北陵だより第52号/昭和63年12月21日発行


[北陵だより第52号 1ページ]


6100個の缶壁画
3年生女子

 私達の空き缶壁画は大成功に終わりました。その成功の裏には初めての試みに対する不安やたいへんな苦労があったのはいうまでもありません。とにかく初めてだったし、大がかりな制作だったので、はたしてうまくでき上がるのかどうかが常に心の中にありました。
 準備はまず1万個を越える空き缶集めから始まって、缶洗い、色分け、配列、そして屋上からのつり下げと進んだわけですが、一番苦労したのはやはりつり下げ作業だったと思います。当日は最悪の天候で、雨の中を何時間もかけて気を使いながら行われました。それだけに、次第に出来上がっていくのがとてもうれしく、感動的でした。そしてついに6100個の缶壁画の写楽が出来上がった時は、心底からほっとしました。それにしても2日後の取りはずしは身を切られるような思いで、とても残念に感じました。
 私達のこの制作はとてもやりがいのあるものでした。後輩のみなさんもぜひこのとりくみを引き継いで、北陵高の名物、伝統にしていってほしいと思っています。

登山で得たもの
1年生女子

 去る9月24・25・26日は、私たち1年生にとって初めての宿泊研修でした。前々から楽しみにしていたものの、今ひとつ気がのらないのは、登山が予定されていたためでした。けれどもこの研修の目的を考えると、登山以外のなにものでもないことに気づきました。宿舎を出発し、望岳台に着いた時、心に浮かんだことは、長く苦しい時間がやってくる…でも登からには美しい景色と十分な満足感を味わいたいものだ、という思いでした。
 登山ははじめからきつかった。山や自然を甘くみていた私をとがめるように…。再び上へ上へと必死に登り続ける。登りながら、ふと下界の景色に目をやる。その美しい景色と友達の息づかいだけが、心の支えとなった。ようやく頂上直下の目標点。ここから上へは希望者のみ。私はもう一度自分をふるい立たせ、頂上へ行く決心をした。先生に励まされ、友達に励まされて頂上に着きました。すごくきれいな景色でした。十分な満足感をもって登山研修は終わりました。

浄瑠璃寺の秋
2年生男子

 僕達の乗ったバスが浄瑠璃寺へと向かっている。狭い道路。密集した瓦屋根の家。“札幌とは随分違うなぁ”と感じる。1年生の時、「浄瑠璃寺の春」を読んで感動し、いつか行ってみたいと思っていた場所である。
 寺の周りの景色は、畑と山ばかり。とても心地よい。古そうな小さな門を潜って寺に入る。馬酔木の花こそ見られないが、古めかしい建物や池、池に沈んでいる木の舟、他の場所とはなんとなく違う感じがする木々の紅葉。どれ一つをとっても、とても風情がある。言葉に言い表すことの出来ない不思議な魅力がある。時間こそ違うが、堀辰雄も僕達と同じ場所に立ち、同じ物を見て感動したのだろう。
 大きな寺には、昔の人々が築き上げた“歴史の重厚さ”を感じる事が出来るよさがあるが、僕自身としては、浄瑠璃寺のようにその土地の人々の生活空間にすっかり溶け込んで、決して違和感を感じさせない寺の方が好きだ。
 いつか機会があれば、また浄瑠璃寺へ行きたい。


[北陵だより第52号 2ページ]

大きく変わる入試制度―65年度―
進路指導部長

 国公立大学の入試制度が65年度から大きく変わろうとしています。「共通一次試験」が「大学入試センター試験」となり、国公立大学だけでなく私立大学でも利用するよう「入試センター」では考えています。さらに国公立大学では、「分離分割方式」を考えています。これは、北大を例にとると、文T系の定員の90%を前期日程で、残り10%を後期日程で試験をして合格者を発表するという方式です。受験者は、2回文T系を受験できますが、試験の内容は異なると思います。そして、この方式と現行の「連続方式」の試験が行われますので、複雑な入試になることは必至です。
 道内の国公立大でも北大の変更にともない、小樽商大が「A日程」から「B日程」へ、北教大は逆に「B日程」から「A日程」へ、室工大もT部が小樽商大と同じ日程への変更を発表しています。北見工大はまだ未定ですが、このような変更がどう受験生に影響を与えていくのか、今のところ見当がつきません。新しい「入試センター試験」は、65年1月13日・14日と繰り上がります。少しでも早く目標を決めて受験対策をすることが、今まで以上に求められてきます。
 他方、この入試制度の変更は、私立大の入試期日を早めることにもなりそうです。受験生の自然増もあり、私立大の難易度も経済・商学・経営など人文学部系が上昇しています。道内でも、北海学園・北星学園・札幌大の各大学、札幌学院大の商(経済)などの難化が予測されます。また、工学部系も道内は全国の傾向(文高理低)とは逆に相変わらず難しい学科(電子)があり、油断はできません。さらに女子の4年制への志望者が増加してきているのも特徴的です。
 短大は、女子の地元志向、安全志向から難化してきています。静修短・道女子短の経営などに人気が出ています。高看は入試期日が少しずつまとまってはきているものの、難関です。
 入試は厳しい時期を迎えます。進路目標を早く決め、授業中心の学習計画を立てて努力することが必要です。

