北陵だより第61号/平成3年12月24日発行


[北陵だより第61号 1ページ]


感動の'91北陵祭
生徒会役員・3年生男子

 高校生活三度目の北陵祭を僕は生徒会役員として経験しました。
 今回の北陵祭は、本部の方針で少し趣向を変えてみました。その中でとりくんだイルミネーションは、僕の胸に深く刻み込まれています。
 この作製にあたっては大変な苦労をしました。大きすぎて思うように動かせない、骨組が弱すぎる、風にあおられる恐れがある、高い所での作業のため固定が困難であるなど、新しい段階に入る度に次々と壁にぶち当たり、何度も挫折しかけました。しかし、その度に本部の驚く程の団結力で乗り切りました。みなさんも行灯行列から帰って来た時は驚かれたことでしょう。
 精神的圧迫、肉体的圧迫の中で数々の困難を克服し、やっと仕上げました。それが夜空に浮かび上がっているのを見た時、僕は「行灯行列」を忘れて路上で泣きました。
 僕はこの北陵祭で、高校生活最大の困難とそれを乗り越えた時の感動を経験しました。開校以来、今年の北陵祭が最高であったと確信しています。

体力の自信につながった宿泊研修
1年生女子

 宿泊研修で私が得たものは体力です。小さい頃から私は運動が苦手でした。それでも高校に入ってから少し体力がついたと思いますが、宿泊研修のハイキングでそのことに私自身気づくことができ、自信がつきました。それだけでも宿泊研修は私にとって有意義だったと思っています。
 しかし、研修のねらいにもなっている集団生活は、私にはあまりうまくいったとは思えません。やはり集団生活でも何でも、普段からやらないことには意味がないし、突然ではできないでしょう。第一、規制された中でそれに従った生活の出来る人が何人いるでしょうか。出来ない人が大部分だと思います。生活を良くしようとする前向きな姿勢が欠けているからだろうと思います。それは改善されませんでしたが、気づかされたことに意義を感じています。

新しい発見に感動した見学旅行
2年生女子

 高校生活最大の行事である見学旅行が終わってしまった。慌ただしい旅行だったが、振り返ると新たな発見に感動しどおしの5日間となった。
 札幌から京都まで乗り物詰の丸一日は、とても疲れた。しかし、初めての寝台は寝心地は悪かったものの、友達とパジャマで夜中まで話をして、見学旅行に来たという実感で一杯だった。
 自主研修は見学場所が少し多かったので、全部回れるか心配したが、バスの連絡が良く、予定外の嵐山まで行くことができて良かった。
 思わず十円玉と見比べた平等院、鳥居の数の多さに驚いた稲荷大社、庭がきれいだった銀閣、そして弟の合格祈願もできた北野天満宮など、数えあげればきりがないが、北海道とはずいぶん違う風土や文化や人情に触れることができ、楽しい思い出となった。


[北陵だより第61号 2ページ]


リンカン高校生を迎えて
ブライアン君と共に
2学年保護者

 食生活、習慣も違う国の子どもを預かり、正常な生活が営めるものか当初は不安でした。「外国の人が来る」と言うことでどうしても身構えてしまいましたが、実際に一緒に暮らしてゆく中で違和感はほとんどなくなり、家族同様の存在としてブライアン君を迎え入れることが出来た様に思います。もちろん私は英語が全くだめなので、身ぶり手ぶり、筆談に悪戦苦闘しましたが、他の家ではどの様に過ごされたのでしょうか?彼はとてもチャレンジ精神が旺盛で、日本の文化を貪欲に吸収しようという気概が伝わってきました。日本人高校生との交流、街でのショッピング、日本食への挑戦、札幌での生活―私達と過ごした3週間は、彼の一生の中で大きな位置を占めることでしょう。
 ブライアン君を受け入れて強く感じたことは、子供自身がはっきりとした意志を持っていると言うことです。自分が何をするべきなのかを、しっかりと理解し、賛成、反対をはっきり表します。これはアメリカと言うことだけではなく彼自身の性格によるところも大きいと思いますが、我が子にもこの様な姿勢を持って生活してほしいと感じました。「またいつか日本に来る。その時にはよろしく」との別れの言葉を信じ、彼の為に一部屋あけておこうと思う今日この頃です。

