間ご苦労様でした。益々の御健康と御発展を心よりお祈り致しております。
 新たな門出をしようとしている卒業生の皆さんおめでとうございます。これからは皆さん自身の創意工夫によって、今まで育んできた芽に立派な花を咲かせ実を結ばせて下さい。前途に幸多かれと切に願っております。又御父母皆様のお喜びもいかばかりかとお察しいたします。
 はじめての編集で戸惑いながらも下村先生はじめ先輩の方々の暖かいご指導で1年が過ぎようとしています。より身近に会員皆様の「北陵だより」になるようお声をお寄せ下さい。お待ちしております。最後になりましたが、お忙しい中原稿をお寄せ下さいました皆様有難うございました。