北陵だより第54号/平成元年12月20日発行


[北陵だより第54号 1ページ]


これからの学校行事予定
8月
 18(金) 始業式、課題テスト(1・2年)
 19(土) 課題テスト(1・2年)
9月
 1(金) 北陵祭〜3(日)
 14(木) 父母懇談会(1年)
 24(日) 宿泊研修(1年)〜26(火)
10月
 2(月) 校内マラソン大会
 3(火) 開校記念日
 11(水) 中間考査〜13(金)
 24(火) 父母懇談会(2年)
11月
 8(水) 見学旅行〜13(月)
12月
 1(金) 期末考査〜5(火)
 20(水) 終業式
1月
 16(火) 始業式、課題テスト(1・2年)
 17(水) 課題テスト(1・2年)
 26(金) 学年末考査(3年)〜30(火)
 30(火) 予餞会
 31(水) 3年家庭学習
2月
 16(金) 雪中体育大会
3月
 2(金) 学年末考査〜9(金)
 10(土) 卒業証書授与式
 24(土) 終業式

父母との信頼にもとづく協力関係を
校長

 この4月着任しました。前校長の後を受け、責任の重さを心に刻んでおります。父母の皆様には歴代校長と同様、今後とも一層の御支援と御協力を賜りますようお願い申し上げます。
 わが北陵高校も草創時からはや18年、これまで15回の卒業生を送り出しましたが、もう新設校というイメージの甘えは許されない時期になっていると思われます。生徒の急増対策として、新1年生が1間口増の11学級で、全校31学級、生徒数は1400人をこえることになり、施設設備の対応に大童となりました。教職員も勇退、転任等に9名を数え、同時に12名の新参入がありました。
 今後の本校における経営の指針として、
 ・生徒の意欲を伸ばす北陵
 ・父母の期待に応える北陵
 ・地域社会に信頼される北陵
 の3つを掲げましたが、先生方の協力のもとにこの指針が達成できるよう努力したいと思っております。
 日常の学校生活では、自他の人格を互いに尊重し合うこと、自由な雰囲気の中にも、自律的な取り組みを大切にし、教師と生徒の信頼関係を基盤にして子どもたちが成長していくことを切望しております。
 現実の生徒たちは期待するほどには育っておりませんが、学習や生活等の規律の浸透をとおして、授業への取り組みや校外模試にみられる好成績などの状況に明るい見通しが出て来ているように思われます。
 先生方も毎日のように早朝から全力投球しております。子どもたちにとって何がいちばんよいことなのか、父母と学校が信頼し合って具体的に協力できる関係をつくりあげていきたいものと願っております。
 今後とも皆様の益々の御協力と御鞭撻をお願いしてご挨拶といたします。


[北陵だより第54号 2ページ]

PTA活動の充実を願って
 私、昨年に引き続き、会長の大役をお引き受け致す事となりました。昨年は経験、識見ともに豊かな各位のお力により、大過なく任を終えることが出来、深く感謝いたしております。
 今年は年号も平成に改まり、本校におきましては校長先生、教頭先生の交替があり、新しづくめの出発となりました。また、2年後には、本校も人間に例えれば成人式を迎え、20周年の式典を挙行する事になっております。
 5月20日に開かれた総会におきまして、今年度の予算も決定され、事業計画に基づいた活動が開始されております。
 申すまでもありませんが、PTAの活動では、その母体である学級PTAの充実が最も大切であります。子ども達の幸せのため、皆さまの御指導、御支援をお願いしますと共に、PTAの発展を願って、挨拶にかえさせていただきます。
(PTA会長)

 会則にある通り、後援会の主旨は「文化・体育活動の振興及び教育環境整備のための後援」にあり、それによって本校の発展に寄与することを目的としている。
 ところで、青春時代に越えねばならぬ最高峰の一つは「個我の覚醒」にあると思われる。それは、日常性の中で、友情、体のこと、異性のこと、孤独などの「憂悶」と「内省」から生まれ、近い将来経験する“疾風怒濤”の時代を準備し、人格形成の芽生えを促すものである。その意味では、極めて個人的色彩の強いものである。今、教師や親に依存しているように見えて、実は生徒は「生みの苦しみ」にも似た「個我の覚醒」を体験しているかも知れぬ。それは受験勉強の最中でも、否応なく、その心を襲うであろう。かかる認識に立って、所期の主旨を尊重し、会員諸氏の御意見を徴しつつ、会務に当たりたいと願う。
(後援会会長)