楽しかったお茶会
茶道同好会・3年生女子

 夏休み、茶道同好会始まって以来初めて作法室に外国のお客様がいらっしゃいました。
 私達は日頃、外国の人と交流がしたいと思っていましたから、願いがかない、朝からはりきって準備をしました。
 茶道同好会は2年前にできた部で、いちばん多くお点前を経験している人で1年半、しかも講師の先生も来ていただけないという状態の中、日本文化『茶道』をどれだけ自分達が伝えることができるか、とても不安でした。
 初めはお互いに緊張していましたが、しだいにその場の雰囲気にもなれ、なごやかなムードの中で、お茶会は行われました。そして最初はみんな頑張っていた正座も、「お茶を飲む時以外は足をくずしてもいいですよ」という部員の一言に、みんなホッとしていました。
 一通りお点前が終わった後、「お茶を点ててみたい人いますか」という声に、すばやく3人が手を上げました。その積極的な姿勢に私はビックリしたのと同時に、嬉しくもなりました。なかには卵をとくように茶筅をふる人もいましたが、お茶を点てたという経験をしてもらえただけでも良かったと思います。
 このお茶会で、御点前の手順などはわからないにしても、茶道独特の緊張感やお茶を点てる楽しさを、少しでも知ってもらえたような気がします。


話のひろば
悩まない今の子どもに悩む…

1学年保護者

 「悩む」ということは、人間だけがもつ、いたって人間臭い精神作用であり、若者の特権であったはずである。
 ところが、最近の子どもは我が子を含めて、あまり「悩む」ことをしないように思われる。安易な道があれば、あとあとのことを考えず、そこへ逃げ込む傾向にある。あとあとの深く考えない以上、早晩どうにも抜け出られない窮地にはまりこんでしまうことにもなりがちであって、そうなると、もはや「悩む」という状態ではなく、ただ破綻があるのみである。
 「悩む」ことによって、人間はまさに人間的に成長する。さまざまな喜びを知り、さまざまな悲しみを知る。さまざまな挫折を知り、さまざまな成功を知る。そして、転んでもただでは起きない知恵が生まれる。まともに悩みを悩むことから、そんな味わい深い人間が育つのではないだろうか。
 今の子どもに共通しているもう一つの側面は、多くのことを自分以外の責任に帰する傾向が強いことである。学校が悪い、先生が悪い、親が悪い、世の中が悪いと主張し、自分自身の不備・不用意が問われることを極端に忌避する。自分には甘く、他人には厳しいのである。
 悩まない子ども、全てを他人のせいにして自らの努力で事態を打開しようとしたがらない子どもの増加を、「子どもが変わった」と見るのは簡単なことである。確かに本質的な部分で子どもは変わったことは否めない。しかし、それはとりもなおさず大人の社会を反映したものではないのか。悩まない子どもを見るにつけ、大人の一人として自戒するこの頃である。


[北陵だより第61号 3ページ]


祝創立20周年
地域に開かれた学校の理想を求めて
実行委員長

 さる10月6日、本校創立20周年記念式典が小春日和うららかな日曜日、盛大に挙行されました。北陵高校の歴史に新たな一頁を刻むことができ、心よりお慶び申し上げると共に、20周年記念事業の遂行にご尽力くださった実行委員会役員並びに諸先生に対し、心よりお礼申し上げます。
 昭和47年「北海道の最高峰を志向して生々発展するよう」との願いをこめて北陵高校が発足してから、はや20年が経過しました。開校当初、旧一条中学校校舎を仮校舎として勉学に励み、昭和49年も年末に近づいた12月に現校舎が完成し、移転をしました。田園都市屯田に位置する恵まれた環境は、学業の場として理想的であります。
 20年の歳月を迎えた今日、地域と密着し、さらに開かれた学校として地域の人達に喜ばれ、父母と共に北陵高校を支える姿は、今後も追及する理想であります。これら独自の伝統がより一層育まれ、北陵高校が益々発展することを祈念して、ご挨拶といたします。

努めたい地域に根ざした学校の想像
校長

 本校創立20周年記念事業は、父母、同窓生及び本校職員の御尽力により、無事終了することができました。心からお礼を申し上げます。
 後日、式典に参列された旧職員や父母の方々から、式典における生徒の態度がよかったこと、あるいは式後の『今翔くとき』のビデオ上映やブラスバンド演奏、更には記念誌『はるけき雲や』や「北陵だより」総集編『甍巍々たり』などの出来栄えについて、お褒めの言葉を聞くたびに、これもひとえに関係各位の御協力のたまものと、感謝の気持ちで一杯でした。北海道の最高峰を志向して創立された北陵高校は、創立20周年という記念すべき一つの節目を迎えて、生徒と職員が一丸となってよりよい伝統と校風の樹立に努めるとともに、地域に根差した開かれた学校として、更に努力を続ける決意を新たにしているところです。今後とも、御支援、御協力をお願いいたします。
 おわりに、御多忙の中、種々お世話くださった関係各位に、重ねて感謝とお礼を申し上げます。