話のひろば
おもい一つ

3年P

 「高校の広報紙に!」と依頼を受けた時、単純に自分の高校生時代を思い浮かべた。いたって子供っぽく、やんちゃ坊主の延長上にあった姿しか浮かばないが、そんな姿も今の世代と対比できて、話の種になるかな?
 当時、尺ズボン(裾幅30cm以上もあるダブダブズボン)が流行していた。記憶にあるのは、着てみたかったからなのだろう。映画を見に行くこともはやりで、みたいなァと思った。今の子たちが流行のファッションでディスコやライブに出かけたい気持ちと同じなのだろう。違いは、自分で好きに着る物を買うお金や映画に行くお金が貰えないので、我慢せざるをえない子が絶対多数であった。
 それでも、夏・冬の休みの半分はバイト(ただし、近くに手軽にバイトのできるスーパー等のある時代ではなく、笹やぶでの山道づくり、雪の下から軍手一つにスコップで木材を掘り出す荒仕事。そこまで行くのに何kmもの道のり…)。いざお金を手にすると、とても流行事に使うのは惜しく、1〜2泊のささやかな冒険旅行を考えた。
 小学生時代の修学旅行は摩周湖。夕暮れの神秘は強烈な印象であった。バイトのお金でその湖水に行くことになった。
 テントを背負い、崖のような急斜面をようやく下りると、岩のゴロゴロした湖岸から急に落ち込む透明度世界一(当時)の水中を、ヒメマスがスイスイ、伊勢エビほどのアメリカザリガニがノソノソ、飛び込むとたちまち全身がしびれる冷たい水、やっぱり神秘の湖であった。上から見ると小さな中島も、湖面から高々と突き上げて見えた。渡ってみたくなった。たぶん冬は氷がはるはずだ。
 その冬、汽車を降り、スキーに荒なわを巻き付け、めくらめっぽう山頂の摩周湖を目ざすこと4時間。湖水はやっぱり氷結していた。わずかな木々のすき間を下りる。滑るというのではなくズリ落ちていく。中ほどで垂直な崖にぶつかり断念。あらためて上を見たとき、頭上に覆いかぶさる斜面と、せり出した雪庇に冷たいものが背筋を走った。今でも思い出すとゾーッとする。
 次の年は計画的にクラスでキャンプに行った。手分けしてバイトをさがし稼いだ。しかし学校から許可が下りない。「キャンプに行く金があるなら授業料を支払え」。滞納者が多かったらしい。理不尽だ、決行あるのみ。雨にたたられ、胆石で一晩中苦しむ者が出る。林でウンチを踏みながらようやく集めた小枝は火がつかない。生で食える物は食い尽し、ひもじかった2日目の夜、汽車、バスを乗り継いで数時間の道のりを担任が駆けつけ、お金を出して火のつく木を求めてくれた。
 高校生活で一番『先生ってありがたい。』と思った。


[北陵だより第52号 3ページ]

“いま北陵の子らは”
生活面についての学校での指導と家庭に望むこと

生活指導部長

 つい最近のこと。3年某組へ5時間目の授業に行きました。まがっていた教卓を据え直し、挨拶を交わそうと姿勢を正しました。生徒はやっと教科書を出しかけているところです。私を無視して話をしている者達もいる。「起立」―「礼」の号令がかかっても、後ろの何人かは座ったままです。中には、後方の棚から何かを取りかけ、尻を向けたまま礼をする者もいます。礼のやり直しを命じて、改めて教室を見まわすと、紙屑にまじってパンの切れ端がころがっています。すぐ傍の女生徒に拾うように指示すると、ティッシュをとりだし、恐る恐るつまんで捨てに行きました。汚いんだそうですが、私にはその潔癖感がちょっと腑に落ちません。ついまた、「生活にけじめをつけなさい」などと気合を入れてから、やっと授業に入りました。



