北陵だより第55号/平成元年12月20日発行


[北陵だより第55号 1ページ]


俺たちのモナ・リザ
3年生男子

 「出来た!けど、落ちるんじゃねえか?」これが、俺達の“モナリザ”が完成した時の率直な気持ちだった。
 “モナリザ”製作中の出来事として、様々な事があった。
 例えば、自由に伸びるシーツにうまく直線が引けなかったりしたこと。また、みんなが絶対嫌がるなと思っていたシーツを縫い合わせる作業が、「意外と面白いけど、こんな姿を知ってる女の子に見られたくないな。」と笑って言いながらも、一生懸命やってくれたこと。採色をしている時に何故か他のクラスの人が一緒にやっていたことなど……。
 思い起せば、「絶対無理」と言われながらも、北陵祭の時に降った雨にも耐えられるほど上手く出来たのは、アドバイスしてくれた諸先生、夏休みを返上し、さらに、文句一つ言わず、真剣に作業をしてくれたみんなや、本当は行灯係なんだけど、人一倍作業をしてくれた友達のおかげだと思う。
 今、また、みんなに改めて感謝したい。

きわめたかった頂上
1年生女子

 ちょっぴり冷たい風に頬をなでられながら、私は赤茶の大地に足を踏み入れた。こうして宿泊研修の目玉、登山が始まった。
 ごつごつした岩、少し湿気を含んだ土、青く高い空、紅葉した木々、見渡すかぎりの山また山―私は、自然を満喫しながら登った。だんだんと風が強くなる。私はその風に吹かれながら見えない頂上に思いを馳せた。
 登りはじめはおしゃべりも絶えなかったが、次第に口数が少なくなっていく。先はまだ遠い。
 中間地点で昼食、後は「頂上目指して出発」のはずだった。しかし、雨を予測して下山。あんなに晴れていたのに信じられないことだったが、宿舎に着く頃からひどい雨になった。再びは来ることもない上ホロカメットク山、頂上まで登ることができなかったことが惜しまれてならない。
 でも、私の中に「最後までやり通したい」という心のあることが分かった。それだけでもこの登山は、私にとってとても有意義なものだったと言える。

圧倒された本物の迫力
2年生女子

 三十三間堂―。
 何と言ってもその迫力に圧倒されそうになった。千手観音・阿修羅像など、見るもの全てが立体的に目の前にある。写真を見るだけで終わってしまう学校での授業ではとても得られない感動のうずにのみこまれ、ふと気がつくと涙で頬がぬれていた。
 あわてて涙をぬぐって隣を見てみると、同じく目を赤く泣きはらしている友人と目が合ってしまった。お互いに気まずくなりながらも、複雑な胸中を察し合って、無言で廊下を進んでいった。
 集合時間のために、後ろ髪のひかれる思いで外に出て、友人と感想を話し合いながらバスに戻った。
 有意義なひとときをすごせたという満足感と、玄関でのおばさんのだみ声の余韻にひたっている中、バスは清水寺へ向かい、私はというと、快い深い眠りへとおちていくのであった。


[北陵だより第55号 2ページ]

