北陵だより第65号/平成5年3月1日発行


[北陵だより第65号 1ページ]

困難こそ自分を磨く
3学年委員長

 卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。皆さんの3年間の勉強の成果が実を結び、今日の佳き日を迎えられたことに、心からのお慶びを申しあげたいと思います。
 これから上級学校へ、あるいは実社会へとおのおの進む方向こそ異なりますが、本校の卒業生として、誇りと自信をもって自らの道を切り拓いていって下さい。皆さんの人生は長く、順風満帆とはいかないこともあるでしょう。しかし、「艱難汝を玉にす」という言葉もあります。すでに進学や就職の試験で挫折感を覚えた人もいるだろうとは思いますが、そんなことは小さなことです。人として何を為すかが重要なことであり、困難の中でこそ自分が磨かれていくのです。
 往々にして得だけを考えて気軽に世渡りをする青年が増えつつある昨今ですが、世の中は決して甘くはありません。現代社会は急激な変化を遂げつつあります。それは予測もつかないほどのものであるだけに、これまでのような価値観では対応できない状況に出会うことになるかもしれません。そういう事態に直面しても、自分の主体性をもって対処できるような、強固な自分を確立しておくことが、いま皆さんに望まれているのです。大いに業を会得して、社会の大きな期待に応えられるよう頑張っていただきたいと思います。
 最後に、皆さんのご健勝と本校のご発展をお祈り致します。

あっという間の貴重な3年間
3年生女子

 北陵での生活が過ぎ去ろうとしているのが信じられない程、この3年間はあっという間でした。入学したばかりの頃は、馴れないバス通学やお弁当、6時間授業に緊張と不安でいっぱいでした。私にとって少しでも高校生活を充実した時間にすることができたのは、放送局に入部して数多くの敬虔をすることができたからだと思っています。
 人間関係がうまくいかないことや、勉強との両立の上で時間の足りないことの辛さに負けて、退部を考えたこともありました。しかし、苦しいことばかりでなく、先輩後輩にも恵まれ、楽しいことがたくさんありました。自分達の番組が出来上がった時の嬉しさや、大会に出場し入賞した時の感動、そして念願の全国大会でNHKホールに連れていってもらった事などは、生涯忘れられない良い思い出になると思っています。
 これから、また違う場所で新たな生活が始まろうとしています。その生活は、今まで以上に険しくたいへん厳しいことと思いますが、北陵で学んだことを生かして、頑張っていきたいと思います。そして、いつも明るく常に上を目指せる人間になりたいです。
 最後に3年間お世話になった先生方、友達、本当にありがとうございました。長い人生の中でのわずか3年間でしたが、貴重な時間をこの北陵高校で過ごせたことを心から嬉しく思っています。


[北陵だより第65号 2ページ]

卒業おめでとう〜励ましのおことばを寄せていただきました
・卒業おめでとう。北陵高校での3年間、精一杯の努力をしましたか。何事も中途半端で終えるのは、悔いが残ります。
 21世紀に生きる諸君、健康に留意し、つねに学びの心をもち、一日一日を大切にし、豊かな人生を送って下さい。
 今後のご健闘を祈っています。
(1組担任)
・高杉晋作 27歳、中岡慎太郎 29歳、坂本龍馬 32歳。
 維新を見ずに、彼等は散ったが、男にとって大切なものは、顔や年齢ではない。熱い心……があればいい。
 歴史は様々な人間の生き様を教えてくれます。
 3年生諸君、卒業おめでとう。
(2組担任)
・あっといういう間の3年間―「分かれば、変わる。変われば、分かる。人間みんな発展途上人。」と、うれしいにつけ、悲しいにつけ、頭に来た時も、口の中で唱えながら君達と共に自分も成長しようとした3年間でした。
 生徒諸君、常に新しい刺激をありがとう。次は、自らの力で道を切り拓いて下さい。
(3組担任)
・どれほど失敗を重ねようとも決して絶望してはならない。一度の試みが失敗に終わったからといって、希望を捨てるのは間違っている。もし君達に偉大な才能があるなら、勤勉はそれに磨きをかけ、普通の能力であっても、その不足を補うのだ。
(4組担任)
・やってみたい、やりたい―と思っていても、思うことにとどまる限り、それはいつまでも実現することのない夢でしかない。できるか、できないかも、やってみなければわからない。当たり前のことだが、若い君たちにためらいは不要。頑張れ!
(5組担任)
・卒業おめでとう。変えることのできるものについては、それを変える勇気を、変えることのできないことについては、それを受容する冷静さを、そして変えることのできるものと、変えることのできないものとを識別する知恵を持ちたいものです。
 皆さんの今後の勉学や仕事が豊かな実を結ぶよう祈ります。
(6組担任)
・卒業おめでとう。北陵での3年間、自分の得意の事を発揮することができたでしょうか。まだまだ、自分の能力を出しきれていないのではないでしょうか。これからまたスタートです。それぞれの進路で一生懸命頑張って下さい。
 自分を大切に、仲間も大切に。活躍を期待しています。
(7組担任)
・日本語には裏があり、意外に多くの意味を含みます。「お好きなように」は、善意の時は「許可」となりますが、使用例のほとんどは悪意のもののようです。
 相手の気持ちがわからない真意の伝わらぬ言葉は多いものです。「お好きなように」と言われて喜ぶような、笑い話の登場人物には、ならないように。
(8組担任)
・諸君は、皇太子が結婚をした年として自分達の卒業した年を記憶するかもしれない。皇太子は幾多の壁を乗り越えて初志を貫徹したと伝えられているが、諸君のこれからの人生も、努力に努力を重ねて初心を貫いたものとなるよう頑張って欲しい。
(9組担任)
・卒業おめでとう。思いやりのある、前向きの人生を期待します。
「意志あるところ道あり」
(10組担任)