在任中の思い出など
初代事務長

 過日創立20周年記念式典出席のため、久しぶりに屯田の地を訪ねたが、周囲の環境の変容ぶりには驚くばかりで、通学バス問題等で走り回ったことがなつかしく思われる。
 開校準備から5年4か月、道職員最後の勤務であった私にとって、北陵高校での日々は貴重な歩みであった。
 本間校長を中心に優れた同僚と熱心な父母の方と共に、新しい学校づくりに専念できたことは、大変有難いことであった。
 北陵高校は6年ぶりの新設校で、モデル校を目指し、教育工学室、視聴覚室、教育相談室なども設置し、以後の校舎づくりの指針となったことの意義は大きかったと思う。
 着工後の校舎建築の歩みも、オイルショック等で順調ではなかった。父母による署名運動や陳情活動、現場慰問など、涙ぐましいものがあった。それだけに校舎が完成し、移転ができた時の喜びはひとしおのものがあった。
 校地内の緑化やグランドなど環境整備についての思い出は多いが、浜益村の林内から銘木のおんこを譲り受け、玄関前に定植したことは大事業であった。私の退任以後も大切に管理されていたが、最近枝ぶりが小ぢんまりしたようで、今後が案じられる。
 あの記念樹は北陵のシンボルとしての威容を誇り、末長く生徒の行方を見守ってくれることを強く念願する。また、屋上掲揚塔には祝日等に校旗を堂々と掲げてほしいものである。


[北陵だより第61号 4ページ]

おもいで あれこれ

マラソン大会の思い出
5期生

 初めて困惑したのは、水泳であった。大雪山の研修所であったと思う。生来運動音痴である僕は、風邪をひいたと逃げた。
 次は器械体操である。僕にはいつも自然と仲間の補助がついた。柔道もスキーもただウロウロとして過ごした。
 さて、マラソンである。こればかりは逃げも隠れもできない。頼るは非力な心臓と脚力だけである。当時校舎の周りは田んぼであったから、鳥よけの空砲が足元で鳴るし、一寸走って商店の看板を見ると市内局番が1桁減っているし、街中育ちの僕はとんでもない所を走っているものだと思った。
 本番でも当然僕は全校生徒中後ろから10%の中に3回とも入っていた。ただ3年生の時に、「お前は今年くらい歩かず最後まで走れ」と常に頭5%に入る仲間のWが最後までサポートしてくれた。このWは先日刊行の20周年同窓会名簿を見ると住所がなかった。行方不明のWよ、あの時はありがとう。


熱く燃えているかい!?
8期生

 ある朝のことである。友人の「生徒会室に集合しろ!!」との誘いに言ってみると、生徒会室は見る影もなく壊されていた。生徒会役員は、席を立つ者、泣きだす者と悲惨な状態であった。
 学校祭の各クラスの発表を他校と同様に有料で行いたい、そして生徒の負担金を無くし売上の一部を老人ホームに寄付するとの希望が通らず、抗議行動に移した一幕である。
 有料化に反対したのは、先生と生徒会役員と生徒の一部であり、生徒の90%以上は有料化を希望していた。私も、直前に前任者と交替して文化委員となっていたが、文化委員会の多数決で三度も有料化を決定していた。今となっては、その行動が良いか悪いか考えさせられるが、確かにあの時の北陵高校は熱く燃えていたとは言える。


一致団結!!体育大会
12期生

 体育大会と聞いてまず思い出すのは、あのカラフルなユニフォームです。各クラスが独自のデザインを考えて作製し、大会当日はそれを着て試合をしました。ユニフォームについては賛否がありましたが、スポーツを通じてクラスの一体感を実感できる行事にとっては、プラスになっているのではないかと思います。
 競技種目が、サッカーやバレーボールなどの団体競技が多いことから、大会が近づくと、放課後は日が暮れるまでクラス全員で練習をしたり、作戦を考えていたこともありました。
 大会当日は、日頃の練習の成果を発揮するところですが、プレーヤーにとって何より励みになるのが声援です。最も応援合戦が激しいのが、体育館中に響きわたるバレーボールの試合で、試合よりも応援合戦の方が白熱しているようでした。
 クラスの全員が、スポーツを通じて共通の目標を目指すあの連帯感は、今でも忘れられません。

20年を経て
1期生(前同窓会会長)