厳しくなる大学入試
進路指導部長

 高校卒業生の増加、大学志望率の向上からここ数年大学進学志望者が急増し続けている。しかし、それに見合うだけの大学の間口増はなされていない。
 大学・短大の合格率の推移を見ると60年度は69%、元年度は64%、今年度は62%と推定される。志望者の約4割、45万人程の者が入学する大学がなくなる。この厳しい状況は4年度(1年生が卒業する年)をピークとして7年度ごろまで続くようだ。
 また、国立大学を中心とする入試改革も激しく、入試の方法も変更された。国立大の試験科目の削減など大学ごとに大きな差異が見られる。中には私大と同じ入試科目の大学も出現、早期に志望を定めこれに対応しなければ不利となる。また推薦入学も拡大され、多くの大学で実施される。このような多岐多様な入試では各自の真剣な取り組みで目標を実現する必要がある。
 厳しい入試状況を反映して、入学しやすい大学を目指し全国から受験生が押し寄せてくる。特に、本道の私大はこの影響をもろに受け、多数の道外勢の進出によってレベルアップ、入学が難化し、安全校としての滑り止め校もなくなった。
 入試状況は親の体験した時代とはすっかりさま変りしている。大学の難易、社会的評価なども見直し、子どもの進路相談にあたっていただきたい。
 大学受験は子どもを自立させるよい機会である。自分でやる気を持って事にあたらなければどうにもならないものなのだから、親には子どもの「やる気」を育てる家庭環境づくりが求められている。したがって子どもの可能性を信じ、より高いものに挑戦する意欲への励ましと職業への関心を高める日頃の働きかけが大事となる。将来この分野でこんな仕事をしたい、そのために是非この大学に入学し、この事を学びたいという気持ちが早期に育てば、厳しい入試も先が明るい。
 3年生は入試を目前に不安と焦りがあろうが、最後まで全力を尽くすことである。残された日に可能性があることを信じよう。
 「頑張れ、巨人の逆転優勝のように」。

話のひろば
気持ちで考える

3年P

 「気持ちは頭のように考えてくれない」―最近のテレビコマーシャルのセリフです。ウェートコントロールがままならないヤングミセスの嘆きですが、気持ちのぜいたくが強調されるこのごろの空気にピッタリで、うまいコピー(宣伝文句)の一つかな、と変に感心したりしています。
 気持ちとか、感じを大切にするのは生活を自分のものにし、心豊かな時間を持つうえでとても大事なことはいうまでもないことです。いまさの話ですが50代も60歳の方に近くなりますと、仕事は別にして、ほかの事は理解の速さとか、知識量とか、手足を使う際の上手、下手といったことはあまり気にかけない方が過ごしいい、と思うようになったせいかもしれません。「時代は気分」の時代のせいかなと思ったりもします。
 ところで「気持ち」についてまた別に考えさせられたことがあります。新聞社で今年から事業(催し物)の担当になったのですが、その中に「エキスパートナース・フォーラム」という看護婦さんの勉強会がありました。テーマは「看護活動の中でのユーモアとか笑いの大切さ」でした。自分が笑うのではなく、笑いをつくり出すというのは、人間の精神活動としては最も積極的で、よくいわれる気働きの最たるものの一つでないでしょうか。看護婦の経験がある作家の江川晴さんは患者さんの気持ちを軽くしようとしたはずのジョークがタイミングを外したり、相手が悪かったり逆効果になった失敗談で受講者を笑わせていました。看護学の女性教授は、老人介護のボランティアに参加してみて、病院で白衣を着ていると規律と命令のガチガチ人間になっていたことが身にしみてわかったという体験を話されていました。
 これも気持ちの問題なのですが、気分ではなく、気の持ちようを考えているのです。看護術は頭で考えることですが、もう一つ「気持ちで考える」ことが真剣に語られていたのです。これもまた偉いものだなと感心して聞きました。
 人間の考える働きを頭はハードで、気持ちはソフトと分けるなら、いまはソフト優先の時代に見えます。それが、大学受験では本人より深刻に考えている先生にはシャクの種でしょうが、ハードの部分は子供と先生に任せて、ソフトの面でせめて力になってやれないものかと考えたりするものです。親子それぞれに個性も個人差もあることですから、家庭ごとに自らに問う事はいろいろあると思います。私で言えば「親は子の結果は問わないもの」と宣言し、精神の独り立ちをじっと待つことにしています。勉強も大事ですが、気持ちをもっと大切にしようと思うからです。酔いに委ねて人生論などをブってオヤジ気分に浸りたいですが、相手が笑って聞いてくれるまで待つということです。


[北陵だより第55号 3ページ]

