北陵だより第68号/平成6年3月1日発行


[北陵だより第68号 1ページ]

それぞれの卒業
3年P

 「卒業」―この卒業という言葉は、喜びと寂しさを同時に感じさせる。それはやはり、新たな旅立ちと別れを予感させる言葉だからに違いない。
 アメ玉1つで(?)親の言うことを聞いていた小学校時代を卒業し、「内申点、偏差値」であけくれながらもチョッピリ淡い初恋を感じたり友情などで悩む中学校時代を終え、そして、高校生活。男の子は親の背を追い越し、肩幅も広くなってよりたくましくなり、女の子は、やはり18才という年齢のせいだろうか、本当にまぶしいような愛らしさに輝いて、そして、卒業―。
 徳永英明の歌で、「輝きながら大人のドアをあけて……」「夢を信じて生きて行けばいいさと……」、その通りに子供達は今、夢を信じて大人のドアを開けようとしている。
 社会に出て行く者、学生生活をもう少し続ける者と、道はそれぞれ違うが、卒業は自分自身に責任を持って生きて行く旅立ちに他ならない。この先、いろいろな挫折もあるだろうが、私も我が子をみながらそれらに打ち勝っていく強さがあることを、心から願わずにはいられない。
 子供達が大人のドアを開けて旅立とうとしている今、私自身、子離れの出来ない親にならぬ様、我が子を信じ、陰ながら見守って行こうと思う。

はじまりの予感
3年生男子

 あっという間だった。北陵高校での3年間は、本当に早かった。3年生のだれもがそう思っているはずだ。
 3年間を振り返ってみると、昨日のようにいろんな事を思い出す。入学当時は、教室が静かすぎて怖かったし、遠足のときに遭遇した手稲山での犯人逃亡事件も怖かった。マラソンは辛かったけど、屯田ブリザードはもっと辛かった。学校祭の花火はきれいだったし、見学旅行のガイドさんもきれいだった。高体連では悔しさで涙を流し、某講習では苦しみのあまりに涙を流し?……そして卒業。今思うと、自分の高校生活とは一体何だったのだろうか―。
 高校生活はサッカーのようだった。素晴らしい仲間達のおかげで何度もゴールを決めることができた。イエローカードを示されたような困難に悩んだこともあった。その度に仲間達に助けられてきた。そして今、卒業という試合終了の笛と同時に未来へのキックオフの笛が鳴った。これからどんな強敵が待っているか分からない。イエローカードやレッドカードに苦しむかもしれない。でも、どんな困難に出会っても、北陵魂で立ち向かえば、いつか必ずスーパーゴールを決めることができると信じている。
 最後に、3年間お世話になった先生方や両親、そして多くの友達に本当に心の底から感謝します。ありがとうございました。


[北陵だより第68号 2ページ]

卒業おめでとう
励ましのおことばを寄せていただきました

・北陵高校の20歳を生きた仲間と別れることは妙につらい。3年生の後半、苦しい日々であったことであろう。しかし、あの日を真剣に生きたかどうかは、人生に意味を持つ。忘れないでほしいものである。「夜のおわりに朝がくる。しかし、夜明け直前の闇は最もくらい。」(「たいまつ」)
(1組担任)

・振り返ると楽しく充実した3年間でした。特に今年は受験を控えた3年生を相手に精神的に大変だったが、何とか責任を果たせた事は貴重な財産となると思っています。生徒諸君の日々たゆまぬ努力に大いに敬意を表し、自分自身励まされた事を感謝します。卒業後も誠心誠意、豊かな人生を歩まれるよう願っています。
(2組担任)

・「入学したら卒業する。」単純そうに見えても、けっしてそうではないと今君たちが一番深く感じているのではないかな。3年間よく頑張ったと思わないかな。
 さて人生先(未来)ばかり気になるように思うが、実際は後ろ(過去)を振り返ることの方が多いと思う。その意味で、明日からの一歩、一歩を大切に生きていってほしい。
(3組担任)

・朝起きて眠りにつくまで、私達にはいろいろな出来事が起こる。人生もまた同様だ。全てうれしい事ばかりならよいのだが、そうでもない。さて、君たちの位置を時計で表せば、おそらく午前10時ちょっと前。これから陽が高く、高く昇る頃だ。しっかり歩いて行こう。元気で。
(4組担任)

・「見る前に跳べ」―この言葉は、大江健三郎の著書にある言葉です。立ち止まって跳ぼうか、跳ぶまいか考えているより、思い切って跳び越えてしまいなさい。跳び越えた後に、大きな水たまりにはまるかもしれないし、転んでけがをするかもしれません。でも、思い切って跳んでごらん、きっといいことが待っているよ。
(5組担任)