 北陵高校が開校した頃、札幌の街では初めての地下鉄が開通し、地下街がオープンし、そして冬季オリンピック大会が開催されるという、まさに、飛躍的な変貌を遂げている時期でありました。
 仮校舎として中央区南2条東6丁目にあった旧一条中学校の木造校舎を使い、1期生180余名と教職員10名による北陵のスタートは、さながら田舎の分校のように、和気あいあいとした、なごやかなものであったと記憶しています。
 最初は、あまりのオンボロ校舎に驚いた我々でしたが、住めば都の言葉どおりいつのまにか愛着を感じ、2年半後、現在の校舎に移ってからも新しい校舎になじめず、先生方に、古い校舎で卒業させてほしいと無理なお願いをしたこともありました。
 さて、その頃の仲間達とは今でも一番会う機会が多く、思い出話も尽きませんが、姿だけは、頭が薄くなったり、貫禄がついてそれなりにおじさんらしくなった等と様々です。ただ、お互い健康でこれからもがんばれよと願う時、20年という歳月の重みを感じ、あの頃、天下国家を論じて満足していた少年達を懐かしく思い出します。

○去る10月6日、第2回同窓会総会が約150名の参加を得て開催されましたが、この折りに、吹奏楽局へ楽器購入のためにと200万円の寄贈を決定しました。ありがとうございます。


[北陵だより第61号 5ページ]

楽しく参加しましょう PTA活動
北陵高校公開講座

小樽を歩く
参加者

 8月6日(晴天)参加者54名、公開講座には初めての参加で心細く思っていましたが、バスの中で小樽に関する色々な資料を戴き、それらを読んでいるうちに期待する気持ちに変わりました。
 主な見学場所は、宋円寺(五百羅漢)・旭展望台・旧青山邸・水天宮・北一硝子等で、特に青山邸の見事な建築物、色々な品々、庭園は昔の繁栄していた小樽が目に浮かぶ様でした。山・坂・小路の多い小樽は昔をしのばせる立派な屋敷・石造りの家・倉庫・蔵等、歴史を感じる街でした。いつ迄も残したい街ですね。有意義な1日を過ごす事が出来、感謝致しております。

和服二部式を受講して
参加者

 学校を訪ねる機会のない私には楽しみでもあり、また私に出来るかと少々不安でもありましたが参加しまして本当に良かったと思いました。
 頭も堅くなって新型ミシンにさえ驚く有り様で、先生も大変でしたでしょう。予定通りに出来ない私達にもう1日ご指導下さり、どうにか仕上がりました。生徒さんと一緒の教室で先生の取りっこ、にぎやかでとても楽しかったです。
 冬に向かって家族にも作ってあげようと思っています。

此の道よい道 とをりゃんせ
参加者

 書道の大家は言いました。「文字を記号として習うのは習字」で、「心で書く字が書道」と。
 公開講座受講の機会を得、古典の基礎応用等々の講義の後、初めて筆を持つ手は震えて字にならなかったのに、教える先生、教わる私達の二者一体の“気”で書く字は、今では手も震えずに書けるようになりました。巧拙は別として“これが書道だ”と自画自賛すると共に、企画のPTAに感謝し、教育の素晴らしさを痛感しています。
 書道=書の道、此の道を歩く時、心は爽やか、充実感を覚えます。道標も先生が判り易く立ててくれるので、迷う処はありません。一度歩いてみませんか、お勧めします。(題字は筆者)

有意義だった教育懇談会(太平地域)
参加者

 過日、太平地域の懇談会があり、高校の懇談会がどのようなものなのか、興味津々で出席致しました。
 地域懇談会というので、その地域の何か問題点とか何かを話し合うのかしらと思っていましたら、北陵高校の現在の進路面、生活、学習面等についてキメ細かな説明をしていただきました。
 私の子供はまだ1年生なので、北陵高校では生徒に対してどのような学習や生活の指導をしているのかを知ることが出来、とても参考になる有意義な会でした。
 学校の様子、子供達の様子を知ることの出来る数少ない貴重な場ですので、欲を言うなら、学年別ですともっと中身を掘り下げ、色濃いものにすることが出来るのではないかしらと思うのです。来年もよろしくお願いします。