話のひろば
出会い

3年P

 子供向け雑誌社主催の作文コンクールに入賞した「野口英世の墓との出会い」を読んだ長女が、ニューヨークに行ったら是非この目で見たいと言っていたことが動機となり、子供らと共に、1984年7月中旬、彼が眠るウッドローン墓地(ブロンクス、ニューヨークの北東100km)を訪れた。
 その日は暑い日であったが、一歩その墓地に入ると、樹木と芝生が香り、森林浴ができそうであった。その正門右側の管理事務所に立寄ったら、品のいい初老の管理人は車で私達の車を先導して野口英世の墓に案内してくれた。
 墓地に花、お供物など一切置いてはいけないので、人が訪れた気配は一見わからない。わずかにくもの糸と雨によってはね返った土砂がかかった黒色の周囲2m程度の細長い背の低い墓碑であった。子供らとタオルでくもの糸と土埃を取り除いた。その墓碑には、彼の業績を「Through Devotion to Science He Lived and Died for Humanity」(科学への献身を通じて生き、人道のために死んだ)と刻してあった。
 もっと彼のことを知りたくて、再度、管理事務所を訪れた。Hideyo Noguchi 52Y,5/21/28(52歳、1928年5月21日) Mary D.Noguchi 65Y,12/31/47と記入されている以外何も記されていない墓地台帳カードを探し出してくれた。彼の婦人は多分、アメリカ人であり、彼の死後、その時代の平均寿命を生きたと感じた。そして、その管理人は「もう一人、日本人の墓がある」と言い、先と同じく車で先導してくれたところが高峰譲吉の墓であった。その大理石製の大きく高い門の形をした墓碑は、その墓地の中でもひときわ大きく、また周囲に高い樹木がなく、芝生だけのこともあり、目立つように、目立つところに位置していた。研究中途で不慮死した細菌学者と、高級官僚であり、日本で最初の過燐酸肥糧製造会社、三共株式会社、理化学研究所などの設立に参画し、それらによって得た財力と名声で華麗に天寿を全うした人との差異をそこに見た。
 ニューヨークの自由の女神(「の」を付けたのはその模造物が札幌を始め、日本各地にあり、中国にも出現した)の台座に位置するアメリカ移民博物館の日本コーナーには、科学者としての高峰譲吉と野口英世を見た。野口英世の写真にはパスツールとコッホ以降、細菌学で最もすぐれた人物と記されていた。
 高峰と野口はそれぞれ、1887年、1900年に渡米し、1922年ニューヨーク、1928年アフリカ黄金海岸で没している。高峰の方が22歳年上であったが、2人とも1900年前後に渡米し、30余年をニューヨークを中心に活躍したことになる。
 誰にでも、出会いはある。出会いに寄せる思いには尽きないものがある。高校での実り多い出会いを期待したい。


[北陵だより第54号 3ページ]

新任紹介
 この項目は掲載いたしません。

創造したい「北陵らしさ」
13期生

 札幌北陵高校という名前を聞いて、世間一般の人はどういうことをまず思い浮かべるであろうか。在学中にはあまり感じたことはなく、卒業して第三者の目で北陵を見るようになってから感じるようになったことなのだが、北陵というのは実に特徴の少ない学校だなということである。
 例えば何か強い部活があるとか、全体的に部活が活発だとか、或いは勉強に力を入れているとか、ということである。自分の感じたことを言えば、大体何をしていても程々というか中途半端な感じを受けて、学校全体にいつも覇気がないような印象を受ける。だから北陵はどういう学校かと尋ねられた場合にも一言で言えない、というよりはなんとも表現できないのである。北陵がどういう学校か知っているのは近隣の屯田、新琴似、太平の人だけで、北陵と聞いて「あそこにある学校だ。」としか言われないようでは、何ともおもしろくない。最近増えてきた周囲の新設校にも負けないような魅力を備えなければ、本当に学校の存在が薄くなっていくように思われる。
 別段周囲の学校と比較して絶対に劣ってはいけないとか、そこまで力説している訳でもなく、北陵は北陵であって別に比較してどうすることでもないのだが、ただ北陵らしさというものを持ってほしい、と思っているだけなのである。
 そういう意味では、新聞記事で取り上げられた昨年の学校祭のあき缶による大きな役者絵はおもしろかった。遠くからはっきりと見えて、学校の宣伝に一役買ってくれたであろう。このようなことを今後も続けてくれたら、少しは北陵も活気が出るのではないか。
 大仕事は一人ではできないので、何人もの人が協力して成し遂げ、その喜びを分け合って北陵を盛り上げていってもらいたい。