・卒業おめでとう。就職する者、進学する者、各自の道をしっかり歩んで下さい。
 就職する者は健康には特に留意し、自分の行動には責任をもつこと。金を稼ぐのは大変なことです。進学する者はしっかり学ぶこと。どこで学んだかでなく、何を学んだかが重視されます。頑張りましょう。
(6組担任)

・卒業、おめでとう。みんな揃って、それぞれの道を選んで去って行く。愉快なサヨウナラ。おもしろ味のない不景気な世の中を諸君の若さで明るくしてほしい。「人間の運命は人間の手中にある。」(サルトル)という。多くの可能性の選択肢から自分の責任において選び、君自身の人生を豊かに築いていこう。
(7組担任)

・何度も卒業を重ねていくのが人生のように思えます。一つ事がなしおえたら、人間的にも成長して次の新たなチャレンジに向かうというふうにです。高校の卒業が、人生の中でどれほどの意味があるのか不明だとしても、次の「卒業」に向けての一歩を踏み出したことだけは確かです。
 頑張ってください。
(8組担任)

・私の高校時代は、部活動に熱中した失敗の連続だったが、そこで培った人間関係が後の人生に大いに役立っているという思いが最近とみに強い。諸君にも北陵高校での3年間を通じて培ったものがあるだろう。その経験を十分生かし、自分の夢を実現できるよう頑張ってほしいと、今は諸君に祈るのみである。
(9組担任)

・卒業おめでとう。3年間はとても短い感じがします。この3年間の学習や部活への取り組みはどうでした?受動的だった人も多いと思います。しかし、これからは違いますよ。自分で判断し、積極的に取り組まなければなりません。大きくはばたいて下さい。期待しています。
(10組担任)


[北陵だより第68号 3ページ]

話のひろば
息子の旅立ちを迎えて

3年P

 ここ屯田の地に暮らし始めて18年になる。当時屯田2番通りから北側は畑や田んぼで、その中に立つ北陵高校は防風林をバックにどこからでも見わたせたものだった。その時1歳だった我が子が、今春北陵高校を卒業しようとしている。
 屯田に住み、高校も地元で通えるといいねという希望がかなったうえに、入学式で私が高校時代にお世話になった国語の先生が我が子の学年の先生と知って、学校が急に身近に感じられた。その後、教育懇談会で何人かの先生とお会いする機会があり、生徒に対する取り組みや、その熱い思いを耳にしたり、また、毎春町内の回覧板と一緒に回って来る公開講座の案内などを見るにつけ、地域の中に積極的にとけこもうとする姿勢や地域の文化に対する位置づけなどを知ることができた。我が子が良い学校と熱心な先生方に出会えたことの幸せを今しみじみと思う。
 親が子を思う時、将来のためによかれと思い、幸せを願って出来るだけの事をしようと考える。しかしそんな親の願いや期待と子の思いとは、いつの世もプリズムの様に屈折したり反射したりするものらしい。
 社会や地域また家庭の構造が急激に変化していく中で、価値観や満足感なども従来のとらえ方だけでは理解しにくいところもあるが、人としての不変のものもまた信じたい。そして、我が子がこのやわらかな精神の時期に、心にひびく人との出会いや友人達とのふれ合いを糧にして、より大きく、より高くはばたいていくことを願っている。

思いがけない給食
 2月22日、予定されていた雪中体育大会や雨と雪まじりの大嵐のため中止になってしまいました。
 前日からブタ汁作りに奮闘されていた「有志の会」のお母さんたちは、1000食分!!ものブタ汁をどうしたものか心配していましたが、当日は仕上がりも順調で、さながら学校給食のような雰囲気の中でアットいう間に生徒さんたちの胃袋に消えていきました。「おいしかったョ!」「おかわりしてもいい?」の声に、給仕のお母さんたちも苦労が報われてうれしそう。
 生徒さんたちのマナーも立派で、すっかり家族のような親しみを覚えて交流する場面もみられたりするなど、わずか30分程度の機会でしたが、和やかな触れ合いのひとときとなりました。