[北陵だより第65号 3ページ]

話のひろば
息子の手紙から

14期P

 ある日の夕方、東京へ就職した息子から小包と手紙が届いた。初めてのサラリーで買ったのだと、父親にタイピン、私と弟にサイフ、そして迷子犬のクロにも3,000円が同封されていた。
 6月に配属面接があり、希望の部署へ生きたこと等が記してあった。何よりも嬉しかったのは、「22年間育ててくれて有難う」と書かれていたことだった。弟に当てた部分もあったのでそこを見せると「俺はこんなうまいことは書けないよ」と言う。思わず笑ってしまった。
 私は子どもに対して「他人はごまかせても、自分の心はごまかせない、だから自分に恥じない人間になれ」、そして「物事に対して、感謝の気持ちを持てる人間になれ」と思って育ててきた。
 正月休みで帰ってきた息子は、「家に帰って来るとホッとする」と言う。コンピュータ関係の仕事をしている息子の話によれば、日本の技術は外国から見るとかなり進んでいるのだが、他の国が最初の段階で特許を取っているので、どんなにすぐれた製品を開発しても外国にパテント料を払うはめになると言う。それゆえ、最初の段階で特許を申請し、自社のそれがどこからも申請されていない場合に、はじめて特許が下りる。こうした新しい技術の開発に携わっている息子のコンピュータ相手の毎日、この無から有を生み出す困難な仕事と、会社と寮の往復の日々―そんな生活の中で、息子は少し疲れているようだった。
 子どもの手紙を見た時、親の役目は終わったと思っていたのだが、息子との会話の中から、親の役割を新たに考えさせられた思いがする。親は子どもが羽を休めに帰って来る安らぎの巣居なのだと。
 友達に会い、好きな物を腹いっぱい食べて「又、明日から頑張るぞ」と言いながら、息子は2週間の休みを終えて仕事にもどっていった。

心に刻まれる思い出
9期生

 何を書いてもけっこうですよとのことで引き受けてしまったが、何でもいいと言われると、かえって何を書いていいのか思いつかず、先おくりにしているうちに風邪をこじらせ、熱まで出てしまった。いまさら出来ませんでしたというわけにもいかず、筆を執るばかりだ。
 「漫画をかくときの資料にしたいので、校内の写真を撮らせて貰えませんか」とお願いの電話をしたのは卒業後、既に5、6年は経った頃だったと思う。
 快く許可して下さった先生の記憶力には驚かされてしまった。先生に受け持っていただいたのは、1年生の時の1年間だけだったというのに、とりたてて目立った生徒ではなかった筈の私のことや、私と同期生の友達のことなど、とてもよく覚えておられるのだ。
 「Oはお姉さんも北陵生だったんだぞ。」
 「Hは数学ができなかったな。」(ちなみに私も数学は全然できなかったのだが、やさしい先生は私の成績のことには触れずにいて下さった。)
 そういえば1年生の球技大会の時、我がクラスは1回戦で全種目敗退してしまい、2日目からやることがなくなってしまったので、しかたなく教室でゲーム大会でもやるか……ということになったのだが、将棋で先生に挑戦した男子生徒が、次々敗れてしまったということがあった。まったく数学の先生の頭の中はどうなっているのだろう。
 球技大会といえば、私は漫画に高校生活の中で楽しかった行事のことなど、いくつか描いたことがあったのだが、編集部に届いた読者からの手紙の中に、現役の北陵生からのものを見つけ、嬉しい思いをしたことがあった。手紙には、球技大会のユニフォームのことがイラスト入りで書かれてあったのだが、一度も会ったことのない人と、共通の話題を持てるというのは、不思議に楽しい体験であった。
 その手紙によると、球技大会のユニフォームは、年々華やかに変わっているという。
 気付くと、学校のまわりの風景も、私が通っていた頃とは、ちょっと驚くくらい変わってしまった。
 プリン棒を買った商店は、コンビニエンスストアになっているし、安っぽい暴走族がウィリーで走っていた道路には、グリーンベルトが出来ている。
 御指導いただいた先生達も、多くは入れ替わってしまい、知っている先生は僅かになってしまった。
 けれども新しい北陵生にとっては、昔はなかったコンビニやグリーンベルトや新任の先生が、私にとっての「西5のバス」であり、「役に立たない防風林」であり、「キムラヤのツーヤング」と同じ、なつかしく大切な北陵高校の思い出となってゆくのだろう。