 いま、北陵の子らは(他の子も同じだと思いますが)、時と場に応じた気持ちの切り換えがうまくできません。自らを律することが大変不得手なようです。そして、遊ぶことは得意なのです。先日、ある年輩のジャーナリストが「若いやつは失礼」という本を出しました。しかし、私達はそれで済ますわけにはいきません。彼らの欠点と長所がそのまま学習態度とその効果に影響するからです。
 そこで私達は「自らを律して、生活にけじめをつけさせること」を生活指導の重点目標の一つに掲げています。特に「時間を守ること」「身だしなみを正すこと」にポイントを置いて指導しています。遅刻防止、チャイム着席の励行、頭髪、服装などの指導です。また「身だしなみを正す」とは、高校生にふさわしい挨拶やことば遣い、時と場に応じた振る舞いができることでもあります。ところで、こうした事の指導は、単なる口頭注意や学校の中だけでは限界があります。まず、大人が率先して行動で示すこと、子供にも厳しくやらせることです。しかし、今の子は自ら動こうともしませんが、人から動かされることも下手です。ですから、大人の善しとすることを一方的に押しつけるだけではだめです。子供の心情や価値観に訴え説得することが必要です。そこでまず、大人は子供をもっとよく知るべきなのです。これは子供を甘やかすこととは違います。
 今の世の中は、かつてない程、変化が激しく多様なようです。子供の世界も同じだと思います。だからこそ、大人は目先の現実ばかりではなく、より意識的に子供の世界を理解するよう努めなければならないのです。




石狩町→北陵高
朝のスクールバス開通

 かねてから強い要望のあった石狩町―北陵高校間のバス路線が中央バスによって新設されました。朝の一便のみの通学生専用のバスですが、この夏以来、石狩町住民、学校、PTAの方たちの町議会と中央バスに対する働きかけや陳情等のご尽力によって実現したものです。
 どうもありがとうございました。


[北陵だより第52号 4ページ]

ゆりの木
ゆめある21世紀へ

教職員

 いささか旧聞に属しますが、今をときめく作家司馬遼太郎氏が、小学校用国語教科書に二篇の文章を書き下したことが、新聞などで報道されていました。
 その一つは6年生を対象とした「21世紀に生きる君たちへ」、他の一つは5年生のための「洪庵のたいまつ」と題する二篇です。
 いまだかつて、文部省検定済教科書の一部が、マスコミ等で話題となったことはなかったように思います。
 それは司馬遼太郎氏の国民的歴史小説家としてのネームバリューと、氏が長年の作家活動の中で、人がどう生きたか、何を求めて生きたか、人間の真実とは何か、など史家としての史眼と歴史に生きた人間の普遍性を巨視的な立場から、どのように啓示するかに期待するからではないでしょうか。
 氏は「21世紀に生きる君たちへ」の中で、
・人間は他の動植物と同じく自然に依存して生きている。自然に対する怖れと素直な態度こそ大切である。
・自己の確立として、自分に厳しく、相手にはやさしく。助け合いといたわりの気持ち。他人の痛みを感じる人間。これらを訓練してこそ自己が確立されるのだ。
と述べております。趣旨の2点には、人間と歴史をみつめてきた氏の、深い洞察と人間愛とを感じます。
 20世紀は、科学の進歩と技術の革新が自然の摂理に反し、人間を苦しめたりしました。自然への畏怖の念が欠けていたようでもあります。また孤独な老人の死という記事は、人間愛の欠如を象徴的に示しています。
 21世紀が、豊かな緑と思いやりに溢れた人間尊重の世紀であってほしいものです。


高体・文連に活躍
高文連全道美術展で宮島さん(3年)が「優秀作」を受賞

<陸上>
 神戸の全国高校総体に参加したハンマー投げの田村君と2000m障害の中元君(いずれも3年生)は、健闘むなしく決勝戦に進出できませんでした。なお、国体道予選(旭川)で田村君2位、中元君4位のほか、棒高跳びの上田君(3年)が4位に入賞しましたが、全道選抜のメンバーに残ることができませんでした。
<バスケット>
 2年生の藤塚君が国体の北海道選抜チームに選ばれ、健闘してきました。
<フィギュア>
 2年生の塩谷君が全日本ジュニア選手権大会に出場し、総合で12位に入賞、帯広のハマナス国体に出場することになりました。
<書道>
 高文連書道展石狩地区大会で「特選」に選ばれた2年生の鈴木さんは滝川の全道書道展(10月13、14日)に参加、席書会に臨みましたが、揮毫の効なく全国大会出場はなりませんでした。
<美術>
 高文連石狩地区美術展において全道展出場の資格を得た3年生の宮島さん、澤田さん、2年生の松本さんの作品のうち、宮島さんの「遠く過ぎた夏」が苫小牧の全道展(10月25、26日)に優秀作で選ばれ、うれしい受賞をしました。
<写真>
 高文連全道高校写真展(10月26〜28日)が深川で行われましたが、2年生の三好さんの作品「考えるゴリラ」が佳作入選しました。

PTA研修報告
 10月18日、高P連石狩支部研修会(視察研修)が各校計90余名の参加でおこなわれ、「北海道開拓の村」「資料館」見学の後、教育懇談会が開かれました。

編集後記
▼冬囲いされた家々の庭に、まためぐってきた季節を感じつつ、この冬がおだやかであることを祈ります。
▼編集に携わるのは初めての経験です。とまどいながら取り組んでまいりましたが、無事52号をお届け出来るのも、お忙しい中こころよく原稿をお寄せ下さいました会員の皆様のおかげと、感謝しております。