感動を求めて
13期生

 在学中、お世話になった先生方、そして後輩のみなさん、いかがお過ごしでしょうか。お互い寒い冬を無事に乗り越え、早く暖かい春を迎えたいものですね。
 私が北陵高校に入学したのは今からちょうど10年前の昭和59年4月。入学式から10年、卒業式から7年たちました。振り返ってみると北陵高校での3年間は、夢のような年月でした。
 甲子園を目指した部活、学級で盛り上がった学校祭や球技大会、ベスト50を目標にしながらワーストに近かったテスト、片想いだった恋など、そこには確かに青春があり、感動がありました。
 現在、私は滝川市の隣の雨竜町にある高等養護学校に勤務しています。学校は職業教育中心で、生徒達は農業、木工、家庭科などに属し、就職を目指して頑張っています。なかには卒業後、職業訓練校に進む生徒もいますが、ほとんどは就職か施設で作業をすることになり、学校生活は高校で最後となります。生徒達の3年間は、私の高校時代の3年間よりある意味では非常に大切な時間です。色々な事を経験し、そして感動してくれたら…と願って生徒達と接しています。
 昨年、同僚と結婚し、今まで以上に勉強の毎日が続いています。後輩のみなさんも、色々な事を経験し、熱い感動を心に刻んで下さい。


[北陵だより第68号 4ページ]

ゆりの木
時代小説は楽し

教頭


 古本屋巡りを始めたのは中学校1年のときである。
 昭和26年当時、家が貧しかったこともあったが、本屋には年齢相応の本が極めて少なかったのがきっかけだった。無性に本が読みたかった。学校からの帰り路、街の古本屋を覗き、休みには隣の町まで出かけた。今でもその習慣は続き、月に3〜4軒は立ち寄らないと何となく気持ちが落ち着かない。
 愛読書は小説、落語、講談全集と手当たり次第何でもよかったが、とりわけ熱中したのが時代小説の分野で、吉川英治、山手樹一郎、長谷川伸、山岡荘八に始まり、しばらくして山本周五郎、子母澤寛、柴田錬三郎と変わっていった。
 最初は織田信長など戦国時代ものに集中したが、ついで剣豪ものに変わり、現在は江戸時代末期の庶民を描いた作品を愛読している。江戸古地図を広げ、地名を追いながら読む味は格別である。
 私の読書傾向は特定の作家の作品を集中して読むくせがあり、いま読みかけているのは池波正太郎、藤沢周平、平岩弓枝などで、中でも池波は『鬼平犯科帳』『剣客商売』『藤枝梅安』の3シリーズなど約130冊が書棚に並んでいる。池波の作品が好きなのは、描かれる人物の底流にほのぼのした心の暖かさがあり、人情の機微を感じさせてくれるからである。『剣客商売』の秋山小兵衛、大治郎父子の情愛は親と子に厳しさの中にも全幅の信頼と期待を寄せ、子は老齢の親を気遣い尊敬の眼差しを寄せている。1月からテレビで子母澤寛の勝小吉、麟太郎(海舟)親子を描く『父子鷹』が始まった。楽しく見ている。
 今年は国際家族年である。

還暦の「北陵生」
 正式名称「文部省認定毛筆書写検定」の1級に公開講座の受講生が合格されたと聞き、さっそく原稿をお願いにうかがった。
 意欲的でありながらも気負いのないお話から「青春」が見え、瞳の奥から「朱夏」が見えた。好奇心・探究心・持続力・感謝の気持ち等々……いつでもとこでも身のまわりにあることをいかに見逃し見忘れていたか―を教えられた。
<書と私>
 小1のとき片仮名で「スミホン」を書いたのが書の出会いで、今でも鮮明に思い出されます。第2の人生で現職に就いてから、時間に拘束されず、経済的にも負担がなく、一人で楽しめる趣味を考えた矢先、当校の公開講座を知り、『古典を学ぼう』を受講するようになりました。書史、書文化を学ぶうち、文部省書写検定のあることを知り、挑戦を試みました。旧漢字・仮名遣い等懐かしさも加わり、強烈な興味を覚え、先生のご指導のもとに目標を達成することが出来、嬉しさで一杯です。
 振り返ってみますと3年が過ぎていました。思いますに、興味が情熱的に持続出来ましたのは、目標があったからです。そして、その目標を教えてくださった方が、北陵高校の先生でした。先生の人柄と素晴らしい指導力に対して、心から深く感謝しているところです。私の人生の後半は書によって変わるであろうし、更に新しい目標を見出し、書を続けていきたいと願う今日この頃です。
(公開講座参加者)

卒業記念品の紹介
 第20回卒業生一同より、卒業記念品として、生徒ホール用に左記の品が学校に寄贈されました。
・ミーティングテーブル 12机
・椅子 8脚

編集後記
▼雲間からこぼれる陽の光は、日毎にふくらむ春の気配を感じさせます。皆様いかがお過ごしでしょうか。本年度の最終号をお届けいたします。
▼3年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。北陵高校で身につけられた有形無形のものを、これからの人生に役立ててください。
▼この1年間、本紙にご協力いただいた方々、読者の皆様に心よりお礼申し上げます。