北陵だより第53号/平成元年3月10日発行


[北陵だより第53号 1ページ]


育てたい生徒の自発的な態度
校長

 昭和63年度は昭和から平成へと年号が変わりましたが、学校ではまもなくこの年度も終わろうとしております。
 本年度も昨年度に続いて、学力向上、公共心の育成やきちんとした服装など自律的生活習慣の育成、清掃美化活動の推進、を柱として本校としての教育活動をすすめて参りました。
 これらの中ではいくつかの具体的方策を決めて実践してきたものもあり、着実のその成果が表れているものもありますが、さらに継続的にすすめて行きたいと考えております。
 本年度は本校としては対外的に大きな行事もなく、落ち着いて日常の教育活動に取り組んで来れたと思っておりますが、さらに生徒の自発的な学習態度を育てていく必要があります。
 部活動では全体的にはそれほどすばらしい成績とは言えませんでしたが、中には個人で全道で優勝した生徒や、団体競技で地区予選を勝ち抜いて全道大会に出場した部などもあり、若き日のかけがえのない想い出として、さらに地道な努力を続けて欲しいものです。
 平成元年度は中学卒業生の急増に対応して、本校でも11学級の生徒を受け入れることになっており、さらに昭和47年の開校以来、2年後の平成3年には創立20周年を迎えることになりますので、それに向けての準備など、父母の皆様にはいろいろな面でご協力をいただく事が多いと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
 1年間の学校に対するご協力に心から感謝申し上げますとともに、3年生の進学の好結果を期待しております。

貴重な体験「ねぷた」作り
3年生女子

 高校生活3年間は、私にとってあっという間の出来事でした。その中で一番印象に残っていることは、3年生の文化祭です。
 私のクラスでは、行灯は「ねぷた」を作りました。和紙にねぷたの絵を書いて、それに色を塗り、骨組みに貼るというたいへん手の凝ったものでした。出来上がった「ねぷた」は、今まで見た行灯の中で一番よく出来ていると思いました。けれど雨の為に、行灯行列は中止になってしまいました。私達はどうしても行灯に明かりをつけたくて、壊さなければならない日に先生の目を盗んで近くの家に運び、夜に集まる計画を企てました。昼間は晴れていたのに、雨が降り、雷が鳴り始めました。それでも苦労して、明りをつけました。「ねぷた」は昼間とは問題にならないくらいきれいで、みんな見入っていました。その瞬間、雷が近くに落ちました。私は行灯に落ちるのではないかと思い、怖かったです。
 私は行灯行列が出来なかった事が大変残念です。けれど、行灯をつくることで、クラスが一体となり、団結できたことが大変よい経験になりました。


[北陵だより第53号 2ページ]


贈ることば
各担任の先生から卒業生を励ますおことばを寄せていただきました

・これからは厳しい多くの試練に立ち向かうことになる。結果に憂えることなく、この試練に向かって全力を尽し、日々努力することである。たとえその結果が力及ばなかったとしても、一生懸命に心底から頑張った気分はまことにさわやかであり、なにごとにもかえがたいものである。
 「地道に力を尽し、ことにあたる」。この中に自分の飛躍があることを忘れてはならない。
(1組担任)

・現在の日本では高校を卒業するのが当たり前で、それほどメリットはないかもしれない。しかし、だからと言って高校生活を軽視することはできない。高校生活は3年、人生は80年と考えるとわずか3.75%である。その3.75%の人生を振り返って君達はどうであったろうか。満足できた者も、できなかった者も、今一度3年間の足跡をたどり、新たな旅立ちの糧としてほしい。
(2組担任)

・第15期生の諸君、ご卒業おめでとう。
 今の社会では自己中心的な人が多く見受けられますが、“人の痛みのわかる人間”になってほしいものです。また、皆さんは長い人生の大きな岐路に立っています。はっきりした人生設計をもち、それに向かって努力し、悔いのない豊かな人生を送って下さい。
 今後のご活躍を祈っています。
(3組担任)

・新たな旅立ちをおめでとう。
 自分の不利益には黙っていないこと、利害の対立し、意見を異にする他者こそ、ものを決定してゆくかけがえのない仲間であること―これをひとつひとつの行動のなかで確かめ、大事にしながら、民主的主人としての生き方をふくよかに築き出していって下さい。
 お元気で。さようなら。
(4組担任)

・水溜りを避けて通るのは子供でない。汚れなど気にしないで、じゃぶじゃぶと。これまでと違って自由に物事を考え、行動できるというのに、無為に過ごしている若者が案外と多いと聞く。人生の中で最も良い時期を迎える君達が、行動する若者であってほしい。そんな願いをこめて君達に贈る言葉―「小さな大人になるよりは、いつまでも子供のままで」
(5組担任)