異文化にふれて
2年生男子

 この9月27日から10月4日まで、私は道高P連主催による「高校生と親と先生の国際交流事業団」の一員に選ばれ、アメリカのボストンでホームステイをしてきました。
 私にとって「外国人の中の自分」を体験するのはなにしろ初めての機会でしたから、当初は喜びの中にも不安が大きかったのですが、訪問先の皆さん、特にホームステイ先のご家族の温かいもてなしで何の不安も感じず、快適にすごすことができました。
 研修全体を通し強く印象に残った一つは、学校訪問の折に、各教室の正面や町の主だった所に星条旗があるのをよく目にしたことです。このことは、毎日の生活の中に国を思う心が根付いていることを示しているように思われました。
 今、私に「自国をどう思うか」と問われた時、「誇りに思う」とは即座には言い切れません。とういうよりは、日頃考えたこともないからです。アメリカの人々が自国を愛し、誇りに思うのは、建国の歴史や開拓における先人の労苦などに対して尊敬の念を持つことができるよう、幼い時からはぐくみ育てられてきた結果なのでしょう。
 この研修で私が得た大きな財産は、アメリカ人のものの見方や生活に触れることで、自国の歴史や先人たちの足跡を改めて振り返る機会を与えられたことだと思います。
 ボストンは明るい雰囲気に満ちあふれた、活気のある街でした。教会が至る所にあり、人々の様子にも落着きと余裕が感じられました。さすがは大学の街、文化の街、日本の京都と言われる街だと思いました。しかし、帰途に寄ったニューヨークの殺伐とした風景には驚きました。ゴミのあふれた道路、割れた舗装、落書きだらけのアパート、街いっぱいの騒音、ホテルの窓から聞こえた銃声とパトカーのサイレンの音等々―これもまたアメリカの一面の姿なのだと知りました。
 アメリカの高校生活は、ひと口で言うときわめて自由闊達でのびのびとした雰囲気にあふれていることですが、その自由は個人個人の責任や彼らを取り巻く大人の温かい配慮に裏付けされているということでした。
 それは家庭生活も同様で、両親は子どもの人格を認めてその自主性を尊重し、子どももしっかりとした目的意識をもって対処しています。
 授業態度は全く自由で、日本と比較してみると、一人ひとりが自由な姿勢の中で授業に集中しているのがよくわかります。自分の意見は堂々と述べるし、質問も頻繁に行われます。特に感心したのは、他人の意見には実に真剣に耳をかたむけていたことです。考えさせられました。
 英語の下手な私でしたが、これらの交流の中で、たとえ人種が違っても、言葉や肌の色が違っても、お互いに心を通じ合おうと努力すれば必ず理解し合えるものだということを実際に体験できたことは、私の一番の収穫であったと思います。

PTA「地区懇」から
3年P

 今年度より「地区懇談会」をPTA事業の一環として行うことになり、太平地区も7月14日に、各地区のトップをきり開催されました。
 日時、呼びかけ等、方法には少し工夫が必要に思われましたが、学習、生活面とも先生方の懇切丁寧なお話に感銘を受け、父母からの質問こそ少なかったものの、ホンネで語り合えたことで、学校での雰囲気と一味違うソフトさが感じられ、初めての試みとしては大変良いと思いました。
 また「最後に一言」とPTA会長が「私の家では勉強しなさいとは言わないように心がけている、みんなが特急や急行でなくても各駅停車の鈍行でも良いではないか」と話していらした言葉が印象に残り、子供一人ひとりに合わせた待つ教育、そこが家庭教育ならではの大切なところのように思われました。
 なお、せっかくの機会ですから地域の青少年関連団体の代表にもご参加頂き、地域全体の様子がわかれば、より一層の効果があがるのではないでしょうか。

 秋の気配が感じられる9月13日、新琴似地区では初めて開かれた地区懇談会に参加させていただきました。
 一人ひとりの自己紹介から始まり、21世紀を担う生徒たちのために燃える思いの情熱で生徒の心にしみこむような教育に挑戦されている先生方のお話を聞き、新琴似北中学校から参加されたお母さんたちも感動していました。
 配布された「大学進学と中学の成績」「成績と部活、友人や生活態度」等の資料は大変参考になりましたし、先生方も北陵高校に誇りをもっておられ、教師としての強い使命感のようなものが感じられました。勉学の面は何もできませんが、家庭の中で子供たちに接するうえからも先生方の思いをしっかり受けとめ、人生を勝利で飾れる“子供”を育てていきたいと思いました。
 御多忙中にもかかわらず地区懇談会を開いてくださり、心から感謝の思いでいっぱいです。