[北陵だより第65号 4ページ]

ゆりの木
ハンガリー演奏旅行に参加して

教員

 何から書こうか……まるでフラッシュバックのように一つ一つの光景が浮かんでくる。
 親しげにサインを求めてきたブタペストの合唱団の子供たり。目を輝かせて身をのり出さんばかりの熱心さで、私たちの合唱に聴き入ってくれた。陽気で楽しいバルトーク合唱団のメンバー。狭いステージで肩と肩を重ね合わせるようにして歌った「荒城の月」。「Dana Dana」のダイナミックなテンポ。交歓会の花笠音頭の踊りの輪。「パーリンカ」の大合唱。河霧に包まれて宝石のようにきらめいていたブタペストの夜景。
 「私たちの町を訪れた最初の日本の合唱団」と歓迎のセレモニーでスピーチしたヴェスプレームの若々しい市長さん。見事なハーモニーを聞かせてくれた「雪の花合唱団」。昼食の料理に感心して材料を尋ねると、「卵と小麦粉とそしてバラトン湖の水とからできている」と答えた指揮者のユーモア。彼等に案内されて歩いた古都の静かなたたずまい。ミサの敬虔さ、日を重ねるごとに若返る「波」の団員のみなさん。私たちのために特別に公開してくれたエステルハージー宮殿。ハイドンが活躍したという華麗なサロンで歌った「アヴェ・ヴェルム・コルプス」の響き。ドイツ語しか知らないとつぶやいたバスの運転手さんに促されて歌った「野ばら」そして「菩提樹」。
 「私たちで本当に良かったのか。」そんな思いを抱かずにはいられなかったハンガリーの人々の心のこもったもてなし。今度は私たちが、彼らの熱い思いに応えたい―と祈りにも似た気持ちを持ち帰った旅であった。


活躍する生徒たち
家庭クラブ〜優秀賞に輝いた研究発表
2年生女子

 あなたの敷地は病んでいませんか―健康な敷地に住まいを―
 このテーマで家屋の地盤の問題点とその改善方法について調査、研究してきた成果を、今年の研究発表大会に初めて参加して報告しました。優秀賞を受賞して、これまでの努力が報われたと、部員一同大喜びをすると共に、来年度への意欲を高めることができました。次は全道大会をめざして頑張ります。
 私たちの活動は、このほかにも校内での調理講習会やゴミの区分け、校外の独居老人訪問、老人ホームへの奉仕活動や交流会などを定期的におこなっています。これからはもっと活動の幅を広げ、部員の交わりも深めて、協力性のあるクラブにしていきたいと思っています。

おじゃま虫インタビュー
「地謡に魅せられて」
3年生男子

 能楽師めざして地謡の稽古に励んでいるという男子生徒の話を聞いておじゃま虫、早速会いに行った。……
Q.地謡との出会いと魅力、難しさを。
A.中2の冬。母が所属している喜多流札幌哲生会『新年謡会』で地謡に魅了されました。腹から声を出すことによる全身の疲れが充実感に変わっていく心地よさです。
 和楽の難しさは、洋楽とは違い、楽譜のないことです。文字で表された“音”をいかに自分のものとして表現するか―難しさと共に楽しさ、奥深さを感じます。
Q.好きな曲や初舞台の感想、そして将来の抱負を。
A.月宮殿、高砂、経雅などですが、中3の初舞台での「一角仙人」は、特に思い出深い曲です。この舞台は市民芸術祭賞を受けました。4月から国立能楽堂の能楽師養成科に進学します。札幌の舞台を踏めたら最高。
―彼のひたむきで熱い心は、おじゃま虫の心をも熱した。北陵出身の若き能楽師に心から声援を贈りたい。

編集後記
▼立春も過ぎ、暦の上では春。厚い雪の下でもフキノトウがそろそろ目を覚まし、出番の準備中というところでしょうか。
▼3年生の皆さん、御卒業おめでとうございます。希望を胸に着実な一歩を踏み出して下さい。
▼今年度も『北陵だより』に多くの方からご協力をいただきました。ありがとうございました。