・「光陰矢のごとし」という言葉は、若い時にはそれを実感として受けとめることはむずかしいのではないかと思います。前途が希望にあふれているからです。3年間持ち上がって来ましたが、生徒たちはそれぞれに成長しました。教師の眼でみるとまだまだ不足ですが、やがて立派な社会の一員として活躍してくれることでしょう。巣立ちゆく若者達に栄光あれ!
(6組担任)

・生き物の中で人間という動物が一番過保護に育てられているのではないだろうか。
 兄妹の数が少ない現在、親の手が隅々まで行き届き、子供は親の手をあてにし続け、巣立ちできない人間が増えているように思う。
 「これでよいのか?」と思う事が時々ある。過去の経験から新しい自分の道を切り開いていかなければならない時が来た。
(7組担任)

・どんな進路をとっても、もう大人の仲間入りです。高校を終えてこれからは広く社会勉強です。一社会人としての責任ある言動が求められます。また、今、世の中は急速に変動しています。そんな中にあっても、人には変わらないもの、変えてはならないものがあるはずです。これは、しっかりいつまでも大切に持ち続けていってほしいと思います。
(8組担任)

・卒業おめでとう!!
 楽しいようで苦しかった高校生活も本日をもって終止符。
 長いようで短く思えた3年間、就職、また進学準備に全力を傾注した君達。
 この高校生活の貴い経験が、今後の君達の人生行程の陽にあり陰にあって、大いにプラスしてくれることであろう。
 後は、自己の進路に従い前進してくれることを念ずるのみ。
(9組担任)

・教員になって初めて担任を持つ緊張と期待に満ちた気持ちで君達を迎えて以来、早くも3年が過ぎた。特に思い出深いのは英語劇と英文法ゼミで、あの時の君達の目の輝きは今でも忘れない。
 卒業は新たな生活のスタートであり、これからの数年間が君達の一生を左右すると言える。現状に満足せず、旺盛なチャレンジ精神を持って前進してほしい。
(10組担任)


[北陵だより第53号 3ページ]

話のひろば
養護教諭

『アルコール』
 ススキノの夜に出かけると、地下鉄駅周辺は若者の待ち合わせであふれている。卒業した生徒に出会うこともある。卒業すると未成年でも、ごくあたりまえにお酒とつき合うようだ。毎年4月になると大学の歓迎コンパで急性アルコール中毒による死亡記事が見られる。酒の害の代表的な物質は「アセトアルデヒド」である。アルコールは肝臓でアセトアルデヒド→酢酸→炭酸ガス+水という順に分解される。しかし毒性の強いアセトアルデヒドがたまってしまうと、吐き気、頭痛、心臓ドキドキのいわゆる「悪酔い」を起こす。このアセトアルデヒドは酵素の働きで分解される。つまり酒に強いか弱いかというのは、肝臓の強弱とは関係ない。酵素のない体質の人がイッキ飲みをすると、急性アルコール中毒の危険が待っている。ほどほどの飲み方をしてもらいたいものである。

『甘いお菓子』
 心臓疾患で手術を受けた少女である。術後は順調で退院の日も近い。彼女はこれから先、再発防止の為、肥ってはいけないのである。ある日、母親に涙を流し「どうして私だけお菓子を食べたらだめなの」と反抗した。そこで担当医が、かみ砕くように、心臓病と肥満・お菓子の害について説明した。それから彼女はわがままを言わなくなった。健康は家族みんなの願いである。若さにまかせての不摂生はかならずつけがくる。バランスのとれた生活習慣をきちんと身につけてほしいものである。

『贈る言葉』
 社会人3年目のA君が保健室に遊びに来た。彼は日頃「嫁さんもらって札幌にマイホーム建てて、細く長くの人生さ」と言っていた。春になると古い新聞の切り抜きが眼に入る。村の小・中学校の卒業式に贈ったPTA会長の言葉―「はるか1億光年むこの、途方もない星の世界を見ていると、人間の一生はいったい何だろう。たかが一生、せいぜい80年余り、何をして暮らしてもいいような気がする。中学でやめようとも、大学まで行こうとも、貧乏であろうが、大金持ちになろうが、平凡な主婦であろうが、女性総理大臣になろうが、どっちでもいいような気がする。ただ、おじさんは、一生懸命だったかどうか、これを問題にしたい。○○ちゃんは家庭科が得意、△△君はスキーが上手いと聞いている。自分のやりたいことを一生懸命やったらいいと思う……卒業おめでとう」ででっかい拍手を浴びたと記載されている。保健室で「私、留学が夢なの」と話した、白衣の天使をめざすAさん。「母さんと理髪店やるんだ」と専門学校へ行ったB君。「大学へ行ってから考えるよ」とC君。どの道にすすんでも自信を持ち、かがやきの瞳を持ち続けてほしいものである。