[北陵だより第54号 4ページ]


ゆりの木
敦煌をたずねて

教職員

 昨年8月の中国旅行で、敦煌まで行きました。蘭州からオアシスの町敦煌への飛行機から眼下に延々と連なる砂漠を見ました。2日ほどの短い日程でしたが、千年ほどにわたって作られた、仏像や壁画のある莫高窟千仏洞を見ることができました。僅か十数ヵ所でしたが、懐中電灯で照らしながらのガイドの説明を聞き、こんな砂漠の洞穴に数々の作品を残した人々の、宗教的な情熱に感動させられました。
 郊外に映画「敦煌」のセットが残されており、入場料をとって見せていました。新敦煌故城です。バスで走っている時、はるか地平線上に蜃気楼を見ました。気温37度でも湿度が低いので、それほど暑くは感じませんでした。
 また鳴沙山に登りました。夜の9時をすぎても明るく、麓で観光用のラクダに乗って、ちょっぴりエキゾチックな気分を味わいました。草一本ない砂山の頂上からの展望はすばらしいもので、砂山に囲まれて何千年も水が涸れないという、三日月形の月牙泉も印象的でした。
 ホテルは豪華ではありませんが不便ではありません。ただ中国はどこでも生水は駄目で、必ず湯や湯ざましが用意されていました。驚いたことに帰りの飛行機がないということで、柳園から蘭州まで27時間ほどSL寝台車で帰らねばなりませんでした。
 予定外の汽車の旅(中国では火車といい、汽車は自動車のことです)では、中国の人々との交流を楽しむことができました。全体としてはきびしい旅行でしたが、また敦煌に行きたい、もっと奥のウルムチ・トルアフアン方面へもという、更なるシルクロードへの想いにかりたてられました。


高体・文連に活躍
空手の永嶋君(3年) 全道大会3回戦で惜敗

陸上部
 今年の陸上部は地区大会で男子の出町君(3年)が棒高跳3m70、佐藤君(2年)がハンマー投げ38m12でそれぞれ優勝、走幅跳の浅海君(3年)は6m59で第4位に入賞し、男子総合で第5位を得ました。6月22日からの全道大会には上記の3人が出場しましたが、十分に技量を発揮することができず、いずれも予選で失格となりました。来年を期したいと思います。

空手部
 6月17・18日、旭川市の竜谷高校を会場におこなわれた全道大会に出場しました。
 団体戦では1回戦旭川工業高校を4対1で斥け2回戦に進出しましたが、帯広農業高校に2対3で惜敗、3回戦出場ができませんでした。
 個人戦は組み手に出場した井畑君(3年)、工藤さん(1年)が1回戦で敗れましたが、永嶋君(3年)は1、2回戦を突破、勇躍3回戦に進みましたが、健闘空しく4回戦進出はなりませんでした。

公開講座へのおさそい
 今年度の公開講座は次の8講座です。
・登山入門(紅葉の札幌岳)
・源氏を知る会
・自然観察(動物の進化とヒトの進化)
・合唱(基礎練習と希望曲の合唱)
・デコパージュ(額縁つきの絵)
・子ども、青年の心と身体は今どうなっているか(昼の講座と同内容で夜の講座も設けられます)
・基礎スキー(アルペン、初心者を対象)

編集後記
▼肌寒い日の多かった6月から緑鮮やかな季節となり、今年度最初の「北陵だより」をお届けするときになりました。
 今年も、新しい編集委員2名を迎えて、より親しみやすい紙面をと心がけながら編集させていただきました。
▼原稿依頼に快くご協力くださった皆様に心よりお礼申し上げます。
 なお、ご意見等がございましたらお寄せください。お待ちしております。