有意義だった教育懇談会(屯田地域)
参加者

 平成3年度の屯田地域懇談会が10月18日地区センターで行われました。
 今年は、北陵高校が開校20周年を迎えたということで、ビデオを見ましたが、開校当時の校舎や屯田地域の風景がとても印象的でした。
 話し合いの中では、進学や就職問題、部活と勉強の両立、学校内での生活等、どれもこれも興味あるお話ばかりでした。
 子供が高校に入学した安心感と日常の忙しさに追われている毎日でしたが、子供の将来について改めてじっくり考える良い機会でもありました。
 とにかく私たち地域の中の学校ですので、皆さんとともに見守って行きたいなあと思いました。
 そんな意味からも、今後も、大勢の皆さんと先生方との懇談の場を多く設けていただきたいと思っております。

PTA研修報告
 10月16日におこなわれた高P連石狩支部研修会に7名が参加し、「札幌市立高等専門学校」「札幌芸術の森」を見学の後、教育懇談会に出席、よい機会に恵まれて喜んでおります。


[北陵だより第61号 6ページ]

ゆりの木
ユリノキ雑感

元本校教師

 ユリノキは北陵のシンボルの木である。その由来については北陵だよりに何度か書いたので省くが、新校舎に移転してから前庭に10本植樹した。現在3本残っていると云う。ユリノキは陽樹であるから日当たりを好む。しかも風に弱いと物の本にある。北陵では周りの木が大きくなって風当たりは半減したが、日光不足にならないかと心配している。原産地の北米では60メートルの巨木があったと、昨年7月の朝日新聞日曜版「世界花の旅」に出ていた。
 ユリノキはモクレン科の植物で、ホウノキやコブシの仲間である。これらに比較すると、花は目立たず匂いも強くない。名前の由来は、学名Liriodendron tulipifera(Lirio=ユリ、dendron=木)による。英名もTulip Treeと云い、花の形を示している。又、葉の形から和名でハンテンボクとも云う。着物の半纏に似ているからである。
 毛藤勤治氏の本『ユリノキという木』の巻末に、全国のユリノキ植栽調査表が掲載されている。道内では8ヶ所計16本、そのうち札幌市内に6本あるが、北陵の3本は含まれていない。大通りに3本あると出ている。1期生の女子が見つけて、私に知らせてくれた木である。北陵にもあることを、ぜひ著者に教えてあげたいと思う。
 ともあれ、ユリノキは私にとっても忘れられない木であり、花の咲く日を待ちながら、今後も見守っていきたい。


高体・文連に活躍
バドミントン部
1年生男子

 10月19・20日に秋季高校バドミントン大会が行われました。僕達はこの大会で良い成績をおさめようと、毎日練習にとりくんできました。
 僕は1年の部シングルに出場し、1回戦、2回戦と順調に勝ちすすみ、準々決勝までコマをすすめました。接戦になりはしたものの、後半自分のペースを保ち、書きをもぎとりました。このあとの準決勝・決勝ともにストレートで勝ち、優勝を手に入れることができました。ダブルスでも阿部・坂本組が3位入賞。
 これに続く全道大会はないけれども、これからの大会でもよい成績をおさめられるようさらに練習を続けていきたい。

陸上部
2年生女子

 私たち陸上部は33名の部員で、毎日欠かさず練習しています。9月の新人戦では厳しい予選に勝ち抜き、男子6名・女子5名が全道大会出場権を得ました。
 旭川の全道大会は悪天候のため、殆どの競技が中止となってしまいましたが、1日目に出場した選手(1年男子)が走り高跳びで、悪コンディションながらも1m91を跳んで2位に入賞しました。
 私も200mに出場、足の故障を押しての競技でしたが、どうにか7位に入賞できました。それにしても悔しい限りで、これをバネに冬季トレーニングに励み、来年に期したいと思います。

吹奏楽局
2年生男子

 5月末、生徒会の賛意を戴いて楽器も局員数も不足のまま発足した吹奏楽局でしたが、その後、PTAや同窓会など多くの方々からの多大なご支援を戴いて、なんとか形を整えることができ、学校祭の行灯行列でのマーチング、ステージ発表、そして20周年記念式典の舞台演奏を無事終了させることができました。誠にありがとうございました。
 父母の皆様方や先生方からも多くの賞讃の声をいただき、本当に感謝感激しております。
 これからも皆様の期待に応えられるようより良い活動を続けていくために、局員一同がんばってゆきたいと思っております。皆様の変わらぬご声援と叱咤激励をお願い致します。

編集後記
▼ゆりの木―北海道に16本しかないとか。しかしその他にも本校に3本が…。その間の事情に詳しい先生に原稿を寄せていただいた。
▼20年の歴史をふまえた『北陵だより』も新たに一歩を踏み出す。
▼諸先輩の残してくれた有形無形の財産を確実に引き継いでいこうと思う。わずかでも私達の智恵を加えながら。