南2条東6丁目
2期生(小学校教諭)

「南2条東6丁目」
 この住所を聞いて一体何を連想されるでしょうか。現在は市民ギャラリーという立派な施設が建っている所でありますが、昭和50年位までそこに別のものがあったのです。ぜひとも知って頂きたいので、意地悪な様ですが一つずつヒントを出しますので考えて下さい。
1.木造二階建て
 夏は鳩のフン、冬は建物の中に雪が積もるという悪環境。建物は空から見ると三角形。中庭は芝ではなくコンクリート。
 これでわかった方は、私と同様、生きた化石でありましょう。
2.旧一条校舎。水道局庁舎としても使われた建造物
 問題はその後、何に使われたかということであります。
3.北区屯田町646の5
 これでおわかりでしょう。北陵高校の仮校舎だったところです。私は第2期の入学であったため、当時の全校生徒は540名、1年生と2年生だけの学校でした。もちろんその年は卒業式はありませんでした。グランドもなく、豊平川の河川敷へ出たり、堤防をマラソンするなどの体育でした。体育館はもっとひどいもので、ステージの上から跳ぶと天井に手が届きそうな程でしたから、バレーボールなどは悲惨なものでした。
 その学び舎も今では立派になりました。校舎の西側がいかにもつけたしたようになっているのは、1学年の学級数が増えたために増築をしたところです。
 私の教え子も北陵高校に通っておりますが、今後とも北陵高校の名が益々上がるよう、一層の御活躍を祈っております。


[北陵だより第53号 4ページ]

ゆりの木
ある放送から

2年P

 先日、テレビで人種差別について放送していた。黒人の住んでいないある村の一教師が、クラスの茶色の目の子に黒い衿を付けさせ、青い目の子と区別をした。
 何かにつけて青い目の子は優秀で良い子だと誉め、その反対に黒い衿をつけている子は茶色い目だからダメだと洗脳していく。反撥する子、落ち込んでいく子等さまざま。異様な雰囲気の状態でテストをすると、点数に大きな違いが生じていた。
 今度は、青い目の子に黒い衿を付けさせ、同じ実験をすると、同じ現象が現れた。
 この体験について自分の気持ちを話させると、黒い衿を付けた時は、なんだか自分がダメになったような気持ちになり、落ち込んだ(屈辱感からくる)が、逆に黒い衿を付けていない時は、自分は優秀で衿を付けている子はダメだと思うようになったという。
 そこで、子供達に、茶色の目の子はダメな子かと問うと“No”、青い目はダメか?“No”、それでは肌の色が白いとか黒いとかで人間に違いがあるかと問うと、力強く“No!”と答え、その顔は実に晴れ晴れとしていた。
 私は、言葉で人種差別はいけない事だと教えられ、差別(弱い立場にいる人達へ)はしていないつもりでいるが、この子供達の様な、何物にもとらわれない、自由な判断ができるかどうか不安でならない。日常生活の中では、意外と偏見にとらわれて見たり考えたりしているのではないか。本当に差別をしていないのか、そもそも差別とは何なのか―と考えさせられる機会となった。


高体・文連に活躍
二人で競えた国体フィギュア

2年生男子

 1月15日〜21日まで軽井沢で高校総体、つづいて28日〜31日まで帯広で国体が行われ、今年も北海道の代表としてフィギュア競技に参加させていただきました。
 成績は高校総体9位で、ひとまず目標を果たすことができましたし、国体も11位ながら、内容は自分なりに満足したものができたと思っています。そして何よりも嬉しかったことは、仲間ができて総合を競い合うことができたことです。おかげで国体は総合で8位入賞を果たし、印象深い大会になりました。来年の目標もでき、励みにして頑張りたいと思います。

姉妹で目指す国体馬術競技
 1年生の高橋さんは双子の姉妹ですが、今そろって今年の国体馬術の選手を目指し、練習に励んでいます。
 先日も北海道の強化選手として共に仲良く選ばれ、2月8日〜12日まで静岡県御殿場市の馬場で強化推進の合宿に参加してきました。今年の夏の国体では、きっとこの双子姉妹の凛々しい馬上姿をみることができるでしょう。その日が待たれます。

卒業記念品の紹介
 第15回卒業生一同より、卒業記念品として次の品が学校に寄贈されました。
 「衛生放送施設と放送機器」

編集後記
▼穏やかな年明けでした。昭和から平成に年号が改まり、また“北陵だより”をお届けするときになりました。多くの皆さんに読んで頂きたいと鎖の切れつつある脳みそで、委員一同和気あいあいと編集させて頂きました。
▼3年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。新たな門出を一歩一歩前進してください。
▼原稿依頼に快くご協力くださった皆様に心よりお礼申し上げます。