[北陵だより第55号 4ページ]

ゆりの木
海外研修を体験して

教職員

 私は7月28日から9月21日までの約2ヶ月間、文部省主催の英語教員海外研修で英国のランカスター大学を中心に研修するという機会に恵まれました。大学での研修は主に「話す、聞く、読む、書く」の4技能を発達させることや、指導法の研究、スピーチの練習、英国の政治経済、文化歴史の講義と視察研修でした。中でもプロジェクトといって、あるテーマについてランカスター市民に直撃インタビューをしたり、現地調査したものをレポートにまとめて発表するという研究発表が一番ためになった気がします。
 大学での寮生活は20年近く前に私を戻してくれて、毎晩宿題をする辛さと同時に本場で勉強をしているのだという実感もまた込み上げてきました。世界各地から英語の研修のために多くの教員や学生が来ていて、週2回の交流会では、多くの異なった人種がまるで以前からの知り合いのようにして語り合える雰囲気は素晴らしいものでした。
 ワーズワースの愛した湖水地方やブロンテ姉妹のお墓のあるハワーズ、それにヒースの咲く丘、シェイクスピアのゆかりのストラトフォード・アポン・エイボンでの観劇、ブラックプールでの「キャッツ」の観劇、神秘の湖「ネス湖」、城のあるエジンバラ、ランカスター、インバネス、カージフ、そしてウィンザー、オックスフォード、リバプール、グラスゴー等々、これからも英語を教えるにあたって非常に参考なるものや場所を多く見ることができました。
 英国と言っても、ウェールズのように全く英語とは違う言葉やスコットランドなまりを実際に聞いて同じ国内でも随分違いがあるものだと実感しました。今回の研修を通して最大の収穫は、言葉の持つ意味の大きさを考えたり、外国語を勉強する意味を実体験と通して考える事ができた点でした。

公開講座
登山入門に参加して

屯田中央中学校2年生男子

 10月8日、札幌岳を登山してきました。50名ほどの参加でしたが、全員が山頂まで登り切りました。
 朝の天気はよかったのですが、雨の予報もあり、北や東の空の黒ずんだ厚い雲の広がりが気になりました。バスの中で母は父さんが「雨オヤジ」であることを紹介しながら、息子のぼくをずうっと「晴れ息子」であったから、今日はどちらに軍配があがるか楽しみです、とみんなに話していました。ほんとうに父さんは「雨オヤジ」だったから、今日は何としてもぼくの方ががんばらなくちゃ、と思いました。
 山は紅葉のまっ盛りで、すばらしい気分でした。頂上からの眺めを札幌が一望できて最高でした。
 しかし、山頂では雪がちらつき、30分もいられない寒さでしたからすぐに下山、冷水小屋でストーブをたいて一休みしました。ここの冷水は実に冷たくてGOOD!元気になって一気にふもとまで下りました。
 帰りのバスで来年は春秋2回の登山をすることになりました。


高体・文連に活躍
陸上部
 8月19、20日、旭川市でおこなわれた全道選手権で浅海君(3年)が走幅跳で第6位(6.82m)に入賞しました。

美術部
 10月3、4日、北見市で開催された高文連の全道美術展で鈴木さん(3年)の作品「自画像」が全道8人が受賞する優秀作品に輝きました。
書道部
 10月11、12日、苫小牧市の高文連全道書道展に出品した岩谷さん・菅原さん(1年)は全国出展への推薦をめざしましたが、いずれも惜しいところで断念せざるを得ませんでした。

PTA研修報告
 10月16日、高P連石狩支部研修会が120名の参加で行われ、篠路高校コンピュータ学習と教育大札幌分校の施設設備の見学がありました。学び舎にゆとりがあるのはいいものです。

編集後記
 「なんとなく冬は心も寒くなる 電話料金増えて木枯らし」(俵万智)
 の師走ですね。
 そして、待つ1年はながく、過ぎる1年は短いと感じるのも師走ですね。
 皆さまにとって新しい年が幸せにみちた年でありますように。